第3話 焔の帰還

 六人の足音が壁に響き耳を叩く。

 少なくとも500年は使われていない通路だ。

 元は下水道として使うために造った地下空間だが、ティルナ河の本流に直接流すのは問題があるということで、工事が中断され、埋められずにそのままになっている。

 こんな場所があるのにも驚いたが、慣れ親しんだ自分の家の地下と通じているなど、思いもしなかった。

 ここを使うと、城門が閉じた後も街に出入りできるのだから、衛兵が知ったらたちまち封鎖しに来るだろう。

 不成者に知れたら大変なことになる。

 最初の被害は我が家なのだ。

 アシェルの隣には姉がいた。

 数日前まで、姉がいることなど知らなかったし、戦闘の最中に感じた気配が姉のものだなど知る由もなかった。

 姉の手を引きながら、暗く開けた通路を下った。

 初めて彼女を見た時、他人とは思えない不思議な感覚があった。

 自分と同じ顔なのだ。

 髪の色も質もそっくりだった。

 初めて見た時から、目が釘付けになった。

 そして自分と同じ光景を見て、同じ息遣いを感じていたことに、不思議なつながりを感じた。

 なんとも憎めない人だった。

 見るもの全てに興味を持って駆けて行くのだ。

 そして満面の笑みで自分を呼ぶのだ。

 あれを見ろこれを見ろ、これは何かと質問攻めだった。

 武術はやるのか訊ねたところ、彼女は薙刀を使うという。

 薙刀と言っても彼女が持っていたのは刀身が3尺はあろうかという、所謂長巻という武器だった。

 柄は刀と同じように作られていたが、これも3尺はあった。

 これを両手に持って使うのだ。

 2尺ほどの刀を両手に握って彼女の前に立った時、圧倒的な間合いの差にどう手をつけて良いか分からなかった。

 彼女は下段に構え、足を狙ってくるのだが、その防御に集中すると間合いが詰められなくなる。

 間合いを詰めようとすると今度は3尺近い刃がこれを阻むのだ。

実にやりにくい相手だった。

 実際に彼女と立ち会って足を捻挫した。

 彼女を鍛えたのは当代で最強と評された男だという。

 名をヘルクスと言い、オリビアの父、つまりアシェルの父で衛府の管理官である。

 彼の故郷には家の名である姓がなかった。

 これは彼の家が王族であったことと関係しており、家の名を設けなかったためだ。

 王家には八つの宮家があった。

 当時その宮家にはそれぞれ宮号があったが、王都脱出後にはそれも使われなくなり、名だけとなった。

 諜報部の者だけは外の社会で生活できるよう仮の姓を持った。

 アゼル、それが自分に与えられた本当の名だという。

 よく似た名だったから、そう呼ばれても反応はできたが、しっくりこない。

 自分がどんな親から生まれてきたか知らなかったし、エレノアを母と慕い、生きてきたのだ。

 それが実母も健在だというから、混乱した。

 なぜ離れて暮らすようになったのか、アシェルは船の上で聞いた。

 その日は朝から闘技場の観客席にいた。

 腰掛けて観戦していると、不意に肩を掴まれて振り返った。

 エレノアが笑っていた。

 客が来ているので、船で海に出て、食事でもしようという。

 天気も良いし、良い案だと思った。

 アシェルから見たら曽祖父にあたる人から譲り受けた船で、小さいが美しい船だった。

 甲板には食事が並べられ、客人らしき人々に出迎えられた。

 そこに彼女は立っていた。

 エレノアは順番に客人を紹介した。

「彼女はオリビア。あなたのお姉さんよ」

「姉さん? 僕に姉さんがいた? 今までどこにいたの?」

「アトリア山脈の山間の盆地よ。あなたもそこで生まれたの」

 今まで怖くて聞けなかった自分の出生についての話だ。

 膝に力が入らないような、奇妙な感覚に襲われた。

「あなたの生まれた時に起こったことをより正確に伝えられたら良いのだけど、あなたは膨大な力を持って生まれてきたの」

「力?」

「そう、そう言うしかないほどのものよ。生まれた直後から、あなたはあなたの周りを炎の渦で覆ったのよ。誰もあなたに触れられなかった。泣き疲れて眠っている間もそれは続いた」

