街に潜みし吸血鬼(Ⅱ)

衝撃を覚悟した。しかし__痛みは、いつまでたってもこなかった。




「......え?」呆然と、呟いた。


寸前に差し迫っていた刃は消え、ただそこには虚空が在るのみだった。




「(伊吹か李乃の魔法が、間に合ったのだろうか。それとも.........)」そんなことを、考えたときだった。




「間に合った?間に合ってたのかな?これ。」


数歩先から、知っている声が___美しく、しかしどことなく頼りない男性の声が、耳に入った。




声のした方を向けば、こちらへと歩を進める赤髪の男性が視界に映る。




横髪だけが伸びている不揃いな、紅葉の如く赤い髪。


端正な顔立ちで、浮世離れした儚げな美しさを纏っていて、それでいて駄目そうな、軽薄そうな雰囲気をも併せ持つ。洗濯の方法を盛大に間違えたような、よれたニットを身に纏う男性。




紫苑と同じ色の瞳が、こちらを覗く。「......いや、これ違うな。どう見ても俺の防御、全然間に合ってない。多分あの子が自分で防いだんだろうな。ちょっとでも、俺が役に立てたとか、調子に乗ってしまって本当に申し訳な___」


言葉はそこで途切れた。彼も、私に気づいたようだった。




一呼吸置いて__そして、同時に口を開く。




「桐生さん!?」


「友梨花ちゃん!?」




神鳳都桐生。




つい昨日に顔を合わせた、家の右隣に引っ越してきた男性。お土産に『おいせさん お清めスプレー』をくれた、一見すると怪しい人。


「(雰囲気そのものはあったが.........しかし、桐生さんも魔術関係者だとは思わなかった......!)」




まさか、ここで出会うと思っていなかった人物との対面に、ただ純粋に驚いた。驚いて、思考がそのことで埋め尽くされる。




それは桐生さんも同じだったのだろう__戸惑いの表情を隠さずに、戦場と化した周辺を見渡していた。


「え......?え......?.......え???」状況を呑み込めない、といったふうに桐生さんは呟く。「え、友梨花ちゃん魔法使い?え......嘘、え......?............え????」




「そいつは知り合いか!?」


早川さんの放つ紅色の魔弾を捌きながら、伊吹が声を張り上げる。




「昨日、隣に引っ越してきた人だ!」戦闘の音で掻き消されてしまわないように、私も思いきり声を張り上げた。「神鳳都桐生さんという人で、確か三重からやってきたとかいう......!」




「えっ」


だるま落としの木槌を振りかぶっていた李乃が、言葉を零す。




「......神鳳都。」


伊吹も、戦いの手は止めず、しかし呆然とした声色で呟いた。




私としては、単に紹介したつもりであった。しかし、李乃と伊吹の反応、その声色を聞いて__もしかして「神鳳都」という名は、魔術の世界では名の知れた、何かすごいものなのではないか?と、そんな仮説が頭をよぎる。


「(だが、どうやら伊吹と李乃でも苦戦する相手のようだし......見るからに魔術に長けてそうで、おそらく年齢も高いであろう桐生さんが参戦してくれるのは、ありがたい......)」




驚いたが、しかしよくよく考えれば好機なのではないか。




__伊吹が、桐生さんに向かって何かを投げる。「神鳳都桐生殿!」




薄暗い虚空に放り投げられたそれは、小型の箱だった。


おそらく、その素材は鉄。片手で覆えそうな大きさの四角いそれは、早川さんが放つ光弾、李乃の魔術が纏う五色の光を反射して白光を浮かべて煌めく。


地上から見上げるだけでは、詳細な特徴までは見えないが___この状況で渡すということは、おそらく魔術的なアイテムなのだろうか?




