第7話 夜

「よいしょっと。ほら、おいでおいで」

「結構狭いな」


 虚に蓋をするように、刀で斬った木の枝を内側から何本か立て掛けておく。

 自分たちの存在を外側から視認できなくして、ようやく安心して腰を据えられた。

 中は狭く、密着していないと収まり切らないくらいだ。

 居心地が悪いだろうけど、夕璃には我慢してもらおう。


「ここに隠れてれば誰にも見付からないよね?」

「だといいな。今のうちに何か交換しておこう。食べ物とか」

「うん、紫苑はなにか食べないとね。いっぱい血が流れてるんだから、お腹いっぱいにしないと動けなくなっちゃうよ」

「そうだな……ここはケチってる場合じゃないかも」


 栄養のあるものを食べて失った分の血を作らなければ。

 手の平に明かり代わりの火尖を灯し、魔導書を辞書のように引く。


「じゃあ、カツ丼にしようかな。夕璃はどうする?」

「あたしはいいよ。おにぎりあるから」


 とは言うものの、夕璃から腹の虫が鳴る。


「腹一杯にしないと動けなくなるぞ」

「あははー、参ったなー。じゃあ、あたしはからあげにしよっかな。えへへ」


 カツ丼と唐揚げ、合計して600gを消費して交換。

 残りの魔石はあと1.8㎏だ。


「おいしー! 生きててよかったー!」

「カツ丼ってこんなに美味かったっけ」


 カツ丼なんて珍しい食べ物じゃないのに。

 食べたい時に食べられて、特にありがたみも感じずに食事を終えるもの。

 けど今は噛み締めるたびに広がる味に心の底から幸せを感じている。

 今までどれだけ漫然と食事を口に運んでいたのかと、自戒したくなるくらいだ。


「ごちそうさまでした!」

「ごちそうさま」


 ご馳走。たしかにご馳走だった。

 カツ丼と500㎖の水。

 これだけ豪華な食事をとったのだから、体には頑張って血を作ってもらおう。


「ふぁあ……あ、ごめん。ご飯食べたら眠気が……」

「いいよ、寝てて。俺が見ておくから」

「ううん……あたしも、起きてる……起きてる……から……」


 電源が切れたように眠りに落ち、夕璃の頭が俺の肩に乗る。

 起こさないようになるべく体を動かさないようにして、虚の入り口に視線を固定した。

 数本の枝葉で塞いではいるが、隙間からは星明かりが微かに差している。それと夜に目が慣れたお陰で、その微かな隙間から外の様子を少しだけ眺められた。

 いまこの場でモンスターが現れ、こちらの存在を気取られたら逃げ場がない。

 そうなった時は火尖を打って夕璃を起こし、虚から脱出する必要がある。

 隠れていても気は抜けなかった。


「夜が明けたらまた魔石を集めないと」


 1.8㎏まで減った魔石を3㎏まで戻し、地下シェルターを手に入れる。

 それが生き残るための最優先事項。朝から行動すれば戦うモンスターを選べるだけの余裕はあるはず。ヘルハウンドのような強いモンスターは避けてスケルトンのような弱いモンスターを標的にしよう。

 そうすればあと1.2㎏の魔石くらい集められるはず。

 というか、強いモンスターを避けて弱いモンスターばかりを斃していけば低いリスクで100㎏の魔石を集められるじゃないか?


