第4話 継承

兆候

 何処にいても、陽の光は心地よいものだ。

 ブレアスが目を覚ました時には既に太陽はずいぶん高いところに上がっていた。

 寝台があまりに寝心地が良く、深く眠ったらしい。

 こうも変わるものかと驚いた。

 いつもより頭も身体も軽くなった気がした。

 服を着て部屋を出ると、ダナンが椅子に座っていた。

「随分よく寝るな、もう5時だぞ」

「寝心地が良くてな。もうそんな時間か」

 ブレアスは出かけようと屋敷の出口へ向かった。

「ちょっと待ちな。あねさんが用があるらしいんで待っててくれるか? 大事な用らしいんだ」

「いつ戻るんだ? ちょっと調べたいことがあるのだが」

輜重隊しちょうたいにでも行くつもりか?」

「なぜ知っている?」

 ダナンはブレアスの行手を阻むように前を遮った。

「変に嗅ぎ回られては困るんだよ。あんた軍にコネあるのかい?」

「なくはない」

「ウチは軍の上層部に顔が効く。今調べてるから、あんたはここで大人しく待て」

「なるほどな。足止めするように言われたわけか?」

「正解」

 ダナンは楽しそうだ。

「だが、大掛かりな輸送計画があるならギルドにも募集が掛かってるはずだ。俺はその中に入れるんでな」

「なるほど。それは面白いかもしれんな。現地の生情報が取れるってことか。悪くないかもしれん」

 ダナンは手招きして、ついてくるように言った。

「そのなりじゃまずいから、これに着替えろ」

 そう言って服を一式差し出した。

 街の者がよく着ている服だ。

「足止めするように言われたんじゃなかったのか?」

「ああ、言われたな。だがしっかりと策があるなら手を貸してやれとも言われている。あの人は馬鹿みたいに突っ走る奴が嫌いなんだよ」

「なるほどな。あんたは調査には呼ばれなかったのか?」

「あぁ、俺は軍歴がないんでな。そっちの方では役に立てん」

「船の操縦が得意なのだろう?」

「そうだ。俺は元は海運業者の船乗りだ。海賊に襲われて、海に投げ出されて漂流してたところを助けて貰った。それ以来姉さんの部下だ」

 ブレアスは着替え終わると、ダナンと共に屋敷を出た。

「何処行くんだ?」

「シエラのギルド出張所だ」

「ティルナビスじゃダメなのか?」

「此方では面識がない。融通が効かないだろう」

 なるほどなとダナンは言って、ブレアスについて行った。

 馬車に揺られてシエラに向かった。

 河を見ると、幾つもの舟が荷を満載にしてティルナビスに向かっていた。

 この時期だと、穀物だろう。

 シエラでは、ロンバルド一国を養うだけの量をはるかに超えた穀物量を生産している。

 余剰分は国外に輸出されてゆく。

 戦を予定するならば、国外に出す量を減らすところだが、特に減っていないようにも見える。

 ブレアスはシエラに到着すると、北側の中央通りにある傭兵ギルドへ向かった。

 傭兵ギルド周辺にはガラの悪い連中が集まってくるため、この辺り一帯だけ空気が異なる。

 それらしい男は皆避けて通った。

 しかしそう言った連中はいないようだった。

 ブレアスはダナンに外で待つように言うと、彼は少し離れた茶屋で待つと言っていた。

 懸命な判断だろう。

 ブレアスはギルドに入ると、現在募集のある仕事を探した。

 仕事はかなり薄かった。

 冬になると戦をすることがまずないため、仕事は薄くなる傾向にある。

 ブレアスは窓口の男に尋ねた。

「仕事はあれだけか?」

「あぁそうだな。今年はいつも以上に少ないようだ」

「そうか。各国の補給はどうだ? 来年以降動きそうなところはないのか?」

「随分積極的だな。金が尽きそうか? ははは」

「あぁそうだな」

 窓口の男はカウンターに肘を付くと、人差し指でこっちへ来いと言った。

 ブレアスもカウンターに肘をついて、男の声を聞いた。

「他国に動きはない。動いてるのはここだ」

 そういうと男は人差し指でカウンターを叩いた。

