出会い

 衛兵詰所は何箇所かあるが、囚人護送を担当する衛兵の詰所は、2つ目の城壁の傍にある。

 このシエラの街は古くから栄えた街で、長い歴史の中で幾度も増改築されてきた。

 この街はティルナ川から少し離れた丘の上に建っている。

 現在は三重の城壁に囲まれている広大な都市であった。

 現王家が拠点とする北のグリシャよりも規模は圧倒的であった。

 北部の金鉱山周辺から切り出した岩を加工して造られたが、初期の段階から下水まで完備する基礎工事がなされていた。

 一番内側の城壁は建設当初からあったもので最も古い区画だ。

 アトワール王国の頃には中央部には炎帝の住まいや都市執政官の政府と議会、これに付随する行政府があったが、現在は貴族の住まう邸宅と庭園に様変わりしていた。

 二番目の城壁内には行政に関わる様々な部署があり、貴族の下働きや下級貴族が働いていた。

 また海運ギルドや金融業者、傭兵ギルドもここに事務所を構えている。

 その北端に裁判所がある。

 囚人はそこの地下の牢から運び出されるため、衛兵詰所は第2城壁の北門の傍にある。

 ブレアスが詰所についた頃、丁度囚人護送の馬車が待機していた。

 「ちょっとすまない、クルトの姿が見えない様だが、今日はいないのか?」

 声を掛けられた衛兵は、クルトの名を聞いて明らかに不快そうな顔をした。

「まったく、いい迷惑だよ。あんたあいつの知り合いか? 見かけたら伝えてくれるか、査問だってな。ったくお陰で休みがフイになったぜ」

 男の口から悪態が漏れ続けるので距離を置いた。

 城門脇の小さな扉が開き、中から囚人が2名引き出されてきた。

 囚人は衛兵に引き渡され、鉄の檻だけの荷台に乗せられた。

 そして何事もなく、淡々と、通りを進んで行った。

 彼らが刑期を終えることはないだろう。

 出てきたという話はついぞ聞いたことがなかった。

 ブレアスはただ、馬車を見送った。

 どうやら、同僚からは何も得られそうにないと思った。

「もしや、コールドンさんではありませんか?」

 不意に声を掛けられ、振り返ると男が一人立っていた。

 整った身なりをしており、自分の周りにはいない部類の人間であるのは間違いなかった。

「そうだが」

「失礼を致しました。私はエリン・メルクオールと申します。法廷代理人を務めております」

 口調や仕草からは高圧的な態度はまったく感じられなかった。

 そこいらの下級貴族にもいない部類の男で、妙に鼻につくような、見下すような素振りも感じられなかった。

 家の名には一つだけ思い当たるものがあった。

「ブレアス・コールドンだ。どんな御用でしたかな。法廷から出頭命令は受けていなかったと思うが」

 困ったような顔で頭を掻いている。

「いや先日のあなたの試合を拝見しましてね、大変良い試合でしたので、お話を伺えたらと思っていたのです」

 不思議な男だと思った。

 普通勝った者の顔と名前は覚えていても、負けた者のそれなど覚えてはいないものだ。

「負けた男の話に興味があると?」

「ははは、良い試合と言うのは優れた武術家が2人いて初めて生まれるものでしょう。勝敗はその結果に過ぎませんよ。共に称えられるべきではないですか?」

 面白い見方をするものだ。

 結果だけでなく過程を評価するのか。

 今まで出会ったことのない視点だった。

「そのような評価に感謝する」

 そう言って頭を下げると、彼も頭を下げた。

 なるほど、家の名に恥じない男のようだ。

「あなたを食事にお招きしたい。今晩我が家にお越し願えませんか?」

「それは嬉しいお誘いだ。感謝する」

「それでは9時にお迎えに参りますが、お住まいはどちらですか?」

 迎えになど来られてはまた妙な連中が騒ぎ立てるので、丁重に断った。

「それでは9時にこちらにお越し願えますか? 私がお迎えに参ります」

「承知した」

 そうして二人は別れたのだが、エリンはブレアスの背を見送っていた。

 メルクオールとは、偉大な預言者の家系であり、アトワール王国在りし日には、シエラの執政官の家系であった。

 ロンバルドに変わってからは王族が執政官に就いたため、彼の家は下級貴族に落とされ、裁判所の判事の一人として務めていた。

 地位を奪われたにもかかわらず、職務に忠実で、シエラの良心とまで言われる人望の厚い家だ。

