触らぬ危機感に祟りなし

真酔伊吹という人間は、どうやら距離が近いらしい。


一時間目、二時間目、三時間目.........時を経るごとに、それは確証を帯びていった。




授業科目はそれぞれ現代文、数学、古典だった。入学以前から高校の内容に相当する問題集をそこそこ解いてきた私にとって、内容はさほど難しいものではなかった。




現代文は問いと答えの傾向を。数学は公式とパターンを。古典は語句の内容と活用形を覚えてしまえば、さほど苦戦するものではない。


習う内容も復習に近いもので、対面形式という学び方に新鮮さを覚えつつも、しかし内容自体に対しては気が楽だった。




そう、内容自体は。




「この主人公、根性あるよなぁ。逃げたって誰もわかんねぇだろうに、それでも走り続けるんだぜ。」


教科書中の本文を指して小声でそう言ったり、




「友梨花ー、大問1ってもう解けたか?俺最後の応用問題がさっぱりでさぁ。」


そう小声で聞いてきたり、




「枕草子って現代語訳すると途端に親しみやすくなるよな。なんつーか、誰かのブログ見てる気分になってくる。表現に遠慮がねぇし、痛快だよな。」


そう小声で言って、少しだけ笑ったり等してきた隣の席の人物__真酔伊吹は、成程たしかに、あの女子生徒が誤解するのもわかる気がする。




「(.........会ったの、昨日だよな。)」




実は旧知の仲だったりするのではないか、と錯覚しそうな距離感を、つい昨日会ったばかりの隣の席の人間に発揮できるコミュニケーション能力は凄まじいものだ。




「(まあ、出会い方がだいぶ、いやかなり特殊だったわけだし、この距離感も仕方がない......のかもしれない。)」




休み時間になると、隣の席の私は勿論、教室にいるその他の同級生に対しても臆することなく話しかけるその姿はまさに、『陽の者』__所謂、陽キャのそれであった。


伊吹のように行動できれば、友達もできるのではないか。そう考えて一歩踏み出そうとして、だが結局、既にグループが出来上がっている中で踏み込むこともできずに、席に戻ってラノベを読んでいる__そんな休憩時間を過ごす私とは、本当に対照的だった。




四時間目の体育。第一体育館と呼ばれる場所で、指定の体操服に身を包みながら内野を行き交う直径20cmのボールを眺めながら、そんなことを思い返していた。




「(しかし......伊吹、すごい活躍だな。)」




内野にいる伊吹の、その身のこなしとボールさばきを見て、そんなことを考える。


初回の体育の授業は生徒間の親睦も兼ねて、ドッジボールに決まった。




ドッジボール。それは運動神経の良い者は喜び、運動神経に自信のない者は怨嗟の声を上げる、まさにDead or ariveを体現したスポーツの名前である。




座学には自信があるが運動に関しては塵レベルといっても過言ではない私は早々に外野に行くこととなり、たまにくるボールを味方に回しつつ試合を眺め続けて__そして、今に至る。




「(死角からのボールにも瞬時に反応しているし、速いボールを焦らずキャッチするし、的確に相手の内野に当てている。そして立ち回りも上手い......周りをよく見ている。)」


昨日の立ち回りと彼の職業を思い返してみれば、確かに当然かもしれない。




「高峰さん、パス!」




「あ、ああ!」


突然の声とともに飛んできたボールをなんとかキャッチして、少し離れた距離にいる外野の男子の手元を目掛けてボールを投げる。




試合は強者たちの手によって着実に進められていった。私の仕事は、たまにくるパスを他の外野に回すくらいのもので、試合時間は淡々と過ぎていった。




………




「「「ありがとうございましたー!!」」」




何度目かの試合が終わり、授業時間も残り少なくなっていたためそのまま解散、となった頃合いには、あまり動かない立ち位置にいたとはいえ体力が少しばかり限界を迎えていた。




「(......殆ど外野だったとはいえ、試合の最初あたりは内野で逃げ回っていたこともあり、少し、疲れたな............)」




全身が熱い。疲労の蓄積した体がどこまでも重く、常よりも早く脈打つ心拍数は遅くなることを知らない。額を流れる汗、その水滴は熱で覆われた身体に一筋の涼しさをもたらした。逃げるときに使用した両足、ボールを投げるときに使用した両手は特段疲労が溜まっていた。




軽度の眩暈に苛まれつつある視界の中で、しかし外野での休憩時間が長かったためかある程度歩けるくらいまで回復していた足は問題なく、水筒の置いてある体育館ステージの付近まで移動することができた。




