柘榴石の受難

たかねちゃんと苺花ちゃんがレポートやりながら交わしてる会話の内容はあんま気にしなくていいです。

______


全身が重い。もっと具体的に言えば、手足の末端や関節、太腿あたりが重い。


疲労というやつだろう。もしくは筋肉痛だろうか。




創作に出てくる西洋風貴族のお屋敷を連想させるバイト先__確かな値打ちがありそうだと感じる、高級感溢れる調度品に囲まれた建物もとい従者専用の寮だという「柘榴石」。




その廊下を歩く私の足取りは、どうにもこの華やかな場には合わなかった。




両手で握ったモップを、杖の代わりにして重心を預ける。


「あ”.........づかれた.......」




「友梨花、ゾンビみたいな声出してるけど大丈夫?」


仕事着であるクラシカル・メイド服を身にまとった李乃が、その翡翠色の眼差しを心配そうに揺らしてみせた。




「大丈夫だ。少し......いや、だいぶ仕事がきつかっただけで......」


そう返してから、なんとも情けない気持ちになってくる。




本日の仕事は屋敷の掃除。




一昨日に美墨さんに教わった通りに掃除道具を取り出し、教わった通りの手順で仕事を進めていく__区画は狭いとはいえ、それなりに広いお屋敷だ。元引きこもり故に脆弱な体力の私では、まあ到底無事ではいられまいとは思っていたのだが、しかし。




「(同じ......いや、それ以上の仕事量を熟した筈の李乃は、全く疲れてなさそうに見える.........)」




李乃はすごい。




掃除中、おそらく非番であろう寮の住人もとい本館務めの従者という人にたびたび声を掛けられたのだが、急に話しかけられて頭が真っ白になった私とは対照的に、即座に場に合った返しをしてみせた__これぞ、陽のオーラの為せる技なのだろう。




「私はおばあちゃんのお手伝いとかで慣れてるけど、でも掃除ってちゃんとやると結構疲れるよね。」


軽やかな足取りで李乃は言う。「でも、こんなに広い場所掃除したの初めて!ひょっとしたらおばあちゃんが小さいころ住んでたっていうところより大きいかも?」




「おばあちゃん......」思わず、そう呟いた。




そういえば、李乃は初めて会ったときも「おばあちゃん」というワードを口にしていた。


おばあちゃんっ子なのだろうか。




「うん。おばあちゃんはね、小さい頃はすっごく大きい和風の邸宅に住んでいたらしいの。今はそこ、廃墟になっちゃってるんだけど......あ、でも着物とかお茶碗とかはおばあちゃんたちが持ち出してて、家にまだ残っててるんだよ。他にもお琴とか、三味線とかも!」




「お琴に、三味線か......」


どう返せばいいのかよくわからなくて、どうしても文末の言葉を復唱するbotと化してしまう。




だが李乃は全く気にした様子も無く、むしろ可愛らしい笑顔で「おばあちゃん」の話をするものだから、こちらもなんだか胸が暖かくなって、自然と口角が緩んでいってしまう。




「(李乃と知り合ってまだ日は浅いが......きっと、すごく良い子なんだろうな。なんていうか、可愛くて癒されるというか.........)」




そうやって話しているうちに、宛がわれた休憩室の扉の前まで辿り着いた。


李乃は一歩進んで、目の前のその重厚な木製の扉に手をかける。




休憩室には大人10人分が余裕を持って過ごせるほどのスペースがあった。




背の広い網目模様の椅子、上品な印象の木製テーブル。観葉植物の緑、天井からぶら下がる花の形を模した照明の暖かみが室内を彩るその空間は、成程、確かに休憩室の名に相応しい。


