騒ぎの果てに

「友梨花ーっ!大丈夫!?」


蜜柑色の髪の毛がふわふわと揺れる。




李乃だ。メイド姿のままで、しかしエプロンの位置がズレて茶色い編み上げショートブーツの靴底近くが土で汚れているのもおかまいなしでこちらへと走ってきている。




癖毛の髪は明らかに風で乱れていて、健康的な色の肌には汗とみられる水滴がいくつか付いていた。腰に括りつけられた黒いポシェットは開きっぱなしだった。ここからだと中身までは見えないが、李乃の動きに合わせてその蓋が開いて閉じてを繰り返している。李乃の右手には、ここから視認できる限りでも赤、緑、黄色といった色とりどりの色彩を持つ、おそらく木製であろうけん玉があった。




「(そういえば李乃自身が言っていた。李乃はおはじきやけん玉といった、所謂”昔の遊び道具”を、その色に五行属性を呼応させて魔術を発動させるのだと。)」




李乃の後ろには薊先輩と三坂先輩の姿も見える。深い碧色の瞳も、澄んだ空色の瞳もその中には焦りと、こちらを気遣うような視線が見てとれた。


薊先輩が握っている、刃物らしき光を携えた細長い形状の物質。


それから三坂先輩が構えている、輪投げに使うような赤いリングは武器......なのだろうか。




「(先輩方まで...。きっと、心配......してくれていたのだろうな。李乃もお二人も、おそらく、とても優しい人たちだろうから。)」


胸がきゅっと絞められたように苦しくなる。




居心地が悪いわけではない。悪い人たちというわけでもない。むしろ、自分には勿体ないくらいに良い人たちだと思う。だが__だからこそ余計に苦しい。胸にいくつも小石が埋まっているような奇妙な苦しさが、そこには在る。




「(それに、今回のことで痛感した。)」両手をそっと胸の上に重ねた。その温度は、自分でも驚くほど冷え切っていた。「(......正直、浮かれていた。魔術という概念が当たり前にあるらしいこの場所を怖いと思いながら、だけど、夢みたいだとも思っていたんだ。襲撃だとか魔術戦だとか、そういう危険な単語はあまりにも日常生活と乖離しすぎていて...その結果、引き際を見誤った。だが......実際に魔術というもので襲われてからわかった。わかってしまった。___私は、)」




すぐ目の前から、聞き覚えのある声が響く。「友梨花!」


「......!」


その声に、意識は思考から現実へと引き戻される。




気がつけば目の前には翡翠色の両眼に少しばかり乱れた蜜柑色の髪の毛、まさに美少女といった顔立ちの少女__米瓦李乃が、すぐ近くまで来ていた。




「李乃......」


「友梨花、無事!?怪我とかは大丈夫!?」


「ああ、それは問題ない......のだが...」私はそこで言葉を区切る。




黄昏の空の下、西洋風お屋敷の庭園のその端で少年と女性が対峙していた。


先程の少年と美墨さんだ。美墨さんの右手で握られた万年筆の鋭い切っ先が、少年の喉笛の位置へと正確に添えられている。


少年の表情はちょうど逆光の位置になっていて、うまく見えない。だがお互いがその視線を決して外さない。少し離れたここからでも、迂闊に唾も飲み込めないような緊張感がひしひしと感じ取れた。




薊先輩と三坂先輩が、私と李乃を少年から遮るように前に出る。




「何をしているのですか、と問うたのです。」万年筆を握った手を決して緩めぬまま、凛々しくも険しい声で美墨さんは言った。「答えなさい。貴方は『魔導保安隊』といった立場にありながら、どのような正当性があって彼女を攻撃したのですか。」




「(『魔導保安隊』ってなんだ?)」


またもや知らない単語がでてきた。「(彼の行動や単語の意味を汲み取るに、警察的な役割を担う魔術師......といったところだろうか...?)」




「......正当性ならある...!」少年は毅然と言い返す。


「...なんですって?」




ただでさえ張り詰めていた空気が更に剣呑なものへと変わる。


一歩を踏み出すことすら躊躇われる、地に吸いつけられるような重い空気。まさしく一触即発といった緊張感を纏っている。だが、私は両手を握りしめて、気力を振り切って足を踏み出した。




「(少年の言葉や立場から考えて、このとんでもない誤解はどう考えても私の発言が原因だ。なら、私がちゃんと説明しなくては.........!)」




地面を踏みしめて、一歩ずつ近づく。美墨さんと少年の方へと近づいていく。




「あ...ちょっと!!」


「友梨花ちゃん、あとは真由子さんに任して下がっときぃ!?......友梨花ちゃん!?」




薊先輩と三坂先輩の静止を振り切って、進む。




全身を地面に縫い付けられるような、そんな緊張感の中で足を進める体験はさながらこのバイトの面接のときのようだった。一歩ずつ進んで、ようやく数歩ほど歩き終えた頃合いには、少年が再び口を開こうとしていた。




