運命のバイト面接(下)

屋敷の中は、それは綺麗なものだった。




木目の整ったフローリングに、一面白色の壁。玄関横、すぐ左手に見える花瓶に至るまで埃らしきものは全く見えない。隅々まで磨かれているに違いない。屋敷と言うよりは施設に見えるそれは、なるほど、あの少女が言ったように普段は使われないのだろう。


だが、それは決して冷たさを感じさせなかった。それは正面に置かれた観葉植物の効果だろうか。それとも左手の花瓶に挿してある藤の花、その上品な紫が目を引くからだろうか。橙色の照明はどこか温かい印象を与えた。




「(流石はお金持ち。隙がない...)」




人の住んでいない家独特の、新築の家に似た匂いが鼻をひく。




「高峰友梨花様ですね?」


男の声がした。




「ひえっ」


反射的に一歩ほど後ずさる。突然現れた声に驚いて、声のした方角__右側を見ると、そこには執事服を着た年配の男性が立っていた。「あ...えと、すみません」




失礼な対応をしてしまったことに瞬時に謝ると、執事はこちらを安心させるように微笑む。




「構いませんよ。こちらこそ、驚かせてしまい申し訳ありません。」


白い手袋。片目しかない眼鏡。お手本のような執事がそこにいる。




「(執事服を着た執事...!いつからそこに立っていたんだ!?というか、執事って実在したのか...!)」




漫画やアニメでしか見たことの無い執事服。物珍しさ、憧れ、畏怖。様々な感情が浮かんでは混ざっていく。しかもこの執事、なんと立ち姿が優雅であることか。私は人生で執事などこれまでに見たことはない。つまり素人。それでも一目で洗練されていることを悟らされる。只者ではない。多分。




優雅な執事のおじさまは、これまた滑らかな手付きで廊下右手側の奥を指し示す。「あちらで面接官がお待ちです。」




「あ...あ、ありがとう、ございます...」なんとなく、ペコリと頭を下げる。「あの、これって靴は...」




「お履物はそのままで大丈夫ですよ。」




「あ...はい!わかりました...」また、なんとなく頭を下げた。




とりあえず会話と共に頭を下げてしまう。コミュ障の八割ほどが通る道ではなかろうか。




「(しかし、本職の執事さんに案内されるというのは中々に貴重な経験では...?)」


胸が高鳴る。mixivに投稿しているオリ小説の番外編で、この執事を元ネタにしたキャラクターを出してみてもいいかもしれない。




執事さんの指示に従って、廊下を右手に曲がる。外靴のままでフローリングの上を歩くのはまた変な感覚だった。突き当りには扉が一つ。扉の上には「面接室」の三文字。銀色のお洒落なプレートで縁取られたそれには、家紋だろうか、見たことのない印が書かれている。




「(...いよいよか)」ゴクリと喉が鳴る。




恐怖で震え...ではなく武者震いで震える拳を握りしめる。深呼吸を一つ。それから眼前にそびえ立つ扉に右手をかざして、ノック、ノック、ノック。確か事前にインターネットで調べた限りでは、ノックの回数は三回。問題はない筈だ。




「失礼します」




「どうぞ」今度は女性の声だ。




ドアノブを回して扉を開く。手元から目線を外して部屋を見れば、真っ先に視界に飛び込むのは奥の大窓。おとぎ話に出てくる西洋風の居城を連想させるその大窓には、先程も見た色とりどりな薔薇の庭園と澄んだ青空が広がる。




天井に控えめに佇む、灯りのない白いシャンデリア。部屋の中に光源は一切見当たらない。大窓から差し込む陽光で辛うじて輪郭のわかるその部屋は、侵入者を拒むような冷たさを含んでいた。部屋全体を覆う仄暗い空気は、呑み込まれるような威圧感を放っている。




大窓を背後にするように並べられた調度品の机と椅子。そこには眼鏡をかけて頬杖をつく黒いドレスの妖艶な女性が、長く黒い髪を弄びながらこちらを見つめている。




猫みたいな目だ。緊張で固まっていく思考の端で、そんなことを考える。




面接官の女性は蒼色の双眸を私の目に向ける。「お掛けになってくださいな」机の前に置かれた黒い椅子を指し示して面接官の女性は言った。




何故か耳に残る艶やかな声。どこか愉快な抑揚が滲み出る口調は、強張った頭の中によく反響した。




ドアを閉め、一礼して部屋の中へ歩を進める。




一歩踏み出すだけでものすごい重圧。これがバイトの洗礼か。自分の足が磁石で、床が砂鉄になったような奇妙な不快感を持つ違和感が全身を襲う。熟語で表すとすれば「緊張」だろうか。何度も止まりそうになる足。その度に自分を奮い立たせた。




