東風(はるかぜ)

 翌日の昼前に店の裏門に荷馬車が到着した

 毛並みの良い美しい赤毛の馬が2頭繋がれていた。

 男は馬車から降りると宿の使用人に声を掛けて、馬の靴輪を外しながら主人の出迎えを待った。

「早かったわね」

「そりゃぁね、肉がないからすぐ来いと言われちゃ仕方ねぇさ。そんな大口が来てんのか?」

「そうね、大会見に来た外国のお客が食べるの何の。赤字になっちまうよ」

「急だったから、干し肉が多いぜ。他は3日前に仕留めた鹿の残りだ。荷は中で良いんだよな?」

「あぁ、馬屋に停めて待っててくれる?」

 一瞬眉を顰め、分かったと手を上げて答えると、馬を引いて荷を入れた。

 彼はかつてエレノアの養父と仕事をしていた。幼い頃は父やプルトとさまざまな街を行き来して過ごした。

 彼は子供のような優しい目をした男で、船の操縦が上手かった。

 特に帆で風を受けるのが抜群に上手く、向い風もものともせずに進める良い船乗りだった。

 今はずんぐりとした体型になり、長い髭を蓄え、癖のある髪を伸ばしっぱなしにしていた。

 しかし目は昔と同じ、優しさを湛えていた。

 馬屋は裏通りの塀に沿って建てられている。

 馬屋から見ると、池が手前にあり、その先にエレノア達が住む母家、その向こうに宿と酒場が建っていた。

 馬屋側は庭になっていて、所々前所有者の崩れた石積みの屋敷の残骸が残っていた。

 この土地の前所有者はサラザードと言って、没落貴族の末裔だった。

 海運業を営んでいたが事業に失敗して大きな負債を抱えていたところ、エレノアの義父ギムリスが養子に入り資産と負債を引き継いだのだ。

 二十年も前のことだ。


 ネイル・サラザードが事業に失敗した時、妻は子を連れて故郷に逃げたため、ネイルは一人負債の処理をしていた。

 ティルナビスから北西の港町に荷を運ぶ途中で海賊に襲われ、積荷も船も失った。

 積荷は保険で対応したから損害はさほどでもなかったが、大型船舶購入資金と当座の運転資金として借りたものが返済できなくなったのだ。

 船にも保険を掛けてはいたが、賄いきれなかった。

 従業員の家族に見舞金を払い、家以外の資産を売り払ったが、足らなかった。方々に頼み込んで金を借りようにも、返済目処が立たず、借りられなかった。

 全てを失うのか。

 事務所でひとり安酒を煽っている時に出会ったのがギムリスだった。

 こんな時に荷を運びたいと言う依頼だった。

 酒でふらついたネイルは慇懃な態度で今の身の上を説明した。

 彼らは行商人だと名乗っていた。運びたいのは荷物でなく人だと言う。

 妙な奴らだと思った。

 小型の帆船は残していた。

 父から受け継いだものだから、最後の最後まで残していた。

 しかし従業員は皆去ってしまって、操船できるのは自分一人しかいない。

 だから出せないと断ったが、操船できるものが何人かいるから、船を出して欲しいとしつこい。

 どうせやることもなく、数週間で全てを無くすのなら、このまま船で逃げるのも良いかと思い、明日出してやると答えた。

 ところが連中は急いでいるから今出たいなどと言う。

 もう夕方で船を出したら日も沈む、明日にしろと言うが聞かなかった。

 代金は弾むと言うので、酒瓶を片手に港に案内した。

 勝手にしやがれ。

 そう思い、舫を解いた。

『荷物』は子供だった。

 頭布をかぶっていてよく見えなかったが女だろう。

 奴隷、人身売買、面倒な『荷物』は願い下げだ。

 今まで裏家業との付き合いは避けてきたが、今となってはどうでも良いだろう。

 しかし、話をした感じでは真当な表街道で生きてきた連中といった振る舞いだった。

 甲板に腰を下ろし、酒瓶を傾けながら彼らの働きを見ていた。

 操船は本当に彼らがやった。

 手際が良い。日暮れ前には出港してしまった。

 ふと隣に男がやってきた。

 ギムリスと名乗った男で、おそらく彼が主人なのだろう。

「随分荒れているようですね」