「よく聞け。そこのメイドは___」




すぅ、と口で息を吸い込む。




「大っっっっ変申し訳ございませんっ!!!今回の事件は私の独り言が原因で起こった、完全なる勘違いです!!!!!!!!!」


___そして、叫んだ。




……


……






少年は呆然としていた。そして、その言葉を失っていた。




李乃は興味深そうに作品の概要を聞いていた。三坂先輩は「あっちゃー...」とでも言わんばかりの表情で、こちらを見ていた。薊先輩は目に見えて困惑し、美墨さんは憤りを押し殺したように身体を震わせて、盛大にため息をついていた。




「つまり......」美墨さんが口を開く。「周囲には誰もいないと思っていた貴方が、『転生公爵令嬢、成り行きで世界を救う』とかいうタイトルの作品に出てくる台詞を呟いていたところを聞かれて、そこの少年に討伐対象と勘違いされて襲われていた、と?」




そして私はというと、羞恥心で死にそうだった。




考えてみてほしい。一連の誤解を解くために私はその原因となった台詞を説明することは勿論、その台詞が出てくる作品、そして何故私がその台詞を発したかなども説明しなければならない。




顔は熱いし、頭の中は正直いって叫び声だけで容量超過キャパオーバーといっていい。周囲に人がいなければ涙を流していたかもしれない。一体なんの罰ゲームだろうか。説明そのものは勢いで押し切ったが、それも終わった今となってはただただ身体を羞恥心で震わせるのみである。




「は、はい.......」声を振り絞って、そう答える。




「............」


美墨さんは何も言わずにこちらに歩み寄り、その右手を私の頭上、少し上あたりに持っていく。




そして___軽めに、だがしっかりとした痛みを伴って、平手で頭を叩いた。




「いっ...!?」


「............はぁ。」頭上からは、どこか重い溜息が聞こえる。




真っ先に感じたのは恐怖だった___怒っている。絶対に怒っている。




人が怒っているのは苦手だ。目を背けたくなる。きっと今顔を上げたら修羅、もしくは般若の如く怒りを携えた美墨さんの目があるに違いない。だが、全ての元凶である私には目を背けることすら許されない___そう考えて、恐る恐る視線を上げる。




「(あれ......?)」だが、予想とは少し違う表情に思わず身体が固まる。「(怒り...だけではない。なんだろう。断言はできないが、これは......)」




それはこちらを慮っているような、そして安堵の色が混じった”怒り”に見えた。




美墨さんはこちらにむかって視線を少し下げる。「発言には気をつけなさい。些細な一言はいとも容易く、無用な争いを産むのですから。」




「.........はい。」


気付けば、そう呟いていた。




「...く、ふふふふふ........」静まり返ったその場には、押し殺したような少年の笑い声が響く。




「はー、そうか。そーいうことか...ふ、ははは......!」




「ちょっとそこ、笑うことないでしょ!?っていうか友梨花の言動もたしかに迂闊だったかもしれないけれど、貴方が早合点したのも問題じゃない!!」薊先輩が抗議する。




「(__あれ?)」


そんな少年の様子を見て__随分と印象が違うなと感じる。


端正な顔立ち、その機械的な表情は氷の如く。威圧的な気配は無く、だからこそ感じる確かな畏怖。迫りくる影の処刑人にも似た空気。無機質な調子で話す少年___そういった印象だった筈だ。




「(なんだろう。あそこに居るのはさっきまでの”氷の少年”じゃない。同い年のような親しみやすさが......もっといえば、年相応の表情をしているような、そんな気がする。)」




「ああ.........それに関しちゃ本当に悪い。」少年は笑い声を引っ込めた。「春期休暇を返上して探しても尻尾一つ見せなかった犯人の手がかりをようやく見つけたと思ったら、つい冷静さを欠いてしまってな。」




「......?さっきまでと雰囲気がちがうような...?」李乃が隣で呟いた。




その呟きは少年に聞こえたらしい。少年は李乃の方へ視線を向けてから口を開く。


「そりゃそうだ。さっきまでのあれは仕事モード。オンとオフを切り替えるのは仕事人の基本だろ?」




少年は悪戯っぽく笑う___本当に、戦っていた時とは別人だ。




少年は視線を再び美墨さんの方へと向けた。「それから、貴方がさっき言ってた状況確認、少しだけ訂正なんですけど。俺は友梨花っていうメイドを『討伐対象』としてでは無く、『保護対象』として認識していました。反応そのものは吸血鬼でもなんでもない、ただの人間だったんで。てっきり乗っ取られた被害者かと。」


「.........なるほど。」美墨さんが返す。




少年の周囲からは、先程のような畏怖を纏った空気は消えていた。日常に似た親しみやすさで、なおかつ、決して適当ではなかった。飄々としていながら真剣な雰囲気。それは、どこか人を安心させる空気感だと感じる。




それはそうとして、羞恥心というのは中々消えてくれないものだ。顔には未だに熱く火照った感覚が残っていた。


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