李乃との約束

従者寮庭園、その美しい景色を横目に石畳を一人歩く。


クリスタルで造られた壁や天井は既に見当たらない。風景、空、その感覚に至るまで、なにもかもが紛れもない「現実」だった。




『私は少し真由子と話があるから、友梨花さんは先に柘榴石の方へと戻っておいてくださるかしら?』




大奥様に了承を返した次の瞬間には、もう現実世界へと戻ってきていた。




現実世界の風を肌身で感じると、成程、確かに先程までいた空間は魔術的な異空間なのだろうと再確認する。




「(思えば、なんとなく“魔力を知覚すること”を覚えてきた気がするな......)」




柘榴石までの道のりを進みながら、そんなことを考える。




「(と、いうか屋敷に戻ったところで、先輩たちや李乃に何と言ったら良いのやら......と、いうか月野先輩には謝罪した方がいいのだろうか?カップを割らせてしまったわけだし......それでいったらシャーペンを落としていた薊先輩にも......いや、でも急に謝っても不審がられるような.........)」




考える時間に比例して、思考は坩堝に嵌まっていく。


柘榴石に辿り着くのが若干怖いと感じるようになって、しかし現実は無常だった。目の前に聳え立つ壮観な屋敷は間違いなく自分のバイト先、通称を柘榴石と呼ばれる館だった。




足を止める。




そして、自らの灰色の横髪を髪で梳いて、庭園の方に視線を向ける。




なんのことはない。ただ屋敷に入りづらくて、先延ばしにできる理由を模索しているだけだ。


「(この臆病っぷり......我ながら、情けないというか、なんというか。)」




いずれにしても、ここで立ち往生しているわけにはいくまい。




息を吸って、意を決してその扉に手をかけた。




まあさすがに、扉を開けた瞬間に人がいることはないだろうと考えて___扉を開いたその瞬間だった。




「友梨花~っ!!」




「わっ!?」


突然、全身を包み込む少女の身体、その衝撃に驚いて声を上げる。「り、李乃!?」




なにしろ完全に予想していなかったことで、心臓、その鼓動は一気に跳ね上がる。




「わ、ごめん!驚かせちゃった?」


身体を硬直させた私を見て、李乃はしまった、とでもいうような表情を見せた。




「あ、いや。確かに勢いはあったが、猪突猛進的なあれではなく包み込む系のやつだったし、優しいというか、加減という概念がある衝撃だったので問題はなくてだな、うん。」




若干苦しいような気もしたが、反射的にそう訂正すれば、李乃はくすり、と愛らしく笑って言った。




「あはは。前から思ってたけど、友梨花の表現って面白いよね。」




「面白い......のだろうか?」問いかけてみれば、李乃はまた満面の笑みを浮かべる。




「うん!なんだか新鮮で楽しいよ。」




「そ、そうなのか......」


あまり自覚はしていなかったが、私の表現は面白いのだろうか。




「(単純に、陽のオーラ全開の李乃のまわりに私のような陰のオーラを持つ者がいなかった、というだけなのではなかろうか。)」




というか、近い。距離が近い。


さすがに李乃もやや離れたものの、しかし未だに距離は近い。




……直に触れてわかったが、李乃は中々に健康的な体つきをしている。




引き締まった手足に健康的な質量のある胴体。細い部類ではあるのだろうが、しかし決して病的なものではなかった。触れた感触は柔らかく、しかし決して余分な脂肪があるわけではない。ほどほどに筋肉がついており、成程、肌のハリといい色といい、彼女は健康的かつ適度に日に当たる生活を送っているのだろうと容易に推測できる。




対して私は、ここ1年間は理恵さんの料理を食べ続けたこともあって質量そのものは通常レベルになったものの、外に出る機会が多くなかったためだろう。若干白すぎてやや病がちに見えてしまう。


加えて、筋肉が足りない。見た目こそ細いが脂肪ばかりだ。




陽のオーラを纏いし物は体型から違う。これが世界の真理なのだろう。




「.........あっ!!そうだ、友梨花!!!」




「!?ど、どうした李乃!?」


焦った様子で、思い出した!とばかりに口に出した李乃につられて、やや焦った口調で返した。




「えっと、真由子さんとの話!どうなった?何か言われた?」


李乃は顔一面に不安を露わにして、潤んだ翡翠の瞳をこちらに向けて続ける。「『もしかしたらクビかもねぇ』って、おとは先輩が脅すから心配になっちゃって......友梨花、ここ辞めちゃうの?辞めないでほしいけど、もし辞めなきゃいけなくなってもまた会ってくれる?」




「あ.........えっ、と」




そうだった。そのあたりの説明をまだ何もしていなかった__そう思い至って、とりあえず李乃に安心してもらおうと、事情を伝えるべく口を開く。




「辞めないし、辞めさせられることもないと思う。」




「本当!?」李乃の顔がぱぁぁ、と輝いた。可愛い。




「ああ。その......展開が急で、私にもよくわからなかったのだが......美墨さんが展開した結界の中で、何やらすごく高性能な魔力計測器に私の魔力を測ってもらってたんだ。それで、その結果を大奥様......ええと、錦条院の家の当主の御夫人、という方にも鑑定してもらって......そのあとに、その大奥様に、どうやら万が一のための魔道具らしき腕時計を貰って......」




