第3話 交換リスト
この状況といい、スライムといい、石を喰う本といい。
いよいよ現実味がなくなって来た。本当は夢なんじゃないのかと思うくらいだ。
けど、爛れた腕の痛みがこれが現実だと教えてくれている。
現実逃避すら許してくれなかった。
「とりあえず、見てみるか」
刀を鞘に納め、光を放ち終わった魔導書に恐る恐る触れ、表紙を捲ってみる。
「交換リスト?」
目次にあたる部分にそう綴られていて、その下にずらりと名称が並んでいる。
食糧、水、回復薬、各種武器類、ライターに料理器具、衣類や歯ブラシまである。物資の一覧が終わると、その次は魔術と思われる名称が続く。
「まさか本当に?」
習得できるのかと疑いつつ目次を読み進め、最後の名称に視線が行き着く。
「――帰還」
すぐにそのページを探して開く。
「元の世界への帰還! ……魔石100㎏?」
ページには魔法陣が描かれていて、その上に必要魔石量という名目で100㎏と綴られていた。そして現在の魔石の貯蔵量は504gとある。
「もしかして、この石が魔石?」
獣を斃した時に落ちた紫色の透明な石を雑嚢鞄から取り出す。これと同じものが魔導書に吸い込まれた。
重さもちょうどそれくらいで500㎖のペットボトルとほぼ同じ重さだ。
ゆっくりとそれを魔導書のページにくっつけると、また光を放って本が石を喰う。
魔石量が504gから1.032kgに増えた。
「間違いない……ってことは、100㎏まで後……」
魔石一つが約500gだとして、100㎏にするには200個いる。
獣やスライムをあと200体も? 気が遠くなるような気がした。
「でも、これを達成すれば帰れるんだな?」
空を見上げて問いかける。
返事はない。
「……わかったよ」
空から落ちてくる武器や食糧、魔導書に書かれたゲーム染みたシステム。
これらを考えると何者かが俺をここに連れてきて、足掻く様をどこからか眺めているのは明白だ。
悪趣味だと、不満をぶちまけたい。感情のままに罵ってやりたい。
けど、それは見ている何者かの心証を悪くするだけ。なんの解決にもならず、自分の立場を悪くするのみ。
強く拳を握り締めて、口から溢れそうになった言葉を飲み込んだ。
「やってやる……魔石100㎏集め切ってやる」
これで本当に元の日常に戻れるかどうかはわからない。
書いてあることはデタラメで、弄ばれているだけなのかも。
でも、それでも今はこの目標の達成を目指すほかない。
悪趣味な何者かの思い通りに動くのは癪だけど、せいぜい抗ってみよう。
『覚悟決めたみたいだな』
『さーて、ここからどこまで行けるかな』
『久々に見てて面白くなりそうなんだ、頑張ってくれよ』
とりあえず魔石が1㎏分ある。これの使い道を考えよう。
スライムに襲われた時のことを教訓にして周囲に目を配りつつ、魔導書に目を移す。
「食糧……グレードがあるのか」
100gで握り飯一つ。200gでラーメン一杯。と言った風に魔石の消費量によって食糧のグレードも上がっていく。
帰還を目指すなら無駄遣いは出来ないが、食糧をケチって栄養不足になっては元も子もない。
パフォーマンスにも影響が出る。それで死を早めることになりかねない。
「武器」
魔剣、聖剣、妖刀、神刀。他にも槍や斧などマンガやアニメで見るような名称がずらりと並んでいる。
本当にゲームの中にいるみたいだと思いつつ、魔石の消費量を見て驚いた。
「魔石の消費量20㎏……」
とても手が届かない。
今は眺めるだけ無駄だと悟って、今度は魔術の項目へ。
「……グレードの低い魔術ならいますぐに習得できる、か」
一番グレードの低い魔術の魔石消費量は1㎏で、手持ちをすべて使えば習得できる。
ただ魔導書で得られる情報は名称のみ。
どんな魔術なのかは名前から想像するしかない。
『魔石の使い方次第で生存率は大きく変わるぞ、さぁどうする』
『一番生き残り安いのって魔術だよな?』
『そりゃ序盤から武器の交換なんて不可能だからな。食糧か魔術の二択』
『食糧選ぶ奴は正直バカ。能動的に魔石集めなきゃならんのに攻撃手段増やさなくてどうすんだよ』
『いや、でも食糧選ぶ気持ちもわかるぜ、俺は。誰だって最後の晩餐が握り飯じゃ嫌だろ。せめてもっと豪華なもん喰って死にたいって思うのは当然』
