蜜柑色の少女

ウェーブのかかった蜜柑色の髪を若草色と桜色のシュシュで一纏めにした、華やかな雰囲気を纏う可憐な少女。翡翠色の瞳から降り注がれる視線の先には『数学Ⅰ』と書かれた教科書があった。西洋風メルヘンを再現したような景色と現代風美少女である彼女はアンバランスに見えてどこか調和を取っている。妖精もかくや、といったその愛らしさは人ならざる者を引き付ける__




文章にするならこんなところだろうか。とはいえ最後の一文に関しては完全に私の趣味というか好きな設定であり、人ならざる者が本当に彼女に惹きつけられているかなどわからないのだが。




「(というか、彼女、どこかで___)」




会っただろうか。そう考えていた時だった。


ぱちり、とお互いの目が合う。




翡翠の澄んだ双眸が、右目だけ眼帯で隠した私の目をじっと見つめる。見られている、という事実に心の臓が止まりそうな錯覚を覚えながらも、震える身体を戒めるように左手で右の袖をぎゅっと掴む。




「あー!!!」


目の前の彼女は突然、先程まで読んでいた数学の教科書をベンチに置いて立ち上がる。叫んだその声には聞き覚えがあった。少女は長い髪を揺らしながらこちらに駆け寄ってくる。




「面接のとき出会った子だー!銀色の髪が綺麗な子!私のこと覚えてる?ほら、私が面接会場に入るときに会った子でしょ!?」




「(__あ、面接会場)」


その言葉をキーワードに、あの面接会場での出来事を思い出す。




_『あなたも、メイドの面接を受けにきたの?』


そう聞いてきた彼女。手を振ったら満面の笑みで応えてくれた彼女。たしか、執事の人が呼んでいた名前は___




「えっと......李乃、さん?」おそるおそる尋ねてみる。




つい名前を言ってしまったが、李乃さん自身が名乗ったわけでもないのに気味悪がられるだろうか?急激に不安に駆られた脳内は、しかしその状態が長く続くことはなかった。視線の先にいる李乃さんがとても嬉しそうに、笑顔を浮かべていたからだ。




「あ、もしかして執事さんの言った名前聞いてた?良かった、覚えていてくれたんだね!」




「えっと...は、はい。執事さんが名前呼んでるの聞いて、それで...」




とりあえず気味悪がられなくて良かった。李乃さんは無邪気な子供みたいにくしゃりと笑うと、私に向かって右手を伸ばした。




「(ええと...これは、もしや、握手を求められている...のだろうか?)」




どうしていいのかわからなくて、自分の両手と李乃さんの右手を交互に見つめる。この構えは握手でいい筈だが、もし間違っていたら......体感時間が早くなっていく中で、李乃さんは明るい調子のまま続けた。




「一緒のシフトで働けるなんて嬉しいな!私、米瓦李乃!米に瓦でよねがわら、果物の李に乃でりのっていうの!今年、霊道牡丹高等学院に入学したばかりの高校一年生!...あなたは?」




「わ、わたしは...」


「(落ち着け、自分!落ち着け、高峰友梨花!こうなったときのイメージトレーニングは昨日家でさんざんやっただろう!大きな声で、はっきりと、笑顔で......)」




緊張で固くなる全身を和らげるように深呼吸を一つ。顔を上げて再び正面から李乃さんの顔を見る。勢いに任せて李乃さんの手を右手で握ってから、口を開いた。




「わ、私は高峰友梨花!高峰が苗字で、友梨花が名前です...その、市立綺波高等学校に通う、高校一年生......です。」


言い終わった頃には身体中から力が抜けるような浮遊感が私を包み込んでいた。無事、自己紹介できた。言いようのない満足感と羞恥心とが頭の大半を占めている。




「あ、じゃあ同い年なんだ!」李乃さんはさらに嬉しそうな顔で言う。「李乃さん、じゃなくて李乃って呼んで!私も『友梨花』って呼ぶから!それから、敬語も無しでいこう?ほら、なんか寂しいし。」




「じゃ......ええと、李乃...」恐る恐る、だが指示通りにそう言ってみる。




「うん、友梨花!私、バイト友達作るの夢だったから、友梨花みたいな友達ができてすっごく嬉しい!これからよろしくね!」




「と、ととと友達!?」


ここ数年間ずっと縁のなかった言葉に、反射的に身体を硬直させてしまう。そんな私の反応に李乃は少し不安そうに首を傾げた。




「...嫌だった?」




「あ、いや、その、嬉しくて」たどたどしくも言葉を返す。「私も友達、欲しかったから......」


嬉しい。暖かいなにかが指先まで残らず体中を満たしていくのがわかる。




一年間頑張って『脱・引きこもり作戦』を続けてきてよかった。ちゃんと一歩踏み出せた。五分ほど深呼吸をして近場の相談所に足を踏み入れたことも、意を決して中学校の教室に飛び込んだことも全部無駄ではなかったのだ。


