縁(えにし)

 翌朝目が覚めた頃には、既にエリンは仕事に出掛けていた。

 使用人の女が朝食まで用意してくれたようで、ブレアスはそれをゆっくり食べた。

 不思議な香りのする塩漬けの野菜と貝の入った味噌汁、大麦の入った米だった。

 食事の後ブレアスは使用人に礼を言い、メルクオールの家を後にした。

 懐に短刀をしっかりと入れて、槍を担いでまだ人通りの少ない道を、城壁に沿って歩いた。

 ブレアスは南門に向かっていた。

 ティルナ河の岸から船を使い、ティルナビスに下るつもりだった。

 途中ボルサの工房を除いてみようかと、見渡しながら歩いた。

 するとそれらしき小屋を見つけた。

 思っていたより頑丈そうな作りの小屋で、しっかりとした太い柱で作られていた。

 鍛冶場らしく、中は土間で、さまざまな工具が置かれていた。

「あんたその槍どこで手に入れた?」

 藁を抱えた男が小屋の裏から現れて、呼びかけてきた。

「これはメルクオールさんから頂いたものだ。勝手に覗いてすまない。ブレアス・コールドンという」

「あぁ、アシェルの相手の人か。試合は残念だったな。俺はボルサ・レバンテだ。あんたセリムさんと知り合いか」

 偏屈だと聞いていたが、意外にそうは感じられなかった。

 メルクオールの名を出したせいかもしれない。

「昨晩食事に誘われて、この槍を貰った」

「良い槍だろう。アシェルの作だ」

「そうだな。まだ試していないが見たところ良さそうだ。他に何かあるか?」

「他って武器か? ここには流石にないな。あ、一振りあったな、ちょっと待ってな」

 そう言うと鍛冶場の奥から一振りの剣を持ってきた。

「仕上がったばかりのものだ。今朝道具が届いたばかりなんだよ」

「見せてもらっても良いか?」

 ボルサは剣を差し出した。

 ブレアスは槍をボルサに渡して剣を受け取った。

 元幅2寸、先幅1寸、2尺3寸ほどの両刃の剣だった。

「これもあの少年が鍛えたのか?」

ボルサは頷いた。

「あいつは本当に良い感を持ってるよ。面白い刃文だろう」

 柾目まさめ地鉄ぢがねに、打ち寄せる大小の波のような刃文が規則的に繰り返されており、両刃で波が揃っているため、日に翳してみるとまるで炎のように見えた。

 鍔は銀を使い、彫り込んだところを黒く錆びさせており、古臭さを演出していた。

 縁頭も同様に作られていた。

 掘り込みと言っても目の荒いヤスリで深さを変えて不規則に傷を付けただけなのだが、その不揃いさと錆の色が、無機質だが自然な趣を演出していた。

「これは売物か?」

「気に入ったかい?」

「ああ、幾らかな」

「10万だ」

「そんなにするのか。他の店なら4振買える金額だな」

「そりゃあんた材料から自分で作って、鍛えて完成までひと月かかるからな。鉄を流して型に入れて叩くのとはわけが違うよ。その槍はこの剣の倍はするぜ」

「何だって? そんなに高価だったのか」

 とは言ってもこのような作りのものは他にはないため、比較のしようもないのだ。

「その価値はあるな」

 ボルサはそうだろうとでも言いたげな顔でブレアスを見ていた。

 ブレアスは懐から革の巾着を取り出すと、金貨を7枚取り出した。

「取り敢えず、これだけ渡しておく。それとこの槍を預けておく。残りは後日持ってくる」

「構わないが、セリムさんからの贈り物だろうよ。良いのか? こんな扱いしちまって」

「これから行くところに槍なんて持っていったら戦争になっちまいそうだから、預かってほしいだけだ。残り3枚と引き換えに返してもらう」

「やっぱり担保じゃねぇか。まぁ良いよ。持ってきな」

 ブレアスは剣を握り、真っ直ぐに振り下ろした。

 手元より切先の方に重みを感じた。

 自分好みの感触だった。

「槍を頼む。近日中に受け取りに来る」

「毎度あり。早く来ないとセリムさんに知れるぜ」

 ボルサがニヤッとしながら言った。

 武器を自分で買うなど何年振りだろうか。

 欲しいと思うものがなかったのだ。

 矛を布で磨きながら眺めている時間が好きだった。

 いつも違った表情を見せる不思議な金属に魅入られていたのかも知れない。

 この剣も面白い表情を見せてくれそうだと思った。

 しかし出会いとは面白い。

