魔法

自らの幼少期が幸福だったのかどうかは、結局のところわからない。




物は沢山買い与えてもらった。生活に不自由は無かった。


砂糖が過剰に入ったものは苦手になってしまったけれど。ロボットのおもちゃが欲しいと言ったのに、手渡されたのはお人形やぬいぐるみだったけれど。




それでも面倒は見ていてくれたから、私はまだそこに居ていいのだと。そう思って安心した。




だから、実の母親が、父との話し合いの末に。“もう家族じゃなくなる”と聞いた、その時に。私は。




「(.........だからこそあの小説の、あのキャラクターに......戦乙女に憧れたのだろう。自らの幼少期を幸福だったと、確証を持って言える彼女に、惹かれたのだろう。)」




両手が熱い。おそらくはたった今、魔力を放出しているのだろうか。




「(私は、戦乙女にようには......彼女には、なれない。彼女の語ることは、眩しいなぁ、いいなぁとは思うけれど......全部理解できるかっていうと。そうじゃない。あの言葉は、悪魔騎士から彼女に向けて放たれた言葉だ。.........私に対してじゃない。だが、それでも。今はこの言葉が、こんなにも.........頼もしい。)」




__『“お前の大切な居場所ごと、お前が、お前自身を守って見せろ”。』


……嗚呼、そうだ。




ここに居続けるために証明しろ。己が価値を証明しろ。


醜い、見るに堪えない動機でも構わない。きっと間違えた成れの果て、どうしようもないエゴであろうと__例え決定的に、そのアプローチが間違っているとしても。




「(なら、私は____)」




目を開けて、しっかりと覚醒した意識の中で___再び、目の前の現実を視認する。




相も変わらず薄暗い闇の中、薄く張り巡らされた霧の中。


しかし何故か視界は以前よりも格段に鮮明だった。おそらく動体視力や情報処理速度といったものも、向上している__目の前の戦闘、その一つ一つの攻防に、理解が追い付くのだ。




捉えきれなかった動きが、わかる。


早川さん。伊吹。李乃。それぞれの手足の動き、何かを紡ぐ唇。放つ魔法。その全てが視える。




いつの間にか私の左右の手がそれぞれ握っていた、30cmほどの長さの剣。


手で触れたときの、鉄とは全く異なる感覚。帯びている尋常じゃない熱量から、これは実在の物質ではなく、魔力に依るものだと理解する。


熱い。熱い。熱い__だが、その温度さえも全身を脈打ち、それがなんとも心地良い。




右の剣は赤色を。左の剣は青色の光を携えて。雑貨屋の剣のキーホルダー、刃の部分に刻まれていた紋章とよく似た装飾が、そのどちらにも施されている。




そこに在ったのは光だった。眩いばかりの、二色の光だった。




戦場の音__地を蹴り上げる音、魔弾を放つ音、木々の揺れる音、注射器が空を切る僅かな振動でさえも。その全てが鮮明に聞き取れる。


嗅覚も、触覚も決して例外ではない。あらゆる現実的、魔力的事象を事細かに知覚できている。


五感に魔力が巡っているのだ。そう自覚するのに、時間はかからなかった。




身体中を熱が巡り、高揚感がそれを覆う。身体は軽く、まるで“こうしたい”と願うだけで、いとも簡単に想像通りに動いてしまいそうな___体の全てを魔力が掌握する、未知の感覚。




「(......今、伊吹の投擲した注射器が早川さんの左腕あたりに刺さった。だが......その隙を狙って伊吹の視覚から魔弾が放たれようとしている。李乃は魔法陣を展開している最中で、その対応は難しい。)」