「……いや、ないな」


 俺たちの様子は何者かに見られている。

 これを仕組んだ何者かが俺たちを見て楽しんでいるのだとしたら、そんな面白くもなんともない、作業のような攻略法を用意するはずがない。

 剣闘士が血を流せば観客席は盛り上がる。

 俺が何者かの立場で、下劣な感性を持っているとしたら、強いモンスターと戦わせたがるはず。それに俺が簡単に思いつける程度の攻略法が対策されていないわけがない。

 一応、試してみる価値はあるけど、ダメだろうな。

 例えばゲームでよくあるレベルアップに伴い取得経験値が下がる仕様のように、同じモンスターを斃し続けるたびに落とす魔石の量が減ってしまう、とか。

 ゲーム的に捉えすぎているか? 俺の知識がそちらに偏っているから、そう考えてしまうのかも。でも、この状況は誰がどう見てもデスゲームだ。

 やっぱり。

 と、つらつらと考えごとをしていると荒い息づかいと物音を耳が拾う。

 夕璃の寝息じゃない、外に何かがいる。

 そう認識した瞬間に全身の毛が逆立つような感覚がして、指の先まで意識が行き届く。ゆっくりと右手を入り口に向けて翳し、いつでも火尖を放てるように準備する。

 息づかいと物音は次第に大きくなり、虚の前に人間の姿が映り込む。

 俺たち以外の生き残りだ。


「誰か……誰か助け――」


 虚から出る暇も、声を挟む隙間もなく、彼は黒い影に押し倒された。

 その直後にはその牙が突き立てられ、簡単に肉を食い千切られる。

 身の毛もよだつような絶叫が轟く。

 あまりに悲痛な声音に、隣りの夕璃が目を覚ました。


「ひゃっ、なに――」

「静かに」


 夕璃の口を手で塞いで、口元で人差し指を立てる。

 幸い、夕璃の声は絶叫に掻き消されて黒い影には届いていない。。

 けれど、寝起きの夕璃が状況を理解した頃にはもうそれは途切れていた。

 暗く静かな森に、死体を貪る音が響く。肉が引き千切られ、骨が噛み砕かれる。口元を紅く染めた黒い影はまるで死神のよう。

 人の死に直面したのは二度目だけど、一度目は今ほど生々しいものではなかった。

 つい先ほどまで生きていたのに、助けを求めていたのに、彼はもうどこにもいない。肉体は貪り喰われ、彼がここにいたという証が黒い影によって消費されている。

 生きた心地がしなかった。

 全身に力を込め続けなければ震えを止められず、魂が抜けていくような感覚を伴いながら吐き捨てた息がやけに耳に付く。指先が氷を当てられたように冷えた。

 そして死体から口を離した黒い影の目がこちらを見た。


「――ッ」


 息を殺した。心臓の鼓動すら止まってほしいと願ってしまう。

 枝葉で隠されているはずの虚を、黒い影はじっと見ていて目を離さない。

 微かな星明かりに照らされた黒い影の正体が、俺たちに否応なく刻まれる。

 雄々しい鬣、逞しい角、長細い舌。獅子、山羊、蛇の頭を持つモンスター、キメラ。

 六つの視線に射貫かれ、釘付けにされ、身動きが取れない。

 それでも無理矢理右手を翳し、火尖を撃つ準備をする。

 来るなら来い。そう意を決した次の瞬間、キメラは死体を加えてどこかへと去って行った。巨木の虚の前にはなにもいなくなり、血の跡だけが生々しく残っている。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 息を吹き返すように大きく呼吸をして全身から力が抜ける。

 立ち去ってくれてよかった。もし戦うことになっていたら、果たして逃げ切れていただろうか。彼と同じ末路を辿っていたかも知れない。


「気付かれなくてよかったぁ……」

「いや、たぶん気付いてたよ」

「え? じゃあ、なんで」

「腹が一杯になったんだ。単純に、もう食べ物はいらなかった。それだけだよ、きっと」


 喰われた人のことを想う。

 あとすこし、巨木の虚に隠れるのが遅かったら喰われていたのは俺だったかも知れない。彼は隠されていない虚を発見し逃げ果せたかも知れない。

 そんなたらればの話を延々と考えていると、不意に手が握り締められた。


「夕璃?」

「ごめん。すこしだけでいいから、このままでいい?」


 その手は震えていた。


「あぁ」


 冷たくなった指先が熱を取り戻す。

 俺たちはまだ生きているのだと手の内の温もりが教えてくれた。

 死にたくない。それが叶わないなら、せめて出来るだけ長く。

 諦め癖の酷いこれまでの人生でいまほど強くそう想ったことはなかった。


『一日目、生き残り成功か。何日目まで生き残れるかな? この二人は』

『明日からは女のほう、暮凪夕璃の配信と統合されるってよ』

『えーっと、今日死んだのは187人か。まぁまぁだな』

『お疲れ、今日はここまでだな。徹夜する奴は見所スタンプしておいてくれ』

『とりあえず地下シェルター手に入れてからだな、視聴継続するかどうかの判断は』

『帰還を諦めて引きこもり化する奴が結構な割合でいるからな。ちまちま魔石稼いで食糧確保して』

『結局それも長く続かないからこっちとしてはさっさと外に出ろって感じなんだが』

『引きこもってる間の虚無感ヤバい。滅茶苦茶時間を無駄にしてる感あるわ』

『まぁ、とりあえず生き残りおめでとうってところか。軽めのギフト送っとくか』

『夜が明けるまで寝てるわ。なんか動きがあったら起こしてくれ』


 そして長い夜が明けた。

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