君と、世にも奇妙な同棲生活

青いひつじ

第1話


今、私の前に座り、器用に箸を持ちながら卵焼きを半分に割っているのは、1週間前にやってきた人型ロボットである。



私の住んでいる星では、最近になり奇妙な政策が始まった。

1ヶ月の間、独身男性の家へ人型ロボットを送り込み、同棲を体験することで、結婚への意欲向上を図るというものだ。

新しいかたちが増えてきた昨今、頭の良い方々が考えた末に出した答えがこれである。

そしてこの馬鹿馬鹿しい政策の対象者が私であり、ついに1週間前、人型ロボットがやってきた。




"ピンポーン"



チャイムの音で目を覚ました私は、いっぱいになった灰皿と、いつのか分からないコーヒーの缶を片目にベッドから起き上がり、カーペットのように床を埋め尽くす紙を踏みながら玄関へと向かった。



「はい、、、」



来客はいつぶりだろうか。

扉を開くと、青い綺麗な光と生暖かい風が玄関へと舞い込んできた。

外の世界は、知らない間に春になっていたようだ。


まだ眠たい目を擦りよく見ると、そこに立っていたのは1人の女性だった。

春風にのってやってきた花びらが彼女を包み、黒く長い髪が透けて、揺れていた。




「はじめまして。今日から1ヶ月お世話になります。人型ロボットさくら1号と申します」



驚きのあまり、私は一瞬、返事をすることができなかった。

挨拶をするその声、肌質、彼女がもっている温度まで、全てが人間そのもののようであった。

彼女から、ほんの少し緊張が伝わってきた気がしたのは、私の勘違いかもしれない。



「、、、、あ、どうも。私のことは名前じゃなくていいから、テキトーに呼んでくれて構わない」



風がびゅんびゅんと窓を叩きはじめたので、私は彼女を中へと招き入れた。



「まぁ、こんなところだが、好きなところに座ってくれ」



私がそういうと、「あの、、、」と、彼女は困ったように部屋を見渡した。



「どうしたんだ?」



「座る場所がありません」



「あぁ」



私にとっては見慣れた風景だが、初めて見る人は、スモーキーマウンテンに迷い込んだのかと勘違いしてしまうのも無理はないだろう。



「これは、何の機械ですか」



「これは朝食マシーンだ。目玉焼きとトーストを同時に焼くことができる、実に便利な代物だ」



「それでは、この大きな機械は」



「これは私が開発した超吸引力掃除機だ。部屋中のゴミを一気に吸うことができる」



私はこの星で、開発者として働いている。

そのため、部屋は多くのモノで溢れかえっていた。

研究資料や設計図、実験道具、造りかけの機械や、何に使うのか忘れてしまった謎の機械、ゴミ同然の部品の山。



昔から勉強はもちろん、機械の修理、怪我の治療まで、優秀な私は大抵のことを1人で解決できた。

誰かが座る場所がないのは、誰かなど必要ないからである。


私は散らばった紙を乱雑に集めて、畳一枚分ほどのスペースを作った。



「申し訳ないが、これから1か月間、ここで我慢してくれ」

 