「(家に帰ったらノートに書いた項目の『友達を作る』っていうところ、チェックしておかないとな)」


先程まで握っていた李乃の手の、暖かい感触がまだ残っている。




「(___あ)」ふとベンチの方を見れば先程まで李乃が読んでいた数学の教科書が置かれていた。


綺波高等学校でも用いられる一般的な教科書。表紙の上半分には木漏れ日が差し込み、白い光を反射している。


「(そういえば...教科書、いいんだろうか)」




さっきまであんなに真剣に読んでいたからてっきり小テストなどが控えているのだろうと思っていたが、李乃はもう教科書を置いたベンチの方を見向きもしなかった。緊急性がないのか、単に勉強家なのか、それとも教科書の存在を忘れたのだろうか。




「(というか、霊道牡丹高等学院...聞いたことのない名前だが、この近辺の学校だろうか?うーん...一年前まで殆ど外に出なかったから、少し自信が無い。ここはやはり李乃に直接聞いたほうが早いだろうか。だが......)」




聞き方が!!!!わからない!!!!




そう、それは私の、いや、全コミュ障の心の叫びだった。


考えてもみてほしい。知り合ったばかりの人間に、そういう流れでもないのに質問するのだ。もし私が人との交流に慣れているパーリーピーポーであれば難なく「そういえばあの教科書は?」とか「霊道牡丹って名前聞いたことないんだけどこのあたりにあるの?」だとか聞けただろう。




だが私はコミュニケーションが不得手だ。




自己紹介を無事に終えるだけで息が上がる人間なのだ。




頼む、神様出版社様。『自然な聞き方100選 ~ミジンコレベルのコミュ力でも簡単!~』とか出してくれ。それを読み込んで完璧に暗記すれば、私も少しはマシになるかもしれない。




「(うん。今質問するのは、諦めよう。あとで丁度いいタイミングがくるかもしれない。)」


友達と呼べる存在が新しくできた。それだけで大きな進歩だろう。




「(__ん?)」


ふと、視界の端、東屋の端の地面のあたりになにかが映る。




風景に溶け込んでいるように見えて、異質なもの。仄暗い違和感を発するそれは静かに佇む。確かに見えている筈なのに形も大きさも、まるで靄がかかったように認識できないそれは不気味、と形容するのが相応しいだろう。




「(奇妙だな。なんだろう、これ。)」




”それ”をよく見ようとして一歩を踏み出した。「痛ッ__」しかしその一瞬、頭がずきりと痛む。




「友梨花、大丈夫?体調悪い?」


急に頭を抱えた私を心配してくれたのだろう。李乃がこちらに駆け寄ってくる。「もしあれだったら、私がここにくる人に伝えておこうか?体調悪いなら、帰った方がいいんじゃない?」




「いや...痛みはもうなくなったから、大丈夫。」




「それなら良かったけど......」翡翠色の瞳が、じっと私の顔を覗き込んだ。ち、近い。「もし体調が悪いなら、無理しちゃだめだよ?具合悪い人は自分の体調を治すのがお仕事って、おばあちゃんもよく言ってたし__ん?あれ?」




李乃の視線の先には、球体に加工され磨かれた石に瞳の模様と抽象文字の羅列が刻まれた、掌ほどの大きさの置物がぽつんと存在していた。


風景に溶け込んでいるように見えて、異質なもの。仄暗い違和感とともにそれは在った。それは、思い返してみれば警告にも受け取れるあの頭痛の前に私が違和感を覚えて近づこうとした”それ”だった。違いがあるとすれば、確かに実在している筈なのにその具体的な姿を視認できなかったそれが、今は刻まれている文字すらも鮮明に見えているということ。形も大きさも、他のものと同じように認識できること。




最初にうまく実体を掴めなかったのは、ひょっとして見間違いだろうか。しかし肌を刺すような、威嚇してくるような感覚は間違いなく”それ”だった。




李乃は置物から視線を外し、こちらを見る。「ねぇ友梨花、あんなの、最初はなかったよね?」




「うん...その筈だけど...」




未知に遭遇した恐怖感と、非現実に包まれた高揚感で胸がいっぱいになる。これは本当に、魔法的なあれなのでは。そんな期待が押し寄せる。「(やはり異世界説は本当なのでは...?)」




「これ、一体どうなって___」


李乃が置物に右手を伸ばす。




次の瞬間には突風とともに、何か細長いものが地面に突き刺さっていた。

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