「(しっかりしろ、高峰友梨花。変わるんだろ、「脱・引きこもり」するんだろ...!)」




指し示された椅子に座ると、面接官は興味深げに私をしげしげと見つめた。「一つ、聞いてもよろしいかしら」




「はい」


震える左手を右手で抑えながら返す。




「いえね、綺麗な目だと思いまして。その目は自前?それともカラーコンタクト?」




「自前です」こちらの内心を見透かすような鋭い視線に、体の芯が冷えていく。「産声を上げたときから、この色です。」




「素敵ですね」


ころころと鈴を鳴らすように女性は笑う。




面接官は頬杖をついていた右手を改める。「履歴書と、保護者同意書。マイナンバーカードと...あと、茶封筒の書類を出してくださるかしら」




「はい」




手に提げていた緑色のトートバック。その中から、面接官の女性に言われたものを順番に机の上に並べていく。


履歴書、保護者同意書、マイナンバーカード、母に持たされた茶封筒の分厚い書類。




「不備はないようですね」ひとしきり並べ終わった後に女性は言う。「それでは今からいくつか質問をします。と、言ってもそんなに難しいことは聞きませんわ。あくまで書類の確認程度ですから。」




「...はい」捻り出した声は震えていた。




対面での質疑応答。しかも一対一。一年前と比較すれば随分と人前に慣れてきたが、やはり自分は根本的にコミュニケーションが不得手であることを思い知る。




思考は混乱し、手は震え、背筋は凍る。未だに他者との会話は怖かった。




だが逃げない。決してその目を逸らさない。それだけ意識しながら、私は仄暗い闇に包まれた部屋の恐怖に辛うじて打ち勝っていた。




「まずはご自分の住所と入学予定の高等学校の名称を教えて下さいな」




「...住所は、神奈川県綺之浜市...の、螺生区...19−24です。」心臓の音がひどく喧しい。間違ってはいないだろうか。そんな不安が湧き上がっては感覚を揺さぶってくる。「綺之浜市立綺波高等学校に入学予定です。」




「あら、あそこ。確かに近場ですね。大通りにも面していて、行き帰りにも都合が良い。」彼女はそう言って頷く。職場に近いというのは、メイドの条件的に考えて好ましいのだろうか。




面接官は続ける。「それでは次にご自分の生年月日と血液型を教えていただける?」




「生年月日は2005年4月2日、血液型はABです。」




「あら」面接官は目を瞬かせた。「牡牛座ですね。それに興味深い星。__高峰友梨花さん。貴女、金平糖はお好き?」




「いいえ、あまり得意ではありません。」




震えを誤魔化すように、両手を強く握る。何故そんなことを聞くのだろうか。疑問符で頭が埋め尽くされる。だが、聞き返すだけの度胸が私に在る筈もなく、ただ緊張で倒れそうな身体を必死に繋ぎ止めている。




「そうなんですね。...ああ、大丈夫ですよ。興味本位の質問ですから。」




面接官の女性は履歴書を手に取る。それを真剣な目つきで一瞥すると、すぐにこちらを向いた。「いくつか英語の資格を取られていますね。それも、その全ての資格が高校卒業レベルの英語力を証明している。応接館には外国のお客様などもいらっしゃいますので、友梨花さんのその力はきっと役に立ちますわ。」




「...ありがとうございます。」礼を述べながらも、その心中は複雑だった。




英語の資格。その大半は、生みの母親に取らされたものだった。TOEFL iBT、CASEC、それからEducation firstに英検。




試験用紙の文字と人間との会話はまるで違う。面接官のように決まった質問だけを投げかけてくるわけじゃない。それに試験と違って答えの根拠が書かれてある問題用紙もない。




何より私は__人とのコミュニケーションが不得手だ。




潰れそうな心地の中で面接官の女性は、私の心中とは裏腹に明るい調子で言った。「それでは最後に、友梨花さん。この水晶に利き手を置いていただける?」




それは、最もよくわからない質問だった。




女性が机の下から何かを取り出す。


机の上に置かれたそれに目を向ける__綺麗な水晶だ。一目見た感想はそれだった。




白く透き通った水晶。大窓から降り注ぐ陽光を反射して煌めくそれは、虹を帯びている。形状は滑らかな球体。片手で持てそうな大きさのそれは、仄暗い部屋の中で異彩を放つ。




「...これに、利き手を?」


「はい」




一瞬だけ左手を出しそうになって、やはり右手を恐る恐る近づけた。




不思議な感覚だ。


まるで水晶を中心に波があるような感覚。物質的な確証はなにもない。だが、漠然とそう感じる。指先で水晶に触れる。冬の冷気を閉じ込めたようにひんやりとした表面温度は、私の手に何故かよく馴染む。そのまま手のひら全てを水晶玉に乗せた。




そのときだった。




「ひぃぃいっ!?」




手から何かが吸い取られていく心地がしたのは。




反射的に手を引っ込めようとするも、右手は神経が無くなってしまったかのように動かない。


まるで右手と水晶が繋がってしまったかのように。


私の血液が水晶にも流れているような感触と、それが理論的にありえないことを知っている理性がどうにも噛み合わない。”私”が水晶へと流れていくと同時に”水晶”も私へ流れていく。身体はまるで言うことを聞かなかった。そして、




「...これ、は」目を見開いた。




先程まで透明だった水晶が、紫と黄色の二色に染められ、淡い光を帯びている。




最初こそ蝋燭の光のようであったそれは徐々に強さを増していく。いつの間に色が変わったのだろうか、などと考える暇はなかった。一瞬一瞬が過ぎるごとに光はやがて閃光となる。