「荒れていると言うより、開き直る一歩手前ってとこだな」

「ははは、そうですよ。開き直れば良いじゃないですか。生きていれば、何とでもなりますよ」

「ふんっ、若造が言うじゃないか、はははは」

「どれくらいあるんですか?」

「借金か? 残りは250万グレインだな。かき集めたが、どうにも足らなかった」

 二人は押し黙って、海に沈む太陽を眺めていた。

「あんたはどんな商売をしてるんだ?」

「そうですねぇ、まぁ何でも屋ですよ。今回は護衛です。カルバドスまで人を送ります」

 カルバドスはヘルマイン王国西部の街で、林檎の産地だった。

 林檎を使った蒸留酒が特産品で、独特の香りがあり、人気が高かった。

「儲かるのか? そんな商売」

「やり方次第ですよ。護衛だけではそんなに稼げませんが、物を右から左に流して差益を取ったり、行き先に合わせてやり方を変えているんです」

「なるほど、情報が命ってこったな。面白そうだ」

「そうでしょう」

 ギムリスは目を細めて笑った。

「あなたもやってみますか?」

「ははは、良いかもしれないな」

 ネイルは酒の徳利をハリスの前に置いた。

 頂きますと言って口をつけた。

「これは良い、海の上で飲むのは格別ですね」

 安い酒だ。混ぜ物をしているので悪酔いしやすい。

 だが美味いと言って笑う目の前の男に、好意を覚えた。

 妙に人懐っこい男だった。

 土足で入り込んでくるのにどこか憎めない。いつも笑顔を絶やさない不思議な男だった。

 自分の息子と変わらないほどの歳だろうに、心遣いが嬉しかった。

 窮地に手を差し伸べてくれる者は誰一人いなかった。友も何のかんのと言い訳を言って離れていった。

 恨みはしない。

 自分が彼らの立場なら、同じことをしていたかも知れない。

 海は良い。

 陸での話などどうでも良いとさえ思えてくる。

 何処へでも行けるのだ。

 空と海の境界線を星と月の灯りが照らしていた。

 空と海はどこまでも広がっている。

 自分の悩みなど、実に小さなものだ。やり直せるかもしれない、そう思った。

 その日は二人で飲んでそのまま甲板で眠った。

 翌朝のこと、船内を慌ただしく駆け回る音に叩き起こされ、何事か聞くと、海賊が現れたと言うので途端に目が覚めた。

 船尾に駆けて見ると、1隻のスクーナーが後方から向かってくるのが見えた。

 こちらはカッターで積荷も知れている。

 恐らく目的は船そのものであろう。

「何て人生だ。海賊のせいで全て無くしたのに、こいつまで持ってこうってのか?」

 さらに驚いたことに、今この船はタッキングをしようとしていた。つまり、船首を風上に向けて、海賊船に向かっていたのだ。

「何をしてる? なぜ逃げないんだ⁉︎」

 操舵士に向かって怒鳴った。

「逃げたところで追いつかれます。だったら、叩き潰すしかないでしょう」

「何を言ってるんだ。敵が何人いるか分かってるのか? 敵うはずがない!」

「それはやってみなくちゃ分からないですよ」

 操舵手は子供のように目を輝かせて、この状況を楽しんでいるようだった。

 正気とは思えなかった。

 たった一つの可能性がこの船だ。

 これまで取られては海に飛び込むしかなくなる。

「冗だ…」

 大丈夫ですよ、と肩を叩かれ言葉を遮られた。

 ギムリスだった。

 彼はいつものように笑顔だったが、目は戦う男の目だった。何の躊躇いも感じていない。

「心配ありません。あの程度大した敵じゃありません」

 真直ネイルの目を見て言い切った。

 その目にあてられたのか、力が抜けてしまって船尾に座り込んでしまった。

 それからの彼らの動きは機敏だった。

 帆と舵の連携はうまく、海賊船に突き進んでいた。

 敵の方も甲板で戦闘準備をしているのが見えた。

 こちらはギムリスを含めて10人。一人は積荷の護衛、操船に3名、船の防衛に何人付ける気か知らないが、3人が船首で鉤縄を手にしていた。その後にさらに3人が鉤縄を手に船首に向かっているようだ。