 エリンは、現当主で判事の父サリムの子息であった。

 どうやら『良心』は受け継がれてゆくようで、住人としては有難いことだ。

 しかし流石にこの身なりで招かれるのはまずいと思い、まず風呂を浴びに行くことにした。

 シエラの街には風呂屋が何軒かあった。

 ブレアスは週に何度か利用する。

 蒸気風呂と湯船があり、髪や髭も整えてくれる。

 まずは蒸気風呂で汗を流し、ヘチマのタワシで汚れを落とす。

 金を払って人に任せる者もいれば、自分でやる者もいる。

 金を払うと、髪も丁寧に洗って貰えるし、髭も整えてくれた。

 ブレアスは使用人に依頼した。

 ヘチマは当たり外れがあるのか、まだ新しく硬いもので擦ると、全身が真っ赤になるほど痛い。

 程よく萎びたものが丁度良い。

 噂によると、干し上がった直後の固いヘチマは男湯に使われるらしい。

 適度に柔らかくなったものが女湯で使われる。

 まさか男が使ったものを女に使っているとは言い難いので、公然の秘密という形になっている。

 身体は重曹を溶かした湯で洗ってくれる。

 風呂に浸かるのは気持ちの良いものだ。

 寒い時期は湯冷めしてかえって風邪をひきやすかったが、戦の後などは身体が解れるため、好んで使っていた。

 傷がやや滲みた。

 塞がりつつあり、傷口は乾いてきて化膿もなかった。

 エレノアには感謝せねばなるまい。

 湯船には草が浮いていた。

 大抵何か入れられるのだが、今日は蓬が入れられていた。

 独特の強い香りがするが、嫌いではない。

 女湯などは花弁が入れられることが多いらしい。

 薔薇はその香りとオイルが特に好まれた。

 高価なのが難点だ。

 風呂屋には様々な人間がやってくる。

 時に思いがけない話が耳に飛び込んでくることもあった。

 この時間は人も少なく、面白い話は聞けなかったが、噂話を拾うには良い場所である。

 噂話が好きなわけではなく、世間の関心が何処に向かっているかが気になったのだ。

 特に今面倒な仕事を受けておきながら、肝心の情報源が行方をくらましていて、行き詰まっているのだ。

 手掛かりが欲しかったのである。

 ブレアスはエリンを信用したわけではなかった。

 表では人当たりの良い人間を演じていても、腹の底では何を考えているのか定かではない。

 特に貴族という身分の者には関わったこともなく、身構えておいて損はない。

 街で管を巻く三流貴族などはそこが知れているが、あの男は判断しかねた。

 だが面白そうだと感じている自分が不思議でならなかった。

 戦で号令がかかる前の胸の高鳴りほどではないが、何が出てくるか興味が湧くのだ。

 約束の時間まで随分あるので、何をしようか考えながら、風呂から上がった。

 表の出店でレモネードを買うと、一気に流し込んだ。

 汗を流した後には、レモンの酸味が心地よい。

 服を新調することにした。

 随分痛んで所々擦り切れていて、このままでは相手に申しわけがない。

 敗者にも配慮して労おうとしてくれるのだから、その気持ちには応えねばなるまい。

 いつもの靴屋に顔を出すと、靴底の張り替えを依頼した。

 踵も随分減っていたし、革の手入れもしていなかった。

 この靴は戦で使用するものだ。

 夏場は流石に使わずに風通しの良い履物を使うが、それ以外はこの靴を使う。

 膝下までが革で覆われる。

 足首の前後に補強がつけられていて、ずれないように足の甲、踝から膝下まで紐で締められる作りになっている。

 戦ではこの上に大腿まで覆う防具を被せる。

 鍛造の薄い鉄の板が仕込まれていて重いため、太腿側は腰帯と繋げて吊り下げる形になる。

 戦で脚をやられると、生還の可能性が格段に落ちる。

 動きの鈍い獣がすぐに仕留められるのと同じだ。

 だから脚と、言うに及ばずだが体幹の防具はしっかりしたものを選ぶ。

 先日アシェルに穴を開けられた胴当ても現在修復に出している。

「あの小僧は強かったか?」

 靴屋の主人が尋ねた。

「あぁ、強かったな。器用な奴だったよ。あれはまだ伸びるだろうな。俺は降るだけだがね」

 半ば自嘲して言った。

「はっはっは、随分弱気じゃないか。お前さんだって腕は確かだろうに。あんたのように毎度平然とした顔で帰ってくる兵士は中々いないよ。ちゃんと還ってくる奴は良い兵士なのさ。そんで俺には良い客だ」

