第2話 思惑
失踪
開け放った窓から流れ込む冷たい空気が眠りから引き離そうとする。
心ゆくまで夢を楽しむ質ではないが、安眠を妨げられるのは気分の良いことではない。
ブレアスは体を起こし、足を床に付けた。
戦場よりはマシだ。
そう思えば、多少のことには目を瞑れる。
暖炉のある部屋に移ったこともあったが、戦や仕事で半年空けることもあったため、家賃だけが嵩み、結局は雨風が凌げたら十分というところに落ち着いた。
ブレアスは布を肩に掛け、窓を閉めると部屋を出た。
ここから少し歩くと小さな広場があり、公衆の井戸があった。
そこで水を汲み、顔を洗い、口を濯いだ。
そろそろ鐘が鳴る頃だ。
鐘の時刻に衛兵が入れ替わり、城門を開けるので、北門に向かう衛兵たちがここを通る。
「おぅブレアス、珍しく早いな」
衛兵のゴル・ブレッサだった。
この男とはヘルマイン北部国境での戦で知り合った。
北部の辺りは金鉱山を巡って常に睨み合いが続いており、時折何かの拍子で戦になることがあった。
たまたま大きな軍でぶつかり合った時、同じ部隊にいて傷ついた彼を救ったことがあった。
その時の怪我が深く、前線を退いて今は衛兵をやっている。
「おう、寒くて目が覚めちまったんだ」
ブレアスは髭に残った雫を布で拭きながら答えた。
「確かにな。ここんとこ冷える。ところで何やら別嬪さんと一緒だったらしいじゃねぇか。うわついた噂を聞いたぜ」
「噂になってんのか。大した話じゃないんだがな」
「どんな話だよ」
「大会で相手したガキがいたろ。昔世話になった奴の息子だったんだよ。礼も言わずに仕事に出ちまって言いそびれてたからな、礼を言いに行ったんだ。その時に薬を貰ってな、息子がつけた傷だからって。あの日も薬を持ってきてくれただけだよ」
「それだけか?」
「それだけだ」
「何だつまらん。東門とこの何とかって店の娘だろ。えれぇ別嬪のくせに男ぶん投げるって噂の。東門で立ってる奴らによく聞くよ。この時間になると毎日剣振り回してるってな。それがもう凄いらしいぜ。女とガキなんだが、俺らじゃ相手にもならねぇってよ。見にいってみな」
朝から毎日か、どおりでな、とブレアスは思った。
ゴルは置いていかれたのに気付くと、手を振りながら仲間の元に走って行った。
相変わらず右足を庇っている。
体が揺れるから、遠目でもすぐにわかる。
ブレアスは東門まで足を伸ばしてみることにした。
部屋に戻り着替えると、外套を羽織って東門へ向かった。
朝歩くのもなかなか良いものだ。
空気はひんやりとしていたが、まだ澄んでいて気持ちが良い。
人通りが増えると砂煙で霞むほどだ。
この時期になると、さすがに路上で寝ている者はいなかった。
人の往来は殆どなく、街が眠りについているように感じられた。
自分の足音だけがやけに喧しく聞こえた。
ゴーン……、ゴーン……、ゴーン……
城門が開く時間だ。
東門が見えてくると、ブレアスは頭巾を被った。
城門をくぐり、街道を少し進むと、金属がぶつかり合う音が微かに聞こえた
緩やかな坂を下ったところで、打ち合っている二人の姿が見えた。
一人は黒髪の女で槍を持ち、もう一人は亜麻色の髪の少年だった。
「ほぅ、あの女槍を使うのか」
タレイアであった。
剣を手にして、槍を相手に左足前半身で構えるのは、不利になる。
心臓が手前に来るからだ。
アシェルは右前一重で構えた。
そこへタレイアは突きではなく、槍の柄で叩きに出た。
これを掻い潜って間合いに入って来ると、今度は脚を入れ替えて、石突で突き、叩く。
相手が距離を取るとまた間合いを戻し、叩き、時に突きを混ぜる。
軌道を変えて相手の反応を遅らせる。
剣の方は槍を地に抑え込んで間合いを詰めなければ、致命の傷は負わせられないが、槍はそうさせないよう槍の間合いで戦おうとする。
一般歩兵の戦場での槍の使い方は、殴打が多い。殴打して崩し、組み着いて倒し、短刀で刺す、この繰り返しだ。
相手をひと突きに葬るなどということは、余程の力量の差がなければ起きない。
