社(やしろ)
没落貴族サラザードの邸宅は昔は石積みの立派な邸宅で、シエラの東門をくぐって右に曲がってすぐのところにあった。
敷地は300坪ほどあり、資産額は立地も考慮して500万グレインは下らないだろう。
ネイルが相続した頃には痛んでいたから、当時の庭を潰して新たに屋敷を建てた。
建材用の石は割と高く売れたので、大部分は売ってしまって、庭に残るのはそのほんの一部だった。
しかし、最も価値のあるものはいまだに健在であった。
地下室が残っていたのである。
掘り返すのも面倒だからそのままにしてあると義理の祖父から聞いていた。
庭の池も、昔の名残であった。
井戸から汲んだもので、澱んでしまわないように常に汲み上げているのだ。
汲み上げた水は馬の飲み水として使い、池には睡蓮を植えたので、毎年目を楽しませてくれた。
地下室の入り口は、馬屋の中にあった。
プルトは荷車から馬を放して連れて行くと、そのまま地下の部屋に入った。
地下はひんやりとしていた。
入り口は母家側にもあり、空気が動く作りになっていたから、カビ臭さはない。
地下は伽藍としていて音が良く響いた。
昔は倉庫代わりにもしていたようだが、今は酒の樽や食料の保管などに使う程度だ。
プルトは壁の松明に火を灯した。
奥に幕屋があった。
話が漏れないよう、ドレープのある厚い布を幾重にも重ねてある。
中に応接間が用意されていた。暖炉も用意されていた。
プロトはソファに腰掛けて、エレノアを待った。
暫くして、タレイアが茶と菓子を運んできた。
続いてエレノアが現れ、プルトの向かいに腰掛けた。
「待たせてすまない」
「構わんよ、アシェルは元気にやってるか? 最初の試合は勝ったそうだな」
「えぇ、ただ試合中に困った出来事があって、学院から目をつけられた」
「何だと? 何があった?」
学院とは、術者養成学院のことで、ロンバルディア王国の王家直下の組織である。
王家は国内の術者として素養のある者を若い段階で集めて、王室に服従するよう育成し、国政の要職に就けるための機関だ。
また優れた力を持つものは王の側室として送られた。
術者とは、特殊な力を発する者たちの総称で、その力は多岐にわたる。
こういった機関は他国も持っており、術者を自国で抱え込むことに躍起になっていた。
そんな組織に目をつけられたのである。
「アシェルが何かをしたわけでなく、アシェルに念話が飛んだの。それもかなり遠距離から。そんな距離飛ばせる人は滅多にいないから、お目当てはそっちでしょうね。それにアシェルがブレアスに勝ってしまったから、傭兵ギルドも軍の登用係も動いているらしいの。こちらはどうとでもなるけれど、学院は対応を誤ると撤退も考える必要があるから、社に報告したいのよ」
「そうだな、急いで対応したほうが良いだろう。すぐに取り掛かる。連絡が来次第すぐに来る。馬車を置いて行くが良いか?」
「構わない、急ぎ頼む」
プルトは頷くと立ち上がり、そのまま駆け出して、馬に跨って裏口から出た。
いつものようにゆっくりと馬を進め、周囲を観察した。
そして何食わぬふりをしてそのまま城壁の門をくぐった。
街道から離れ、麦畑の畦道を東へ向かった。
途中わざと馬から降りて、鞄からキセルとタバコを取り出し、木陰に座ってタバコをふかした。
周りを注意深く観察したが、つけられている様子はなかった。
再び馬に跨がり、丘の向こうの林に向かって駆けた。
林に入ると馬を走らせたまま木の枝に飛び移り、尾行がないか確認した。
いないことを確認すると、プルトは術を発動した。
彼は杜にいる衛府の管理者に直接伝える権限を持つ連絡員であった。
衛府とは社の警備を司る警備部と外部の情報を収集分析する諜報部を備えている部署のことだ。エレノアやギムリスもここに所属している。
社と外部の諜報員は、情報のやり取りをする際に念話と言う術を使用した。
念話とは、記憶や意識、思考などを特定の人物や集団と共有する能力のことである。
プルトは念話の伝達距離が格段に長く、この能力を持つゆえに、彼は外部で活動する連絡員の任を与えられた。
おそらく首領に報告が入り、対応策が練られるであろう。
プルトは木から降りると馬の走り抜けた方へ向かった。
馬は林のはずれで待っていた。
馬の首を撫でてやり、そのまま馬を引いて家路についた。
帰宅後程なくして、社から連絡があった。
『人員を送る所以その場で待機せよ』
まさかの対応だった。
さて誰が来るやら、飯でも食いながら待つとしますか。
プルトは食事の支度を始めた。
厨房に火を入れるのは面倒なので、暖炉に火を入れて、側に大きな石を置いた。
そこに馬鈴薯と人参を並べた。
鹿肉の残りを一口大に切り、長い串に全て刺して、野菜を置いた石のそばに刺してゆっくりと火を通した。
出来上がるまで葡萄酒を飲みながら待った。
そろそろかと思い串に手を伸ばすと、表に人の気配を感じた。
警戒して剣を掴み、帯に差した。
コンコン…コン
ドアを叩く音がした。