 今朝仕上がったと言うから、間が良かったらしい。

 ブレアスは畑の畦道を川岸に向かって下っていた。

 畑は刈り入れた後で殺風景だ。

 刈り取って束ねた大麦が柵に掛けて干してある。

 大麦は食用としてももちろんだが、麦芽を使った酒に使用される。

 麦酒であるが、ブレアスは苦手だった。

 腹が膨れる割に酔わないし、何より味が苦手だった。

 シエラの街の周囲は一面畑で、さまざまな穀物や野菜が栽培されていた。

 生産量は多く、国外にも売られるほど食料が豊富な街である。

 理由は、下水の堆積物を堆肥化して土に撒くので、土が肥えているのだ。

 シエラは都市計画の段階で、地下構造物として下水道を作った。

 南北に走る中央通りの地下に大きな空間が作られていて、ここに集中して流されるようになっている。

 街の外の街道の地下に、固形物を堰き止めるトラップがあり、上澄はティルナ河の支流に流すようになっていた。

 下水の処理を行なっているのは、鉱山で働く者と同じで、罪人である。

 こちらは軽罪のものが多く刑期も短いのだが、匂いがひどく、刑期を終えて地上に上がっても、しばらく匂いが落ちない。

 こういった刑罰があるため、シエラ周辺の治安は良い。

 ティルナ河の岸には何箇所か船着場がある。

 シエラの辺りは流れも緩やかなので、帆を掛けてオールを使って往復する。

 ブレアスは何人かと乗り合わせで河を下った。

 川岸に並ぶ金木犀から良い香りが届いた。

 河を利用するのは人だけでなく、物資輸送にも使われていたから、多くの船が行き交う。

 ティルナ河は東のアトリア山脈の雪解け水が流れてくるため、水量が安定している。

 他の河川では降水量が下がると水位が下がるため、秋から冬にかけて船が使えなくなることが度々あった。

 シエラからティルナビスの街が栄えたのは、水量豊富なティルナ河のお陰でもあった。

 舟は何箇所かの舟着場に止まって、客を拾ったり降ろしたりして運行している。

 途中中洲で数名が降りて、やはり数名が乗り込んできた。

「今日の2試合目は不戦勝らしいぞ」

中洲から乗ってきた者の会話が聞こえてきた。

「あの小僧か? 初戦は良い試合してたから楽しみだったんだがなぁ。何かあったのか?」

「どうも怪我らしい。足を折ったそうだよ」

「そうか。じゃあのねぇちゃん得したな。で掛けはどうなるんだ?」

「流石に返金するってよ。試合が無くなっちまっちゃ賭けも何も無いからな」

「しかし初戦で買ってた奴ら、結構儲かったらしいな」

「そうらしい。胴元が一番喜んでたみたいだけどな」

「違いない。あんな番狂わせ滅多にないからなぁ。買ってたやつは運が良いぜ」

 どうやらアシェルは怪我で欠場となったようだ。

 学院の件もあったため心配ではあるが、骨折なら命に別状はないであろう。

 おおかた、朝の稽古で無理をしたのだろう。

 ほどなくしてティルナビスに着いた。

 ティルナビスは海運の街である。

 街には運送会社の事務所から酒場まで、さまざまな商売が行われていた。

 船から荷上げして、ここで販売も行うので、市が沢山立つ。

 特にサルマンの香辛料は、王家の専売だけあって大きな商館を持っており、連日客で賑わっていた。

 海側は税関を通って出入りするのだが、荷の積み込みや荷降ろしで、人足がひっきりなしに行き来している。

 商売の街だけあって内外から様々な人間が集まって来るため、それに合わせて衛兵の数も多かった。

 あらゆる角に歩哨が立っていたし、巡回もあった。

 剣を持ち歩くことは違法ではないのだが、衛兵にはよく声をかけられることになる。

 槍などを持ち歩いていたら、目立って仕方がなかったであろう。

 協商組合は街の中央からやや南に外れたところにあった。

 ここから南にさらに進むと、街の雰囲気は大きく変わる。

 古くに出来た初期の街並みで、建物は傷んでいるが、今でも使われていた。

 治安はひどく、衛兵もあまり寄り付かないため、半ば無法化していた。

 そこを縄張りにしているのが、バサナート家である。

 組合会館の前には数名の警護が立っていた。

 黒尽くめで頭巾のついた外套を羽織った大柄の男ばかりだ。

 ブレアスのものとよく似た靴を履いていた。

