一寸先は大富豪

「お...おぉおおぉぉぉ....」




言葉にならない声が霧散する。




眼前の景色は創作の世界でしか見たことのないそれだった。何か模様が象られた黒い西洋風の門。そこから続く道は煉瓦で舗装されていた。道を囲んでいる庭園には色鮮やかな花々が、まるで来たものを歓迎するかのように咲いている。薔薇につつじ、チューリップ。陽光の差し込む方角、それすらも計算されているのだろう。眩い天上の光は外観にとてもよく似合っていた。




左手で持った地図をもう一度見る。うん、何度見てもこの場所を指し示している。


まだ入ってすらいないのに、風格の違いから来る威圧感で潰れてしまいそうだ。身体が震えているのを自覚する。




「(面接の時点で察してはいたが...ここは城か?)」




きっと何も知らずにここへ来たら、遊園地か何かと間違えただろう。そんなことを考えて__少し奥まった場所とはいえ大通りに面している筈なのに、不自然なほど人通りが少ないことに気づく。




音が無いのだ。私が住む綺之浜はそこそこ人の多い都市だと記憶していた筈だが、いつもならば聞こえる人々の騒めきや車の音が聞こえない。




そこにあるのは不自然な静寂だった。




「(大通り付近の豪邸。だが人通りも車も少ない。奇妙だ...怪しい。__ハッ!)」その瞬間、今まで幾度となく妄想を膨らませてきた私の脳内が冴え渡る。「(ここは...既に異世界なのでは!?)」




よくよく考えれば面接の時点で特殊だった気がする。いや、私にとってこれが初面接&初バイトなので比較しようがないのだが。だが普通のバイト面接では水晶玉に手は当てないし、力が水晶玉に吸い取られる感覚と共に水晶玉が発光することもないと思う。私が知らないだけで、これが通常の面接ならば話は別だが。でも面接前に見たどのサイトにも「水晶玉に手を当てます」なんて記載されていなかった。


面接の日から今日に至るまで、幾度となく脳内で繰り広げた妄想。もしかしてそれらは遂に現実となるのだろうか。




「(有り得る...!)」




胸ポケットに入れていた黒いカードを取り出す。合格通知に同封されていたこのカードは門のロックを解除するためのキーらしい。金色の文字で「Yurika Takamine」、と私の名前が刻まれている。


滑らかな質感のそのカードを門の横、パネルのようなそれにかざす。すぐにカチッという音が響く。


ロックが解除できたのだろうか。そう思いそっと門を押す手に力をいれる。




重厚そうな見た目とは裏腹に、その扉はすんなりと開いた。


恐る恐る敷地内に足を踏み入れ、門を閉める。再びカチッと音が響いた。おそらく鍵が閉まったのだろう。




胸を占めるのは確かな高揚感。そして底知れない緊張感だった。


左右を見渡せば、そこに広がっているのは想像以上の敷地の美しさを持つ庭園だった。写真集の中にあるような植物のアーチ。薔薇園の側にはベンチも置かれている。よく見れば花びらに雫がところどころ落ちていることがわかる。




舗装された道を歩きながら、どうしても私は左右に目移りしてしまっていた。




「(綺麗な庭だ...やはり、専門の業者さんが整備しているのだろうか。)」




幻想的とも呼べるその景色に、ふと、昨日投稿したシーンが頭の中を反芻する。__『壮麗なる庭園の中、少女は微笑む。まるで「計画通り」とでも言うように。そう、全ては彼女の掌の上。屋敷の住人は誰一人として、一人の少女の仮面の下に気づかない。少女は天に手を伸ばす。』


