案ずるより聞くが安し

まーた難しい(かもしれない)話です。


主に難しいことを言うのは伊吹なので、ややこしいのが苦手な方は伊吹の台詞はほどほどに流し見しつつ友梨花の方に着目すると多少わかりやすいかもしれない。

_____


理科準備室。




生物、化学、物理といった理科科目の実験に使用する器具__例えばフラスコ、ビーカー、スポイト、メスシリンダーといった代物が所狭しと並べられたその空間には、理科設備の整った部屋特有の清涼感が確かに在った。




窓際から耳に入る生徒らの賑わいが、今が昼休憩の時間帯であることを示している。




「つまり、友梨花の話を纏めると.........」


そして初対面の印象からか、どうも周囲の実験器具が似合う男__クラスメイトであり、魔導保安隊なる組織の一員である男子高校生こと真酔伊吹は、真剣な色を帯びた目で数回ほど頷いて__それから、口を開いた。




「魔力自体は豊富にある筈なのに、どうやっても発動できないっていうわけか。」




「......ああ、その通りだ。」




安堵と恐怖。他者に悩みを打ち明けることに対して、相反する二つの感情は、しかし表で出すことも叶わず、ただ心の奥底で燻っているのみだった。




昼食を食べ終わった頃合いに教師に頼まれ、伊吹と二人で理科準備室に実験器具を運び終えた直後。周囲に人影はなく、辺りの教室、校庭から聞こえる喧噪はこの空間を覆い隠すが如く__おそらく、これ以上相談事に適した場は、少なくとも今日一日は訪れないだろうと__そう思って、伊吹に昨日の出来事を打ち明けることにしたのだ。




___昨日の出来事。




理恵さんから魔術系の教科書を借りて理論を整理し、元素系、瞑想系、果ては魔力を強制的に引き出す類の魔道具まで借りたにも関わらず、発動までには至らなかった。




「なるほどな。とりあえず、友梨花が自分の力をどう把握してるのかはわかった。」




伊吹は一呼吸だけ置いて、そしてすぐに切り出した。「っつうことは、まずその認識に訂正を入れなきゃならん。魔術を発動できないって言ったよな。だがそりゃ『意識的に発動できない』の間違いだ。




もっと詳しく言うと__友梨花、お前一昨日俺と一戦交えたとき、魔術使ってたぞ。」




「.........え?」


思ってもいなかった情報に、理解が追い付かない。




「(伊吹に魔術で襲われたときに、私が魔術を発動していた..........)」


そういえば、と思い返す。




__『行き違いとはいえ互いの技をぶつけ合った仲だ。ま、仲良くやろうぜ。』




昨日、伊吹が言っていた言葉。あのときは心の中で「(“一方的にぶつけられた”の間違いではないか?)」と訂正したものだが、なるほど、それが本当だとすればあの発言は的を得ていたのかもしれない。




「その反応、やっぱ無意識か。」苦笑にも似た表情で伊吹が言った。




「ええと......ちなみにだが、私はどういった感じでどんな魔術を展開していたんだ?」




あそこでバイトを続けるなら、意図的に魔術を発現できるようになった方がいいだろう。何かしらの参考になるかもしれない__その一心で、伊吹に問いかけた。




「どういった感じで、ねぇ......」


ふむ、と伊吹は考え込む。「発動方法はわからんかったが、魔術自体はアンチ・マジックもしくは魔術相殺に分類されるものだった。要は他者の魔術を無効化する代物だな。...........ほら、お前、増援が来る手前で俺が出した奥義を掻き消しただろ。」




