炎帝

 毎年秋の武術大会は天候に恵まれた。

 夏の大会は、海が近いこともあってか、時折雲が流れて来て、試合の最中に雨に見舞われることがあった。

 その場合は、闘技場外周の柱に張り巡らせたロープを伝って、船が帆を張るように天幕をかけるのだが、全てを覆うわけにもゆかず、女たちはせっかく整えた髪がペシャンコになって悪態をついた。

 男どもは肌に張り付いた衣服が女の身体を顕にするのを見て大いにはしゃいだ。

 初戦を勝ち抜いたアシェルは、2回戦に進出した。

 次の試合は5日目の2試合目になる。

 順当に勝ち上がると、次で前回準優勝の、ボレル・バルと戦うことになる。

 彼は国内屈指の槍使いとして有名だった。

 しかしアシェルにとっては2回戦のヘルミナ・セロンの方がずっと戦いにくい相手だと感じていた。

 ボレルは良い槍使いで、熟練の技を持っていた。

 だから自分が知る限りの型の中から勝ち筋を見出せば、あるいは勝てるかもしれない。

 しかしヘルミナの勝ち方は、剣技の組み立てから生じたものではないように見えたのだ。

 アシェルは第3試合を、闘技場に入る連絡通路でひとり見ていた。

 ヘルミナは黒革の胴鎧に草摺、籠手と腿までを覆うレギンスを着けていて、2尺2寸(約66cm)ほどの剣を両手に構えていた。

 盾を持たずに槍使いと対峙するとは、よほど守備に自信があるのだろうと思った。

 しかしその割に、体つきにキレが感じられなかった。

 ヘルミナはアシェルと同じく、初参戦だ。

 そして今回唯一の女性参加者であった。

 歳はタレイアと同じくらいだろうか。

 相手は参加実績があり、過去実績は3回戦敗退の槍使いで、シモン・ホールと言った。

 左足前半身で中段に構えていた。

 ヘルミーナは右足前半身で青眼に構えていた。

 槍使いを相手にする時、注意するのは間合いと軌道だ。

 鉾や薙刀は払う技が中心で、間合いは広いが基本的には弧を描いている。

 槍は突きが中心であり、直線的な軌道を描く熟練者の突きは構えた位置から真っ直ぐに突いてくるので、軌道が見にくい。

 その上槍の方が間合いが広いので、剣の間合いに入るのが難しい。

 しかしヘルミナはいとも簡単に自分の間合いに入り込み、シモンを斬りつけていた。

 距離を詰めるときは大抵カイルの突きが空を斬ったときだった。

 ヘルミナが外させているのか、シモンが仕損じているのか定かではないが、シモンの槍は時々虚空を突いているのだ。

 ヘルミナには予備動作や、誘いといった動きは全く見られないのに、シモンは明らかに外れた場所を突いていることがあった。

 わざと外すなんてことがあるのだろうか。

 違和感を感じた。

 エレノアに聞いてみることにした。

 彼女も試合を見ていたからだ。

「ねぇ母さん」

 ん?、と振り向いてアシェルを見た。

 昼食が終わり、庭でくつろいでいたところだった。

「第3試合はどう見えた?」

「ははーん、2回戦の研究か? 槍が当たらないのが気になったんだろう」

 その通りだと頷いた。

「あの子が特別素早く動いていたり、フェイントをかけていたり、動きを誘導していたり、そんな動きはあった?」

「なかったと思う」

「そうか。ではなぜ外したんだろうね」

「わざと? 八百長だったとか」

「可能性がないわけじゃないだろうが、その結論で自信持って出場できるの?」

「そりゃできないよ。で、気になったんだけど、学院ってあるじゃない」

 ほぅ、そう言うところまで思考が回るようになったか、と興味深そうにエレノアは話を聞いた。

「術者集めてるって聞くけど、術者ってどんな人のことなの? 昨日の念話とかって言うのと関係ある?」

 少し間をおいて、エレノアは答えた。

 社の判断を待って話すつもりだったが、仕方がない。

「念話は術者が用いる術の基礎であり、全ての術はそこから派生している。長くなるけど良い?」

 アシェルは頷いた。


 かつてエルオールと呼ばれた、人よりも古くから生きてきた人々がいた。

 エルオールやヒトがどうやって生まれてきたかは定かではないが、ヒトがこの世界で集団生活を営むずっと以前から、エルオールはこの世界でよりよく生きる方法を見出していた。