体育館の床特有の、赤、緑、白といった色のテープ。




身近でありながら元引きこもり故に、今まであまり見る機会のなかったその上を歩くことに奇妙な新鮮さを感じていた。




そうやって、床の方を見ていたからだろうか。




「高峰さん。」




「わっ」


前方から投げかけられた可愛らしいその声に驚いて、顔を上げる。




声のした方角に視線を移せば、そこには絶世の美少女が__肩まである赤褐色の髪をポニーテールで纏めた、柘榴のように赤い瞳を持つ同級生が立っていた。




一度見れば簡単には忘れられないほどの美しさ、trpgとかに出てきたら真っ先にニャルなんとかの可能性を考えるレベルのその容姿は、入学式、そのあとの学年集会、そして昨日の授業においても見かけていない。




「(彼女は、たしか......)」




不意に、今朝の教室で耳に入ってきた会話を思い出す。




__『聞いたか?入学式からずっと顔見せてない女子が今日は登校してるらしいんだけど、すっげぇ美人らしくてさ。田山の奴、会ってすぐ告ったらしいぜ。』




「(美人、と評判の女子生徒......!)」




美人に分類される人間に心当たりはある。李乃や三坂先輩、飛里先輩は美人というよりかは可愛いの分類に入りそうだが、美墨さんや薊先輩、月野先輩などがその系統に入るだろう。かくいう私・高峰友梨花も顔はおそらく良い方であるだろうことを自覚しているし、脳内で自分のことを美少女と称したこともある。




だが、この人には勝てない。


別に勝とうと思っているわけでもないが、直感的にそう感じる。




「(......この人レベルの容姿になると、例えネットの旧ハンドルネームが『クリスティリア=ラファエル』とかでも名前負けとかしなさそうだし、黒歴史にもならなさそうだ。というかむしろその名前の方が合っていると錯覚しそうで怖い......)」




思考世界に耽る私の様子に、目の前の彼女は少しだけ首を傾げて、両手の指先を口の前でそっと合わせた__仕草の一つ一つが可愛らしさを帯びていて、成程、登校して早速告白されたのも納得である。




「あ......ごめんね、脅かしちゃって。」そう言って彼女はぺこり、と頭を少しだけ下げた。「高峰さん、ちょっと疲れてるように見えたから......心配になっちゃったの。......大丈夫?」




憂いを帯びた柘榴の瞳は、成程、嘘は言ってなさそうだと感じる。




「......だ、大丈夫。あまり運動をしたことがないから、少し疲れただけだし......外野にいるときは殆ど動かなかったから、見た目ほどは疲れてはいないんだ。」




「そっか......良かった。」




やや支離滅裂気味な私の言葉に対しても、心の底から安堵したような表情を見せる彼女は、どこからどうみても裏表のない素晴らしい美少女だろう。




「(だが.........なんだろう?)」




まるで1000ピースパズルの1ピース分だけを紛失したような、歯の隙間に何かが挟まっているような__そんな違和感が、そこには在った。




「(なんだろう、この感覚......まさか嫉妬というやつか?いや、でもしかし、彼女の容姿に関しては勝とうという気すら、仮にあったとしてもへし折られるレベルだし......それに、嫉妬とはまた違った感情のような気が......)」




絶世の美少女はにこやかに微笑んで、会話を続けた。「ずっと気になってたんだけど、高峰さんの右目......この素敵な眼帯ってファッション?それとも、もしかして怪我だったりするの?」




「あーー.........それはその、えっと」




左手で自分の喉あたりを何とはなく触りながら、言葉を続けた。「限りなくファッションに近い武装であり鎧のような、アイデンティティ......といった感じのものだ。」




自分で言っておいて何だが、意味がわからない。




自らの説明に確実な「これじゃない感」を感じつつ、しかしなんと残酷なことだろうか、時は戻せない。




「......そうなんだ。高峰さんは自分を貫き通せる人なんだね。そういう人って恰好よくて、ちょっとだけ憧れちゃうかも。」


そして、こんな意味不明の回答に笑顔で丁寧に言葉を返してくれる目の前の美少女に対して、すごく申し訳なく感じてくる。




「(優しい人......なんだろうな。............だが...)」




それでも、奇妙な違和感は未だに抜けない。




それどころか、違和感は瞬間瞬間を経るごとに増していく__その瞳が、その表情が、どこか、何かを狙っているような___そういった絶対零度の予感が、駆け巡っていくのを感じる。




「(.........少しだけ、頭が痛い......)」




「え、っと」


漠然とした嫌な予感に囲まれた中で、息を思いきり吸って、それから口を開いた。「その......すまないが、喉が渇いていて、あとお手洗いにも行きたくて.....ええと、つまり........すまない、ここで失礼する!」




言い終わるやいなや、私は駆け足で自分の水筒を手に取って、体育館の外へと急いだ。

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