錦条院家従者専用寮『柘榴石』

「(お、おおおぉ.....!)」




鏡に映るは銀髪美少女。




膝丈の黒いスカート、その内側には純白のフリル。エプロンは派手過ぎず、しかし上品な趣を漂わせる。黒いタイツに、編み上げられた焦げ茶色のショートブーツ。長い銀の髪は黒のリボンで後ろに纏められ、薄桃色の左目は神秘的に瞬く__耽美なファンタジー小説に出てくるクラシカルメイドといった装いの少女、つまるところ今の私である。




「(やはりメイド服はロマン...いや、しかし私...なかなかに似合うのではなかろうか。)」




足を覆う黒いタイツは涼しく、圧迫感などはまるで無い。全体的に軽い素材で作られているのだろうか。身体を動かすのがいつもより少々楽な気がする。




細部を確認するふりをして、鏡に顔を近づける。横髪を耳にかけてみる。少し体を傾けてみる。


ロマン溢れる装いに、鼓動が高鳴るのを感じる__生地の表面は肌触りが良い。滑らかで、それでいて柔らかい。




「あ...首元のリボンの結びが、少し甘いな。」


結ばれたそれをほどいて、また結ぶ。リボンに触れた感触は、父が海外から送ってくれる服に似ているような感じがした。




人一人分が入る更衣室の中。隅々に磨かれた黒縁の全身鏡、そこに映る自分の姿が、どこか現実ではないような、そんな不思議な心地に包まれる。足元を見れば膝丈スカートにフリル。それからフリルが縫い付けられた純白のエプロン......。




「友梨花~、まだかかりそう?」




「...はっ......!」そんな中、部屋の外から入り込む李乃の声にふと我に帰る。




そうだ、衣装を観察している場合ではなかった。ただでさえ李乃と美墨さんを待たせているというのに。


手早くタイを直して、全身鏡に背を向ける。




「あー、えっと、ちょうど着替え終わったところだ!今行く!」


木製の扉を開けて、急いで部屋の外へと出る。




「わぁ~!」高い位置で纏められた、ウェーブのかかった蜜柑色の髪。「友梨花、すっごく可愛い~!!」




そこには紛れもない美少女が居た。




衣装自体は私と同じ、クラシカルメイド風の装い。膝丈のスカートに純白のフリル。黒いタイツに編み上げショートブーツである。違いといえば、李乃の腰には道具を収納できそうな黒いポシェットが付いていることぐらいだろうか。


しかしそれを華やかな雰囲気の李乃が着ることで、また違った表情を見せているような、そんな気がする。一見して衣装のイメージとは正反対にも思えるが、決して「着られている」という感じはしない。可愛らしい顔立ちにフリルのついた衣装はとても合っている。




まさしく可憐なメイド少女。”公爵家のメイドである私は、実は妖精の愛し子です”的なタイトルのヒロインをやってそうな少女である。




「え、ええと...李乃もよく似合っていて、本当に可愛いと思う...。」




「ありがと、友梨花!」そう言って李乃は眩いばかりの笑顔を見せた。「でもこの服、本当に可愛いよね。これからシフト入ってる日はこれ着られるって思うと、すっごく楽しみ~!」




「可愛いだけではありませんよ。」


私たちの横に佇んでいた美墨さんが口を開く。「その服は魔術防御にも優れています。ここ、錦条院家従者専用寮__別名『柘榴石』はしばしば襲撃に合いますが、その際の迎撃にも欠かせない装備です。防御性能以外にも、魔力吸収率の向上、摩擦の軽減......魔術戦におけるあらゆる事柄において優れた性能を誇る一品です。」




「へぇ~!!!」


「な、なる、ほど......!」


そうだった。この場所では”魔術”は一般的なものだった。その事実の再確認に、また胸が高鳴るのを感じ__いや、ちょっと待ってほしい。「...えっと、襲撃...ですか?」