何方も同じ間合いで同じような得物で戦っているからだ。
槍の穂の根元に鎌がついているものもある。横に凪いでも鎌が刺さって傷を負わせられる仕組みだ。
ボレル・バルの想定練習か。
ブレアスは街道の脇にある大きな石に腰掛けて、二人の立会いを遠くから見ていた。
ふと城壁の上に人影があるのをとらえた。
その者は城壁の上からこちらを見下ろしていた。
ここからでは視認できそうにない。
ブレアスは腰を上げると。城門に向かった。
「おい、城門の上に妙な奴がいるぞ」
衛兵にわざと慌てた素振りで伝えた。
しかし彼らは慌てる様子もなかった。
「監視任務でもやってるんじゃないか? 心配するなよ、異常なんてないんだから」
「どこから上がるんだ?」
そこだよと言って扉を指差した。
ブレアスが入ろうとすると肩を掴まれて止められた。
「そこから先は、一般人は立ち入り禁止」
これ以上は無理か。
あの辺りに立てば、外の様子と城壁内の東風の様子は監視できる。
何処の回者か見たかったが、仕方がない。
この場は諦めて、別の角度から手掛かりを探すことにした。
今回の件は、アシェルとの試合後に数名のギルド関係者と話した時に気づいた。
アシェルのことについて幾つか聞かれた際に、他の連中の話に聞き耳を立てていたのだ。
以前獲得し損ねたエレノアの家族というところまでは判明しているようだが、それ以上は掴めていない様子だった。
ブレアスが彼女の紹介で契約になったこともしっかり覚えていたらしい。
そこに軍の登用係がやってきて、ギルドが獲得に動いていることを知り、横槍を入れているようだった。
軍に有名な手練がいれば、士気も上がり、軍にとっては貴重な人材になり得る。
更にそこに学院の教官までも現れ、何者かと尋ねていた。
当の本人の意思も確認せずに、気の早い連中だと放置しようかと思ったが、学院まで関心を寄せているとなると、何かあったと思わない方がどうかしている。
学院の教官は、幼い子供に関心を持つ。
ある程度育つと、従順に躾けるのが難しくなるからだろう。
街で稀に妙な能力のお陰で、子の扱いに悩む家族がある。
その家族のところへ出向き、何とかしてやると言って親から子を引き離してしまう。
その子の力を引き出して、子が大成して良い地位につけば、それを使って利権を吸う。
その種はいくつあっても足らない。
その子供の能力を引き出すために、人を使っているというのはもっぱらの噂であった。
衛兵の間では、学院から悲鳴が聞こえたなどという話は後を絶たない。
しかしどうやって人を調達しているのか。
恐らくは、罪人か奴隷だ。
この国の刑で一番重いのは死刑だが、これは滅多に出ない。
殆どが労役に出される。
顔に墨を入れられ、手枷を付けられ、連れていかれるのは鉱山である。
ロンバルドの金鉱山は王家の直轄になっている。
ここで採れた金や銀は通貨となり、王家の支出に充てられる。
犯罪者は主にここの労役に回される。
しかし、時々妙な動きがあるのだそうだ。
ブレアスは囚人護送を担当する男に会いに行くつもりだった。
北門の前を通るとゴルが立っていた。
片手を上げて挨拶すると、向こうから寄ってきた。
「ちょっといいか?」
妙に不安げな様子であった。
「さっき弟の嫁から聞いたんだが、ここんとこあいつ家に戻らないらしいんだ。どこかで見かけなかったか?」
彼の弟はクリムと言って、ブレアスが会いに行こうとしていた男だった。
「いや、俺も用があって会いに行こうかと思ってたんだが、居ないのか」
「どうも3日前に仕事に出たっきり戻ってないらしいんだ。見かけたら教えてくれないか?」
「分かった。その時はすぐに知らせよう」
「恩にきるよ、頼むぜ」
囚人護送担当の衛兵が失踪か、何かに巻き込まれたかも知れん。探ってみるか。
ブレアスは詰所で手掛かりを探そうと考えた。
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