水晶に触れる右手が熱い。氷のように冷え切った私の身体で唯一熱を帯びたその手は、動画の向こう側のように現実感がなかった。




目を瞑りたくなる程の光。だが決して目を逸らそうとは思わなかった__否、思えなかった。


目を離したらいけない。そんな気がした。




「__想像以上、ね」




「え」




その言葉でようやく、目の前にいる面接官の女性の存在を再認識する。




女性は感心したように頷く。「お疲れ様、もう良いですわよ。」


そして人差し指でそっと私の右手に触れた。




「わっ」


その途端にようやく、部屋全体を覆っていた閃光が消える。




右手の感覚が通常に戻っていく。心拍数は高くなっているものの、全身の温度も感覚もいつもどおりだった。全身が奇妙な気怠さに覆われる。水晶は元の色に戻っている。荒い息を何度か吐いて__次に、混乱した。




何が起こったのかよくわからなかった。それが正直な感想だった。




いつも夢想していた。もし魔法が使えたら。もし奇跡が起こせたら。もし最高の仲間やライバルたちと旅をすることができたら。そして世界を救えたらと。




異世界を救う聖少女。最強剣士の生まれ変わり。大天使の娘。大賢者の弟子。いつであっても私の脳内世界には、宿命を背負う「妄想上の私」が存在した。


__都合の良い考え方をしてしまうのなら、これは所謂”魔力”というやつではないだろうか。


手品かもしれない。最新の発明かもしれない。そういった予防線を張りながらも、どこかで”奇跡”を期待している自分がそこに居る。




頭の中は容量の破裂寸前だった。




「これで面接は終了です。こちらのものはお持ち帰りくださいな」




そう言って面接官の女性は茶封筒以外の机上にある全てのもの__履歴書、保護者同意書、マイナンバーカード__を一纏めにして手渡し、微笑む。「あとは、結果をお楽しみに」




「わかり、ました」


差し出されたものを受け取る。




立ち上がって一礼し、入り口へと戻る。扉の前まで来て少し後ろを振り返ってみれば、にこりと微笑む女性の姿が見えた。




「失礼しました。」また一礼し、扉をくぐる。




「(......緊張した...!!)」




扉を背に息を吐く。心臓の音が両耳に響いて、ここが自分の部屋であれば今すぐにでも座り込みたい心地に駆られる。面接室の寒々しさが嘘のような春の陽気に、何故か”戻ってきた”という言葉が浮かぶ。思わずほっと息が漏れた。




「(良くやった私...誇れ、私...私はいま一歩を踏み出せたのだから...!)」




右手の拳を握りしめて、顔を上げた。




「お疲れ様でした、友梨花様」


入り口で見た執事のおじさまがそこには立っていた。柔和な微笑みに整った立ち振舞といい、実に絵になる御仁である。




「あ、ありがとうございます。」ぎこちなく礼を言って、執事さんに従って廊下を進んだ。玄関が見える位置にまで来てふと__そこに、女の子が立っていることに気づく。




蜜柑を思わせる橙色のウェーブがかかった髪。ハーフアップで纏められた髪の毛は、かなり毛量が多いように見える。澄んだ濃い緑色の両目は真っ直ぐにこちらを見つめていた。黒を基調としたブレザーは、少なくとも私が知らない学校のものだった。




メイド希望者、だろうか。




『次は職場で会いましょ!』__ふと青髪の少女のことを思い出す。




橙色の少女はまん丸の目を二度、三度瞬かせた。




「あなたも、メイドの面接を受けに来たの?」


「は、はい」数秒間をおいて、そんな返事をした。




…先程の青髪の少女といい、このバイトはコミュ強しか来ないのだろうか。




いや、それも当然かもしれない。面接官の女性は言っていた。『応接館には外国のお客様もいらっしゃる』と。コミュニケーション能力に自信のある人物が希望者に多いとしても納得できる。




物怖じせず会話ができるというのは、素晴らしい才能なのだから。




私の傍らに立っていた執事さんは、橙色の少女の方に進み出る。


「お待たせしました、李乃様。面接会場は右奥の通路になります。どうぞお進みください。」




どうやら橙色の少女は名前を「りの」というらしい。




移動間際、にこりと笑ってこちらに手を振ってきた李乃さんに恐る恐る、手を振り返す。手を振り返してよかったのか、本当に私に対するものなのか_一瞬不安になったが、李乃さんが向けた満面の笑みにそれが杞憂であったことを悟る。




達成感と、披露。不安と鼓動の高鳴りを抱えながら、館を出るべくドアノブに手をかけた。










合格通知が届いたのは、面接から一週間経った後だった。




_______

舞台は現代なんですが、正確にはこの世界まんまというわけではなく「限りなくこの世界に似ている別時空の現代、いわゆるパラレルワールド」となっております。


そのため存在しない地名が出てくるなどしますが、「ああ、ここって、めっちゃ現実と似てるけど別世界なんだな」とでも思っていただけると幸いです。

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