「え、ちょっと待って俺キャッチボールとか苦」


一見して無造作に放り投げられたそれは、しかしまるで吸いつくように、的確に桐生さんの右掌へと収まる。


とんでもない落下エネルギーと衝撃を携えて。しかし問題なく受け取ることが叶ったそれに__桐生さんは安堵の表情を見せた。「あ、良かった~っ!受け取れた~!」




………なんというか、緊張感が無い人だ。




数歩先の激戦区では今も伊吹と李乃、早川さんが交戦状態にあって、私の目の前には大量出血が原因で死にかけている女性が倒れていて、魔術的な薄霧、そして闇に覆われているであろうというこの状況でここまで呑気な雰囲気を出せるのは、ある種の天才ではないだろうか。




「その女性を治療して欲しい!自前で足りなければ今渡したそれも使っていい!」


早川さんの間合いに飛び込んで、斬り込みながら__伊吹が叫んだ。「貴方の家は、そういった術は得意だろう!」


「私からもお願いします!桐生さん!」おはじきを碁石のように構えながら、李乃も叫ぶ。「助けたいんだけど余裕が全然なくって!......だから、どうか!」




「......わかった。うん、これ確かにほっといたら不味いやつだ!」


女性の方へと視線を移して、桐生さんはこちらに向かって駆け寄るべく足を踏み出す。「......やれるだけやろう!」




「(女性の治療は桐生さんが請け負ってくれるようだ。)」


そっと、胸を撫で下ろす。「(良かった......出血量からしても危険な状態だったから。伊吹や李乃の反応からして信頼できる家柄の人のようだし、桐生さんに任せておけば、きっと何も問題は.........)」




状況を俯瞰して、見渡して__


早川さんの攻撃をいなしつつ、徹底攻勢に打って出る伊吹。的確に二人の動きを見据えて、伊吹が動きやすいように魔術で援護する李乃。被害者である女性、その手当を進める桐生さんを見て___ふと、その気付きは、まるで当然の帰結のように浮かんだ。




「(.........本当に、私にできることは何も無いんだな。)」


理想とは、全く違う。




“夢見ていた私”はこういった戦闘の場面では、武器を携えて先陣を切っていた。間違っても、何もできずに突っ立っているばかりでは決してなかった。




左手首には大奥様から貰った、シンプルな造りではあるが立派な装飾の腕時計。


__『友梨花さんの身を守ってくれるわ。嗚呼、どうか遠慮はしないで。これは私の純粋な好意ですわ。』


「(これのお陰、だろうか。)」


桐生さんは「自分の防御は間に合わなかった」と言った。おそらく私が自力で防いだのだろう、とも。




__術を防ぐ。




バイト初日、誤解から襲撃されたあの時も、私はそういったことをしたのだと聞いた。


あの時は腕時計など無かった。だが無意識に私は魔術を展開し、伊吹の技を無効化してみせた__伊吹本人曰く、そういうことらしかった。




先程の防御が腕時計によるものか、それとも自前の無意識防御なのか。そこはわからない。


どちらにしろ“なにもできない”ことに変わりはないのだから____




「(何故だろう)」




目の前で繰り広げられる攻防に、女性の肩に両手を当てて呪文らしきものを唱える桐生さんに__その光景に、焦燥感が迫ってきて苦しくなる。脈拍が乱れていくようなそれは微かな不安を伴って、そしてそれは徐々に膨張していくような、そんな感覚が___手足を、重くする。




「(早川さんに集中できるようになって、むしろ戦況そのものは......膠着状態ではあるものの、しかし好転しているように見える。女性の方も、どうやら出血も止まっているようだ。顔色も若干だが良くなったような......そんな気がする。)」




