口は冤罪の元(下)

真夏の海を思わせる綺麗な群青の髪は、飛び降りた衝撃で生じた風に揺られていた。


こちらを見据える金の瞳。その感情は読み取れない。黒いシャツに赤いネクタイ、モノトーンのパーカーといった異様な組み合わせは、しかし淡々とした処刑人といった風貌の圧倒的雰囲気の前には些細なことのように思われた。


存在感は無かった。だが、その気配の殺し様はかえって危険なように思えた。


黄昏の陽が両耳に飾られた、銀色のピアスに反射する。ベルトで腰に固定された注射器の数々や、フラスコやビーカー、果てはアルコールランプなどといった実験器具が、彼の手数の多さを物語る。


端正な顔立ちの彼はどこか機械的な表情でこちらを見据えた___まるで、氷の少年だ。




頭上から響いた声と同時に、目の前に飛び降りてきたのは、同じくらいの歳に見える少年だった。




「”生贄作戦”、”吸血鬼”、”皆殺し”、”ケイオス”、”ブラッディーレクイエム”......」


少年は淡々と無機質に、かつ爽やかな声質で先程まで脳内で考えていた筈の単語を呟く。「聞きたいことは沢山あるが......もしかして、誰もいないと思っていたのか?ペラペラとよく喋ってくれたな。」




「え.....と、喋ってくれた、って.....」


恐る恐る、呟いた。




少年の口から語られる、私が先程まで思い返していた小説のキーワード。




喋ってくれた、という台詞。




導き出される答えは一つだ。だが、それはあまりにも受け入れがたい事実だった。


全身に寒気が走ると同時に顔が熱くなる__恥ずかしい。とてつもなく恥ずかしい。今すぐ記憶を消してほしいレベルに、いっそ消えてしまいたいレベルに恥ずかしい。全身の温度が急上昇する。寒気と熱気が混在する焦燥感に全身が包まれる。


だって、だって、それは____




「(もしかして、先程考えていたことが一部声に出ていたのでは.....!?!?)」


脳が羞恥心で圧迫されて、とてもではないがまともな思考ができない。




妄想は妄想であるから良いのだ。誰かに聞かれるとか死んでも御免である。自作小説ではない分まだ被弾ダメージは少ないが、しかし十分に重症レベルである。




「そのままの意味だ。」




だがしかし、目の前の少年は、私が羞恥心の底なし沼に沈む隙すらも許してくれないようだった。


一拍遅れて正気に戻り、視覚、聴覚といった感覚__例えば風や、庭園の景色といった現実的要素。それらを急激に取り戻したばかりの私に、容赦なく腰に携えた注射器を取り出して振りかぶる。




「___っ!!!!」反射的に後ろを向こうとした。しかし、それを無意識のうちに押しとどめた。目を逸らしてはいけないような、何故かそんな気がしたのだ。




「吸血鬼。...てめぇの企みもその少女の乗っ取りも、ここで終わりだ!!!!」




「(あ___)」ふと、少年の眼を見て気付く。「(今、表情が崩れた。)」




台詞を発したほんの一瞬だった。氷のように無機質だった少年の表情が、明確な怒りを携えていたような気がした。それこそ、目を背けたくなるほど圧縮された熱烈な怒りがそこに在った気がした__




次の瞬間、少年は消えていた。




「.....ぅ、」


酒気を帯びた突風が霧散する。




フリルのあしらわれたクラシカルチックなメイド服が、そして自身の長髪が風に靡くのが見える。濃厚な香りを閉じ込めた暴風は、なるほど、嗅覚に暴力的な影響を及ぼした。酔うといったような、そんな感覚は無い。おそらく残り香のようなもので、これ自体にアルコールのような効能は無いのだろうか。




「(これは勘違いされている。私の無意識下の独り言によって、完全に誤解されている......!)」




私がどこまで喋っていて、どこまで喋っていないのかはわからない。だが少年の言動を考えると”聞かれては不味い箇所”のみを話してしまっている可能性は高い。なにせ少年が呟いた言葉は”生贄作戦”、”吸血鬼”、”皆殺し”、”ケイオス”、”ブラッディーレクイエム(鮮血の鎮魂歌)”...この五つなのだ。




「(とりあえず早く事情を説明して、誤解を解かねば...!そしたら、もしかしたら止まってくれるかもしれない。)」




風は徐々に勢いを失っていった__少年の姿を探すべく、目を凝らした。




ふと、視界に桃色の花びらが落ちてくる。


「(___多分、上だ!)」


感覚の告げるままに、左方向へと駆け出した。




「__っ!!!!」


「遅い」




視界を炎の壁で塞がれる......いいや、確かに炎はそこに有るように見えるし、その温度も感じる。だが、それにしては不自然なほどに周りの草や木に燃え移らない。どこか不自然な炎に思えた。真に炎ならば、草や木に燃え移るように思われる__火は草や木を燃やす。小学校の授業でもゲームでも、それは常なる法則だった。