 主人はにやりとして見せた。

「ふんっ、ありがとよ。幾らだ」

「300。もうそろそろ買い替えたほうが良いかもな。かなり痛んでる。長い付き合いだから安く仕上げてやるよ」

「いつも助かる。近いうちにまた邪魔するよ。じゃあな」

 店の主人は手を振って見送ってくれた。

 この街に移って9年になるが、その時から世話になっていた。

 軍を辞めて、家族にも告げずに家を出て、所持金が薄くて修理もできなかった頃があった。

 戦支度をして出かける間際に、ここの主人が見かねたのか、呼び止めてくれて、痛んだ靴を直してくれた。

 還ってこいよ。

 居場所を捨てた自分には帰る場所はなかったが、そう言われて背を叩かれた時、妙に力が湧いたのを今でも覚えている。

 戦の後に給金をもらい、最初に出向いたのがこの靴屋だった。

 靴の修繕の礼に来たのだ。

「帰ってきたな」

 店の親父の手が肩を叩いた。

 大きな職人の手だった。

 ブレアスが修繕費を渡そうとすると、代金は要らないと言う。

 「気持ちだけ貰っとく。次に何か入用な時はうちに来てくれ」

 それ以来この店に通うようになった。

 この店の親父はコリン・ハウエルと言った。

 一人息子を戦で亡くしている。

 靴屋を後にすると、ブレアスは服屋を探していた。

 いつもは甲冑屋に置いてあるものを適当に選んでいた。

 戦に出れば血と埃で汚れるし、戦が終わる頃にはボロ布になっている。

 消耗品なのだ。

 金をかけるのは専ら武具であり、衣服ではなかった。

 自分にとっての正装は、甲冑なのだ。

 そのせいか、身を飾るという感覚は持ち合わせていない。

 それに、夜街を歩いていれば、服の入手など大した問題ではない。

 酔い潰れた者から拝借してしまうのだ。

 しかしいざ自分で服を選ぶとなると、何を選べば良いかわからなかった。

 道ゆく人の服装を改めてよく見ると、皆それぞれ違った色や柄のものを身につけていた。

 売り子に聞いてみるか。

 靴屋のコリンに服屋を尋ねると、人気の店を教えてくれた。

「女でもできたか」

と冷やかされた。

 コリンの話ではこの辺りだった。

 視界に服屋の看板を見つけ、扉に手をかけようとした時、扉が開いて亜麻色の長い髪の少女が飛び出して来た。

 ぶつかりそうだったが、少女は器用に避けた。

「おじさんごめん、ぶつからなかった?」

「大丈夫だ」

 そう言うと少女は笑顔をくれた。

 その後を追って父親らしき男が出てきた。

「あの子がすみません。大丈夫でしたか?」

「何ともない」

 そう言ってやると、男は頭を下げて、両手に紙袋を抱えながら少女を追い、共に雑踏の中に消えた。

 ブレアスは店に入ると周りを見渡した。

 店内には色とりどりの様々な服がかけられていて、目が回りそうだった。

「こんにちは、何かお探しですか?」

 売り子の女が声を掛けている。

 こんな大量にある中から何を選べと言うんだ、と呆然としていた。

「お客さま…?」

「…、あぁ、何か?」

「あの、どうかなさいました?」

「いや、すまない。数が多くて少々驚いていた。服を買いに来たんだ」

「そちらはご婦人用です。男性向けはあちらです。お手伝いしましょうか?」

 女向けと聞いて安心した。

 世の男連中は近頃はこんなに鮮やかな色を好むのかと少々気後れしたのだ。

「あぁ、頼む」

 店に入って正面から右手前には婦人用の服が並べられ、左奥に男性向けのものが置いてあった。

 中央には制作中の服が幾つか人型に掛けられていて、女が作業していた。

 服だと思っていたものは裁断前の布で、色や光沢が異なる生地が丸めて積んであったり、壁にかけられたりしていた。

 衣服に用いられる繊維は麻が中心だ。

 栽培しやすく、繊維も長くて丈夫で、様々なものに使われる。

 麻以外にも羊毛や綿花、絹などがあったが、絹は非常に高価であり、庶民には買えるものではなかった。