警戒しながらも、ドアに近づき答えた。
「どちらさんかな?」
「夜分に恐れ入ります。旅のものですが、少し休む場所を貸して頂けませんか?」
女の声だった。
左手で鯉口を切りながら扉を開けると、外套を羽織った女が3人立っていた。
先頭の女の胸元に、八重桜をモチーフにした白金のレリーフを見つけた。
彼女等が社から送られてきた増員ということか。
「どうぞ、お上がりなさい」
プルトは暖炉の前に彼女等を案内した。
黒い厚手の綿鎧を着けていた。ちょうどアシェルが大会で着けていたものと同じようなものだ。
「肉を焼いていたんだが、食べるかい?」
「少し頂きます」
プルトは串に刺した鹿肉を皿に盛り、馬鈴薯と人参を添えて彼女等に薦めた。
ひとしきり食べると女は口を開いた。
「お気遣い感謝します。私は
カルネと聞いて、社が今回の事案をかなり重く受け止めていることを理解した。
カルネとは、現在の社の首領であり、アシェルの生母である。
舎人とは社の警備を担当している部署で、その中に女だけの部隊があり、社の内部で首領を警護する任に就いていた。
彼女等は胸元に八重桜のレリーフを付けている。
「ご安心下さい、舎人は私だけです。両名は諜報部所属ですから、外の活動には慣れています。私は彼女等の助言に従いますが、気掛かりなどがありましたら都度おっしゃってください」
わかったとプルトは答え、少し安堵した。
「ところで、エルマ様とアゼル様はお元気ですか?」
「ん? あぁ、元気ですよ。ただ今はエレノア・サラザードとアシェル・サラザードと名乗っています。アシェルは昨日剣術大会で初勝利を収めましたよ。それからこの剣は、アシェルが鍛えたものです」
「それを聞いて安心しましたが、呼び捨てになさるのですか?」
「はい、こちらでは我らの身分は平民ですので、畏まった物言いは却って不自然になります。今のうちから慣れておいた方が良いかと思います」
「なるほど、確かにその通りですね。しかしアゼル様が剣を鍛えておいでなのですね」
イリアは剣を手に取り、鞘を払った。
両刃の直刀で、長さは2尺5寸(約75cm)ほど、元幅は2寸(約6cm)、先幅が1寸3分ほどの剣だ。元の厚みは5分(約15mm)ほどで重すぎず、振りやすい。鋼はよく練られており、地景は木の肌のようだった。乱れ刃が焼かれており、中心の
鍔には翡翠が用いられており、これもまた細やかな細工が施されていた。
拵も古式で作られており、柄はエイの腹革の上に絹の平紐が捻って巻かれていた。
イリアが持つものとほとんど違いはなかった。
社で受け継いできた技法を外の世界で再現していることに驚きを隠せなかった。
「見事な出来ですね」
「本人に直接言ってやると良い。喜ぶでしょう」
イリアはアシェルの剣に見惚れている様子なので、プルトは暫くそのままにしていた。
「それで、あなた方は何をしにここまで来られたのかな?」
プルトに問われて我に返ったのか、イリアは慌てたように話し始めた。
「今回の目的は、アゼル様の封印の確認と護衛です。件のアゼル様に向けられた念話については、発信者が判明しており、社で対応しています」
「出どころがわかっているのか」
「はい、オリガ様です」
プルトは驚いて葡萄酒を吹き出した。
飛び散った葡萄酒を布で拭きながら確認した。
「オリガ様だって? 封印が解けたのか?」
「分かりません。ですので私が参ったのです」
オリガはアぜル、つまりはアシェルの双子の姉である。
「なるほど、こりゃ大ごとだ。急いで戻らにゃあならんな」
慌てて立ち上がったが何をどうしたら良いか分からず、頭を掻きむしりながら狼狽えるので、見兼ねたハイネが諌めた。
「ひとまず、シエラに向かわねばなりませんが、今は何もできません。体を休めて、明日日の出とともにここを経ちましょう」
その通りだと思い至り、翌日の準備に取り掛かった。
問題はこの3人をどう説明するか、武器をどう隠すか、である。
武器を帯びたままでは、必ず衛兵に呼び止められ、説明を求められる。
「それについては一案があります」
ピュリスは説明した。
我々3人はアシェルの親戚で、今回のアシェルの勝利を祝いに来た、そしてこの剣は祝いの品だと説明する。ただ好みがわからないためいくつか持ってきたとするのだ。
なので、武器は革に包んで、プルトが持っている剣も纏めて持参しようということだった。プルトが持っていた剣は贈答品としても十分な見応えがあり、説明に信憑性を添えるだろう。
「よし、それでいこう」
翌日の早朝、プルトは鳩に手紙を託して東風に飛ばした。
本日戻る、北より客ありて、共に参る
とだけ認めた。
プルトの小屋から北は山脈である。それだけ書けば、エレノアには十分伝わるだろう。
出かけようとした時、目の前に懐かしい顔があった。
「よう、プルト、久しぶり」
ギムリスであった。
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