「(これは......本当に炎なのか?いや、わからない。私は別に炎のプロフェッショナルというわけではないから、断言はできないのだが......)」




考え込んだ時には既に、周囲を桃の花びらが取り囲んでいた。




ひらひらと舞い落ちる無数の花びら。可憐な色合いのそれらは上空から次々と”現れて”いた。おそらくは、魔術の類だろうか。花びらの軌道と現実の風の感触とがどうも嚙み合わなく見えて、この花々が、いや、炎の壁すらも虚像ではないかという仮説が微かに浮かび上がる。




まるで、3D映像を映し出す技術。なんとなくだが、あれを異なるプロセスで行っているような気がする。




だが、その仮説も無数の情報量にすぐさま押し流されていってしまう___視覚情報の解析よりも、緊張、焦燥、非日常。そういった要素があまりにも濃くて、思考は全て霞んでしまう。一呼吸置いた後には再び、周囲には酒気を帯びた風が吹き始めていた。




「__!!!!!」足元を見る。そして気付く。


紅色に輝く線で繋がれた魔法陣のようなものが、そこには在る。先程寸前で躱した、あの”魔法陣のようなもの”と同一のものだ。


「(いつの間に!?)」


思考速度が追い付く隙もないほど綺麗な流れだった。




これはおそらく誤解だ。口を開かねばならない。釈明しなければならない......そんな衝動に全身が駆られるほどに私はやるべきことを”理解”していた。だが、そんな時間すら私には存在しない。瞬間的に思考する物量は、現実世界における一瞬一瞬。刹那の時の思考は、未だかつてないほど冴え渡っている自信がありながら、しかし私の実力ではそれを活かすことは難しい。この場においてあの少年は全てにおいて私に勝っており、対して私はただ逃げるくらいしかできないのだから。




「あ、あの......!」


口を開く。もしかしたら、聞く耳をもってくれるのではないかという希望を胸に。




「そこまでだ。」だが少年は追撃の手を止めない。少年は庭園で最も高い木の枝から地上目掛けて飛び降り、そして空中に身を投げた状態のまま、力強く右手を前方に掲げて”宣言”する。




「香れば極楽飲めば酩酊、末法の世にて人々が渇望した天上世界、極楽浄土を見るがいいッ!!!!」




「っ!!!!!!」眼を閉じようとした。だが、それを寸前で押しとどめた。


___目を逸らしてはいけない。


理由はわからない。だが、それだけは心臓の深く、深層意識と言われる場所に鎮座している。




眼に力を入れて、開く。そして見る。少年を見る。


深層意識から強迫観念が全身に伝達され、目を背けたい衝動を殺し続ける。




「(魔法だの何だの、そういったことは妄想だけの世界だと......そう思っていた。実際に現実で起こされると、正直どうしていいのかわからない。非日常にいるという高揚感は確かにあるが、しかし危険な場所なんだろう。だが__)」


少年を見据える。その金の瞳を、見つめ続ける。「(よくわからん。よくわからんが、目を背けてはいけないことだけは、わかるんだ。)」




体感重力は既に倍以上といってよかった。尋常ではない緊張感に、身体が潰れそうだった。


感覚が摩耗して、もうなにもかもがわからない。


怖い、筈だ。だけど、どれだけ怖くてもまるで呪いのように、眼を逸らさない。




「......どういうことだ」少年は呟いた。




氷の表情は、その眼にはどこか驚きの色を帯びていた。予想外のことが起きたといったような、そんな色。




「術が......消えて」


「......え」




少年の呟きを聞いて、その周囲に目線を移した。




……そこには元の風景が広がっていた。


足元には草が、周囲には木々や花壇、薔薇のアーチに東屋、ベンチ。西洋風邸宅の庭園といえばおよそ一般的な現代人が思い浮かべるような幻想的な光景が広がっている。


私が数刻前に専用カードをかざして足を踏み入れた、あの光景と同じ配置__違うことといえば、太陽の位置と色くらいのものだろうか__が、そこには在った。木の葉が風で揺れる音、草むら特有の瑞々しくも香ばしい香り。陽の反射が見せる輝きに至るまで、とても先程まで紅色の魔法陣や無数の桃の花びらの幻覚(推定)、果ては炎の壁の幻覚(推定)が存在していたとは思えないほどに”凪いで”いた。




「(いつの間に消えていたのか...?ずっと眼を逸らしたい衝動に抗いながら、あの少年の眼ばかりひたすら見ていたから.........気付かなかった。)」




「っ関係ない、ここで仕留める......!!!」


「えっわっ...!」




呆けた一瞬の隙を突くように、少年はその右手を振りかぶる。私は為すすべもなく、ただそれを眺めている_____




「__何をしているのですか。」


聞き覚えのある凛々しく真っ直ぐな女性の声。




そう。先程まで職場の要項を説明してくれていた、あの声。美墨さんの声だ。




声が聞こえたと思った、その次の瞬間。髪をお団子で束ねた黒褐色の髪の、メイド服に戦闘ブーツといった出で立ちの女性の右手に握られた万年筆。その鋭い筆先が、少年の喉笛にぴたりと当てられていた。

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