高峰理恵という女
全体的に角ばった印象を持つモダンな邸宅。二階建てのその一軒家に取り付けられた広々とした窓ガラスからは橙の灯りが煌々と輝き、その傍ら、黒いフェンスで囲まれている駐車場には車が二台__白と黒の車がそれぞれ停められている。
引き篭もり生活が長かったからだろうか。外から眺める自分の家というものに、少しだけ不思議な心地を感じている。夜風が髪を揺らし、頬を撫でるのを感じながら、ふと止まってしまった足をまた動かした。
『高峰』__表札にそう記されたその家__私、高峰友梨花が帰る家。
左右をLED照明と観葉植物に挟まれた入口を足早に通り抜けて、玄関口へと急ぐ。
外階段を数段ほど登った先にある黒い扉を押しのければ、もうそこは高峰家の玄関だった。おそらく石製であろう床。義母と父のものしかない靴の数故だろうか。やけに広々としている。
その玄関で履いていたローファーを脱いで、それを揃えて端に寄せた頃合いには、既に新しい母親がぱたぱたとスリッパで足音を立てながら、廊下側からこちらへと顔を覗かせていた。
「あら、おかえりなさい友梨花さん!」
肩まである薄茶色のふわふわとした髪の毛。グレーダイヤモンドを連想させる灰色の瞳。
赤縁の丸眼鏡をかけたエプロン姿の女性こと、理恵さん......父の再婚相手で、私の新しい母親。
理恵さんは満面の笑みを浮かべて、優しげな瞳でこちらを見ていた。「友梨花さん、はじめてのアルバイトはどうだったかし」
「おかあさん」
自分でも驚くほどはっきりした声で、私は理恵さんの言葉を遮った。「一年前、私がバイトをしたいと言ったときに出した条件......その、実は覚えていないんですけど、私はなんて言ってたんですか。」
「条件......」理恵さんが呟く。「ええ、ちゃんと覚えているわ。一年ほど前の友梨花さんはね、『敵組織のエージェントを薙ぎ倒して平和に貢献できる仕事がいい』って言ったのよ。」
「(ああああああああああああ!!!!!!)」
そして___理恵さんから返ってきた言葉に頭を抱えた。
「友梨花さん?」
思い出した。全てを思い出した。
一年前の私は今よりも妄想を他人に押し付ける癖が強い、今みたいな隠れ妄想女ではなく妄想全開女......引き篭もり故にあまりその機会には恵まれなかったが、それも今となってはむしろ幸運に思えてくる。
恥ずかしいを通り越して、頭が痛い。羞恥を超越した諦観、ともいえる何かが頭の上にずしりと乗っかっている。
「いえ......なんでもない...です」絞りだしたような声でそれだけ言ってから、呼吸を整える。
「(落ち着かなくては。私はこれから、理恵さんに大事なことを聞かなくてはならないのだから。)」
息を吸って、吐くのを数回ほど繰り返してから、口を開く。「おかあさん。...二つほど、質問してもいいですか?」
「ええ。もちろんよ。なにかしら?」理恵さんは朗らかに返した。
「どうやって、あのバイトを見つけたんですか?」
そう。最初に聞きたかったのはそれだ。
『錦条院家応接館従者寮ハウスメイド』などといったバイトはどこの求人サイトにも載っていない。というか魔術が一般的である以上、おそらく通常の方法で見つかるものではないだろう。
「そうね、一言でいうならパイプかしら。......私ね。随分昔だけど、あの家で働いていたの。」
理恵さんはこともなげにそう答えた。
「あの家...というと、錦条院家ですか?」
「ええ。」理恵さんが頷く。「錦条院家のお嬢様が子供を産まれたとかで、だけどちょうどそのお嬢様も旦那様も、その時はお仕事が忙しかったらしいの。それで母さん経由で話が来て、私がその乳母を担当することになったのよ。」
「......なるほど。」
理屈は理解できる。
そのお子さんが何歳の頃まで理恵さんが乳母を担当していたかはわからないが、お嬢様の子供を預かっている以上、子供の母親であるお嬢様をはじめとした錦条院家の人々、また、その関係者などの連絡先も当然取得している筈だ。職場が錦条院家なら仕事の過程でそういった方々と懇意になる可能性も高い。
