平穏な学校生活
綺之浜市立綺波高等学校。
比較的新しいその校舎には耐震化工事が施されており、校内のあちこちに緑化活動の片鱗が伺えた。1年2組の教室、窓際の席。教室の喧騒を遠巻きにして、私こと高峰友梨花は机にうつ伏せになっていた。
おかしい。こんな筈ではなかったのに。
既に授業は終わっていた。今日の科目は国語、数学、世界史、英語、物理基礎、総合。高校の内容だが既に私は入学前に問題集で二度ほど解いた問題であり、それ自体は何も問題はなかった。だが、教室のあらゆるところに友人グループが作られている中で私は一人だった。
そう。一人だったのだ。
現実逃避がてら窓の外を眺める。春の陽気、点在する新緑の色がこの季節を体現している。二階の窓からは校門前の桜並木がよく見えた。そう、桜並木。小説や漫画の世界では入学式や卒業式の背景にもなっている、青春の象徴とも名高い代物だ。
暖かく、眠気を誘う空気。澄んだ空に心が洗われる。なのに何故こんなに虚しいのだろう。
__予定では、今頃は友人ができている筈だった。
朝から気合を入れて梳かした長い灰色の髪は我ながら会心のサラサラ具合。右目の眼帯はフリルまで付けた自信作。裁縫が苦手だった私にしては頑張ったものだ。少々目が粗い部分もあるが、うまく誤魔化せている筈。身に纏っている紺色のブレザーにもおかしい点は無い。自己紹介では少々緊張してしまったが、そんなに問題は無い...筈だ。いいや、わからない。なにせ私は元引きこもり。自分の基準に自信が無さ過ぎる。
「(いや、まだだ。入学式と今日の二日間でまだ姿を見せていない生徒が二人いる。もしかすれば明日あたりにその人たちと仲良くなれるかもしれない)」
決意を新たに左手の拳を握る。
「はい皆さん、席について。終礼を始めますよ。」
担任の一声が聞こえるやいなや、教室中のクラスメートが会話をやめ席に座っていく。私も背筋を伸ばした。人の話を聞く時は姿勢を正すものだと、本にも書いてあった。そうして正面から担任の顔を見る。人の目を見て会話をする訓練の一環だ。
男性の教師。名前は茉鱈と書いてまだらと読むらしい。確か最初のHRで本人がそう言っていた。フルネームは茉鱈夢結。整った顔立ちで、騒いでいたクラスの女子たち曰く『イケメン』らしい。
人の顔を正面から見ることに多少の緊張感や背筋が伸びる感覚こそあれど、一対一の会話ではない故か恐怖とまではいかない。それに、会話ではなく情報の伝達。難易度は低い。
バイトの面接での緊張感に比べたら何のこれしきである。
茉鱈先生はざっと生徒を見渡す。「全員揃っているようですので、そのままで。伝達事項を伝えます。まず、明日の体育ですが必ず筆記用具を持っていくこと。......それから、」一息ついて、言った。「葉馬橋の付近で不審者が目撃されています。橋を通る生徒は十分に気をつけて下さい。」
葉馬橋、と脳内でつぶやく。葉馬橋は近辺を流れる川の橋ではあるが学校や高峰家からは遠い。橋を渡った先に神社があるが、その神社へ最後に足を運んだのはもう10年近く前のことだった。
前方の席に座っている女生徒のひそひそ声が聞こえた。「えー、うち、橋渡った先に家あるんだけど。不審者と会っちゃうかも。まじ怖いんですけど」
「あんた彼氏いるじゃん。護衛してもらいなよ」
彼氏、という単語にふと思考が止まる。
存在自体は知っている。だが、経験など勿論無いし友人を介して関わったことすらない。憧れるような、しかし恐いようなよくわからない感覚に陥ってくる。
「(『彼氏』...ってあれだろ。『魂の契約者』という奴だろう、多分。互いが困ったら命を賭して助ける同盟関係のようなもので、デートというものを重ねて親密度を上げていくんだろう)」
少し違う気もするが、概ね合っていると思う。
「それから...三月上旬に綺之浜を襲ったゲリラ豪雨による被害がまだ修復されていない場所もある。特に倒木やガラスの破片に十分気を付けること。被害の大きかった山沿いに家のある生徒は特別警戒するように。」
…
…………
放課後の訪れを告げるチャイムが鳴り響く。
終礼も終わり、教室から人が減っていく。私は通学鞄の中に教科書類を詰める。全部詰めてみると、やはり重い。少しの間、手で持つだけでも痛い。家が高校に近くて良かったとつくづく思う。通学鞄を机の上に置いて、ポケットから地図を取り出して広げた。
バイト先のお屋敷の位置を指し示す地図。
春休みでのバイト面接、そのまさかの合格通知書に同封されていたものだった。
大通りを進んでいける位置。葉馬橋とも反対の位置だ。目的地を示す★のマークに思わず胸が高鳴る心地がした。
「(ついに、”初バイト”.........!!だ、大丈夫だろうか。実は落ちてて、手違いでしたとか、無いだろうか。い、いいや。大丈夫な筈だ。封筒も私宛だった。...)」
不安とまだ見ぬ期待とでいっぱいになる。深呼吸を一つして、心を落ち着けた。地図をポケットに戻し、通学鞄を持ち上げて右肩に引っ掛ける。
「わっ......と」少しよろけたが、問題ない。体勢を立て直して教室の出入り口へ向かう。
豪華な面接会場に、案内人の執事。極めつけは水晶に手を当てたときのあの光。これから行く場所では何が待ち構えているのだろう。
いざ、バイト先へ。
学校で友達ができなくても、バイト先では違うかもしれない。前途多難でも、少しづつ着実に進んでいこう。気持ちを切り替えなくては。
不安をかき消すように、私は一歩を踏み出した。
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