『そいつはもう生存を諦めてる奴じゃん』
『まぁ、でもこいつ視点だと魔術とか言う意味わからんもんに魔石を1㎏も消費するって結構なギャンブルだと思うけどな。食糧のほうは少なくとも味と量は想像できる訳だし』
武器は交換不可能だし、魔石を消費するなら食糧か魔術の二者択一。
食糧は一応ある。握り飯三つと500㎖の水が二本。でも、とても余裕があるとは言えない、心許ない量だ。
帰還を目指すなら攻撃手段がほしい。
ただ苦労して手に入れた魔石を全消費して得たものが価値や意味のないものだったらと考えると手が止まる。
なら、いっそ食糧にするか? 獣とスライムは斃すことが出来た。次も上手く行けば魔石は手に入る。
「いや」
ダメだ。そんな期待はするな。
次は殺されるかも知れない。
やはり魔術だ。俺にはどうしたって攻撃手段が足りない。
『魔術のページ開いたままってことはこっちに決めたみたいだな』
『正解』
『なにを選ぶかだな。当たりを引けばぐっと楽になるけど』
一通り目を通してみて候補は二つ。
攻撃手段としての想像は全く出来ないので副次効果で選ぶことにする。
火尖は火起こしに使え、鋭渦は水の確保に使えるはず。
水は生命線でもあって優先度が高い。けど、果たして魔術で出した水が飲めるものなのか? という疑問が残る。
それを言い出したらペットボトルの水も怪しいものだけど、こっちがダメならどの道、死ぬしかない。
とりあえず、明確なメリットがある火尖を習得しよう。
「よし」
魔石の消費を確定するには指紋が必要らしい。四角く囲われた空白に指を押し当てれば魔術を習得できる。
「……決めただろ」
寸前ですこし迷ったものの、勢いを付けて人差し指を空欄に押し当てた。
瞬間、魔導書が再び発光し1㎏の魔石が消費される。
すると魔導書の輝きが人差し指を介してこちらへと移り、全身が発光した。同時に電流が走る感覚と共に、魔術に関する情報が脳内に流れ込む。
「理解……できた」
魔術の習得が完了したと確信を抱くと輝きが身を潜める。
発光しなくなった手の平を眺めて、正面の木の幹へと翳す。
「火尖」
手の平に感じる熱。火炎が火の粉を散らし、鋭い一閃となって馳せる。
標的に定めた木の幹に風穴を開け、その背後にある木々を何本も貫いてようやく消滅を確認した。
「マジ、か……」
空いた風穴は黒く焦げ、煙を放っている。
尖った火、その名は伊達じゃなかった。
「はっは、凄いな」
最初からこれが使えていれば獣にもスライムにも苦戦しなかっただろうに。
でも、気を付けなければならないこともある。それは魔術は魔力というエネルギーを消費してこの世に顕現するということ。
人間が産まれながらにしてうちに秘めている魔術的エネルギー。
消費すれば自然に少しずつ回復するらしいのだけど、とにかく一度に放てる回数には制限がある。
いざって時に魔力が切れて魔術が使えませんでした、では笑い話にもならない。
『火尖か。理想は飲み水になる鋭渦のほうだったけど、まぁ八十点の選択だな』
『貫通力は火尖のほうが高いし、個人的にはこっち選んだほうが評価高い』
『どっちもあんま変わらないけど、生存率で言えば鋭渦だったな。火尖も全然悪くないんだけど』
『あんだけ選択肢がある中で火尖選んだんだし上等だろ。鋭渦は後から習得できるし、ぶっちゃけそんな変わらん』
『まぁ、次の習得で鋭渦選んだら九十九点やるよ』
不意に風が吹き抜けて、魔導書のページが一枚ふわりと捲られる。
目を落とすと次のグレードの魔術がそこに記されていた。
火尖よりも更に威力が増していそうだ。
「魔石量5㎏……当分先だな」
でも、この火尖という魔術があれば。
いや、期待するな。
たしかに強力な武器を得た。けど、それですべてが解決したわけじゃない。
これから少なくとも200体以上の獣やスライムを斃さなければならないんだから。
「だ、誰か助けて!」
不意に耳に届いた鬼気迫るような声に反応して顔を上げる。
周囲に異変はなし。魔導書を閉じて雑嚢鞄に押し込み、注意深く目をこらす。
見付けた。同い年くらいの女子が獣に追われてる。
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