第38話

 風狸は完全に怒っていた。

 ウルハちゃんのレイピアに貫かれ、あまつさえ顔を翼で叩かれた。

 それが発端となり、風狸は尻尾を上げて、頬袋に空気を溜め込む。

 明らかにマズい。私は体を貫く嫌な感覚に苛まれてしまった。


「あ、アスム? これマズいよね?」

「うん、絶対マズいよ。ウルハ、気を引き締めて」

「う、うん。と、とりあえず私は……」


 風狸は迷っていたウルハちゃんを睨みつけていた。

 完全に私は眼中にないのか、頬袋に溜め込んだ冷たい空気を風の刃にして放つ。

 耳を劈くような鋭い轟音。細かな岩の欠片を撒き散らすと、ウルハちゃんと飲み込もうとする。


「ウルハ!」

「あ、危ないよ!」


 翼を使って間一髪のところで宙に浮いて躱した。

 パタパタとはためかせて、ドーム状の空間の天井付近まで飛び上がる。

 流石にこれなら攻撃もやたら滅多には飛んでこないはず。

 私も安心するのだが、それと同時により一層痛い感覚が肌を貫く。だけどこれは私に対してではない。


「ウルハに対して……それじゃあまた!?」


 私は嫌な予感がした。視線を天井付近で停滞しているウルハちゃんに向ける。

 風狸は頬袋に空気を溜め込み、パンパンパンと軽快に風の刃を撃ち出す。

 けれどその全てをウルハちゃんは躱してしまう。

 だけど躱すたびに天井の岩肌に傷が付けられ、私もコメント欄も嫌な予感を助長させられた。


「もしかして……みんな!」



:ヤバくね?

:ウルハさん気が付いてる!?

:絶対避けたらダメだろ

:いや、避けてもダメだろ

:完全に怒ってるな

:ウルハさん、逃げて! 全力で逃げて!

etc……



 やっぱり同じことを考えていた。

 私は急いで知らせないとダメだと悟り、声を張り上げてウルハちゃんに伝えようとする。

 けれど遅かった。ウルハちゃんの頭上から細かな岩が落石となって降り注ぐ。


「ウルハ、危ない!」

「えっ、ちょっと待って。もしかしてさっきの攻撃を避けたから!?」

「そんなことないいから。早く避けて!」


 ウルハちゃんは落石を全力で避けるしかなかった。

 降り注ぐ細かな岩を一つ一つ丁寧に避ける暇はない。

 大雑把に躱していると、細かくて尖った岩が服の上からウルハちゃんを襲う。

 柔肌に容易く傷を付けると、少しだけ痛みに苦しんでいた。


「よっと、それ。うわぁ、痛い! 痛い痛い、ちょっと止めてよ!」


 ウルハちゃんは一旦天井に空いた穴の付近に寄って行く。

 下降気流を突き破り、安全圏に退避しようとした。

 けれどそれは私のためでもあった。完全にウルハちゃんが一人で風狸の視線を釘付けにし、ターゲットを取ってくれているのだ。


「今だよアスム。私に注目している間に、風狸を倒して!」

「やっぱりそうだよね。分かった。それじゃあ囮は頼んだよ!」


 私はウルハちゃんに囮を任せることになった。

 だけど率先して自分から動いてくれている。

 それなら甘えない訳にはいかないし、ウルハちゃんのことを強く信じている。

 私も信じられているからか、体が素直に動くと、風狸の頬袋を狙って刀を振り下ろしに行く。


「ウルハにばっかり気を取られてたら、私にやられちゃうよ」


 風狸の耳元で刀をバッサリ振り下ろす。

 切っ先が頬袋に触れると、そのまま流線を描いて傷を付ける。

 突然の痛みが激しく伝う。風狸は溜め込んでいた空気を吐き出すと、頭をブンブン振るって私のことを睨んだ。


「私はウルハみたいに注目されるようなことはしないけど、負けるとかそんなことを思ったことはないよ」


 私は風狸に刀を突き付けると、左の頬袋を切られたことで怒りを露わにする。

 ようやく私のことも敵だと認識してくれたようで、頬袋に再度空気を溜め込む。

 けれど私は素早く動いた。刀を持ち帰ると、顎の下をスパッと切る。


「ウーガァァァァァァァァァァァァァァァッ!」


 風狸は痛みが激しく伝わって上半身を持ち上げた。

 丈夫な尻尾を使って体を支えると、立派な爪を剥き出しにし、暴れ狂って我を忘れ始める。

 しかし私は一切余裕を与えない。ここは勝負所だと悟ったので、畳み掛けるように傷が入った左の頬袋に蹴りを入れる。


「そらぁ! まだまだ止まらないよ」


 私は左足一本で体を支えつつ、体勢が崩れると同時に刀を持ち直す。

 抵抗して私のことを切り裂こうとする爪を抑え込みつつ、そのまま押し切って爪を消耗させると、徐々に鋭い爪に丸みが出て攻撃力が低下していた。

 これなら倒せる。完全に冷静じゃなくなっていた。

 私は油断大敵で、フラグみたいなことは一切言わないようにしつつも、傍から見ても圧倒的に優位に立っていた。


「凄い、凄い凄い! このままアスムが押し切っちゃうよ!」

「それならいいんだけどねっ。そりゃぁ!」


 私は風狸を一刀両断しようとした。

 一文字切りを綺麗に決めようと、柄の部分を両手でしっかり握り込む。

 このまま振り下ろせばバッサリ切り倒せる。そう思ったのも束の間。風狸は怒りのあまり、激しく抵抗した。破けた頬袋に空気をすぐさま溜め込むと、風の刃ではないが突風として吐き出した。


「な、なに!? うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 私の体が押し戻された。風狸の凄まじい肺活量を前に、私の体の宙に浮く。

 刀を構えて防御しようとしたけど、私が軽すぎて簡単に地面に体を擦った。

 擦り傷が酷い。全身が細かく痛い。私は刀を使って何とか立ち上がるが、風狸の抵抗は激しさを増し、目の前で戦闘不能寸前の私にも容赦をしてくれる様子はない。


「これ、さっきよりもマズいよね」


 私がゴクリと息を飲んだ。このまま一人で相手をするのは難しい。

 そう判断したので私はウルハちゃんに声を掛ける。

 ここは二人で一気に仕留める。タイミングを計ろうとした。


「ウルハ、一緒に倒すよ。合わせられる?」

「うん。それじゃあ一気に下降して……はぁ!?」


 風狸はウルハちゃんに向かって突風を放った。

 するとウルハちゃんは吹き飛ばされてしまい、翼を使って飛べなくなる。

 下降気流が吹き込む中で上昇気流が起こった。

 そのせいで不安定な空気の流れに乱されてしまい、ウルハちゃんは回転しながら落下する。


「ウルハちゃん! 間に合ってよね、それっ!」


 私は飛び込むようにしてウルハちゃんを抱き抱える。

 本日二度目のお姫様抱っこだったが、体がボロボロになり鞭を打ったように奥歯を噛んでいる。痛みに苦しんでいたが、なんとか怪我は最小限で抑えられた。

 だけど風狸は想像以上に強い。舐めて掛かっていたわけじゃないけれど、ちゃんと倒せるのか不安になってしまった。


「倒せるかな、今の状態で……」


 私はカタカタカタカタと激しく揺れる刀=時知丸を見た。

 私の手が震えているのか、それとも刀だけが震えているのか、もう分からない。

 だけどここまで来たからには倒さないと未來は無い。私もウルハちゃんもその想いは一緒のようで、苦い表情を浮かべながらも足搔くのだった。

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