 女までいる。

 海賊船の船首が迫ってくると、操舵手は再び船首を風下に向けようとしていた。

 船首の者たちは、鉤縄を投げると、次々に海賊船に乗り込んで行った。

 ネイルは船尾にしがみついて、離れていく海賊船の様子を見ていた。

 海賊は30人はいる。6人でどうすると言うのだ。

「大丈夫ですよ、旦那。5人もやれば終わりますから」

 操舵手はケロッとした顔でそう言った。

「お前たち海賊だったのか?」

「まさか。戦いに慣れてるだけですよ。でなきゃ護衛なんて出来ないでしょう?」

 確かにそうだが、ここは船の上だ。陸のように行くはずがない。

 船内は乱戦状態になった。

 彼らが乗り込んだ直後、数名の海賊が海に放り出されていた。

 彼らは揺れる船の上をものともせず、ロープを巧みに操って、船上を駆け巡った。

 暫くすると、音が止み、帆が上げられ、錨を放り込んだ音がして、スクーナーは減速した。

 たった6名で制圧したのだ。

 ネイルの船を横付けして海賊船に乗り込んだ時、すでに十数名の海賊が手足を縛られて甲板に転がされていた。

 ギムリスはマストに縛って吊るされている船長らしき男を尋問中で、他の5名は姿がなかった。恐らく船室だろう。

 程なく仲間が甲板に上がってきて積荷の内容を知らせに来た。

 大粒の砂金の入った袋が7つほど、銀貨の詰まった樽が3樽、金貨が1樽など、大量の金品と食料を積んでいた。

 襲った商船から奪った荷を売り払った帰りなのだろう。

 さらに船長の部屋らしき場所から大量の文書と宝石など装飾品を見つけた。

 彼らはそれらをネイルの船に移した。

 その後何やら船内で作業していたのだが、ネイルはただそれを呆けたように見ていた。

 一人が甲板に油を撒いているのが見えた。

 沈めるのである。

 海賊たちは必死に助けを乞うていたが一切聞く耳を持たなかった。

 準備完了の報告を聞くと、ギムリスは戻るように指示した。

 そして帆を張って海賊船から距離を取ると、甲板で皿の上に火を起こした。

 矢に油の染みた布を巻いて縛り、弓を手にして矢をつがえ、火をつけた。弓を引き絞ると、海賊船に矢を放った。念の為か、続けて2本射た。

 海賊船の甲板に火が灯り、次第に火は膨れ上がっていく。

 海賊たちの叫ぶ声が聞こえた。

 火に呑まれ、縄の解けた者が甲板を転げ回って海に飛び込んだ。

 火の手はやがて船全体を包む混み、やがて沈むだろう。

 海賊は鮫が片つけてくれる。

「驚かせてしまって申し訳ありませんでした」

 船尾で海賊船を眺めていたネイルにギムリスが声をかけた。

「いや、大したもんだ、海賊の上前跳ねるとは驚いたよ。痛快だった」

「ははは、上手くかかってくれましたよ」

「え? かかった? わざと呼び寄せたのか?」

「ええ、港から出る前に餌を撒いておいたんです。彼らが出入りする酒場で荷物の嘘話を流してね。宝石と研磨技師の話をわざと聞かせました」

「なんて奴だ、俺の船に何かあったらどうしてくれるんだ」

「だから謝っているじゃないですか。因みにさっきの海賊はあなたの船を襲った連中ですよ」

 はっと驚いて、ネイルは黙って話を聞いた。

「その荷を売った金があれです。それ以外にもあったのでしょうが、取り分は6:4として、あなたの負債を支払っても、十分残りますよ」

「俺の取り分だって? 6は俺だよな、俺の船なんだから」

「それは取りすぎではないですか? 体張ったのは我々ですからね」