伊吹のその言葉を頼りに、一昨日の記憶を反芻する。





___


_______




___「そこまでだ。」




だが少年は追撃の手を止めない。少年は庭園で最も高い木の枝から地上目掛けて飛び降り、そして空中に身を投げた状態のまま、力強く右手を前方に掲げて”宣言”する。




「香れば極楽飲めば酩酊、末法の世にて人々が渇望した天上世界、極楽浄土を見るがいいッ!!!!」




「っ!!!!!!」眼を閉じようとした。だが、それを寸前で押しとどめた。


___目を逸らしてはいけない。




理由はわからない。だが、それだけは心臓の深く、深層意識と言われる場所に鎮座している。


眼に力を入れて、開く。そして見る。少年を見る。




深層意識から強迫観念が全身に伝達され、目を背けたい衝動を殺し続ける。




体感重力は既に倍以上といってよかった。尋常ではない緊張感に、身体が潰れそうだった。


感覚が摩耗して、もうなにもかもがわからない。


怖い、筈だ。だけど、どれだけ怖くてもまるで呪いのように、眼を逸らさない。




「......どういうことだ」少年は呟いた。


氷の表情は、その眼にはどこか驚きの色を帯びていた。予想外のことが起きたといったような、そんな色。「術が......消えて」




「......え」


少年の呟きを聞いて、その周囲に目線を移した。




……そこには元の風景が広がっていた。




______


__







確かに、明らかに必殺奥義ととれる詠唱とともに繰り出されたその技は掻き消されていた。




その後すぐに美墨さんが来たから、てっきりあれは美墨さんもしくは李乃か三坂先輩か薊先輩がやったものかと考えていたが___伊吹の言葉を真とすれば、あれは、私がやったのだろうか。




「美墨さんや、李乃たちではなく.........私が、か?」




「ああ。ありゃ紛れもなく、友梨花自身の力で編まれた友梨花の魔力だった。」確信に満ちた真剣な表情で、伊吹は頷く。




私が、魔術を発動できていた。




その事実はどうしようもなく私を安堵させるもので、嗚呼、私はここにいていいのだと__多少は危険ではあるだろうが、しかし心躍る、ロマン溢れる裏世界に分類されて良い存在なのだと、李乃たちとともに過ごせる資格があるのだと___そう肯定されたような気がした。




不安という感情の棘に苛まれていた意識は、突如解放されたからだろうか。浮遊感にもにた心地よさがそこには在った。




「では.........そもそも魔術を発動できない、という可能性は無いんだな?」




念押しのように聞けば、伊吹はあっさりと頷いた。




「ああ。っていうか、魔道具が魔力に反応して光った時点でそりゃねぇな。あれは魔術を発動する条件を理論的に満たしてねぇと光りすらしない代物だ。」




「そうか......」




それだけ返して、伊吹の後ろ側の壁にある時計を見やる。まだ、五時間目の開始には余裕がある時間帯だ。




「(理論的に魔術の発動が可能、かつ無意識の魔術行使は経験済みということは......これはもう、鍛錬あるのみなのかもしれない。そもそも、一般的な魔術師は幼少期からそういった感覚に慣れると聞いた。高校生の私が、一日やそこらで身につく筈も無かったのかもしれない。)」




そういった具体的な練習方法も、伊吹なら知っているだろうかと、尋ねるべく口を開こうとして___しかし、それが言葉になることはなかった。




「............いや、そもそもの理論が違うのかもな。」不意に伊吹が呟いたからだ。




あまりにも唐突な、そして意味の推し測りにくいその言葉に一瞬ほど、思考が停止する。


「理論が違う、とは......」


どういう意味だろうか。目の前に立つ男に問いかける。




「身体構造の話だ。」伊吹は自分の顎に手を添えて、言葉を続けた。「人は魔力を持っていない。だから魔術師は大気中の魔力を利用する。魔術師の魔力量とは、魔力の吸収効率・変換効率・貯蔵効率と同義である___この理論は、友梨花が読んだっていう教科書にもあったろ。」




「.........ああ。」




それは、魔術理論の教科書の第一章に記載されていた、この世界における魔術の理らしいもの。




「だが極稀に、それに該当しない奴がいる。」




初対面のときの伊吹__“氷の少年”の面影を宿したような声色で、言葉を続ける。


「常に魔力を吸収していて発動の過程が『変換』しか要らない奴、そもそも体内に魔力があって大体の行程が不要な奴......友梨花が“そう”である確率は、低いだろうがゼロじゃあない。」




「......そうなのか。そんな可能性も.........あるのか。」


完全に盲点だった。




盲点というか、私は現実世界における魔術発動に関しては素人なので、単に知らなかっただけの話なのだが__だがしかし、例外が存在する可能性を全く考慮していなかった。




「まあ魔術理論の教科書に載ってないのも無理はねぇ。なんせそういった奴らはレア中のレア......いわば天然記念物なわけだ。魔術関連法学やら魔導倫理やらでコラムとして出てはくるだろうが、魔術理論、とりわけその発動に重点を置く教材なら省かれてても不思議じゃねぇ。.........そういった例外について詳しく載ってる本なら持ってるから貸せるには貸せるが、いるか?」




「あ、ああ。ありがたい。是非頼む。」




知識は多いに越したことはない。顔を見てそう伝えれば、伊吹は親しげな笑みを浮かべる。




「りょーかい。週明けに持ってくるな。」

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