 恐らく軍人上がりだろう。

 ブレアスが近づくと、一人が目の前に立ち塞がった。

「何の用だ?」

「バサナートさんに会いたい」

「寝ぼけてるのか?」

 男はブレアスの顔を見て何やら気付いたようだ。

「はっは、あんたブレアス・コールドンか?」

 ブレアスは頷いた。

「はっはっは、あんたが負けたお陰で随分稼がせてもらった。お頭に何用だ? 分前でも欲しいのか?」

「これを見せてくれれば良い」

 ブレアスは懐から錦に包んだ短刀を取り出すと、男に渡した。

 男は中を改めようとするので止めた。

「あんたが見て良いものじゃないと思うがな。バサナートさんにそのまま渡してもらおう。くれぐれも、持ち逃げしようなんて思わない方が良い」

「舐めてんのか?」

「良いから、渡してきて貰えるか?」

 男は睨みつけると、仕方なさそうに扉の奥に消えた。

 男は2階の奥の部屋の前に立ち、入室の許可を得ると中に入った。

「姉さん、表にブレアス・コールドンが来ていて、これを渡すようにと」

 男は包みを両手で持って差し出した。

 ヘルガはソファに足を組んで掛けていたが、その包みを見ると手を伸ばし、中身を改めた。

「船の用意をしてその男を連れて行け」

「承知いたしました」

 男は深く頭を下げると、数名の男に声をかけて、スクーナーの出航準備に向かわせた。

 そして表に出ると、ブレアスについて来いと声をかけた。

「お前何モンだ? お頭が約束もないのに会うなんて信じられん。しかも船まで出すとはな」

 なるほど、船なら密談にはちょうど良い。

 ブレアスは男の後に着いて港へ向かった。

 男の問いにただの傭兵だと伝えると舌打ちする音が聞こえた。

 船は大抵沖に停泊しているため、桟橋からボートに乗り込んだ。

 船を直接接舷できるのは税関の先だけになっている。

 北側は急激に水深が深くなっている場所があり、その辺りだけしか接舷できないため、税関を作るのに都合が良い港だった。

 荷に関税を掛けており、街の主要な収入源になる。

 ボートの桟橋周辺には衛兵が多く立っていて、関税逃れを摘発していた。

 街の外にもいくつか接舷できる場所はあったが、そこには衛兵が常に詰めており、不審船を監視していた。

 桟橋から手漕ぎボートに乗り、沖に向かうのかと思ったが、海岸線に沿って南下していた。

 その先の崖の裏から、白い船が出てきた。

 ブレアスを乗せた船はゆっくりとスクーナーに接近した。

 甲板から縄梯子が投げられ、よじ登った。

 帯刀は許されたようで、ブレアスは片手を駆使して登った。

 甲板に上がると船室に通された。

 奥に女が一人座っていた。

 長いうねりのある髪が、女の顔半分を覆い隠し、鋭い左目だけがブレアスを見ていた。

 手には短剣が握られていた。

 微かに笑っているように見える。

「コールドン、先日は儲けさせて貰って感謝するよ。なかなか良い試合だった。まぁ掛けてくれ」

 彼女は手を伸ばして促した。

 毎度言われ続けるのにも良い加減うんざりしてきたが、顔には出さずに、ブレアスはクッションに腰をおろした。

「ブレアス・コールドンと言う」

「知っている。ヘルガだ。久しぶりにこの短剣を見たが、まさかあんたが来るとはね。コールドンって、あのコールドンなのか?」

「どうやらそうらしい。俺も昨日初めて知ったところだ」

「なるほど。家の名は信用に値する。しかし初日でこれを預けるとは、随分気に入られたな。それとも火急の案件か?」

 ブレアスはメルクオールに話した内容をヘルガに伝えた。

 ヘルガはじっと聞いていた。

 頬杖をつきながら、目はじっとブレアスを見ていた。

 ヘルガは不思議な服を着ていた。

 チュニックではなく、胸元で山吹色の生地が斜めに重なるようになっていて、腰の帯で留められている。

 袖は袋のようになっていて、随分と長い。

 襟の辺りに刺繍が入っていた。

 円が規則的に重なる図案だ。

 その上に襞のあるたっぷりとした藍色の袴を履いていた。

「なるほど。あの坊やに関する学院の動きを探りたいと言うことだな?」

 ブレアスは頷いて応えた。

「しかしながら面倒な話だね。学院とは」