白を基調としたソファにアンティークらしい食器棚、ティーポットに紅茶の缶。珈琲豆にサイフォン。それらの名残であろう香ばしい空気は、どこか気分を落ち着かせる。


レースのカーテンは直射日光を遮り、やや気温の高い今日この頃にありながら快適な温度を保っている。




窓際、椅子に腰掛けて本を読んでいた月野先輩は、扉の音に気付いたのだろう。文章を追っていた目を止めて、その紫の瞳をこちらに向けた。


「お疲れ様です、お二人とも。」月野先輩が微笑む。




三坂先輩と薊先輩は椅子に座って、机の上にレポート用紙らしきものを広げていた。


二人とも、お揃いであろう色違いのシャープペンシルを片手に何かを話し合っているようだった。聴覚に意識を集中してみれば、二人の会話内容が聞き取れる。




「どうしてもここの展開で詰まるのよね。あそこは公式を使えば証明できるのに、どうして......」




「うーん、わしのはまいちゃんとテーマが違うけん、なんとも言えんけど......あれやわ、フェルポットはんが去年の4月ほどに出しとった理論で無理やりできひん?」




「『魔術証明論理』のあれ?確かにやれないことはないけど、でもその場合、端数はどうすれば......」




難しい、と言わんばかりに考え込む薊先輩と、対して順調に記載を進めている様子の三坂先輩。


公式、証明、テーマ、魔術証明論理.........魔術系の学校の課題か何かだろうか。




「(魔術に関連した教育機関......理恵さんが通っていたのは知っていたが、この辺りにもあるのだろうか。)」


考え始めた、その時だった。




「わぁっ、お疲れ様!李乃ちゃん、友梨花ちゃん!」


右横の死角から声が降って沸いた。




「わっ」


声とともに後ろから李乃ごと抱きしめられた、突然のその感覚に驚いて頭が真っ白になる。




メイド服の布越しに感じる柔らかさに、成程、声の主は女性かと、そんな的外れなことを考えてから__視界の端に映る若草色の髪に、なるほど飛里先輩かと思い至る。




「おとは先輩!お疲れ様です!」


唐突に抱きしめられてもなお、全く怯まず笑顔でそう返せる李乃は本当にすごい。




飛里先輩は私と李乃を抱きしめていた手をぱっと離して、それから、グレースピネルの如き灰色の瞳を細めてにっこりと、李乃とはまた違った、人形のように整った可愛らしい笑みを浮かべて口を開く。


「後輩ちゃんたちさぁ。掃除道具片づけたらぁ、珈琲一緒に飲まない?花、珈琲入れるのすっごく上手いんだよねぇ。」




ふわりとしたイントネーションのその声に、ぴくり、と眉を動かしたのは月野先輩だった。


「......人が淹れる前提?」




「え、駄目ぇ?」


じと、という目をした月野先輩に全く臆さずに、飛里先輩が返す。




「......はぁ」


月野先輩が溜息をひとつ零してから、言葉を続ける。「別にいいけどね。丁度飲み物欲しかったし。それに初仕事を一段落終えた可愛い後輩相手なら、ちょっとしたおもてなしもやぶさかではありません。どちらかというと、おとはのその態度が問題なわけで」




「うちの蔵書一冊好きなの借りていいからぁ」




「最高級の珈琲淹れるから待って」




掌を返したように即座にそう言ってから、月野先輩は本を机の上に置いて立ち上がった。そして三坂先輩と薊先輩の方を振り返る。「たかねさんと苺花さんは珈琲、いりますか?」




「あ、はな先輩の珈琲!わし欲しいわぁ。まいちゃんの分も合わせて二杯分、よろしゅうお願い頼んます~!」


課題らしきものを進めていた手を止めて、三坂先輩が意気揚々とそう言った。




「ちょっとたかね!貴方少しは言い方に遠慮ってものを......いつもありがとうございます、花先輩。」




「わかりました。どういたしまして、苺花さん。」月野先輩が柔らかく微笑む。




あらためて部屋を見渡してみれば、そこは何とも絵になる空間だった。




上品な装いのクラシカルメイド服を着た美少女たちが、憩いの空間に集っている図__ある少女は珈琲を淹れる準備をし、ある少女たちはレポート用紙を前に相談事を交わし、ある少女は可愛らしい笑顔で佇んでいる。それは非日常そのものの光景であり、創作や空想、そういった部類に属するのだろうと思っていたシーンだった。


窓の外から微かに聞こえる、チチチ、という小鳥のさえずり。そのタイミングの、なんと完璧なことか。




お湯を沸かす音、それから若干に漂う珈琲豆の良い香りを感じながら__きょろきょろと、部屋の中を探ってみる。




「友梨花ちゃん?どうしたのぉ?」飛里先輩が首を傾げる。




「あ......と、いや、その......」


一瞬ほど言い淀んで、それから一呼吸ほど置いて、また口を開いた。「美墨さんを探してて.........その、美墨さんに伝えなくてはいけないことがあって......」




「私が、どうかしましたか?」突如、背後から聞こえる凛とした声。


「うひゃっ!?」




姿形も見当たらなかった筈のその人物の声に心臓は跳ね上がり、思考は固まる。鼓動はひたすらに早くて煩くて、一瞬ほど、身体の芯が冷え切ったような__生きた心地がしなかったような、世に聞く走馬灯の簡易版、短縮版を体験したような、そんな心地に襲われる。




反射的に振り向けば、そこには黒褐色の髪をお団子で纏めた真紅の瞳の女性こと美墨真由子さんが、一昨日見たときと寸分たがわぬ装いと雰囲気を持ってそこに佇んでいた。




「真由子さん、こんにちは!うわぁ、全然気づかなかった......」きらきらとした目で李乃が言った。




「こういった仕事には慣れていますので」美墨さんはその双眸で、こちらの方をじっと見る。「それで友梨花、私に言わなくてはいけないこととは?」




厳しい声色、それから視線に、反射的に身体が強張って__だがしかし、委縮している場合ではないと思い直す。




滅多にないことだとはいえ、この館には稀に襲撃者が来るという。


そしてその迎撃も、バイトの仕事だという。




ならばちゃんと話しておくべきだろう。なんとなくだが、美墨さんは信頼していい大人だと......そう思う。




緊張はピークに達し、思考は加速する。鼓動が加速し体感温度が上昇する中で、顔を上げる。




「実は......」




右の掌を、そっと左手で包み込んだ。




「実はその、私、魔力はちゃんとあるし理論上発動もできるし危ないときは多分ですけど無意識に魔術を発動できるのですが、意図的に術式を組んだりがさっぱりでして!ええと、つまり自分の意志で魔術を使うことができないんです!!」






___食器棚がある方から、コップの割れる音がした。


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