第8話 人


 夜通し起きているつもりで気を張っていたが、どうやらいつの間にか眠ってしまっていたようだ。

 目を覚まし眠っていたことに気がついた途端、跳ね起きて周囲に目を向ける。

 夕璃がいない。虚を隠していた枝葉もなくなっている。


「まさかッ」


 脳裏を過ぎったのは、昨日の彼。死。急いで虚の外に飛び出て視界を広く取った。


「夕璃!」

「ひゃい!」


 声がしたほうに振り向くと、歯ブラシを咥えた夕璃がいた。


「なんだ……無事だったのか」

「ごへんごへん」


 夕璃は後ろを向いてしゃがむと、コップの水を煽ってうがいをした。


「まだ寝てるみたいだったから。起こしちゃ悪いと思って」

「ありがと。でも、次からは起こしてくれ。死ぬほどびっくりしたんだから。歯磨きの途中でモンスターに襲われたらどうする」

「あははー、以後キヲツケマス」

「よろしい」


 でも、お陰で朝から目が覚めた。


「それは?」

「あぁ、これ? 朝、空から落ちてきたの。紫苑の分もあるよ。歯ブラシと歯磨き粉とコップ」

「贈り物か。そう言えば昨日は歯磨きも出来なかったっけ。じゃあ、俺も」


 夕璃に魔術で水を分けてもらい歯を磨く。

 朝の景色は昨日の惨劇が嘘のように美しく、枝葉の隙間から木漏れ日が差している。その日の当たる場所には錆び付いた血だまりの痕が照らし出されていた。


『おはよう。なんか見所あった?』

『特になし。起きて歯を磨いただけ』

『お、起きたばっかりか。良いタイミングで来られたな』

『ベーグル食いながら見てるわ』

『今日こそは地下シェルター行けるだろ。早く済ませて次の段階に行ってくれよ』

『まぁ焦るなって。じっくりもたまにはいいだろ』

『面白けりゃどっちでもいい』


 周囲に目を配りつつ歯磨きを終えて朝食として残っていた握り飯二つを分け合う。

 これで残りの食糧は完全になくなった。


「うーん、体バキバキ」


 伸びをするとぱきぱきとした音が体の至る所から鳴る。

 ありがたい隠れ家ではあったけど、やっぱり人が寝るような場所じゃないな。


「体の調子はどう? もう平気?」

「あぁ、体の調子はいいよ。走ったりしても問題ないと思う。傷跡も残ってないし、地下シェルターを交換したら幾つかストックしときたいな」

「また紫苑が無茶してもすぐに助けられるようにね」

「反省してます」

「よろしい」


 本当に反省しなければならない。

 迫る夜と強大なモンスターを目の前にして、俺は冷静さを欠いていた。

 仮にあのまま魔石が3㎏に達していたとして、その後俺は一体どうするつもりだったのか?