「年明けてから大きく動くだろう。もうちょっと待ってな。誰にも言うんじゃねぇぞ」

 ブレアスは口角を吊り上げて頷いて見せた。

「ありがとな」

 そう言うとブレアスはギルドを出た。

 通りの向こう側の茶屋にダナンはいた。

 ブレアスが北へ向かって歩くと、彼も追ってきた。

「どうだった?」

「例年以上の薄さだ。しかし窓口の男が来年から動きがあると言う。窓口の奴らまで知ってるとなると、硬いな。下まで情報が降りてるなんてかなり周到だ」

「なるほどな。で、何処行くんだ?」

「靴屋だよ」

「靴屋? なんで靴屋なんだよ?」

「長旅に出る時に、お前は痛んだ靴で出かけるか?」

「確かにそうだ」

 ブレアスはコリンの店に向かった。

 遠目からでも軍人だろうと見える男が、幾人か店を出入りしていた。

 この時期なら恐らく新調だろう。

 来年戦なら、今から作って馴染ませる時間が要る。

「おい、あれ軍人だろう?」

 ブレアスは頷いて応えた。

「お前は何処か良い靴屋探してる体でいてくれ」

 分かったと応えた。

 ブレアスが店に入ると、コリンはカウンターにいた。

「お前まで来たのか。こりゃ来年はありそうだな」

「どうしたんだ?」

「新調だろ?」

「あぁ、そうだ」

「注文がやけに多い。こういう時は決まって戦になる。しかしお前も耳が早くなったな。今来てる連中は士官連中ばかりだよ。奴らにはもう情報がいってるんだろう」

「なるほどな」

「後ろの奴はどうした?」

 呼び止められて驚いたのか、ダナンは答えた。

「俺か? 俺はただの船乗りだよ。いい靴を探してるんだ」

「船か。あいにく俺んとこは戦向きだよ。濡れた甲板には向かないかもしれんな」

 コリンはブレアスを見ると、いつもので良いか尋ねた。

「左にもナイフを入れたい」

「分かった。木型は前回のもので良いのか?」

「あぁ、それで良い」

「年明けには出来てる。金はその時で良い」

 ありがとうとブレアスは言った。

 ブレアスはカウンターにあった紙に何やら書きつけると、懐に納めた。

 そして店を出た。

 間違いなさそうだった。

 シエラは今戦に向かって動いている。

「ティルナビスに戻るぞ」

 ブレアスは東回りで南へ向かった。

 途中東風の辺りでダナンを待たせると、裏手に回り、松の木の手前に向かってナイフを投げた。

 ナイフには先ほどの紙が結ばれていた。

 ダナンと合流して、ブレアスはティルナビスに向かった。


 組合会館は何やら騒がしかった。

「何かあったのか?」

 ブレアスは歩哨に立つ男に尋ねると、ヘルガが組合の者を呼んだらしい。

 近々戦になると告げたのかもしれない。

 そうなると、中洲の商売は厳しくなるだろう。

「これは暫く難しいな。俺が見てきてやるからあんたは部屋に戻ってな」

 ダナンは様子を見に行ってくれた。

 ブレアスは部屋で着替えた。

 この服を着ている者はヘルガの部下にはいない。

 なぜこれを着るように言ったのか、判断しかねていた。

 着替え終わった頃に扉を叩く音がして、ダナンが顔を出した。

「姉さんが話を聞きたいそうだ」

 ブレアスはダナンについて、ヘルガの私室に入った。

「傭兵ならではの嗅覚という奴だな」

 ヘルガはブレアスを見るなり言った。

 ブレアスの動きを評価はしているようである。

「輜重隊の動きは分からんが、少なくとも士官連中は戦があることを前提に動き始めている。ギルドも既に来年を見越して人の確保に動き出している。出張所の窓口にまで情報が降りていた」

「なるほど。確かな情報だな。此方の情報を話そう」

 ヘルガはブレアスに座るよう促した。

「輜重隊の動きは今のところ目立っていない。だがお前が言った通り、軍上層部は既に戦をする方向で動いているのは間違いない。だが何処を攻めるのかまでは聞き出せなかった。それから他国の港で妙なことが起こっている」