「はっはっは、冗談だ。4でいい、十分だ」

 2人は船室に入って酒を酌み交わした。

「あとはカルバドスに向かうだけだな」

 ネイルがそう言うと、ギムリスは黙ってしまった。

「何だよ、その話も嘘か?」

「ははは、全部話しますからご勘弁を」

 ギムリスの話はこうだった。

 彼が何でも屋と言ったことに間違いはなかったが、今回の仕事は海賊が持っている情報が目的だった。

 商船ギルドと海賊の関係と、彼らを纏める組織の情報を集めているのだと言う。

 1月前にネイル・サラザードの商船が海賊に襲われ、商会は倒産寸前と言う話を聞きつけ、それを糸口に、襲った海賊の名、襲われた場所と積荷の内容を調べ、誰が買ったかを調べ上げた。

 荷は小麦と鉄鉱石で、買い手は隣国サルマンの港町キルシュにある商社だと突き止めた。

 取引場所は不明だが、彼らは奪った荷をそのまま陸には揚げない。大抵海上で別の船に乗せ替えて行うから、商社の人足に金を払って情報を得た。

 彼らの関係を明らかにするには証拠が必要だった。しかし取引が終われば消されるかも知れない。だから荷を金に変えて、戻るところを押さえたかった。

 海賊はアントン一家というらしく、ティルナビスに情報収集担当が数名おり、船に30人ほどいることが判明していた。

 実際に海賊が持っていた書類にさっと目を通したところ、過去の仕事についても書類は残しているらしく、船長からアジトも聞き出したので、かなりの情報が期待できた、と語った。

「よく分からんが、仕事は終わったってことだな? しかしあの小さい子供は何だったんだ?」

「あぁ、あれは私の娘ですよ」

「じゃぁ一緒に海賊船に乗り込んで行った女が母親か?」

「いえいえ、妻とは死別したので、親子2人暮らしです。流れ者のような稼業なので、あの子には苦労をかけっぱなしです。落ち着きたいのですが中々そうもいかなくて」

「あんたも大変だな」

 船室の薄暗い灯り越しで、若い女に寄り添って眠る少女を見ていた。

 女は自分の上着を少女に掛けて、優しく背中を抱いていた。

 自分の妻と息子は、船が襲われたと聞いた翌日には荷物をまとめて実家に帰っていた。テーブルには離縁状が1枚置いてあるだけで、何も告げずに出ていった。

 この一月、人の汚いところを散々見てきて、ウンザリしていたところだった。

 落ち目になると誰も彼もが離れて行って、やって来る者と言えば金を毟りに来るものばかりだった。

 売り掛け金や債券の取り立て、自分に投資してくれた資金も回収に来た。

 何もかも容赦なく持っていった。

 大した人物でないことは自覚していたが、金だけしか関心がないのかと、人に対して絶望を感じていた。

 しかし久しぶりに暖かい、人らしい光景を目にして、心が和んだ。

 人が人を思いやる光景は、自分の心に溜まったどろどろしたものを洗い流してくれるようだった。

「なぁあんた、落ち着く場所が必要なら俺の家を使うと良い。あんたのおかげであの家も残せる。拾い物だよなぁ。あそこはもう俺しかいない。俺ももう60過ぎで、そう永くはおらんだろうから、その後も好きに使ってくれたら良い。どうかね?」

 そうして、ハリスはサラザードの屋敷に住むことになった。

 彼らはシエラに土地を得て、拠点を構えた。

 それが宿屋東風はるかぜである。

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