第6話 ヘルハウンド
『あーらら、こっからどうすんのかね』
『ガチンコ勝負は無理じゃね、まだ』
『女が云々ってのより男のほうがどう動くかによるな』
『スライムの時みたいなミラクルが起こせるか見物だな』
『一回詰みの状態から抜け出したし、なんとかできるかもな』
叫び終わると同時にヘルハウンドが地面を蹴って駆け出す。
その速度は思った以上に早く一気に距離を詰められてしまう。
反射的に手を伸ばして魔術を放つも、横方向へのステップ回避で躱され、火尖は遠くの木の幹を貫通するだけに終わる。
「くそッ」
更に距離を詰められ、もはや目と鼻の先。熱気に肌を撫でられ、目が乾く。
剥き出しとなった鋭い牙がこの身に届くその前に、500㎖のペットボトルを投げた。
炎の毛並みによって解けたペットボトルが中身の水をぶちまけ、ヘルハウンドに降りかかる。
炎は水に弱い。たとえたった500㎖でも怯ませ、勢いを削ぐには十分だった。
だが、それでもヘルハウンドが完全に止まることはない。
大口を開け、牙を向き出しにし、こちらに噛み付こうとする。
「喰いたいなら喰わせてやる」
初手の奇襲が失敗した時から無傷での勝利なんて期待してなかった。
だから自ら口腔に左手を突っ込み、噛み付かせる。
「紫苑!」
「まだ撃つな!」
牙が食い込み、激痛が脳を突き抜けるが、先に水を浴びせたお陰で顔周りの毛並みに炎はなく、腕は燃えない。
「火――尖ッ!」
口腔ないで放つ尖った火。いくら炎が効かないと言えども、口の中で魔術が炸裂すればただでは済まない。
喉の奥を力任せに突かれたようなもので、ヘルハウンドは煙を吐きながら大きく怯む。
「火尖ッ!」
更に重ねて魔術を唱え、火の一閃がヘルハウンドを大きく吹き飛ばす。
その先で体を打ち付けたのは、最初に火尖で穴を空けた木の幹。
激突の衝撃と自らの炎で木は折れ、ヘルハウンドは幹の下敷きとなった。
「今だッ!」
「任せてッ!」
潰れた喉で咆えるヘルハウンドに、とどめの一撃が放たれる。
「鋭渦!」
水流の鋭利な渦がヘルハウンドの頭部を穿ち、完全に破壊した。
死体が燃え尽きたように煙になって掻き消え、燃える幹が地に落ちる。
そして魔石が地面に転がった。
『おいおい、マジかこいつ』
『こいつマジでただの高校生なのか?』
『覚悟ガンギマリすぎて笑うわ、こんなん』
『自分から腕を差し出すか? 普通。そりゃ腕より命だろうけど』
『え、ヤバくね? こいつ』
『正気の沙汰とは思えねぇな』
俺の名前を呼ぶ声がする。
「紫苑!」
痛みと出血からくる足のふらつきを、夕璃に支えてもらった。
「ははっ、やったな……」
「無茶し過ぎだよ! あんなことするって知ってたら止めたのに!」
「こうでもしないと斃せないと思ってさ。それより魔石を……」
全身から力が抜け、地面に膝をつく。
参ったな、立ち上がれない。
「紫苑!」
「はやく……魔石、を」
「わ、わかった」
半ば背負われ、引きずられるように、転がった魔石の元へ。
拾い上げてくれたそれを魔導書に喰わせ、地下シェルターのページを開く。
「そんな、嘘でしょ……」
「マジ、かぁ……」
俺が設定したモンスター討伐数は、あくまで目安だ。
確実に魔石一つが500g以上あるとは限らない。
思えばスケルトンが落とした魔石はすこし小さかった。それが原因なんだろう。
「あと100g足りないっ」
詰み、か。
怪我を負った以上、俺はもうどの道助からない。
ある意味、予想通りの結末だった。
俺なんかが生き残れるはずがない。
なら。
「夕璃……聞いてくれ。魔導書から魔石を移す方法がある。俺が死んだら――」
「ダメ! そんなこと言わないで! そうだ! 回復薬って言うのがあったはず! それを使えば腕の傷が治るかも!」
「ダメだ。回復薬は500gも消費するんだぞ……地下シェルターが遠のく。魔石を移して足手纏いは置いて行け。今ならまだもう一体くらい斃せるかも知れない。それで夕璃だけでも地下に」
「ダメ!」