 今になって思えば本当に後先のことを本当になにも考えていなかった。

 怪我の治療にも魔石が必要だ。

 地下シェルターか回復薬かの二択で、きっと夕璃は昨日と同じ行動を取ったと思う。

 結局、どう足掻いても俺が大怪我を負った事態で野宿は確定事項。

 俺があの時すべきだったのは捨て身覚悟の特攻ではなく、堅実な立ち回りだった。

 この失敗を教訓にしよう。夕璃を一人にさせないためにも。


「はぁ……魔石を集めに行かなきゃだよね。昨日、あんなことがあったし不安だけど、やるしかないか……そんじゃ、モンスターを斃しに行こっか。気は進まないけどね」

「あぁ、慎重に、冷静に行こう」


 昨日の出来事が、俺たちの気をより引き締め、最大限の警戒となる。

 移動の際に起こる下草や茂みの音にまで注意を払い、周囲に目を配り耳をそばだててモンスターの姿を探す。

 その甲斐あってか茂みの向こうにモンスターの姿を見付けられた。

 よく見掛ける狼のモンスターだ。このタイプなら対処法はもう知っている。

 昨日、そうしたように俺が背後に回り込み、背後から火尖を見舞う。

 不意打ちは完璧に通った。

 けれど、俺の火尖が貫くよりも先にモンスターが殺される。

 それは下草を断って忍び寄った不可視のなにか。それに斬り殺されて死体が煙になって消え失せる。


「今のは……」


 戸惑っているうちに魔石が地面に転がり、何者かが茂みから現れてそれを拾い上げる。


「早い者勝ち。文句ないでしょ?」


 こちらを威嚇するように鋭い目付きで睨み付けられる。

 魔石を巡っての諍いを警戒してのことか。

 彼女の境遇も俺たちと同じと見るべきで、その警戒も頷けた。

 無用な争いは避けるに限る。


「たしかにそっちのほうが早かった。争う気はない」


 両腕を挙げて手の平を見せ、交戦の意思がないことを示す。


「そ。賢明な判断ね。いま命拾いしたわよ、あんた」


 怖いことを言って、彼女は魔導書に魔石を喰わせる。

 たぶん俺たちより滞在時間が長い人なんだろう。

 立ち振る舞いから経験値の違いが見て取れる。彼女は何にも気を許していない。

 両手を挙げたままの俺に対しても警戒は解いていない様子だった。

 そうまでしないと生き残れないのがこの環境だ、ということか。

 彼女を見習わないと。


「それじゃ。あんたも頑張りなさい」


 こちらと視線を合わせつつ交代し、決して背中を見せようとはしない。

 どこかのタイミングで木の陰か何かで視線を切るつもりだろう。

 このまま去って行くのなら追う理由もない。変なことはせず、彼女のほうから消えるのを待つか。

 と思っていたんだけれど、ふと気がついた。彼女が身に纏っている学生服。汚れ、ほつれているが、あれは――


「待って!」


 彼女の足を止めたのは木の陰に隠れていた夕璃の声。


「そのツインテール! 琴音ことねでしょ!?」

「なんで私の名前――夕璃!?」


 琴音と呼ばれた彼女は目を見開いて夕璃の名を呼んだ。

 それが何を意味するのかを理解するより先に夕璃は行動に移った。


「やっぱり! 琴音だ!」


 だだだだっと駆けた夕璃が彼女――琴音に勢いよく飛びついて抱き締めた。


「会えて嬉しいよ! 何日も前から行方不明になっててさ! あたし滅茶苦茶心配したんだからね!」

「嘘……なんでここに夕璃が……」

「え? なんか黒い煙? みたいなのに追い掛けられて」

「そんな……」


 琴音は夕璃がこの場にいることに対して酷く狼狽うろたえている様子だった。

 あれだけ張り詰めていた警戒の糸が切れてしまうくらいに。


「二人は知り合い、なんだよな?」

「うん、そう! うんとちっちゃい頃からの親友だよ!」

「それでか……」


 琴音の気持ちは複雑だろう。

 会えて嬉しいと思う気持ちもあれば、再会したくはなかったと思う気持ちもあるはず。

 俺が琴音の立場なら、親友には安全な場所にいて欲しいと願う。

 けど、それは叶わなかった。

 残念なことにこの過酷な環境下で再会を果たしてしまったことになる。


「……この人は?」

「あぁ、そっか! 紹介するね、飾雪紫苑だよ。命の恩人!」

「夕璃も命の恩人だよ」

「えへへ。昨日とか滅茶苦茶、めーっちゃくちゃ大変だったよね」

「死に物狂いだったな」


 夕璃がいなきゃあの夜を越えられていない。いまここに立って息をしていられるのはお人好しな夕璃のお陰だ。


「そ……悪い人じゃなさそうなのね……わかった」


 一人頷いた琴音は腰の雑嚢鞄から何かを取り出して地面に投げた。

 それは石で作られた円盤で着地すると同時に巨大化する。


「これは?」

「なに言ってんの? 見ればわかるでしょ。地下シェルターよ」

「へぇー! これ地下シェルターなんだ! こんなんなんだね」

「え? ちょっと待って。確認するけど、夕璃がここに来たのっていつ?」

「昨日だけど。どうかした?」

「昨日なのに地下シェルターの外観を知らない? 夕璃? もしかして昨日の夜って」

「うん。野宿」


 そう聞いた途端、琴音は膝から崩れ落ちそうになった。


「嘘でしょ? 野宿って。そんなことしたら十中八九死ぬのよ? ホントに?」

「贈り物で木の虚に案内してもらったんだ」

「贈り物……ギフトのこと? そう……それにしたって凄い幸運よ」

「あぁ、それはわかってる」


 夕璃と視線を合わせ、昨夜のことが脳裏に過ぎる。

 目の前で人が食い殺される様子はきっと一生忘れられない。


「なら、いいけど。とにかく中に入りましょ。ほら、ここに立って」


 促されて夕璃と一緒に円盤の上に立つ。


「夕璃と紫苑の入室を許可」


 突然、足下が音を立てて揺れる。


「ひゃっ」

「うおっ」


 何事かと思ったが、どうやら円盤が沈んでいるようだった。

 模様のない縁の部分だけを地上に残して地下へと向かっている。

 乗り心地はまるでエレベーターのよう。

 若干の浮遊感を得たが、それも数秒で終わる。目的地に到着した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る