 エルオールとは、ヒトが彼等を指していう言葉であり、日神エルを祀る人びと、という意味である。

 エルオールが最初にヒトにもたらしたものは、火だった。

 火は食べ物をより安全に食べられるようにしたり、暖をとったりするのに大いに役立った。

 そして闇を恐れないでよくなり、獣から襲われることも減るようになる。

 エルオールとヒトの出会いは偶然だった。

 彼等の集落にヒトが迷い込んだのだ。

 ヒトは飢えと疲労で歩くこともままならなかった。

 エルオールは彼らに温かい食事を与えた。

 温かい食事はヒトに活力を与えた。

 元気を取り戻すと、ヒトは彼らの姿や彼らの住居を見た。

 エルオールは清潔な肌をしており、色とりどりの美しい物を身につけていた。

 整った形の岩が幾重にも積み重なって、整然と並び、空を遮っていた。

 そして彼らの真ん中に、夜なのに光り輝き、揺らめくものがあった。

 ヒトはそれらを見たことがなかったので心底怯えた。

 エルオールは彼らが火に怯えていることに気づき、怖くはないから近くにおいでと促した。

 背を優しく押され、促されたが、不安は拭えず躊躇した。

 それを見たエルオールの1人が光に近づいて手を翳した。

 ヒトはゆっくりと輝くものに近づいた。

 それは暖かかった。

 外は寒いのに、そこは暖いのだ。

 ヒトは更に近づき、手を伸ばした。

 あっ、と声を出して手を引っ込めた。

 近づきすぎてはいけないのだと理解した。

 エルオールはその火を使って、調理してみせた。

 そしてヒトに振る舞った。

 熱が体全体に染み渡ってゆく。

 そして今まで味わったことのない食べ物に夢中になった。

 彼らはその姿を見て、微笑んでいた。

 エルオールと最初に遭遇したヒトは、暫く彼等と共に生活し、学んでいった。

 エルオールは惜しみなく、彼らの知識と技を伝えた。

 やがて火を灯した松明を手に、人の集団へと送り出された。

 集団に戻った後、彼等は皆に知識を分け与えた。

 彼らの生活は次第に良くなってゆき、集団の数も増えた。

 その後もさまざまな知恵を、エルオールは与えた。

 ヒトは彼等を尊き人と崇め、奉った。

 エルオールから最初に知恵を授かった男の家系は預言者(言葉を預かったものという意味)とされ、集落の中心的存在となっていった。

 しかしヒトがエルオールから遂に得られなかったものがあった。

 意思疎通の方法だった。

 彼らは言葉をほとんど発しなかった。

 言葉を発するのが上手くないのだ。

 それ以外の方法で互いに意思疎通する手段を持っていた。

 その方法だけは理解することができなかった。

 ヒトには持ち合わせていなかったし、エルオールも教えることができなかった。

 エルオールはヒトとより良い対話を行えるように、彼らの言葉の音に合わせて文字を作り、彼らに提案した。

 彼等が使う言葉の音を26の文字で表せるようにし、彼等の言葉を覚えた。

 そうやって少しずつ対話を重ねながら、ヒトに知識を伝えた。

 しかし残念ながら、彼らがヒトに伝えようとしていたことの、おそらく半分も伝わっていなかったであろう。

 それでもヒトの生活を物質的に進歩させるには十分であった。

 ヒトとエルオールの交流は永きに亘って続けられたが、ある時彼らは辿々しいヒトの言葉で別れを告げた。

 理由は分からなかった。

 それ以降エルオールは忽然と姿を消した。

 ある時ひとりの若者が、エルオールの国に続く森に迷い込み、偶然怪我をしたエルオールを見つけた。

 心優しい男で、尊き人と崇めるエルオールの女性が倒れているのを見て放っておけなかったのだろう。

 若者は甲斐甲斐しく彼女を支えた。

 時折何処かから寒気を感じるほどの強い視線を感じたが、彼女の傷が癒えるまで、必死に世話をした。

 彼女の傷が癒えた頃、互いに情もわき、2人は交わった。

 そして彼女は妊った。

 日毎に腹の子は育ってゆくが、エルオールの女は少しずつ弱っていった。