 ヘルガはため息混じりにそう言った。

「あんたが自分の出自と旧王家のことについてどの程度知ってるかは分からないが、東風の関係者は旧王家所縁の者たちだ」

 ブレアスは驚いて尋ねた。

「もしかして消えた集団というやつか?」

 ヘルガは頷いた。

「しかしあの家族が旧王家に所縁のある者だと何故言い切れるのだ?」

 ヘルガは短刀を手に取って、ブレアスに見せた。

「先代が旧王家の関係者を自称するものと接触した。これはその時に先代が受け取ったものだ」

 なるほど、セリムがこれを持たせた理由がわかった。

 旧王家に関わる話だから必ず会うと確信していたのだ。

 ヘルガは短剣を抜いて、柄に打ち込まれた目釘を押して、外した。

 そして柄頭を掌で叩くと、巾木を掴み柄を外した。

 そして短剣を錦の上に置くと、茎に刻まれた印を見せた。

 その印は金象嵌で、焦茶色の錆のついた茎にはっきりと見てとれた。

 均等に配置された6枚の花弁のような印だった。

「この印は焔の守護者を示す。我々メルクオールと炎帝だけが知るシンボルだ」

 最初の王マリテは、歴史には炎帝と記されているが、本来は焔の守護者を意味するという。

 焔は、ヒトとエルオールの間の最初の絆であり、メルクオールの先祖がエルオールから最初に預かったものだ。

 彼が受け取った焔は如何なる時も消えることがなかったが、エルオールが去った後のある日、忽然と消えたという。

 当時の当主は大層悲しみ、ずっと不安を抱えていた。

 ある日彼の前に一人の女が現れた。

 その女はエルオールと同じ力を持ち、彼にその証を見せたのだ。

 それを見た時、彼は女に忠誠を誓うと同時に悩みを打ち明けた。

 すると女はかつてのように消えない焔を灯すと彼に預けて言った。

「いつかこの焔を必要とするものが現れたら、渡して欲しい。この焔は混沌に秩序をもたらす」

 その焔は球体のようで、揺らめきながら輝いていて、まるで小さな太陽のようだった。

 彼は焔を鉄の容器に収めた。

 この容器は円筒形のランタンのようなもので、側面には無数の穴が開いており、そこから漏れる光が、周囲を美しい模様で明るく照らした。

 その模様は6枚の花弁の図案が規則正しく並べられたものだった。

 焔の守護者、アゼル・バルクオールという称号は、ヒトとエルオールの絆を守るというマリテの約束から生まれた。

 そのランタンはメルクオールの自宅にある祭壇に安置されてきた。

「この短剣は今から15年前に、私の父がある男から受け取った。その男はギムリス・サラザードと名乗った」

 サラザード、あの家の姓だ。

「住民台帳を調べたところ、ギムリスは20年ほど前にネイル・サラザードの養子になっていた。現在はその娘のエレノアとその子、アシェルがいる」

「彼らは戻ってきたということか?」

「分からない。だが守護者は健在だと言うことだろう」

 ヘルガは短刀の茎を指差して言った。

「さて、話を戻そう。学院だ」

 ヘルガは茎を柄に差し、目釘を打ち込んで鞘に納め、錦で包んで懐に入れた。

「今の学院は旧王家への関心をほとんど失っている。ただの謀略組織だ。謀略の道具として力のある者を利用している」

「子供を拉致まがいに連れて行って、その子を使うと?」

「そう。力が伸びなかった子は貴族に売られる。買い手がつかなければ国外の娼館に売られる。主な資金源は人身売買だよ」

 胸がムカムカする話で、ブレアス顔を顰めた。

「そんなものはまだ氷山の一角だよ。力が伸びた子は謀略に使う」

「どんな謀略に使うと言うんだ」

「暗殺、情報操作、人心操作、などだな。能力者が行うと、証拠が残らない。暗殺もかなり手が込んでる。人の記憶や意志を操作できるからな。手を汚さずに遂行できるわけだ」

「国内で発生した事件に関わってるのか?」

「国内に限らない。外でもやっている」

「あんたは何故それを知ってるんだ?」

「奴らは海賊に汚れ仕事を回している。我々はその海賊に人を潜入させている」

「奴らの仕事に加担しているのか?」

「仕方なく、だ。情報を集めるためだ」

「何のために?」

「蛸の脚をいくら潰しても別の脚が出てくるだけだ。頭を探している」

 ヘルガはこめかみのあたりを指で突いて言った。