そう言ってから、手に持った腕時計を__大奥様から貰った、白いベルトと上質な銅色の金具のそれを李乃に見せる。「その、腕時計というのがこれなんだが.........」




「わぁ~!」


李乃は興味津々、とばかりに腕時計をまじまじと見つめる。




「えっと......李乃はなにか、この腕時計から感じるなにかとか、あるのか?」




「うーん......」


李乃は腕時計に視線を合わせたまま、考え込む。「魔力があることは確かなんだけど、それ以外はよくわからないかなぁ......米瓦の家系はね、陶芸とかには強いんだけど機械はそうでもなくて......」




そう言って、李乃は考えるような仕草を止めた。「あ、でもね。なんとなくだけど、価値が高いのはわかるよ!」




「なるほど.........」




お金持ちの奥様から頂いたものなのだから、確かに価値は高いのだろうと踏んでいたが、しかし改めて考えるととんでもないものをもらってしまったのでは、という心境になる。




「あ、そうだ!」またすぐに笑顔になって、李乃が言った。「友梨花、大奥様に会ったんだよね?どんな人だった?」




「どんな人、と言われても......」




李乃は本当に表情筋が柔らかいらしく、話題に合わせてころころと表情が変わる。


その有様を見て、なるほどこれが陽のオーラを持つ者かと思いつつ、李乃から問われた「大奥様」についての印象を思い返す。




__猫を思わせる表情。濃い青の瞳。艶やかな黒の髪。はて、どう言えば伝わるだろうと考えて___ふと、初対面は面接だったと思い至る。




李乃も同じ面接を受けたのだから、大奥様と面識はある筈だ。




説明するべく口を開く。「多分、李乃も面接のときに会ったと思う。ほら、青い瞳で、綺麗な黒髪の......黒いドレスを着ていた、すごく妖艶な大人の女性......」




「あー!」案の定、李乃はすぐに思い至ったようだ。「あのすっごく綺麗な人!」




「うん。多分その“すっごく綺麗な人”で合ってると思う。」




「わぁ.....あの人だったんだ!」


李乃は、きっとその時のことを思い返しているのだろう。顎に手を当てて、少し考え込むようにして、言葉を続ける。




「あの時、私あの人を見てて、すっごく綺麗だな~って思って......そう、あのドレス見て、いいなぁって思ったの!ああいう大人っぽいのは似合わないことはわかってるんだけど、でも違う感じのドレス......もうちょっとミニ丈で、軽やかで、緑を基調にしたのなら似合うかなぁっていうドレスへの憧れがちょっと生まれて、家族とショッピングモールにいったときもそういう系統のお店ばっかり見ちゃって......」




無邪気に語り続ける李乃を見て、なるほど可愛い、などと思う。




「(家族とショッピングモールか......理恵さんと、買い物に行ったのはパジャマやら、普段着の買い替えやら......そういったものを一緒に買いに行ったのが最後だったな。)」




理恵さんという新しい家族に、もっと歩み寄らなければならないことはわかっている。


わかっているが___多少、距離感が掴みにくかったのだ。今は“魔法”という意外な接点ができたとはいえ、それでもやや接しづらいことに変わりはない。




「あ、そうだ!ショッピングモールで思い出した!」


李乃は私の方へと視点を移し、真っ直ぐに私の目を見て___言った。「ねぇ友梨花、日曜日って空いてるかな?もしよかったらなんだけど、一緒にショッピングモール行かない?」




「ひょぅえっ」




変な声が出た。




予想外の展開に、先程とはまた違った意味で身体が固まる。


思考回路は急激に加速し、身体は熱を帯びる。期待で高揚するような、そんな自らを客観視して不安になるような、そんなよくわからない気持ちになる。




「(これは.....あれだろうか。所謂、友達と遊びに行く、という.........)」




変な声を出して固まった私を、心配に思ったのだろう。李乃は憂いを帯びた表情でこちらを覗き込んだ。




「えっと......もしかして、他に用事あった?」




「いや、そんなのは無い。用事は無いし、というか、その......」




自らの右の手首を左手で握りしめて、絞り出すように言った。「誘ってもらえて、嬉しい......ので、是非、行きたいと思う。」




__自分の気持ちを、嬉しいという気持ちを素直に表現して、気味悪がられないだろうか?




コミュ障というのは、自論ではあるが対人関係において常に「傷つくこと」を恐れている__いうなれば、素直に言葉に表すことを、恐ろしく感じるのだと思う。




とはいえ李乃はあんなにも素直に言葉を紡いでいるのだ。ならばこちらも、応じなければ、なんとなくだがフェアではないのではないか。




恐る恐る、李乃の様子を伺えば.........そこには、満面の笑みを浮かべる可愛らしい少女がいた。




「良かった~!」




心底嬉しそうにそう言う李乃を見て、私も、そっと安堵の息をついた。

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