戦場を見据えて、そう分析する。「(なら.........)」




魔弾を放とうとする早川さんの右手を目掛けて、高揚感の支配するままに。内側から沸き出づる魔力を汲み上げて、篭めて、右手で掴んでいた赤の剣を掲げて___




___剣を投擲した。




「なっ.........!?」早川さんがこちらを見る。




いままで傍観者であった私の攻撃が、予測できなかったのだろう__碌な防御も貼っていなかった彼女の右手に、赤い光を纏ったその剣は深々と刺さる。




剣を放った次の瞬間には、既に突き刺さっていた。___凄まじい速度だった。




「(剣が、一つだけになってしまったな......)」


空になった右掌を広げて、再びそこに、汲み上げた魔力を篭める。




__光とともに構成されたのは、先程のものと寸分違わぬ意匠の“赤の剣”。その柄を握る。




「(生成、できてしまった......)」


願うだけでいとも容易く生み出せてしまったそれに、驚いて__しかし、すぐに溢れ出る高揚感に呑まれていく。「(すごい.........すごい、すごい、すごい......!これが“魔力”というものなのか?これが、魔術と呼べるものなのか......?これが、これが、これこそが.........!)」




魔力を意のままに操る感覚は、既に覚えていた。


汲み上げる感覚__泉から溢れ出る水を、ポンプで汲み上げるような、そんな感覚。生み出して、汲み上げて、それを放つ感覚。




「(これなら......この力があれば.........!)」




この力があれば、戦える。その確信を胸に戦場へと、一歩足を踏み入れる。




「くっ.........!」既に態勢を立て直していた早川さんが、こちらを鋭く睨んで__巨大な爪を空中に浮かせて、それを携えたまま飛び掛かる。




「......たぁっ!」左手を、青の剣を振りかぶって受け止める。




かたや1mほどはあろう巨大な爪。かたや30cmほどの剣。__だが、青い光を放つその剣は、倍ほどもあろうその爪に一歩たりとも遅れを取らず。


魔力と魔力がぶつかり合う、熱を帯びた風が肌に吹き付ける。


左手に魔力を集中させ、青の剣の出力を上昇させる___蒼よ。脈動せよ、脈動せよ、脈動せよ!!!


光が出力を増す。眩いばかりのそれに、剣は更に熱を帯びていく。「......もらった!!」




「.........っ!!!」


早川さんが体勢を崩す。


そして___伊吹や李乃が、その隙を逃す筈もない。




「そこだ!」


「届けっ.........!!!」


二人の声が響くと同時に、蓮の花弁がその場に舞い、酒気を帯びた煙が微かに香る。




私の剣の光とはまた異なった、鮮やかな五色に視界が包まれて___熱を帯びたその波動、魔力であろうそれが場を覆う。




「駄目だ......駄目、だ.........!」早川さんの声が、必死なそれが微かに聞こえた。「養分を......養分が無ければ、彼女は。彼女は。彼女は.........!」




それは、慟哭。藻掻くような、絞り出すような、哀しい響き。


はたして彼女にどんな事情があるのだろうと、少しばかり躊躇いかけて___




「呑まれるな!」


伊吹の声が響くのが聞き取れた。「どんな理由があろうが、此奴は人を害した。それが事実だ。」




淡々とした、一見して冷たいその言葉は、成程、的を得ていた。




「あ、ぁあぁぁぁぁあああああああ、ぁああああああああああああああああッッッ!!!!!!!!!」


鼓膜が壊れそうなほどの叫び声。


それに伴って___早川さんの纏っている魔力が急激に、爆発的に上昇していることがわかる。




暗く、暗く、暗く。それでいてどこまでも熱く、恒星の如く。




それは種だった。種が発芽するようだった。


異常成長__何かしらに力を加えられて、狂ったように枝を伸ばすようなそれは、地に根差す“樹”という存在でありながら、どこか星のような__遥か天上に煌めく天体を眺めているときの感覚のような何かが、全身で感じ取れた。




