宝石の君

五時間目の授業は美術だった。


西棟の三階、窓に囲まれた開放的な一室にて、その授業は始まった。




教室の両脇に所狭しと並べられた彫刻らしきもの、壁に掛けられている絵画。美術関連の書籍の収まる本棚も、画材のセット、色の見本表のようなもの__成程、それは一目で「美術室だ」とわかる外見であった。




等間隔に並べられた机と椅子の、全体的に教室の真ん中あたりの位置のそこに座って、教壇に立つ教師の話を聞いていた。




「......それでは、先生の自己紹介も終わったことですし、早速絵を描いていきましょうか。初回の今日は配布した画用紙に自由に描いてみてください。授業終わりに回収しますので、記名を忘れずに。」




机の上に置かれた画用紙を前に、さて、何を描こうかと悩む。


「(ふむ.........)」




自由、という単語は一見して綺麗なように思えるが、いざ突き付けられると中々に困ることも往々にしてある。




公開こそしていないものの、好きなライトノベルのファンアートをアナログで描いたことはある。だが、今回は教師への提出が義務付けられている。最も好きなラノベ『戦乙女は舞う』のシリーズのキャラクターであれば手本を見なくとも描ける自信はあるが、それを他人、しかも教師に見られるというのはとてつもなく恥ずかしい。




「(犬や猫といった、そういうモチーフがいいのだろうか。しかし......実物を見る機会に乏しかったせいか、動物の絵は苦手だし.........ううむ、どうするべきか。)」




なにか無いだろうか。一定以上の技量で描けて、仮に教師に説明を求められても恥ずかしい想いをしないような、そんな題材が無いだろうか。




ふと、左後ろの机の方から、談笑とともに声が聞こえる。




「あ、その絵もしかしてりっちゃん先輩?」


「誰それ」


「うちらの部活の先輩でねー。すっごい良い人なんだよね。特にお菓子持ってきてくれるとことか。」


「それモロ私欲じゃーん!」




どうやら彼女は部活の先輩を題材にするようだった。




なるほど、人物もアリか___そう考えてから、ふと思いついた。


「(そうだ............李乃を題材にするのは、どうだろうか。)」




米瓦李乃。蜜柑色の髪と、翡翠の瞳を持つ少女。初めて獲得した同年代のバイト友達。


雰囲気に華があり可愛らしく、素直で明るい良い子。適度にカールした毛先はアレンジを際立たせ、きっと様々な髪型が似合うことだろう。


李乃曰く霊道牡丹高等学院という学校のものらしい面接のときの見知らぬ制服も、バイト先で出会ったときの私服も、メイド服も総じて似合っており、可愛く着こなしていた。




「(うん。李乃なら華があるし、それに描きやすい。仮に追及されたら「バイト先の友人です」と答えればいいわけだし.........ふむ、友人。友人......うん、良い響きだと思う。)」




配布された鉛筆を手に取り、早速輪郭を描き始める。


「(眼はやや大きめかつ、丸い。前髪はこうで.........毛先は、こう、ふわっと......いや、くるりとしていて......)」




削ったばかりの鉛筆で、顔のパーツを、そして髪の毛を描いていく。




李乃の持つ雰囲気をできるだけだが再現できるように、少し柔らかめに、しかし決して弱々しくならないように注意しながら手を動かす。




「(どうせなら、面接会場で見た制服......霊道牡丹高等学院とやらの制服を、うろ覚えだが描いてみよう。)」


筆先を李乃の顔の下の方へと移す。




黒を基調としたブレザータイプであろう制服は、綺波高等学校__この学校のものとは随分と趣が異なっていた。


ブレザーの内側にあったブラウスは袖と襟にフリルがついており、襟元のリボンは、ラノベ世界観でよく見かけるような貴族の学園の制服を連想させるような、非日常的な上品さを纏っていた。