 綿は好みでなかった。

 水を吸って乾きにくいため、冬は特に使わない。

 吸った水分がかえって身体を冷やすからだ。

 靴下などは特にそうで、冬の野営中は羊毛を好んで使用していた。

 凍傷で指を無くしたものを何人も見てきた。

 売り子は小豆色に染まったキトンを着ていた。

 古典的な服だが、好んで着る女は多くいる。

 麻の布をたっぷりと使い、腰から体の線に沿って流れるドレープが女の美しさを引き立てた。

 この時期には寒いだろうに、肌の露出の多い服だ。

 売り子はブレアスの成りを具に見ていた。

 ブレアスの身体は大きく、肌は日に焼けていて、非常によく締まった体つきをしている。

 腕は太く、胸板も厚かった。

「軍人さんですか?」

 ブレアスは頷いて答えた。

「何故分かった?」

「靴です。体格の良い方は沢山おられますが、膝丈の靴を履かれる方は軍人さんが多いですね」

 なるほど、よく見ているものだと思った。

「今日はどんな服をお探しですか?」

「夕食に呼ばれている。これでは流石に酷いので、探しに来た」

「採寸してもよろしいですか?」

ブレアスは頷くと、売り子はロープを体に当てて寸法を測り始めた。

 こんなことまでするのかと思った。

 股の下に手を入れられたときは思わずどきっとした。

 股間に女の手が触れたのもあったが、足元に跪く女の乳房が服の隙間から見えていたからだ。

「大柄なので今あるものでご用意できるか心配でしたが、幾つかご用意できますので少しお待ちください」

 そう言って売り子は服を取りに行った。

 鏡の前に小さな椅子とテーブルがあった。

 椅子に腰掛けて待った。

 女は服を抱えて戻ってきて、テーブルの上に並べ始めた。

「お客さまの体に合いそうなものをお持ちしました。もしお気に召した生地があれば、それを使ってお作りすることもできますが、如何なさいますか?」

 ブレアスは売り子が持ってきたものを見ていた。

 手触りが良く滑らかで、麻特有の光沢があった。

 ブレアスは生成りの袖の長いチュニックに薄い茶の上着、焦茶の羽織を選んだ。

 そして生成りのブレーを選んだ。

 上着を留める組紐は、白と藍を編み込んだものを手に取った。

 チュニックは袖口にボタンがひとつと、胸元に3つついていて、ややゆったりとしていた。

 上着はざっくりとした形で前が空いており、左右で重ねて腰紐で留めるようになっている。

 腰紐は長く、体の横で結び、長く垂らすのが流行りらしい。

 羽織も前びらきになっていて、特に前は留めない。

 羽織には淡い灰色の縦縞の織柄が入っていた。

「これを頂こう」

「ありがとうございます。この服私が仕立てたんです。お買い上げ下さってありがとうございます」

 売り子はとても嬉しそうにブレアスを見た。

 ついでに下着と羊毛の長い靴下を数枚求めて、店を出た。

 後に聞いた話では、店に掛かっている服は、売り子が店から布を購入して仕立てるのだと言う。

 つまり、あの娘が『私が仕立てた』というのは、自分が布を買い仕立てたもので、それを自分で売っていると言うことだ。

 健気な娘だと思った。

 部屋に戻り、新品の服に袖を通すと、布が肌に心地よかった。

 今まで着ていたものは繊維の質が悪かったのか、所々肌を刺激したが、それがなく、実に滑らかだった。

 なかなか良い仕事をすることに感心し、また用があれば行ってみようと思った。

 一通り新しい服を着て、古いものをどうするかと思ったが、捨てずに置いておくことにした。

 彼は服装にはこだわらなかったが、不潔でガサツというわけではない。

 古いものは洗ってロープに掛けて干した。

 体や衣服を洗うには重曹がよく使われた。

 油分をよく落とせたからだ。

 母親の躾の賜物か、彼は清潔を好んだ。

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