街に潜みし吸血鬼(Ⅲ)

最初に戻ったのは、聴覚だった。


人の騒めきが、遥か遠くで響いていて。風で木の葉が揺れる音。すぐ近くの話し声。




「...............は...........で、.............から.............」


「......を.................................、つまり、........................................」


「..........................、あの..................................」




断片的にだが聞こえるそれに、耳を澄まして、その声色や高さに覚えがあることを思い出す。


「(__李乃と伊吹、それから桐生さんの声......だろうか。)」




次に戻ったのは嗅覚と触覚だった。


夕暮れ時のやや涼しい、自然特有の澄んだ空気__おそらく憩いの公園のものであろうそれに包まれながら、今私が仰向けに横たわっているこの材質は木製の、ベンチだろうか。そこまで認識してから。




__成程、今の私の状況に理解が及んだ。




推測するに、私は魔力不足か何かに陥って意識を失い、介抱されたのだろう。


意識を失う寸前の、あの感覚__身体の力が抜けていく感覚。いままで際限なく湧き上がっていた“魔力”という名の泉が急に枯渇したような、渇きを帯びたあの感覚。身体の熱が急速に奪われていくような、あの感覚__やけに鮮明に残っているその記憶。




思い返してみると何とも恐ろしくて、思考を巡らせるだけで身震いする。


.........それほどまでに危険な状態だったのだろうか?




「(記憶、といえば......)」僅かに覚醒しきれていない、朧げな意識の中で考える。「(なにか......夢を、見た気がするのだが.........)」


詳細は思い出せないが、しかし大事な夢だった。




早川さん......もとい、“吸血鬼”と呼ばれた怨霊の過去、“早川さん本人”との関係、事件の動機......そういったことが全て明るみになるような、事件の根幹を見たといっても過言ではない夢。事件に関連する様々なことに一気に納得がいって、すっきりするような、しかし謎は未だに残っているような......そんな夢を、確かに私は見ていた筈だ。




「(.........どんな、夢だったっけ............?)」


夢の内容が本当かもわからない。私の捏造ではないという確証も持てない。




……ぐちゃぐちゃに渦巻いて、寸前に自分が何を思考していたかも定かではない頭の中で__感覚の促すままに、ゆっくりとその瞼を開く。




視界いっぱいに映ったのは、青と黄昏の狭間のような空だった。


全く異なる色で彩られたグラデーションは、どこまでも澄んでいて、一目見て“夢のようだ”と、そんな感想を抱いた__それほどまでに、綺麗だと感じた。




憩いの公園、そのベンチの上。


自身の灰色の前髪が、左頬に触れてくすぐったい。




「(......あ、桐生さんと目が合った。)」




こちらをふと垣間見た紫苑の瞳を見て、桐生さんが治療したあの女性は大丈夫だっただろうかと、そういったことに思いを巡らせる。




「あ、友梨花ちゃん!」


嬉しそうな、どこか慈しむような表情で桐生さんが笑う。「目が覚めたんだね。よかったよかった。本当によかった。中々意識が戻らなくて、内心、俺のせいかなとか思ってて......」


駆け寄って、そしてこちらを慮るような眼差しを向ける。「どこかおかしいところとか。気持ち悪いところとか、痛いところとかは無い?」




「い、いいえ。特に......」


そう言葉を返しながら、ふと戦闘中のことを思い返す。




_『ちょっとでも、俺が役に立てたとか、調子に乗ってしまって本当に申し訳な___』


_『内心、俺のせいかなとか思ってて......』




桐生さんが戦場に駆け付けたときの台詞、そしてさっきの発言からを振り返ってみて__どうやら桐生さんは、わりと自己肯定感の低い人間であるらしいと当たりをつける。


………そこが、どことなく奇妙に感じる。




「友梨花!」李乃もこちらにその顔を向ける。「やっと起きた!よかった~。」




「し、心配をかけてすまない。その.........」


なんとなくだが、今この瞬間の雰囲気から、おそらくは深刻なものではないだろうと予感しつつも__しかし、私は尋ねた。「被害者の女性は......というか、早川さんは......?」




「倒れていた女性は無事だ。」


炭酸水のペットボトルを片手に、伊吹が答える。「桐生さんの対応が的確だった。応援に来た救急治癒魔術課の連中も褒めてたぜ。魔術に何の関係もない一般人だったから、記憶を封印したり辻褄合わせたりっつー処置に時間はかかるが......三日もすりゃ元通りの生活に戻れるそうだ。」