乳母を任せた時点である程度高かったであろう理恵さんに対する信頼は、実際に理恵さんが乳母を勤め上げたであろうことでさらに確固なものになっているに違いない。
「(そんな理恵さんが『娘のバイト先にそちらの応接館を考えている』とでもいえば、なるほど確かに紹介してくれるだろう。)」
私は理恵さんの顔を見る。「もう1つの質問、いいですか。」
「ええ。なにかしら?」
「......これは、とても大事な質問なのですが。」一呼吸だけ置いて、私は”それ”を尋ねるべく口を開いた。「おかあさんは、魔法使いなのでしょうか。」
おかあさん__理恵さんは、その質問にいつもと変わらず微笑んで、そして、
「(___え)」
少し悲し気に眉を下げていた。
優しさを含ませた、人を安心させるような微笑みは変わらない。だが、どこか憂いを帯びているような......理科の実験で使うプレパラートのような、すぐ崩れてしまいそうな、そんな儚さを纏っていた。
「(...な、なにか選択肢を間違えただろうか...?いやでもしかし、どこが地雷だったのかよくわからんし、だがしかし...)」
だんだんと脳内が混乱で埋まっていく__だが、それも束の間のことだった。
「......いいえ。私は違うの。」いつもと同じにこやかな笑顔で、理恵さんはあっさりと否定した。「私の家はたしかに魔術を扱う家系だけど、私は使うことができなかったから。......魔術の学校にも通わせてもらったし、自分でもいろいろ頑張ってみたけど...それでも、使えなかったのよ。」
「.........それは、」
何故だか申し訳ない気持ちになって、ぎゅっと目を閉じる。「......ごめんなさい。」
そして反射的に謝った。
「いいのよ。仕方ないもの。それにこうして友梨花さんの役に立てたのなら、きっと無駄じゃなかったわ。」
……魔法も魔術も、私にはまだわからない。
五行思想も、ヒエログリフも、グリモワールもタリスマンもパワーストーンも梵字もルーン文字も、聖書に四大元素、鬼道術、ブードゥー、ドルイドに至るまで(趣味の影響で)ある程度の知識は有しているが、だが現実事象として”それ”が存在することは、少なくとも最近では諦めかけていた筈だった。
「(今も実感は沸ききっていない。だが、李乃も美墨さんも先輩たちも、そして理恵さんも、私を騙そうとしているとは__到底思えない。)」
そっと、閉じていた瞼を開ける。「(魔法は......実在するんだ。)」
そう認めた瞬間に、どこか腑に落ちた。そして納得にも似た安心感と、ある種の諦観は__本来そこにある筈だった期待と歓喜を重く塗りつぶす。
『魔法が実在した』。そのことは、想像していたよりもあまり楽しいものではなかった。
「......その、おかあさん」私は少し遠慮がちに、話を切り出す。「妄想ばかりであまり現実が見えてなさすぎた頃の自分の希望に沿った場所を探してもらえて、何よりだと思う。だけど......魔法が使えない私に、あの仕事は、無理なのではないでしょうか...」
さっきの記憶が蘇る。
私の独り言が生んだ誤解から、あの少年に魔術で制圧されそうになった、あの出来事を。そして......李乃たちが駆けつけてきてくれたときに、考えたことを。
__『(......正直、浮かれていた。魔術という概念が当たり前にあるらしいこの場所を怖いと思いながら、だけど、夢みたいだとも思っていたんだ。襲撃だとか魔術戦だとか、そういう危険な単語はあまりにも日常生活と乖離しすぎていて...その結果、引き際を見誤った。だが......実際に魔術というもので襲われてからわかった。わかってしまった。___私は、きっと、その中には入れないと。)』
両手をぎゅっと握る。
「...え?だけど.........友梨花さんには魔力が沢山あるでしょう?」
「____え?」
そして、驚きで固まった。
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