「ありがとうございます」



彼女は不満を口にするでもなく、その狭いスペースに正座した。

それにしても、どうしたらよいものか、実に気まずい。




そんなこんなで、世にも奇妙な同棲生活がスタートしたのだが、彼女の朝は、忙しく鳴くカラスたちより早かった。


私が目覚めると、ブラウン管テレビの上で、味噌汁と卵焼きとおにぎりが私を待っていた。

彼女とテレビを挟んで、一緒に朝食をとる。

ベランダには、洗い立ての白いシャツが並びながら気持ちよさそうに空を泳いでいる。

橙色の幕が下り始めると、彼女は近所のスーパーへ出かけた。

今日はタケノコが安かったからと、彼女は炊き込みご飯を作った。


誰かと食事を共にしたのは、小学生の頃、祖母と暮らしていた時以来だった。



研究の合間、ベランダに出て一服するのが私の日課である。

その日はなぜか、いつもより夜が青く、星が輝いているように見えた。







ある朝。

私の1日はドシドシと騒がしい音で始まった。



「君、朝っぱらから何をしている」



彼女は、細く折れそうな腕で、私の作った機械を持ち上げていた。



「この朝食マシーンは必要ないかと。これから1ヶ月は私が居ますし、必要であればレシピを作りますから」



「勝手なことをしないでくれ」



「このマッサージチェアも必要ありません。もし体が疲れたら私が肩揉みをします」



「おいおいおい、待ってくれ」



彼女は私の言葉に構わず、朝食マシーンとマッサージチェアを窓から放り投げた。

空いた口が塞がらないとはまさにこのことであろう。

彼女の予想だにしなかった行動に、私は怒りを通り越し、快感にも似た何かが血管中を駆け巡った。




「分かった、分かったから。少し話そうではないか」


彼女は、持ち上げていた機械をどしんと床に置いた。

私は設計を一時中断し、自分と彼女の珈琲を入れた。



「頼むから、掃除もほどほどにしてくれ。これ、珈琲」



「この部屋は、とても不思議なんです」



「何がだ」



「何でもあるようで、何にもないような、そんな感じがします」



「そりゃ、機械ばかりの無機質な空間だからな」



「寂しくはないですか?」



「別に。私にも友人くらいはいる」



私は窓の外を指差した。



「あの木ですか?」



家の横に、桜の木が立っている。

昔、祖母から聞いた話だと、以前は何本もの桜の木があったが全て根腐れしてしまい、残ったこの1本だけが、ここで咲き続けているのだという。

その話を聞いた小学生の私は、この木のことがなぜか放っておけなくなり、一方的に会話をするだけの友達になった。



「だから、心配はいらない」


こうして今まで生きてきたんだから、大丈夫。





1週間が経った。

彼女の、相談もなくモノを捨てる癖は直らず、私は半ば諦めていた。

しかし、その分別は意外にも的を得ており、必要なものはきちんと残されていた。


彼女は、私が苦手な整理整頓や洗濯、料理が得意なようだった。

毎朝スーパーのチラシを確認し、安い食材を調達してくる。

ベランダから挨拶しているのは、商店街で出会った人たちだという。

誰も、彼女がロボットだなんて思っていないだろう。

彼女は、今の私よりも、ずっと人間らしく見えた。






ある朝。

目が覚めると、体が鉛のように重たく、風呂上がりのように冷えきっていた。

私が寝室から出ずに、現実と夢の間を彷徨っていると、彼女がそっと寝室に入ってきた。



「今のあなたに必要だと思いました」



彼女はそう言うと、ムワンとした湯気の立ちこめるどんぶりを枕元に置いて、部屋を出ようとした。



「待ってくれ」



私は咄嗟に彼女を引き留めた。



「その、、、。少しだけ、手を握ってくれないか」


彼女は座り、何も言わず、私の手を優しく握りしめた。

その夜、祖母と暮らしていた頃の夢をみた。

夢の中の少年はとても幸せそうで、安心した私は枕に深く沈んでいった。






いつからかモノが少なくなり、からんと空いた物置部屋は、彼女の寝室になった。


机の上は整頓され、ビール瓶に桜の枝が生けられている。


台所から、柔らかそうな葉で包まれたロールキャベツの香りが立ち込めている。


床に転がっていた分厚いコートは、薄いカーディガンと出番交代をしたようだ。


そういえば、パジャマも新調されている。


彼女は毎日換気をする。