記憶の封印。辻褄合わせ。


やはりというか、魔術に関する情報は一般に漏れないよう秘匿されているらしい。


魔術の社会、その機構というか維持方法とかいったものを、薄々と感じ取りつつも__女性の無事を聞いて、少し心が軽くなる。




「そうか.........良かった。」




「俺が凄いんじゃなくて、伊吹くんがくれた道具が凄かったんだけどね......」


桐生さんはどこか居心地の悪そうに目を逸らした。「あの高性能な小型の救急用魔力タンク、伊吹くんが作ったっていうんだから驚きだよ。魔導保安隊所属の学生さんって聞いたけど、レベル高いなぁ、強いなぁって思って、うん、すごいよね。戦闘でも大活躍してたし。」




小型救急用魔力タンク__おそらく伊吹が桐生さんに放り投げていた、鉄でできているであろう片手で覆えそうなサイズの四角いあれだろう。




「魔力タンクを作った伊吹も凄いし、的確に使えちゃう桐生さんも凄いよね!」


純真そのものといった満面の笑みで李乃が言うものだから、ああ確かに、伊吹の技術も桐生さんの運用力も大したものだと__そんなことを思って、そして言葉を返した。




「ああ。......そうだな。」




魔力を解放したあの感覚。事前の計測結果からも、成程、確かに私は魔術の素養自体は高いのだろう。


だが___




「(知識。技術。運用力......素養が高いだけではカバーしきれない、後天的な能力。伊吹や桐生さんが持っているそれは、当然だが、ついこの間魔術の実在を体感した私は持ち合わせていない。そして、それは.........私がこれから、身に付けなくてはいけないもの、なのだろう。)」




二人がいたからあの女性が助かった。それは純然たる事実だ。


あの出血量も、肌の色も。おおよそ死の危険が差し迫っていることが如実にわかるような、そんな容貌だったのだから。




「そんで、早川のどかだが......」




伊吹はそこまで呟いて__少しだけ、視線を落とした。「あいつに関しては、まだ情報が少ない。なんでも酷い錯乱状態にあるそうで、碌に聞き取りも進んでいないそうだ。“目が見えていること”に異常な恐怖を感じているとかなんとか聞いたが......」




「“目が見えていること”に対する異常な恐怖......」口に出して、そして、先程見ていた筈の夢を思い返す。




_『これでもう見なくていい。ずっと目を閉じてていい......それって、すごく素敵な贈り物だと思うの。』


_『お前が、それを何の憂いも無く享受できるようになったなら。それは、俺にとって_____どんなに、』




……私じゃない、誰かの夢。


最早、断片的にしか思い出すことが叶わないそれに、嗚呼、何か大切な情報が隠れていたような__


どこか釈然としない、そう、まるで“誰かが何かを隠したような”感覚に、以前早川さんに感じたような、歯車が噛み合わないような、ピースが足りないような......そんな違和感を漠然と感じる。




……なんだろう。




「でもま、命は無事だぜ。」伊吹は視線をこちらに戻した。「戦闘中の魔術的な負傷は応援部隊の奴らが治療したっぽいし......あ、でも剣が突き刺さった跡みてーな右手の傷はめちゃくちゃ治りにくいって文句言ってたな、あいつら。」




「(あっ.........)」」


あっけらかんとした調子で紡がれた伊吹の言葉に、しかし思い出す。




__そういえば、おそらく生身であろう早川さんの右手目掛けて剣を投擲していたな、私。


しかもその剣、手を貫通してたよな。




他にも気になる部分はいくつかあるが__しかしそれよりも、自分はとんでもないことをしてしまったのではという罪悪感が__焦燥に包まれるような、心臓が押し潰されるようなそれが思考という思考を覆い、身体に重く圧し掛かる。脳内はそのことでいっぱいになって、上手く思考が働かなくなる。




「............すまない。」そうして、絞り出したような声で呟いた。




「緊急事態だったんだし、ある程度は仕方ねぇけどな。」


伊吹はやや困ったように笑った。「なにぶん生身の人間が相手だったわけだから、まぁ気にするなとは言えんが......そんでも判断自体は間違っちゃいなかったぜ。つーかあの剣ほどじゃないにしろ、俺だって注射器投擲しまくったし。李乃だってだるま落としの落とすやつ、おもっきしぶつけてるからな。」




「早川さんって人、すっごく強かったもんね......」李乃がうんうんと頷いて言った。




「......ああ、たしかにあれは“魔術師との戦い”に慣れた奴の動きだった。」伊吹も呟く。「まあその辺の事情は解析が進みゃあわかってくるだろうが.........」




