善意は時として毒になる

黒いインクの入ったボールペンを使って、手帳を文字で埋めていく。




今年の西暦が銀文字で刺繍された、紺色の表紙の手帳。線の引かれたフリースペースに、箇条書きで文字を書いていく。


紙の表面を、さらさらとボールペンで滑らせていく。




「(......よし、こんなものだろうか。何か忘れていることは___)」


「ねぇねぇ、何書いてるの?友梨花」


「わっ」


ふと左隣を見ると、いつのまにか李乃は私の手元を覗き込んでいた。「り、李乃」




『柘榴石』の一階、階段下の休憩スペース。木製の机を取り囲むようにして並べられた白いソファ。その一つに、私と李乃は並んで座っていた。弾力があって、柔らかい。ソファの良しあしはわからないが、座り心地は良いと思う。すぐ側の大窓から見える太陽は沈みかかっており、この館に来てからの時間の経過を思わせる。やや橙色の陽光が、そっと館に差し込んでいた。




「えーっと......『シフトを変えてほしい場合、前もってわかるときは一週間ほど前から美墨さんもしくはバイトリーダーの月野さんに申し出ること。当日体調不良や急用でいけなくなった場合は必ず連絡すること』......『シフトに入る前に、面会などで来訪する者の概要は伝えられる。そこで伝えられた人と寮に住んでいる従者以外の人間は「侵入者」とみなす。』......あ、これ!」




李乃は手帳から視線を上げて、私の顔を見る。「真由子さんが言ってた注意事項だ!」




「う、うん...メモを取っていいって、美墨さんも言ってたから......。」




「友梨花めっちゃえらい~!...あ、そうだ、写真撮ってLineに共有してくれないかな?私、手帳は家におきっぱで......あ、Lineまだ交換してなかった!友梨花、Line持ってる?」




「え...あ、うん。一応......」




「じゃあ交換しよ!今、私の方でQRコード出すから、読み取ってもらっていいかな?」




「......わ、わかった。」


さすがコミュニケーション強者。怒涛の勢い過ぎて何が何だかわからなかった。




物怖じせず他人と話せるところは、間違いなく李乃の長所だろう。自分のコミュニケーション能力と比較して泣きたくもなるが......だが、それはそうとしてLine交換。Line交換である。




「(ら、Line交換...!!)」




高校に入ったらやろうとおもってたことランキングのトップ3圏内に入っている事柄、それがLine交換。




「(交換のやり方はネットで調べて、自分でもイメトレしてたから、勿論わかる。ここを、こう押して、ここをタップして、そのあとこうすれば___!)」


黒いケースのスマートフォン、その画面に表示されたものを順序通りにタップしていく。




「カメラいけた?」




「いま、ちょうどいけた。読み取るからこっちに画面向けてほしい」




「はい!...どう?いけた」




「で、できた。今友達に追加する。__大丈夫かな、追加、されてるかな。」




「ばっちり!あ、友梨花、アイコン設定してないんだね。初期設定のままだ。」李乃はマーブル模様の可愛いスマホケースで覆われた本体を片手に、画面を見ながら呟く。「アイコン、変えないの?」




「今のところは、いいかなって......そういう李乃のアイコンは......着物姿の李乃の、自撮り...で合ってるのだろうか。」




「うん!初詣のときに、撮ったやつなの。」




李乃のプロフィール画面に表示されたアイコンには、髪をお団子で纏めて新緑の着物を身に纏う李乃の自撮りが表示されている。少し加工が入っているのか、画面の端には星のエフェクトが付け足されていた。


「(着物も、よく似合っているな。)」




プロフィール欄に『ともだち追加』ではなく『トーク画面』と表示される、なんともいえない嬉しさ。じんわりと暖かさが滲んでいくような感覚。




かつて義理のような感覚で追加されたクラスLineの、物寂しいトーク画面。その冷たさが少しだけ薄れたような気がした。




「(というか着物だけじゃなくて、李乃はわりとなんでも似合う気がする。メイド服もそうだし...あの日、面接会場で着ていた服も、李乃に合っていた。)」




おそらくあれは学校の制服だっただろうか。そういえば李乃の学校についてすっかり聞きそびれてしまっていたが__しかし、今聞ける空気でもないような気がして、結局のところ口をつぐんだ。




話の切り出し方。こればかりは教科書に書いてあるわけでもないし、ネットでコツを見たからといってもすぐに実践できるようなものではない。


「(李乃レベルに、とまではいかなくとも......日常会話で支障がない程度にはなんとかしたいな。)」そう考えて、ふと、思い出す。




「(そういえば、面接会場といえば___李乃の他にもう一人、同年代の女の子がいた。)」




『次は職場で会いましょ!』...そう言って笑った、青色の髪をした女の子。


当時は極度の緊張状態にあったため、あまり顔をはっきりとは覚えていない。だが、その会話は記憶している。今思い返せば「こんな昼から襲撃に」というあの言葉は冗談でもなんでもなかったのだろう。おそらくは、彼女もまた魔術を使う人間の一人。