窓から、アパートの横を流れる小川のせせらぎがきこえてくる。

覗くと、桜の花びらが水の上を滑っている。



春が、こんなに気持ちのいい季節だなんて、知らなかった。


肩が凝った時には、小さな手が心までもほぐしてくれた。


スケッチブックには、彼女考案のレシピが書かれている。



人と暮らすというのは、実に不思議である。






3週間が経ったある日のことだった。

毎朝、必ず私より先に起きていた彼女が起きてこないのでノックをしたが、返答はなかった。

寝室を覗くと、眠ったままだった。

横たわる彼女の肩を軽く叩いてみるが、反応はない。


息もせず、氷のように冷たくなった彼女を見て、ロボットだったことを思い出した。

故障かもしれないと、説明書を開き、隅から隅まで読んでみるが、原因はそう簡単には見つからなかった。


今まで、どんな機械でも直してきた私であるが、どこを修理しても、彼女が目を覚ますことはなかった。


最後に、もし、ここを修理して直らなかったら諦めよう。

そう思いながら、私は彼女の心臓部分を直し、その場に横たわった。



修理を始めてどれくらい経ったのだろう。

私に出来ることは全てやった。

彼女には色々と世話になったから、一言礼を伝えたかったが、願いは叶いそうにないな。

そんなことを考えているうちに、視界がぼやけ、私は夢の中へと潜ってしまった。




暗い、出口の見えないトンネルを、ただひたすらに歩いている。

その先で、誰かが私を呼んでいる気がして、ハッと目が覚めた。


彼女が私の横に座り、見つめていた。




「あぁ、君、直ったのか。よかった」



「あなたが、直してくれたんですか」



「いや、これくらい、私にとっては難しいことじゃない」



「でも、あなた、長い間眠っていないんじゃないですか」



私は近くにあった鏡をのぞいた。酷い顔だった。

目の下は赤く腫れあがり、顔は機械油とすすだらけになっていた。

言われてみれば、この1週間ほとんど睡眠も摂らず、彼女を直し続けていた。



「礼を伝えたくて」



「礼?」



「あぁ。お粥、美味しかった」



彼女の横顔を月明かりが照らし、今にも溶けそうで、綺麗だった。



「あの日、寝込んだあなたが私の手を弱々しく握った時、思ったんです。あの桜と同じなんだって」




あぁ、そうか。



「あなたが桜の木に話しかけたように、本当はあなたも、誰かを待っているのではないかと」




私は優秀で、1人で生きていける人間だと思っていた。


しかし、彼女と生活して分かった。

私は、1人でも生きられるようになってしまったのだ。

誰にも助けてと言えなかったから。



彼女が、油まみれの私の手を握った。



「たとえばこんなふうに、お互いにもっているものを交換しながら、そうやって生きていくのも悪くないと思うんです」



キツく縛っていた糸が、緩んでいくように。


積もりすぎた雪が、太陽に照らされじんわりと溶けていくように。


心が、するするとほどけていく気がした。





「私は今日で最後になりますが、あなたにそんな出会いが訪れることを願っています」



彼女は優しく笑った。



「私のことを助けてくれて、ありがとう」



笑顔を見たのは、それが最初で最後だった。


部屋にはピーという機械音が響き、彼女は目を瞑ったまま2度と目覚めることはなかった。

次の日の朝、役所の人間が彼女を引き取りにやってきた。




ベランダに出てタバコに火をつけ、さらさらと流れる小川を眺める。

彼女の言う通り、私は誰かを待っていたのかもしれない。



気づけば、私の部屋を埋め尽くしていたモノは半分なくなっていた。



「ずいぶんと軽くなったもんだ」






それから半年が経った、冷たい風の吹くある日。



"トントン"

"すみません。隣に引っ越してきたものです"



誰かの声が聞こえて、目を覚ました。

あれから、なんとか人間らしい生活を続けている。

ビール瓶のコスモスも少し寒そうである。



扉を開くと、白い綺麗な光と肌寒い風が玄関へと舞い込んできた。


まだ眠たい目を擦りよく見ると、そこに立っていたのは1人の女性だった。

秋風にのってやってきたイチョウが彼女を包み、黒く長い髪が透けて、揺れていた。








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