そこで、伊吹は言葉を区切って__数歩ほどこちらに歩み寄って、そしてしゃがんで、こちらの方に目線を合わせて__魔道具だというカラコンの取れた、綺麗な水色、澄んだ青空の如き色の瞳で、こちらを覗き込んだ。




「(......!?なんだなんだ!?)」


突然のガン見に、何かしてしまったのだろうかと、焦燥で再び鼓動が早くなる。




伊吹はにっと笑って__そして言った。「魔法、意識的に使えるようになったじゃねぇか。」




「えっ......」思わず声が零れる。「あ、そ......そういえば」


夢中で、あまり意識はできていなかったが、しかし。




「(そうだ。魔術......うん、感覚は覚えている。はっきりと。......多分、これからは意図的に、私は魔術を使うことが.........)」




魔術が使える。その確信に、重石が取れたような解放感を感じて__




「あ、そうそう!友梨花の魔法すーっごくかっこよかったよ!なんだっけ?えーっと、友梨花が唱えてた呪文......たしか、ざ・らいとおぶ・るーるおーばー・ぷらねっと......っていうやつ!」




「み゛っ」


しかし、そんな解放感を感じる間もなく突き落とされる。




完全に高揚のまま、ノリと勢いと趣味のままに紡いだその台詞を、李乃の口から紡がれて__羞恥心、顔の火照りが沸々と思考を覆っていく。


星を統べるとかいっちゃったけど、剣から魔力であろう衝撃波出しただけだしネーミングがとんでもなく厚かましいような気がしてならない。




「(今から過去に戻って、ちゃんと技に関係した丁度いい詠唱を言い直したい......)」




顔が熱くなって、なんとなく居づらくなって......そっと、ベンチの背もたれの方へと目を逸らした。




「綺波高等の魔術師は対魔術戦に強い子が多いって聞いてて、でも実際見たことはなかったんだけど......聞いてた通りだって思った!友梨花も伊吹もすっごくかっこよくて、魔力を引き出す速さも展開の精密さもものすっごくて!」




「いや、李乃も中々だったぜ。そっちは...霊道牡丹だっけか。魔術のルーツに関して深く掘り下げた授業をやるって聞いてたが、目の当たりにすりゃあ確かに......李乃は五行...古代中国の自然哲学に関連した術者だろ?なんつーか、力の使い方をわかってんなぁこいつ、って感じの戦い方だった。」




「そうかな?え、なんか嬉しい!ありがと~!」




………魔術師トーク、もとい魔術学校トークが始まっている。




なんとなくの制度やらは説明されて掴んでいるものの、しかし綺波高等だとか霊道牡丹だとか、所謂“魔術を扱う学校”のことを詳しく知っているわけじゃない......いや、綺波高等に関しては、私が通っている高校なのだが。




「(.........知識が欲しい。技術が欲しい。運用力が欲しい。)」




一つを得れば、また際限なく何かを欲する。......私は、なんて欲張りな人間だろうか。




「あ、そうだ」


いままであまり会話に参加してこなかった桐生さんが、紫色のカバーのスマホを取り出しながら話しかけた。




「桐生さん、どうかした?」


李乃がきょとんとしたトーンで聞き返す。




「いや......」桐生さんは声を落として、そして言葉を続けた。「......Line交換しない?」




「え?」


「は?」


「ぬぇ......?」




あまりにも真剣な声色とマッチしないその内容に、李乃、伊吹、それから私の順番で__三者三様の呟きが零れる。




「アカウント新しく作り替えたから、Lineの友達枠、義理の兄さんしかいなくて......画面すごく寂しいし、あと純粋に三人と仲良くなりたいというか......うん、こんなおじさんからの申し出、嫌だったら全然断ってくれていいんだけどね?」




「うーん、私は全然大丈夫だけど......」李乃はそう言って、私と伊吹の方を交互に見る。「二人はどう?」




「私は、別に.......というか、お隣だし」戸惑いつつもそう返す。




「俺も特に異論無し。人脈はあるに越したことはないし、今回の一件で魔導保安隊の本部の方から後日聞き取りの依頼回されるだろうから、直接繋がっといた方がやりやすいしな。」




日曜日の夕方時。青と黄昏色が入り混じる空の下。


すっかり平穏を取り戻した憩いの公園、木々がそよぎ鴉が鳴く中で。




どうやら私のLineアプリには、二人ほど友達が追加されるらしい、と......そんなことを考えた。

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