首筋を、汗が伝う。「(状況は多少でも良い方向に移動した筈だ。なのに、何故こんなにも嫌な感覚がぬぐえない.........?)」




__無意識防御を利用して、いっそのこと特攻してみるか?


気の迷いだろうか。不意に、そんな発想に至った。


嗚呼、でもそれは駄目だ。一瞬の油断が命取りになる目の前の戦場で、それは足手纏いにしかならない。




「(特攻すら、無意味か。だが、李乃みたく援護も、桐生さんみたく治療もできない私は.........それならば何故、“ここに居られる”のだろう?)」




薄暗く閉ざされた視界の中で、魔術戦による光だけが煌々と輝いて。




全身を蝕む感覚を内包した空気が、場に広がる。




眼帯の無い方の目は戦場から逸らさずに、一進一退の攻防をしかとその目に焼き付ける。




「(伊吹は.........強いな。身のこなしもそうだが、早川さんの動きに的確に対処できている。魔導保安隊、という組織に所属しているだけはある。私とは比較にならないほど、強くて、凄い.........)」


己が無力で、矮小で、ここに居る権利が、資格が無いように感じて___頭が痛くなる。




魔術が伴う世界は、危険なのだと。そう理解した。


定期的に職場が襲撃される世界。魔術のない平穏な世界と比較して、実に死に近い裏世界。


酷く理不尽な世界、ああ、だがそれでも。




「(ここになら、“居られる”と、そう思ったんだが............ああ、なるほど。)」


不意に、納得した。「(魔術に関連する場所で、ここでなら私が必要とされるのではないかと希望を持って、不相応にもそれを望んで.........だから、そうなれない自分が嫌なのか。)」




我ながら馬鹿みたいだ。魔術の真なる実在すら、ほんの数日前に知ったというのに。


怖いのだろうか?私が、“貢献できない存在”だと見做されるのが。




なんて弱くて、醜いのだろうと___己の心から目を逸らしかけた。その時。




とある台詞を思い出した。




好きな小説、好きな場面。主人公である戦乙女が圧倒的な力を前に挫けそうになったその時に、仲間の一人である悪魔騎士が掛けた、その一言。


__『ならば、守って見せろ』


パソコンに表示されたその一文を。小説版に記載されたその一文を。漫画版の吹き出しに挿入されたその一文を。アニメ版でも神bgmとともに流れたその台詞を。




__『お前の大切な居場所なんだろう。お前の幸福そのものなのだろう。例え、今は終わりなき悲壮な戦いに身を投じるしかないとしても......だがお前がまだ幼かったとき、確かにお前は幸福だったのだろう。』


悪魔騎士の、続きの台詞。


__『俺にはわからない。わかる筈もない。俺は悪魔だ。お前の語る生ぬるい幸福だとか、そういった概念を理解できるものか。』


__『だから、お前が守れ。』


__『お前に親切にしてくれたという人々も、幼馴染と花冠を作ったという花畑も。美味しいパンを売っているという喫茶店も、舟遊びをしたという湖も、景色が綺麗だという砦も......』




__『“お前の大切な居場所ごと、お前が、お前自身を守って見せろ”。』




幾度も読んだ台詞が頭の中でこだまする。


道しるべができたような。真理に近い何かを掴んだような__身体が軽い、そんな感覚。




「(もしも、私が使うなら.........あれがいいな。今日、雑貨屋で買った、かっこいい剣のキーホルダーのようなデザインの武器。決して華美ではなく、しかしむしろそれが心を擽る。円卓の騎士とかそういったモチーフを連想させる、剣に刻まれたあの紋章___)」




薄くなっていく意識の中で、何か妙な感覚が沸き起こる__この感覚に、覚えがある。




それは、面接のときに水晶に触れたときの感覚。


それは、理恵さんから譲り受けた魔道具に触れたときの感覚。


それは、あの趣味の悪い人形型計測器に触れたときの感覚。




そこまで羅列してみて___ようやく理解した。




「(これは、魔力を生み出す感覚.........)」




体感温度は上昇する。身体は信じられないほどの熱を纏い、だが決して不快では無い。むしろ心地が良い。「(そして......魔術を、紡ぐ感覚.........!)」






____そこに在ったのは、光だった。

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