黒のスカートの内側にもフリルを用いた素材があった。ブレザー、ブラウス、スカート___そのいずれの素材も、高級感を纏っていたと記憶している。




細かな装飾具までは覚えていないが、大体の形ならわかる。


順調に描き進めていた。しかし、ある程度描いたところで、得体の知れない違和感がこの絵には存在することに、ふと気付いた。




「(あれ.........?)」




何かが違う。理由はわからないが、そう感じる。




描きなおそう___そう思って、机の端に置いていた消しゴムに手を伸ばす。




「あっ......」


しかし、伸ばした手は目測を誤り、弾かれた消しゴムは机から転がり落ちた。


消しゴムは宙を舞い、左斜め前の席で絵を描いている男子生徒の足元で動きを止めた。




「(取りにいかなくては)」




席から立ち上がって、消しゴムが転がった方へと歩を進める。


私語も席移動も許可された緩い授業であるが故に、談笑が四方から絶え間なく聞こえるこの美術室の中では、生徒一人立ち上がったところで気にするものは誰一人としていない。




消しゴムを取ろうとしてしゃがもうとして___ふと、その男子生徒が描いている絵に視線が留まった。




「(これは.........)」




繊細なタッチで綿密に描き込まれた絵。




人物は髪の一本に至るまで丁寧に、決して動きの激しい構図ではないにも関わらず、確かな命の躍動、それが宿っている__いわば、生きている。それが感じ取れる。




「(これは............今この瞬間の、美術室の風景を描いているのか?)」




絵を描いている男子生徒。談笑する女子生徒。教壇に座って画集を読む美術教師。美術室の黒板。壁に掛けられた絵画やポスター。数々の彫刻__そういった、風景を構成する1つ1つに宿る美しさを、記していると感じられる絵。


心が奪われる。たった一枚の画用紙に、目が離せないでいる。




__美しい。と、そう感じた。




日常の一幕を切り取ったこの絵が、まるで、当たり前のようにそこに在る生命という存在、その真価を描いているような__この世界は美しいと、物語を紡ぐように唄っている__そういった憧れにも近いように思える感覚が、胸を掴んで離さない。




「.........綺麗な絵だな。」思わず、そう口に出した。




「え?」




「あ」


男子生徒が振り返ると同時に、自分の発言に気が付いて___顔が熱くなる。




しまった。またやらかした。




不用意な独り言で恥ずかしい思いをするのは、もう何度目だろうか。「あ.....すまない、その、つい言葉に出てしまって、というか落ちた消しゴムを取ろうとしただけなので決して覗こうとしたわけではなく、目に入ってしまっただけで決して不審な人物というわけでは...!」




動揺に支配された思考のままに、言い訳のような言葉を捲し立てる。体温が上昇していくのを自覚して、しかしそれすらも意識の片隅に追いやられる。




混乱する私の様子に、男子生徒は少し不思議そうな顔をして__しかし、微笑んで言った。




「えっと......高峰友梨花さん、だよね?」




「......あ、はい。そうです。高峰友梨花です。」そうやって、思わず敬語で返した。




薄紫の髪に、白雪を思わせる真っ白で綺麗な瞳。


綺麗で端正な顔立ちをしているが、同じ美形といっても伊吹のそれとは随分毛色が違うように思える。


昨日初めて会ったときの“仕事モード”の伊吹のことは「氷の少年」と表したが、目の前の男子生徒を形容するとすれば宝石だろう。


体育館で顔を合わせたトンデモ美少女や李乃のように、人目を惹く華やかな雰囲気を纏っているわけではない。


大気の如く群衆に溶け込みながら、しかし一度でも目を合わせれば、彼の纏う清廉さにも似た気品と佇まいに目を離せない。物憂げな表情を連想させるこの美青年は周囲を悪戯に惑わさず、しかし深く関わった者に対しては、満月を映す湖の如き魔性を発揮する___そういった雰囲気が感じ取れる。


一見して簡素な宝石箱の奥底に隠されたフォスフォフィライト。


その微笑みはまさしく童話の王子というべきもので、優しげな雰囲気を携えていた。




「絵を綺麗って言ってくれてありがとう。まだラフだから、少しだけ恥ずかしいけど......でも、俺もこの風景が綺麗だなって思いながら描いたから、それが伝わって嬉しいよ。」




男子生徒はそう言って、自身の足元へと視線を向ける。


それから、転がっていた消しゴムをそっと掴む。


そして綺麗な所作で、それを差し出した。「落ちた消しゴムを取ろうとしてたって言ってたけど、これのことかな。」




「......あ、ああ。合ってる。間違いなく、私の落とした消しゴムで.........」




「良かった。」男子生徒はまた、にこやかに微笑んだ。




彼に手渡された消しゴムを、両手で受け取る。




消しゴムも無事に回収できた今、考えるべきは自分の絵のことだろう___そう考えて席に戻って、しかし、あの絵は綺麗だったなというその印象は、授業が終わってもついぞ薄れることはなかった。

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