「ええ。ここの敷地は海外の術者も常駐する重要な場。故に、『柘榴石』のような従者寮ですらそういった襲撃が絶えません。そういった輩の迎撃も貴女たちの仕事になります。」


伝達事項を伝える教師のように淡々と美墨さんは言う。




いや、おそらく美墨さんにとっては本当にただの伝達事項...なのかもしれないが、しかしさらっと語られた「襲撃」「迎撃」の単語に、ふと寒気を覚える。




「(館に襲撃とか、あるのか。しかも賓客用の館だけじゃなく従者の寮にまで。)」




小説の中でなら楽しめる展開も、実際に我が身のことと考えると身体が硬くなっていくのがわかる。




「...?友梨花?」


李乃が心配そうな顔で覗き込んでくる。




現実味が薄く思えるワードが、しかし決して冗談ではないことがどことなくわかる___私は、魔法は使えない。言うべきだろうか。伝えるべきだろうか___。




そんなことを、考えているときだった。




「そぉんなに怖がらなくってもいいの!真由子さんが大げさすぎるだけなんだから。襲撃が絶えない、っていっても本館と違ってここは一ヵ月に一回程度でしょ?」


「それにもし来ても、私たち”先輩”がちゃんと対処しますし?」




知らない声が降ってきた。


張り詰めていた私の思考に、突然差し込んできた光。もしくは風。そんな声だった。




「(いや、一か月に一回の襲撃でも十分多いと思うんだが...)」




「え、誰、誰?それに”先輩”って...」




あらためて、周囲を__屋敷の中を見渡す。


重厚な木製の焦げ茶色とベージュ、それから白。落ち着いた色彩で構成された屋敷内を灯すのはアンティーク調の仄かな橙。大所帯の寮である筈なのに、その空気には曇り一つない。定期的に換気しているのだろうか。どことなく、外の庭園の空気と似ている気がする。


従者用とは思えないほど立派な屋敷の、入口近くの螺旋階段。模様が彫られた手すりが特徴的なその踊り場、二階と一階のちょうど中間。そこに、二人のメイドさんが佇んでいた。




踊り場の方を見て、李乃は目を輝かせる。「あっ、居た!」




一人は、若草色の柔らかい髪をハーフアップで纏めた可愛らしい人。もう一人は、綺麗な黒髪を三つ編みで後ろに纏めた美人さん。春の女神と夜の女神。雰囲気の異なる2柱の女神__そんな言葉が似合うであろう少女たち。この距離では瞳の色はよくわからない。私や李乃と年はそう変わらないように見えた。




「はじめまして、後輩ちゃんたち。」若草色の女性はそう言って微笑む。「私は飛里おとは。そっちの三つ編みっ子が花...月野花ってゆーの。」




「おとは先輩に、花先輩ですね!私は米瓦李乃です!こっちの銀髪の子が、高峰友梨花!お二人とも、これからよろしくお願いします!」




いきなり現れた先輩に臆せずそう返せる李乃は、やはりすごいと思う。




「あ...えと、よろしくお願いします、先輩...!」


李乃に一呼吸遅れて、私もそう言って頭を下げた。




「(先輩......)」あまり呼ぶことのなかったその敬称は、やはり口馴染みがない。


ふと、隣に立っている美墨さんを見て__疑問に思う。「(そういえば李乃は美墨さんを「先輩」とは呼ばないな。美墨さんがバイトではないからなのか、年が離れているからなのか、それとも雰囲気的な問題なのか......てっきり年上は皆「先輩」なのかと思っていた。)」




「...本来の研修役を私に押し付けておいて、よく先輩面ができたものです。」呟いた真由子さんの声は呆れを含んでいた。


「それはそれ、これはこれだもの。」飛里さんはこともなげにそう言った。




「はぁ...。まあ、ちょうど時間も空いていましたし、別にかまいませんが。」真由子さんは視線を、先輩二人から私と李乃に移す。「友梨花、李乃。あの二人は貴女たちと同じ、基本的には月・水・金のシフトで働く人間です。年は貴女たちよりふたつ上ですね。彼女たちの他にも二人ほど、現在もこの館で、貴女たちと同じシフトでバイトとして働いている学生がいます。彼女たちは...貴女たちより一つ上です。」