 男は何とか彼女を元気にしたいと願い、食事を作ったり、森を一緒に散歩したりした。

 花を摘んで花冠を作り、彼女の笑顔を喜んだ。

 しかし虚しくも、エルオールの女は子を産むと息を引き取った。

 男は彼女を抱いて泣き腫らした。

 傍に小さな赤ん坊の泣く姿があった。

 この子だけでも元気に育てなければと赤子を抱き上げると、頭にどこからともなく声が響いた。

 『人よ、お前にその子が育てられるか』

 『その子は我らが求めても得られなかった尊い子だ』

 『我らの手で育てたく思う』

 『どうか置いて行ってはくれないだろうか』

 男は随分長い間赤子を抱きながら悩んだが、声の主の懇願を受け入れ、母親の脇に子を寝かせて、その腕が我が子を抱いているように置いてやった。

 それから花を摘み、彼女の胸に添えて、森を去った。

 赤子は女の子だった。

 その子はエルオールの女に育てられ、彼女と共に旅をした。

 そのエルオールは他の者とは異なる道を選び、この世界に留まった、数少ないエルオールの一人だった。

 名をヘレナと言い、何時迄も若い姿のまま、赤子の成長を見守った。

 赤子はマリテと名付けられた。

 エルオールと同じく超常の力を持ち、ヒトの特性も備えていた。

 大きくなると、彼女はヘレナの元を去り、ヒトの世に旅に出た。

 やがて彼女は人の世界の最初の国家アトワール王国国王、炎帝となった。


「昔話してくれた物語じゃない、どう関係があるの?」

「実話だよ。エルオールとの混血で、人は超常の力を得たんだ」

 アシェルはキョトンとした顔でエレノアを見つめていた。

 無理もない。

 子供が親から語られる神話であり物語だ。

 竜まで出てくるのである。

 信じられるはずがなかった。

「その力は炎帝から女だけに受け継がれて行った。念話というのは、エルオールの用いた会話みたいなものだよ。記憶や思考、意志や感情なんかを他人と直接共有する能力のことだ。だから言葉より正確で、より多くの情報を早く正確に伝えることができたんだよ」

「何だかいまいち飲み込めないんだけど、母さんも、昨日念話を送ってきた誰かも炎帝の子孫ってこと?」

「そういうことだね。ただこの力は次世代に受け継がれることが少ないんだ。その血もどんどん薄まっているから、力を持って生まれる子はほとんどいないんだよ。だから学院は躍起になって探すんだ」

「ヘルミナもそうなのかな? でも念話じゃぁなさそうだけど」

「情報を伝えることが念話だけど、伝える情報が間違ってたらどうなるだろうね」

「嘘を伝えるってこと? あぁなるほど、それでカイルは空振りさせられてたわけか」

 アシェルが納得できたようで良かったと、エレノアはアシェルに微笑んだ。

「でも自分の目で見てるものがまやかしではどうにも対応できないな。どうしたもんかなぁ。母さん同じことできる?」

 エレノアは眉間に皺を寄せて困った顔をしていた。

「それがねぇ、闘技場であんたに念話が飛んできただろう? あれが学院に気付かれちゃったみたいでね、私たち監視されてるんだよね」

「えぇ!? 監し…」

 エレノアは慌ててアシェルの口を塞いだ。

「大声出しちゃダメ。どこで聞かれてるかわかったもんじゃない」

 そして彼女は手を腰に当ててあっけらかんとした顔でアシェルにこう言った。

「教えてやるのはできるけど、連れて行かれても困るので、ぶっつけ本番で頑張りな。案外上手くいくかもよ」

 適当だなぁと言って不貞腐れるアシェルを見て、エレノアは笑いながら頭をくしゃくしゃと撫でた。

「昨日念話の気配は感じたんだろう? あんたは感じられるけど、内容までは読み取れない。不思議だね」

 妙に楽しそうだ。

 エレノアはほぼ確信していた。

 オリガの封印は解けていないし、封印が術を弾く防壁の役目もしているのだろう。

 そして、念話を受けたことに反応できる力は持っているのだ。

「頑張りな、勝てるかも知れないよ」

 アシェルは頷いた。

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