待望の日曜日:序

正面、全身鏡。眼前に映るは眼帯を右目に纏いし乙女。




汎用性の高い薄茶色のコートに涼し気な素材の白いブラウス。その首元に添えられた、紐状の赤いリボン。膝丈少し上ほどの長さの黒いスカート。下肢を覆う黒のタイツ。キャスケット帽。


それから、いつもより刺繡にこだわったレース素材つきの黒眼帯。




それらは、今の私にできる最大限の“限りなくカジュアルなお洒落”であった。




日曜日である。待望の日曜日である。


すなわち__李乃と約束した、その日である。




「(............大丈夫だ。)」自分自身にそう言い聞かせる。深呼吸をする。




昨晩に風呂で念入りに手入れした灰色の髪は、何度も櫛を通した故だろうか。一点の乱れもなく真っ直ぐと、さらさらとした質感を持ってそこに在る。




左腕には、大奥様から貰った腕時計__その数字盤に目を移す。


__時間には、まだ余裕がある。


しかし道中何が起こるかわからない。それに、早めに家を出るにこしたことはない。




部屋に忘れたものが無いか、2~3回ほど見渡してから部屋を出る。




黒を基調としたショルダーバッグを携えて階段を降りる私を、リビングから理恵さんが覗き見て__少し驚いたような顔で口を開く。




「友梨花さん、もう出るの?随分早いのね...」




「あ、いや、まぁ......早いのは、その、わかっているんだけど」


やや口ごもりながら、歩を進めつつ返す。「なんというか..........楽しみ、で。」




「......そう」


なんとも嬉しそうな声色で、理恵さんは言った。「事故には気を付けてね。.........いってらっしゃい」




「ありがとう。......いってきます。」




革靴を履いて、玄関の扉を開いて外へと一歩を踏み出す。




__全身を包む心地よい風。




そよ風と呼ぶにはやや勢いの強いその風は、暖かな春の陽気の中でほどよく涼しく、肌を撫で、髪を揺らす。まだら状に浮かぶ真っ白な雲に青空。まだ低い位置で、しかし燦々と輝く太陽は、住宅街の景色を光で以って彩っている。




駐車場に停められた白と黒、二台の車の横を通り過ぎて家の敷地を出る。




リズムでも刻んでいるのではないかと自分でも思うほど、軽やかな足取りでアスファルトを踏む。革靴がアスファルトを叩く感触、そして音がこだまする。




景色はあっという間に移り変わっていった。住宅街、その様相も場所によって異なっていた。




例えば、家の近く__新しい家や広い庭付きの家、三階建ての家などが比較的多い区画。


例えば、公園の近くにあるからだろうか、幼い子供を持つ世帯が多い区画。


例えば、集合住宅が多い区画__




「はーいはいはい!よってらっしゃい、見ーてらっしゃーい!」


快活な女性の声にふと、足を止めた。




そこは山沿いに位置していて、住宅街に在りながら比較的自然を堪能できる区画だった。




鳥の鳴き声に木々の騒めき。そういったものを身近に感じられることからリラックスできる、育児に最適といわれる一方で、虫が多い、夏場は蝉が煩いという声もある___そんな区画。




声の先にあったのは、神社だった。




歴史を感じる木造建築の神社。やや古めかしく見えるが、しかし構えなどは成程、立派なものだった。石碑に刻まれた『常世泉神社』という名前にこそ見覚えはないものの、しかし碌に外に出ない自分であれば知らないのも致し方なしと納得する。




神社の境内には、20人ほどの老若男女。賑わっている様子のそれらを注視してみれば、その理由は容易に特定できた。




参道に沿って並べられた木製の机。その上に並べられた商品らしき小物。




__フリーマーケットだ。




おそらく先程の声の主であろう女性__深緑の豊かな髪を靡かせた真紅の瞳、おそらく30代ほどであろう、袴を纏った綺麗な女性がそのよく響く明るい声を張り上げる。




「飛び入り歓迎、売るも買うも己の自由!......できれば私のブースで何か買っていってほしいかな?常世泉とこよみ神社マーケット企画、ただいま開催中だよーっ!」




その声に、その賑わいに。


少しばかり足を踏み入れてもいいのではないか___そんな好奇心から、足を動かそうとして。




急に怖くなる。




知らない人が沢山いるという事実に、その親し気な賑わいに__足を踏み入れるのは場違いではないか。行かない方がいいのではないか。もし足を踏み入れられたとして、何も買いたいものがなかったら、それは失礼なのではないか__そんな疑念が全身、特に脳内を渦巻いて、急に体が重くなる。




「(.........やっぱり、やめよう。李乃との待ち合わせ場所に急がないと。)」


向きを変えて、足早に神社から距離をとる。




遠ざかる賑わいに、李乃であればおそらく躊躇せずに足を踏み入れたのだろうなと、そんなことを頭の片隅で考えながら___待ち合わせ場所であるショッピングモールへと辿り着くべく、軽やかな足取りで以って歩を進めた。

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