不穏分子とは得てして平穏に紛れるもの

「報告は以上です。」




「.........そう。」




重厚な造りの洋館、その一室。




ワインレッドを基調としたその部屋は、色鮮やかなランプたち__サファイアの如き青、エメラルドの如き緑、トパーズの如き橙、アメジストの如き紫を携えた、どこかアラビアを連想させるエキゾチックな煌めきが光と影を為していて、光で彩られていながら、しかし薄暗い__不思議な空間だった。




ペルシャ絨毯、多言語で綴られた書籍とその棚、傍らに置かれたヴァイオリン。


やけに鍵の多い木製の机の上に開いたまま置かれた、魔法薬の手書きレシピ本。ハーブを詰めた小瓶。すり鉢、それから計量スプーン。


色付きのガラスで彩られた瓶が並ぶ棚、その手前の台には腕時計が__ベルトの色こそ様々なバリエーションがあるものの、どれもローマ数字の刻まれた数字盤、アンティークチックながら現代の雰囲気に乖離しているわけではない、シンプルではあるが洒落たデザインのそれがずらりと並んでいる。




壁掛け時計が秒針を刻む音が響き、ジャスミンとムスクの香が漂う中で、“報告者”は眼の前の女性__燕尾色のクッションを携えた椅子に深く腰掛け、足を組んだ妖艶なその人に向かって深々と頭を下げていた。




そんな“報告者”の様子を、女性はじっと見据える。「.........あの子の容体は?」




「あの子、とは......」




「高峰友梨花」




「ああ、彼女ですか......」“報告者”は両手で抱えた資料へと目線を落とす。「......命に別状はないと。ですが重度Ⅱに分類する暴走状態、その兆候を感知したとの報告あり。幸い、高峰友梨花が気絶状態に陥ったことで事なきを得ましたが......」




「.........」女性は何も言わず、ただ“報告者”へとその眼差しを向ける。




「以後は魔力波形も安定しています。ですが高峰友梨花の魔力傾向、及び付属効果については測り難く......考えられる要因の一つとしては、過去に途絶えた魔術の系譜、その隔世遺伝ではないかという見解が。現在、秘密裏に調査員を雇って文献を探していますが、データの合致にはまだ時間がかかると思われます。」




「............そう。」女性は視線を落として、そう零す。「......ねぇ、少し聞きたいのだけど。」




「なんでしょうか。」“報告者”は顔を上げる。




「貴方は、高峰友梨花についてどう思う?」




「......どう思う、と言われましても」


“報告者”は、女性の言葉の真意を測りかねるように、少しのあいだ押し黙って__しかし、言葉を模索するように考え込んで、やがて口を開いた。「一言で表すならば......未知数、でしょうか。」




「未知数、ねぇ......理由を聞いても?」




「.........これまでも、通説を覆す“例外”が存在しなかったわけではありません。」




“報告者”は淡々と、慎重に言葉を選びながら__視線の先にいる高貴な女性の機嫌を、決して損ねまいとやや緊張しながら言葉を続ける。




「魔術世界でいうならば、例えば『現人神』......霊的存在と明確な血縁関係にあり、霊力を生み出すプロセスが人類と異なる、もしくは規定値以上の魔力を持つ者。例えば『異能持ち』......特異な“魔術の型”を生まれながらに持ち合わせ、術式を意識せずとも魔力を通すだけで刻まれた異能を発動できる者。こういったものが、いわば“例外”とされてきました。しかし......」




“報告者”は再び資料へと目を落とす。「......現状確認できているどんな例外も、高峰友梨花には当てはまらない。いわば.........そうですね。『新たな例外の型』、それが高峰友梨花、かと。」




「『新たな例外の型』.........」


女性は呟く。呟いて__しかしその瞳は、その表情は、どこか暗い__まるで、何かを憂いているような。恐れているような。あるいは、多少だが憎んですらいるような.........


そっと目を伏せて、彼女は呟く。「.........それだけで済むとよいけれど。」




「......え」“報告者”は思わず零す。




「なんでもないわ。」


女性は、再び“報告者”を見据えて、まるで先程の憂いを帯びた表情が見間違えだと思えるほどにころりと表情を変えて、悠然と微笑んで__なんとも、聞き心地の良いその声で紡ぐ。「報告ご苦労さま。これからもあの子とその周辺は注視してくださるかしら。」




「........はい。」


“報告者”は深々と頭を下げる。「ではこれにて。......御前、失礼いたしました。」




“報告者”は退室し、女性の私室には静寂が訪れる。




音を刻む時計、その数字盤には繊細なタッチで描かれた孔雀のイラスト。等間隔な秒針の音に、女性はそっと目を閉じる。


微かに香るのは、先程まで調合していた薬草の名残。




「.......『新たな例外の型』」女性はそっとその瞳を開いて、そして。「あれは......あの子は、そんな生易しい言葉で表せるものではない。例えるのなら、そう............『火種』。」




__そうだ。女性は危険視していた。




それは決して一種の心配性が高ぶったものでも、意図的に必要以上の所感を以って騒ぎ立てようとしたわけでもなく___ただ、誰よりも事の状況を把握して、冷静にそれを分析して、考え得るもっともな可能性に至って__それが及ぼすかもしれない未来を危険だと、そう判断したのだ。




彼女以外誰も居なくなった部屋の中で、その女性は言葉を続ける。




「『火種』だ。『火種』なんだ......良くも悪くも。彼女を以ってすれば終止符を打てるかもしれない。放っておけば必ずや脅威になる存在を、今のうちに殺せるかもしれない。だが、それは同時に......その脅威を呼び覚ます。今はまだ潜んでいたそれらが爆発的に.........そして、それはおそらくは、あの子を巡って............」




__きっと、高峰友梨花なる少女を巡って争いが起こる。


そしてそれは、彼女の周囲をも巻き込む。




………物語は進むだろう。




火に薪をくべるように、少女らの感情やら大事なものやらを燃料に、あまりにも分岐点の多すぎる線路の上を勢いよく突き進んで行くだろう。嗚呼、おそらくその全ては『あれ』を倒すために。




『あれ』とは樹だ。害悪な種子を振りまく樹だ。




おそらくは、報告にあった『吸血鬼』の事件。その元凶でもあるだろう者。種を撒いておきながら、しかし『あれ』自身は決してそのことに責任を持たない。冷酷で非道な存在。




これは、『あれ』を倒すための物語。『あれ』を真の意味で救う物語。




そこまで考えて、女性はふと下を見た.........動物の意匠が彫られた木製の机。その机上に置かれた、『あれ』に関する得られる限りの情報が記載された冊子__その表紙には無機質な字体で『機密ファイルB-8731』とだけ記されている。


重量のあるそれの一枚一枚、一言一句違わず......彼女は幾度、目に、記憶に焼き付けたことだろう。




「物語の目標が達成されたその時に、あの子は、あの子たちは........」


女性は呟いて、そして。




「.........一体、どれだけのものを犠牲にしているんだろう。」




俯いた女性の顔は陰で覆われて___その表情は、外側からは決してわからなかった。

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