夕璃は俺の手を無理矢理にとって指先を空欄に押し当てた。
魔石が500g消費されてしまい、回復薬が俺の手元に現れる。
それを拾い上げた夕璃が回復薬を俺の傷の上でひっくり返した。
痛みがすっと引いていく。傷が瞬く間に塞がった。
「夕璃……」
「怒らないで。紫苑が死んじゃうなんて絶対ヤダ!」
涙ながらに詰め寄られ、その先の言葉を飲み込むしかなかった。
「……使ったものはしようがない。けど、あと少しで何も見えなくなる。今からモンスターを二体も斃すのは流石に無理か」
「どうしよう……」
「いま考えるべきことはこの2.4㎏の魔石でなにを交換するのかだ。正直、交換できるものなんて高が知れてるけど、ないよりはマシだし、抱えて死ぬなんて勿体ない」
「あとは……どこか身を隠せる場所とか?」
「あぁ、そうだな。洞窟とか木の
「うん!」
生きながらえた命を抱えて、ふらつく足に力を込めて立ち上がる。
傷が塞がって痛みが引いても、失った血までは戻らないらしい。
すこしくらりとしたが、倒れることなく、自分の足で立てた。
「肩、貸そっか?」
「いや、大丈夫だ。それより急ごう」
「わかった。じゃあ……あっち!」
これまで進んで来た道に身を隠せそうな場所はない。
よって来た道を戻ることなく俺たちは前進を続けることにした。
下草を掻き分け、木々を躱し、根っ子が絡みついた地面を踏み締めて、歩き続ける。
けれど、やはりと言うべきか、そんなに都合良く洞窟や木の虚は見付からない。
周囲はどんどん暗くなり、視界は暗闇で半分ほどにまで狭まっている。
完全な夜になるまであと何秒ある? 猶予はどのくらいだ?
このままでは夕璃のしてくれたことが無駄になって二人とも共倒れだ。
『この時間帯にこれじゃ地下シェルターは無理か。詰んだか? これ』
『まぁ、シェルターがなくても生き残る奴は稀にいるけどさ。男のほうがもう満身創痍だしな』
『女のほうは男の言う通りに見捨ててりゃワンチャンあったかもな』
『でも、見捨てなかったのは個人的に高ポイント』
『ならギフトでも贈ってやれば?』
『そう言えばギフト贈るって言ってまだの奴がいたな』
『チッ、忘れてなかったのかよ。しょーがねーなー』
ふと、目の前になにかが落ちてくる。
釣られて視線を落とすと、足下に落ちていたのは青い石だった。
色合い的に魔石ではなさそうだけど、これはいったい?
『魔石じゃねーのかよ』
『いや、ここで魔石のギフトは冷める。面白くない』
『そうか? ここで呆気なく死なれるほうがつまらんが』
『死んだら死んだでそこまでだろ。地下シェルターを手に入れられなかったのは事実なんだし、手助けくらいで十分だろ』
『まぁ、贈ったギフトに文句言うのは違うわな。だったら自分で贈れって話だし』
『贈りすぎてもつまんねーから、こっからどうなるか様子見しよーぜ』
とにかく拾い上げて見ると、青い石が光を放つ。それは一条となって道しるべのように伸びる。
「この先に行けってこと?」
「たぶん。行こう、時間がない」
「うん」
光の一筋を辿って歩いている間に完全な夜が訪れた。
もはや足下に何があるのかさえ、この青い石の光なくしてはわからない。
この光に誘われてモンスターが現れないだろうか? そんな不安と戦いながら足を進め、光が途切れる位置にまで辿り着く。
「ここって」
「木の虚だ」
見上げても切りがないほど大きく育った巨木、その麓にぽっかりと空いた虚。
人が二人、ギリギリ入れそうなくらいのスペースがある。
ここなら夜を凌げるかも知れない。
「あ、消えちゃった」
役目を果たしたからか、青い石が光になって消える。
「……贈り物に感謝しないとな」
「誰か知らないけど、ありがと!」
それが例え、俺たちをこの場に連れてきた張本人だったとしても。
感謝の言葉で何者かの好感度を稼げるなら幾らでも言ってやる。
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