「(......あの子は、シフトが別々になってしまったのだろうか。それとも、バイトに落ちたとか...?)」




「まーいちゃんー!後輩ちゃんこっちおるよー!はよー!」


「ちょっと!そんな大声出さなくても、ちゃんと聞こえてるわよ!」




思考を遮るように、知らない声が響く。




声の主たちは足音をたててこちらに近寄ってくる。音のする方を見れば、私たちと同じメイド服を身に着けた二人の少女__一人は桃色の髪に水色の瞳といった色彩の、ショートカットの元気な少女。




まいちゃんと呼ばれていたもう一人は金髪碧眼、長く真っ直ぐな髪の毛を高いところで一纏めにしている少女だ。雰囲気は、さながら天真爛漫なヒロインと相棒の悪役令嬢といった感じだ。


タイトル風に表すならば”人生二回目のヒロインと悪役令嬢は、手を組んで黒幕を倒しにいくようです”といった感じだろうか。




「あ、もしかして真由子さんが言ってたあと二人って、この人たちかな?」




「多分......年も同じくらいだし、私と李乃のことを”後輩”って言ってたし...そうだと思う。」




よく見ると、”まいちゃん”と呼ばれた方の先輩はなにやら盆を持っている。透明なグラスに入った、飲み物らしきものが上に乗っているのが見えた。あれは、色彩的にお茶...で合っているだろうか。




「あー、ごめんねまいちゃん。はな先輩からすっごいかわええ子って聞いとったけん、早く顔見たくて」


ショートカットの少女は、こちらを見て満面の笑みを見せた。「お二人さんはじめまして!わしは三坂たかねって言うんよ。李乃ちゃんと、友梨花ちゃんやったっけ。一応、二人の先輩じゃね。そいで、こっちの子が__」




「薊苺花。苺に花って書いて、苺花ね。」




「そうそう。わしら、男子寮の方__『水宝玉』って呼ばれとるんやけど、そっちの揉め事の助っ人に行ってたんよね。それで、帰ってきてから君らに会おうって思っとって、そしたらまいちゃんが『折角だからアイスティーでも差し入れに』って。」




「......持ってきた茶葉が余ってたから、仕方なく。別に親切心とか、そういうのじゃないから。」


ふい、と顔をそむける薊先輩。




しかし薊先輩の反応も、それに対する三坂先輩と李乃の反応も__頭に、入ってこなかった。




目線は薊先輩の持ってきた盆の上に固定されていた。


木製のその上には、氷の入った透明なグラスがふたつ。グラスの中の鮮やかな茶色い液体には、ストローが差し込まれている。アイスティーだろうか。しかし、それは問題ではなかった。問題なのは、その横__花の模様があしらわれた小皿の上に乗った、色とりどりのマカロンだった。




「(___あ)」指先が震える。「(......甘いお菓子........)」




ふと、思い出す。




高いブランドの子供用ワンピースを着せてもらった。大きなふわふわの熊のぬいぐるみも貰えた。だけど、いつだって私を抱っこするよりも、芸能人も御用達にしているらしいブランドの化粧品と、お洒落な友人とレストランでする食事を大事にしてきた”前”の母親。私と同じ色の髪を靡かせて、新しく買ったらしい”お洒落”な服を身にまとって__口を開く。




『子どもなんて、甘いものあげておけば十分でしょ。』


「友梨花?」




「あ......」


李乃の声で突然、現実へと引き戻される。




心配そうにこちらを覗き込む李乃と、三坂先輩と薊先輩。その表情を見て、彼女たちを不安にさせてしまったことを悟る。




「顔色悪かったけど、大丈夫?」


「あ__いや、その」




どうしよう。




甘いものは実は苦手だ、と伝えるべきだろうか。しかし三坂先輩も薊先輩もわざわざ私たちのためにこのマカロンを用意してくれたのだろう。私の好き嫌いでお二人の好意を無下するのは、どうなんだろう。




「(じゃあ、我慢して食べるか?だが...それでもし吐いたりしてしまったら、申し訳ないどころの話ではない。かといって、断るのも......う...)」




「ちょ、ちょっと貴女、顔色悪いわよ!?大丈夫!?」




「あ.........」ぐるぐるとした思考から不意に解放され、ただ、声がした方向を見つめた。「薊、先輩......」




「(...何、やってるんだろう。私......)」


頭が冴えていく一方でさらに混沌としていく感覚、ただ一つはっきりしていることは全身から込み上げる吐き気だった。それは拒否反応かもしれない。罪悪感、自身に対する怒りかもしれない。


熱と寒気。思考と感覚の乖離。




自身に纏わりつく不快な熱を振り払うように、勢いよく立ち上がった。




「...ごめんなさい、」




「友梨花!?」李乃が声を上げる。




「......少し、体調が悪くて。外の空気を吸ってきます。すぐに戻ってきます。えっと、そちらのマカロンは、どうぞ三人で食べてください。」




言葉を吐き出して___逃げるようにして、外へ向かって必死に両足を動かした。


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