「じゃあ、私と友梨花を入れてバイトって6人なんですね。」


李乃がなるほど、とばかりに相槌をうつ。「でも、みんな同じくらいの年頃なんだね。大学生くらいの先輩もいるのかなって思ってたけど...。」




「...明言はされていませんが、これは殆ど18歳以下の学生の仕事ですからね。」




「え?」


思わずそう聞き返す。




呟いた声が聞こえたのだろう。美墨さんは少しだけ、なぜか目を伏せてから__何事も無かったかのようにまた正面を向いた。そして、口を開いた。




「本館ではなく、従者寮。そもそも寮生は自主的に清掃をすることも多く、賓客を招くこともないので常に見栄えをよくする必要もありません。寮生の家族などが尋ねてきたりなどはしますが......主な目的は魔術戦の経験と錦条院家で働いた経歴を作ること。加えて、本館務めの従者とのコネクションを作ることなどが挙げられます。ですので大学進学後はバイトを辞め、経歴を生かして違う職につく__といったことが一般的です。」




淡々と続ける美墨さんの表情は読めない。これまで以上に、何を考えているのかわからない。しかし、美墨さんの説明を聞くにつれ、一つ疑問が浮かんでいく。




「(そういえば......美墨さんはどういった立ち位置の人間なのだろうか。)」




先程までの記憶を整理してみよう。




確か、美墨さんは「年が離れている」と明言していた。どれくらい離れているかはわからないが、少なくとも18歳以下には見えない。それに、バイトでもない。なら本館勤めのメイドなのだろうか......いや、しかし美墨さんは先程「本来の研修役を私に押し付けた」と、飛里先輩と月野先輩に言っていた。バイトが本館勤めの人間に、そういったことはできるのだろうか。もっとも、私は社会経験が豊富とはとても言えないし、ただでさえこの場所はどうやら「普通」とは異なるらしいのだ。私の知らないなにかがあっても不思議ではない。だが___




「(美墨さんは.....何者なんだろう。)」




「あー、たしかにおばあちゃんも言ってました。こういった職場では仕事をするのも大事だけど、それと同じくらい、魔術師の先輩にいろいろ教わるのも大事だよ、って。」


朗らかな李乃の声色には、真由子さんの立場を訝しんでいる様子はない。




「(考えすぎ......なんだろうか。)」


魔術の世界では、私の知らない何かがあるのだろうか。




階段の踊り場を見上げると、もう既に飛里先輩と月野先輩はこちらへの興味を失ったらしく、何やら二人で談笑していた。会話の内容はさすがに聞こえないが、まさに女子高生同士の楽し気な会話__今まであまり直視してこなかったような”陽”のオーラで溢れている。




「(美墨さん本人に聞いてみようか...?いや、しかし聞いてはいけないことだったら...逆に、魔術を使う世界では当たり前のことだったらどうすれば......)」




「__友梨花。何をぼうっとしているんです。」


「あ......」


ふと現実に帰ると、目の前には不機嫌そうに腕を組む美墨さんが立っていた。「あ、えっと、すみません」


反射的に、謝罪の言葉を口にする。




「...別に怒ってはいませんよ。なぜ呆然としていたのかを聞いただけです。」




「あ、いや別に大したことでは...ないです。」




「......そうですか。」美墨さんはそれだけ言って、目線を李乃の方へも移す。「それではこれから、寮内の大まかな掃除方法と掃除道具の収納箇所。それから所用でシフトを変更する際の手続きや、侵入者を迎撃した際の報告の方法について説明していきます。重要なことですので、二人ともしっかりと聞くように。必要であればメモを取ってかまいません。」




「了解です!」


「あ......りょ、了解です。」




なんだか、英語のリスニング音源のようだ__そんな感想を呑み込んで、美墨さんの後をついていった。

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