 ヘルガは各国の港に調査員を置いている。

 各国の商品相場や政治動向などを随時取り寄せているのだ。

 情報伝達には鳥が使われた。

 それによると、ティルナビスだけでなく他国においても、胡椒の値上がりが見られるということだった。

 更に、シエラから輸送された穀物に関して、国営の業者が他国の卸売業者に回す量を絞っているというのだ。

 このため穀物価格も上がっていた。

 特にサルマンには穀物自体が届いていないようだった。

「状況から見て、サルマンだろうな。恐らく年明けからヘルマイン国境の駐留軍が補強されるだろう」

「戦争の目的はなんだと考える?」

「恐らく、ティベル河南の平野だろう」

 ティベル河はティルナ河中流域で分岐する支流で、その下流域にセドナの街がある。

 ティベル河流域の北側が現在ロンバルドの勢力圏となっている。

 十年前の戦争では、この河の水利権を求めてサルマンはセドナを攻めた。

 今回はその南にある広大な胡椒の栽培地を狙っているだろうと予想された。

「だから胡椒を買い占めてる。サナエがカーレアンに渡った理由も、恐らく戦費の調達だろう。胡椒の生産を手に入れたら随分潤うはずだからな」

「つまりもう上の連中は合意ができているということか」

「だろうな。最後の首脳会談にお前は居合わせたってことだ。お前はどうする? 家族に伝えに行くか?」

 ブレアスは黙り込んだ。

「アルバレス・メンデルに戻れば、サルマンにも入れるんだろう?」

「何故知っている?」

「あの戦争で軍を抜けた部隊長はそいつだけだ。簡単に調べはつく。幸いあんたの家は官僚一家だろう。役に立つかもしれんぞ、この情報は」

「行きたいのが本音だ。だが迷惑にはならんか?」

「うちらのことを気遣ってくれるのか? 大した問題ではない。問題なのは、お前がどんな立場で動くかということだ」

 ブレアスは黙って聞いていた。

「良いか? うちやメルクオール、グシュナーの立場は同じだ。今のあの王家が互いに力をすり減らすのは構わん。だがカーレアンがその分力を増したり、シエラの住人に被害が及ぶことは絶対に避けたい。お前にとっても守りたいものはあるだろう。我々の利益に影響がない範囲であれば、協力はやぶさかではない」

「俺は行きたいのだ」

「構わんぞ。だが立場は明確にしろ」

「王家ではない、人々のためだ」

 ヘルガは頷いた。

「良いだろう。ダナンと奴の部下2名と船を貸してやる。あいつもサルマン出身だ。思うところがあるらしい。それから、サルマンにもうちみたいな一家がある。あっちはもっと苛烈だがな。紹介してやるから会ってみろ」

 去り際にヘルガはダナンと打ち合わせをして出港の準備をするように言った。

 ブレアスはヘルガの部屋を出た。

 ダナンが壁にもたれて腕組みして待っていた。

「あんたと出かけるようだ」

「らしいな。あんたがまさかメンデル隊長だったとはね」

 ブレアスはムッとしてダナンを見た。

「怒るなよ。あんたの評判はよく聞いてたよ。部下思いの良い隊長だってな。下に慕われる男は少ない。惜しい人材を無くしたと思うぞ」

 メンデルは当時千人を率いる権限を持っていた。

 出世が早かった分嫉妬も多かった。

 敗戦の責任を背負わされて軍を抜けたのだ。

「昔の話だ」

「気を悪くしたなら謝る。俺はあんたを尊敬してるよ。千人の部下の命を預かるなんて俺には無理だ」

 ブレアスは歯に噛みながら頷いた。

「で、いつ出発するつもりだ?」

「明日の早朝に出るつもりだ。旧市街の波止場から出る。あんたは武装やらが要るだろうから、行ってきてくれ。船の準備はこっちでやっておく」

 ダナンは右手を差し出して言った。

「俺はダナン・ロートン。キルシュの出だ。改めて宜しく」

 ブレアスはその手を取った。

「アルバレス・メンデルでもブレアス・コールドンでも構わん」

「ははは。暫くはアルバレスだな」

 ブレアスは笑い、頷いた。

 ダナンは左手でブレアスの肩を叩いた。

 ブレアスはダナンと別れると、シエラに向かった。

 十年ぶりの帰郷となる。

 戦で負けて国を出て、戦を知らせに国に戻るとは、何とも皮肉な人生だとブレアスは自嘲した。

 雲の動きが早く感じられた。

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