第22話 このタコ坊主が

「……申し訳ありません。海辺ではどうも私、ダメでして」

「もういいわよ……。あ~~~~もう、このヌルヌル取れやしないわ!!」


 触手につけられた粘液を海水で洗い流している弥生。

 彭侯ほうこうは森の精霊なだけに海ではいまいち力を発揮できない。

 やれることといったら、せいぜい海藻を踊らせることくらい。


 頭から海水をかぶる主人の側で、垂れ下がった触手を切断している彭侯。

 海中から突き上げられた、鋭利で巨大な岩のツノ

 大王ホタテダコはその身を貝殻ごと突き破られ、見上げる高さの上でグッタリと動かなくなっていた。


 海底の岩を槍代わりに、一撃で仕留められたのだ。


 たとえ海であろうが、そこに地面がある限り、黄龍に勝てる者などいやしない。

 そのことを察知もできなかった愚鈍な生物は処分されて当然。

 彭侯はむしろ憐れみの気持ちをもって、その身を採取していった。




 パチパチじゅわわぁ~~~~。


 焼き上がった大王ホタテダコの足。

 串にさされて炙り焼きにされたそれは、焦げた醤油と合わさってとても美味しそうな香りを漂わせている。


「ではさっそくいっただっきまぁ~~~~っす!!」


 はむ。

 んにゅ~~~~~~~~~~~~~~~~ん、ぷちんっ。

 くにゅん、ぷりゅん、こりこり……ぶじゅっぶじゅ……。


 もの凄い弾力。

 最初噛み切れなかった肉は、ある程度力を入れると諦めたように弾けて、口の中で踊り、噛みしめると七色の食感と、獣肉とはまた違うあっさり濃厚な肉汁を溢れさせてくれる。

 見た目のグロテクスさとは相反したその上品な旨味は、醤油の香ばしさと絡み合い、弥生の興味をまたたく間に鷲掴わしづかみにした。


「う……うんまっ!! うんまっ!! うんまっ!!」


 こりこり、ぷちゅぷちゅ、じゅわじゅわ。こりこり、ぷちゅぷちゅ、じゅわじゅわ。こりこり、ぷちゅぷちゅ、じゅわじゅわ。こりこり、ぷちゅぷちゅ、じゅわじゅわ。こりこり、ぷちゅぷちゅ、じゅわじゅわ。こりこり――――。


 歯ごたえと、食感と、旨味の、無限ループ。

 弥生は目の焦点を合わせることも忘れて一心不乱に食べ続けた。


「だ……だめだ……私……この子、好き……好き!!」

「……ホタテの味もしますね。タコの姿だった本体は貝柱の役割もしていたようですから組織が共有されていたのでしょう。もの凄い旨味成分です」

 

 それからしばらく、二人は会話することも忘れてタコ足をかじり続けた。




「むあぁぁぁぁ……食べた食べた」


 漫画のようにお腹を膨らませ、岩場に寝転ぶ弥生。

 10メートルくらいあっただろう大王ホタテダコの足。

 その半分以上を平らげ、ひさびさの海の幸に大満足した。


 ざざ~~ん……。

 波の音は気分を落ち着かせてくれる。

 潮の風は心を豊かに。青い空は気持ちを軽く浮かばせてくれる。

 ぐ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~……。

 弥生は小さなイビキをかいて寝てしまった。


「……はしたないですよ弥生様」


 出っ張ったお腹は服に収まりきらず、おヘソが出てしまっている。

 それをそっと隠し、彭侯はお鍋の様子を確認した。

 煮込んでいた海水は蒸発で量が減り、ちょうど10分の1くらいになっていた。


「頃合いですね。では作業を進めてしまいますか」


 気持ちよさそうに寝ている主人を起こさないよう、できるだけ静かに動く。


 作業とは言ったが、にがり作りはとても単純。

 海水を煮立てて塩を取りだす。

 その残りが『にがり』というだけである。


 煮詰めて濃度が濃くなった海水を、濾し紙フィルターに注ぐ。

 すると不純物と白い物体が残るが、これはゴミと石灰。

 石灰は畑の土壌を整えたりいろいろ使い道があるが、今回は少量なので採取しない。弥生に頼めば土の中からいくらでも取り出してもらえるからだ。


 濾し終わった液体は『かん水』といって、これは小麦粉と混ぜることによって粘りや弾力性を生む効果がある。

 中華麺を作るのに欠かせない物なので、これはいつかの為に少量小瓶に取っておく。


 残ったかん水をさらに煮詰めていくと、しだいに白い結晶が現れてくる。

 これは塩の結晶。

 焦がさないように注意しながらシャーベット状になるまで水分を飛ばす。

 それを今度は頑丈な布にくるんでぎゅ~~~~~~~~~っと力いっぱいしぼる。

 ポタポタと、やや白濁した液体が染み出してきた。


 ――――ぱちん――――「はっ!??」

 寝ていた主人が目を覚ましたようだ。


「おはようございます弥生様。作業はもう終わりますよ?」

「は? へ!?? ……え、あ? あ~~~~~~~~~~……そっかそっかじゅるじゅる……やだもう私ったらよだれなんて垂らしちゃってる」


 恥ずかしがりながら、ごしごしと口周りを服で拭う弥生。

 涎どころか半目で鼻提灯はなちょうちんを膨らませていたことは言わないでおく彭侯。


「えっと……なんだっけ?? にがりだっけ?? もう出来上がるの??」

「はい。ぽたぽた落ちている液体があるでしょう? それが『にがり』です」


 一滴一滴、小瓶に滴っていく液体を見て、目を丸くする弥生。

 どうみても濃いめの海水のように見えるが……?


「おお~~~~……マジで? どれどれ、ぺろりんちょ」

「あ……」


 一滴、指に落として舐めてみる。

 と、弥生の顔がみるみる青くなった。


「苦っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっがいっっっっっ!!???」


 そして激烈に辛い!! さらに磯臭い!!!!

 平たく言ってまずいっ!!!!

 転げ回る弥生。さすがに呆れる彭侯。


苦汁くじゅうとかいて『にがり』ですからね。直接口に入れたら……それは……そうなりますよ……」

「は……はぐわぁぁぁぁぁぁぁぁ……はむはむはむはむ……」


 口直しに大王ホタテダコの身を生でかじりだす弥生を「……………………」な目で見る彭侯であった。

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