「それを叩くためか?」

 ヘルガは頷いた。

「で、分かったのか?」

「そんなに簡単にわかれば苦労しない。今わかってるのは、海賊ギルドとも傭兵ギルドとも繋がってるってことだ」

「傭兵ギルドも関わっているのか?」

「そうだよ。あんたが所属してるギルドもね」

 ヘルガは掻き上げては落ちてくる髪が煩わしいのだろう、後ろで纏めて紐で留めた。

「奴らは結託して動いているわけではない。個別に自分達の利益を追求しているが、どれも共通して求めているものがある」

「金か?」

「そう、金だ。金は最終的にどこに集まるかな?」

「銀行だ」

「そう、銀行だ。あいつ等は利息を取って金を貸すのが商売だ。貿易するなら通貨の交換も要る。さらに商売やるとなると、予期せぬ事態のために保険をかける。その予期せぬ事態ってのは、例えば海運業なら大時化で転覆して積荷が消えたり、海賊に襲われたりすることだ」

「海賊と銀行が結託してるって言うのか?」

「してるんだよ、実際ね」

 ヘルガは顔に垂れた髪を弄びながら言った。

「サラザードの前の当主もそれで財産を奪われかけた。ギムリスが救ったようだけどね。各国の戦もそうだ。戦するには金がかかるからね。その金を貸し付けてるのも連中だ。」

「じゃ蛸の頭が銀行だって言うのか?」

「近い」

 ブレアスは眉を顰めてヘルガを見た。

「各国各都市に幾つも銀行はあるが、そいつ等は自分達の会社に金庫を持って、そこに金を保管してるわけじゃない。一部は持ってるが、大部分は別のとこだ」

 何処だと言いたげなブレアスに、ヘルガは言った。

「カレアン島だよ」

「造船の島にそんな金が集まってるのか?」

 ヘルガは頷いた。

「各銀行を束ねてる奴らがいる。恐らくそいつ等が蛸の頭だ」

 知らないことが多いのは十分理解していたが、そこまで自分が生きてきた世界とかけ離れた世界が存在することに、驚きと落胆があった。

「敵は恐ろしく大きいのだな」

「何だ? 怖気付いたのか?」

ヘルガが面白そうにブレアスの顔を覗き込んだ。

「俺はエレノアから学院とギルドの動きを探る仕事を受けている。現状探ろうにも取っ掛かりがなくて困っていたところだ」

 そりゃそうだろうなとヘルガは笑っていた。

「表にいては入れない世界というのはあるんだよ。だが入ったらもう出られない。どうする? やる気があるなら手を貸してやる。だが見たくないものは山ほど見るし、腑が煮えるようなことも顔に出さずにやらなきゃならんこともある。その覚悟があれば、世話してやるよ」

 ブレアスは考えている様子だが、目には力があった。

「まぁ、メルクオールとウチの関係を知る人間は数えるほどだ。どちらにも顔が効くっていうのは、便利ではあるね」

「分かった、やらせてもらおう」

「良い返事だ。これを受け取れ」

 ヘルガは引き出しを開けると中から何か取り出して、ブレアスに投げて寄越した。

 組紐の巻かれた小さな銀の板と、紙に包まれた金だった。

 銀の板には3つの半円が重なって出来た三角形のシンボルが浮き彫りにされ、山吹色の組紐が付けられていた。

 紙には金貨が5枚入っていた。

「それを表の奴に見せれば自由に出入りできる。あと、帯刀するならば、腰紐でなく帯を使え。ひとまずこれでも締めておけ」

 そう言って帯を投げて寄越した。

 6尺(約2m)はあろうかと言う長さだ。

 幅は3寸5分程で、随分厚い。

 艶のある臙脂色の麻の帯で、ヘルガの着物の襟にあった刺繍と同じものがあった。

 これを3回ほど腰骨のあたりに巻いたのちに一番内側に一度通して結ぶ。

 綺麗にまとめる結び方もあるが、垂らしておいても良いようだ。

 端部に縁飾りがついている。

 三重に巻いた帯のふたつ目あたりに刀を差す。

 腰紐は適当に帯の上に巻くか、羽織に襷掛けにしてしまっても良い。

 紐の使い道はいくらでもある。

「暫くは私について来てもらう。今日の日暮れ前にこれからおろす場所に来い。それまで荷物でも揃えておくことだ」

「何処へ行くんだ?」

「カレアンだよ」

 見たことのない島だ。

 胸が高鳴るのをブレアスは感じた。

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