そして少女は呟くのだ。「ようやく、”あれ”を堕とすことができるわ」と_____




「(はっ!?)」


しまった。つい声に出してしまった。何なら「少女」と同様に手まで伸ばしてしまっていた。




慌てて左手を引っ込め、首を動かさずにそっと周囲を見渡す。視界に映る限りでは人はいない。その事実に先程まで体中に張り詰めていた感覚がすっと抜け落ちる。


妄想は脳内で楽しむからこそ良いのだ。誰かに見られるとか想像しただけでも恐ろしい。「(え、えーと、地図によれば......)」気持ちを切り替えるように、ポケットの中から手の平ほどの大きさに折りたたんだそれを取り出し、広げる。




敷地内の地図は裏側に記載されてあった。★マークの位置を見て、問題がないことに安心しつつ、頷いた。止めていた足を再び動かし始める。




「(うん、集合場所はこの一本道を歩いた先にある従者寮前の東屋だ。)」




錦条院家応接館、というらしいバイト先は広大な敷地を有しているが、私が立ち入りを許可されているのは仕事場であるこの「従者専用寮」のみ。入口にあったような扉が敷地内にはいくつもあり、私が持っているカードキーでは従者専用寮以外の敷地に足を踏み入れることはできないのだと説明書には記載されていた。




庭に東屋、従者が住む専用の寮。カードキー。


これが現実だということに驚きを隠せない。もうペットと称してゾウが出てきても驚かない。


お金持ちってすごい。




「(そういえば錦条院家って何をやっている家なんだろう。情報を仕入れてきてくれた新しい母曰く正式名称は『応接館』だが、『錦条院大使館』と呼ばれることも多いらしい。『大使館』とは通常、主権国家に存在するもののはずだが...そう呼ばれるということは海外と繋がりがあるということか。貿易商か何かだろうか...そういえば面接のときに『海外の人が頻繁に来る』とも言っていたな...私の担当は従者さんの寮だけなんだが、そこにも来るのか?いや、海外から来た従者さんもいらっしゃるだろうし、それかもしれない。ご本人は日本語ができたとしてもご家族が会いに来た場合その限りではないだろうし...というか国家に例えられる程の貿易商って一体...)」




思考に没頭しつつも足だけは、煉瓦で舗装された一本道をまっすぐ進む。


「(___あ)」


ふと、顔を上げた。




煉瓦の屋敷。四角いその四隅にはお洒落な屋根の塔が並ぶ。三階建ての屋敷を彩る窓はヨーロッパの建築の雑誌に登場するような、幻想的な光景は絵画のような完成した視覚的な美しさを持っていた。燦々と陽光が降り注ぐ庭はみずみずしくも花の良い香りを漂わせる。高峰家の六個分は優にあるだろう広大な屋敷は、なるほど、あの素敵な屋敷を面接にしか使わない、規模の違う裕福な家の従者の寮だということを納得させた。




「(わぁ......)」口からは吐息が零れる。




この美しい場所が、今日から正真正銘自分の職場なのだ。改めて突き付けられた現状に身震いしながらも、全身がぽかぽかと温かいような高揚感が身を包む。




「(ここだ。錦条院家応接館の、従者寮...!)」胸の前で重ねた両手をぎゅっと握りしめた。




立ち止まって、景色に見入っていたいという欲が燻るのを自覚しつつも、しかし集合場所にいかなくてはと思い直す。他人が関わる事柄には可能な限り時間通り動く。無理そうなら早めに連絡を入れる。脱・引きこもり作戦において私、高峰友梨花が大事にしてきた信条の一つだ。




先程見た地図に書かれた図面を思い出して、東屋の方へとつま先を向ける。「(え、えと、東屋は正面から左にいってすぐのところにある筈...)」


その東屋は再び歩き始めてすぐに見つかった。




おそらく金属素材で作られた網目模様のそれの中には、木でできたベンチが一つ。ハートを基盤とした模様を施されたそのベンチは、なるほどおとぎ話の挿絵に出てきても全く違和感はない。


そしてそのベンチには先客が一人。




真剣な顔で教科書らしきものを眺める、蜜柑のような橙色の髪を持つ同い年の少女が座っていた。

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