「どうして生きてるの?」

「あなたの姉さんが救った。彼女の周りだけは炎が避けたのよ。それで彼女があなたの額を掌で叩いたら、全て消えた」

 オリビアも黙って聞いていた。

「生まれてから数日間の出来事が嘘みたいに何事もなくあなたは育った。けれど当時の片鱗どころか、あなたは力そのものが無くなってしまったようだった。私たちはギルボワの時のような過ちは犯したくなかった。大切にするあまり我儘に育ってしまったから。あなたにはまっすぐ生きてほしいと願った。だから閉鎖的な山の街でなく、平地で育てることにしたの」

 話をする母の目は真直にアシェルを見ていた。

「生みの親ではないけど、あなたは私の大事な子なのよ。それだけは変わらない」

 アシェルは頷いた。

 母はどんな時も真正面で向き合ってくれたし、受け入れてくれた。

 今までのことは嘘ではない、そう信じられた。

「僕に力があって、姉さんが止めた。姉さんは無事なの?」

「私も力がなくなったみたい」

 オリビアはあっけらかんとした顔で言った。

「会いたかったよ」

 姉が手を取って握った。

「近頃あなたの見ているものが見えるんだよね。強そうな人と戦っていたからつい熱が入っちゃって」

「もしかして、試合の時のあの気配は」

「どうも私がやったみたいで、大変な騒ぎになっちゃって…」

 彼女は笑って頭を掻いていた。

 姉と弟が話し始めたので、大人たちはそれを見守ることにしたようだ。

 甲板に並べたものを摘んでいた。

 2人は取り止めもなく話した。

 自分が育った場所のことや、どんなふうに生きてきたか。

 彼女は孤独を感じていたらしい。

 皆良くしてくれたが、彼らは彼女と話すときだけ言葉を使った。

 自分だけが違うと言う孤独感があった。

 しかしある日から、不思議な体験をするようになった。

 見たこともない風景で、見たこともない人々が話をしていて、見たこともない生物をたくさん見るようになった。

 そんなことが幾度も続いた。

 その光景には自分は何も介入できなかった。

 誰かが見ている世界なのだろうと彼女は思った。

 では誰なんだろう。

 誰でもよかった。

 孤独だと感じていたが、何かを共有できる相手がいることは確かだった。

 そのことが彼女には一番嬉しいことだった。

「だからね、あなたに会えて私はとても嬉しいんだ」

 彼女は満面の笑みでそう言った。

「だけど、同じ顔でびっくりしたよね」

「それは僕も同じだよ」

 エレノアは二人を見ていた。

 自分の家系の話や、その歴史、そんな話をしようかと思っていたが、今思えばそんなことは後で幾らでも話すことができる。

 自分はあの子の母親だと、そう言いたかったのだなと、気づいた。

 あの子もそれを分かってくれた。

 それが嬉しかった。

 陽が傾き始めたが、二人はまだ話をしていた。

 プルトがそろそろ戻った方が良いと言う。

 天候が変わりそうなのだろう。

「そろそろ帰ろうか」

 エレノアは二人に声をかけて、二人の肩を抱いた。

 船を港につけると、一行は馬車でシエラに向かった。

 船を降りてからも、姉弟はずっと手を繋いでいた。

 オリビアが離したがらない様子だった。

 よほど嬉しかったに違いない。

 その日の夜もアシェルと寝ると言って聞かなかったのだ。

 オリビアはその夜アシェルの部屋で寝た。

 アシェルは床に寝具を用意して床で寝たのだ。

 その時オリビアは内緒だと言ってアシェルに一つだけ秘密を教えた。

「実は君以外にももう一人繋がってる子がいるみたいなんだ」

「どんな人なの?」

「この世界にはいないよ。あれ、いないわけじゃないんだけど、いた人かな」

「死んじゃった人と繋がってるの?」

「ん〜…。私ね、お母さんのお腹の中にいた頃の記憶が少し残ってるんだよね。その時、君の他にもう一人いたんだよ」

 アシェルは驚いて、身体を起こしてオリビアを見た。

 オリビアはベッドの上で横を向いてアシェルを見ていた。

「その子はお腹の中にいる頃に、一緒に行けないって言ってたんだよ。だけどあなたたちの中にいるからって。あなたの中にもいるんだよ。あの子が私とあなたを繋いでる」

「オリビアはそう言う力が残ってるのかな」

「実は、最近人が考えてることが分かるようになってきたんだ」

 アシェルは姉の話をじっと聞いていた。

 姉は話すことに飢えていたのかもしれない。

 ずっと話していた。

 時折、聞いてる? と尋ねるので、アシェルは聞いてるよと答えた。

 やがて寝息が聞こえ始めると、オリビアはアシェルの額を撫でて、布団をかけ直してやると眠った。

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