伸びる。膨れる。上昇する。「駄目だ、駄目だ、彼女に光を与えるな!それは、彼女にとっては___彼女にとっては毒でしか無い!!!!!」慟哭が、響く。




「___好機だ。」


跳躍の体勢を構えて、伊吹が呟く。「魔力が乱れている。防御も碌に貼れていない.........畳みかけるぞ!」




言うやいなや、伊吹は木々の林冠あたりまで一気に飛び上がる。




空を切って、まるで火車の如く鮮やかに回転して__言葉を紡ぐ。桃色の花弁、おそらく蓮であろう幻像を、花吹雪の如く携えて__伊吹は、その手を掲げる。




「__其の国の衆生は衆の苦あることなく、但だ諸の楽のみを受く。故に極楽と名づく。」




この感覚、この術式。


詠唱したその呪文は多少異なっていれど、しかし間違いない。




酒気を帯びた風。いつの間に貼っていたのだろうか、突如として早川さんの足元に現れた、光り輝く紅の線で繋がれた魔法陣。視界が釘付けになってしまいそうなほどに綺麗で、しかしまともに受けたら不味いという危機感を感じるこれは___




__間違いなく、バイト初日の誤解襲撃事件で、伊吹が私に仕掛けた術式。そして、私が無意識に無効化したという、あの術式だ。




伊吹は高らかに“宣言”した。


「香れば極楽飲めば酩酊。天上の極楽はここに在り!」




「五つの気よ!どうか応えて!」一呼吸ほど遅れて、李乃もその声を上げた。「潰えぬ仁、尊き義、重んじられるべき礼、深き智、厚き信。五つの常なる徳は、呼応する色とともに来たれり!」




李乃の詠唱が進んでいくと同時に、早川さんの周囲は五色の__赤、青、黄、白、黒、それぞれ五つの方角から差す、眩い光に覆われる。


光で視界が覆われる中、李乃の“宣言”がそこに響く。「五个光ウーガグアン!!!」




熱を伴う衝撃波、その風が全身に吹き付ける。


凄まじい魔力量、凄まじい熱量__物理的な感覚が曖昧になっていくような、膨大なそれに瞼を閉じたくなる。だが、それを寸前で留めて、そして眼前を見据える。


伊吹と李乃。二人分の、おそらくは必殺技に相当するそれを喰らったのだ。ダメージを受けていない筈がない。


事実、煙の隙間から微かに視認できる彼女は__満身創痍、という言葉がしっくりくる有様であった。


___だが。




「......まだだ。」早川さんは立ち上がる。「まだ、まだ、まだ......!私はッ............!」




急激な魔力量の膨張。際限なく“溶けていく”それは、付近にある悉くを呑み込まんとする。




「(ここで仕留めなければ、確実に厄介なことになる......何故だか、そう確信できる。)」


両手で握った二対の剣に、汲み上げた魔力を篭める。「(早川さんにどんな事情があるのか、私には全くわからない。それでも......それでも、私は.........!)」




体は熱を伴って、何かが引き上げられるような高揚感が身を包む。




剣をしかと握った手、その腕を胸の前で交差する。剣に込めた魔力量を一気に引き上げて__その瞬間、それぞれが纏う赤と青の光は強く、彗星の如く煌めいた。




早川さんが、歩を踏み出そうとする。「私は、私は......わたし、は.........!!」




「(......今だ!)」




“宣言”すべく、私も口を開く。




「対なる恒星。創世の蒼、破壊の紅___」


ノリと勢いに任せた即席口頭呪文。完全に趣味全開のそれに、しかし照れる余裕などは無い。今、ここにあるのは使命感。そして鼓動が高鳴っていく、その感覚のみだった。




勢いよく、交差させた腕を払う。


剣の纏った光、その魔力は衝撃波と為り、変幻自在に伸びて、吹っ飛んで___早川さんの眼前まで迫る。




そして高らかに声を上げた。「ここに、為すは!!......星をも呑み込む衝撃波!星を支配する光なり(ザ・ライト・オブ・ルールオーバー・プラネット)!!!!」




体内で急速に高まった魔力は、ただ剣を持つ手に一心に注がれる。




直後、衝撃波。轟音を伴うそれは、視界の全てを白に染めて__いいや、この白は、光によるものではない。




私だ。おそらく、“私が意識を失って”いるのだ。




体の力が抜けていく、意識が遠のいていく感覚。“魔力を使い過ぎた”ような、井戸の中身が不足してしまった、渇きを帯びたその感覚に。




「(もしかして......魔力不足、というやつか.........?)」




そんなことを、残った僅かな意識で考えながら___やがて、全ての思考を手放した。

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