第6話

 夏だというのに蝉の鳴き声も聞こえないのは、どうしてだろう。

 なにか特別な雰囲気が木造校舎を囲んでいるようだったが、けれど、残念ながら私はなにもしていない。

 昔からそうだ。 

 なにもしていな。なにもしようがない。なにもできない。ただ、ここにいる。

「……べつに」

 喉の奥がひりつくようだ。なんと声をかければよいのか、私はわからなくなってしまった。ただ、喉の奥が、ひりつく、ようだ。

 もうすっかり肉体など失ってしまったはずなのに。

 喉の、奥が、痛い。

「……別に、恨んだりとかしてないです。そりゃ、最初は理不尽さに怒りもしたけれど、あの当時の不安定な情勢がそうしたんだって、わからないほど子どもでもないです」

 言葉にしながら、ほんの少しだけ嘘だなとも思った。

 恨んでいるというよりも、恐れている。

 いまでもあの時を思い出しては恐れている。生きた人間を恐れる幽霊なんて、幽霊らしからぬかもしれないが、けれど。私は未だにあの時の人間の顔を思い出すことができない。本能的に恐れている。

 木造校舎にいたのだって、学校の敷地がら出ないことだって、外にでるのが怖かったからだ。

 だから恨んだりはしてないけれど、怖い。あの時のことを忘れたことなんてなかった。

「……ここにいるのだって、深い理由はないですよ。ここから出るのが怖かったんです。次に人間に生まれ変わるのが怖い。そういうだけです」

 輪廻転生があるかはわからないけれど。次もまた人間に生まれ変わるのが怖い。

 ただそれだけで、ここに居続けた、いわば引きこもりも同然だった。

「そうしたら、たまに視える人が居て、それでたまに、噂話が生まれただけです」

 今までずっとそうだった。

 たまに視える人がいた。

 たまーに、視えて、けれど私が幽霊だと気付かない人もいた。それだけだ。

「別に、誰かに恨みを晴らしてもらおうと思ったこともないですし、無念を語り継ぎたいわけでもないです」

 本当にそれだけだった。それだけ。本当に。それだけ。

 だから箕島先輩のいうような、語り継ぐ人がいなくなることを恐れたことなんてない。怪談話なんてとくにいらない。

「箕島先輩は、珍しく私の事が視えて、そして、幽霊だと気づいてないようだった、民俗学研究会なんて珍しい部活をひらいて、そして私のことを調べていた。だから声をかけただけです。未練なんてないです。忘れられていいんです」

 口にしながら、失敗したなぁと思った。

 箕島先輩は一年のころから突拍子もないことをしていた。

 部活をつくり、この近辺のことを調べ、生贄の儀式についてもまとめあげた。ああ、あの忌まわしき儀式も、これだけ時が経てば語り告げることができるのかと、単純に驚いた。自分のことをまとめ上げるけったいな人がいて、その人はたまに、眼があった。面白いなと思った。

 だから箕島先輩が三年生になるとき、声をかけた。転入生で、入部希望者。一緒に部活をしたら楽しいだろうなと思った。だってもう、箕島先輩も私も、この学校が無くなることを知っていた。最後くらい、ちょっと面白い時間がほしい。

 それだけ。本当にそれだけだった。ただ。

「……こんな先輩がいたら、楽しいだろうなと思った。だから声をかけました」

 まさか箕島先輩は、私が幽霊とわかってなお、それでも後輩などと呼んでいたとは思わなかった。

 あいかわらずやっぱり不思議で面白い人だった。だから。

「……忘れられていいんです。とくに未練もないです。ただ。先輩と部活をすることが楽しくて、それで一緒にいただけです」

 箕島先輩をみつめながら、ふと、合点がいった。

 多分。箕島先輩は私がなにか未練を持って、それで近づいたとでも思ったのだ。

 それで助けようと思ったのだ。

 なんとも突拍子もないが、けれど。理解できることだった。だから。

「なんでもないです。楽しかったです」

 本当ですよ。嘘じゃないです。

 ……語れば語るほど、なんとも陳腐な言葉になるが、本心だった。

「部活、楽しかったですね。先輩」

 だから、それを口にすれば。「私は河方後輩にだったら、向こうに連れてかれても良かったよ」 なんだか泣きそうな顔をした箕島先輩に、そう、紡がれた。

「民俗学研究会なんて作ったのも、貴方の事が知りたかっただけだし」

 それは初耳だった。つまり箕島先輩は入学したときから私が見えていたということだろうか。これまで見える人というのは、体外、驚くか恐れるかのどちらかだったので、部活を作るという突拍子のなさは想定外だ。

「怖い話が好きだからじゃなかったんですか」

 思わずそう漏らしてそまった。ただ、箕島先輩らしいといえばらしいと思う。興味を持った事に一直線で、思い立ったら即行動する人だ。

「怖い話が『好き』だよ。入学したらとんでもない美人が構内を彷徨いていて、そのくせ誰も気に留めていなかった。そんなの気にならないわけがない」

 とんでもない美人というのは箕島先輩の方だろう。今も白いワンピースが幻想的なほど美しい。私はといえば芋ジャーで、髪もひとつむすににした程度だ。可愛くなく見えるほうが悪目立ちしないのだと、生前の私はちっともわかっていなかった。だから別に、可愛くない格好をしているほうが気楽だった。

 けれど箕島先輩は違う。一人で民俗学研究会を立ち上げて、一人で村の噂話をまとめて、周りから白い目で見られていても、気にせず活動続けて。そうして二年も経てば、気づけば周りに受け入れられていて。周りの目など気にせず自分を通していた。だから箕島先輩は誰よりも美しいと思う。

 でもその箕島先輩が、今はなんだか泣きそうな顔をしていた。

「河方後輩と別れたくない」

 まるで恋人に縋るように紡ぐ。

「学校が無くなっても消えないでよ、河方後輩。怪談話なら作るから」

 作るから、消えないでよ、と。

 そこで初めて、箕島先輩は涙をこぼした。

 ふと、その表情をみて、箕島先輩もまだ中学生だったのだなと、当たり前のことに気づいてしまった。

 行動力があって、人の前に立つような性格で、誰もが振り返るような美人。完璧に見える箕島先輩も、けれど周りがちっとも見えていない思春期の子どもだったんだなと、思った。

 思春期の、恋に盲目的な少女だったのだな、と。

 それは私がみてきたどの箕島先輩よりも愛らしく、美しいなと思う。

 だから。

「私、ここから出る方法がわからないの」

 そうっと紡ぐ。

 そもそも出たいとも思ったことがない。だって外は怖いもの。ちょっとオシャレしただけで、生贄だなんだといって殺される世界だもの。だから外には出たくはない。だから出たことも無いし、出る方法もわからない。

「どうやってこの身体を維持しているかもわからないし」

 幽霊の身体ってどうなっているのだろう。足はあるし、認知された人には普通に映る。ものを触ることもできるし、格好だって変えられる。けれどどういう理屈なのかはわからない。

「外を出て、この身体が保つかどうかも怪しいし」

 だから全て未確定で、不安定。ソレに違いはなかった。ただ。

「それでいいなら」

 箕島先輩は可愛かった。

 真っ直ぐに美しかった。だから。

「私は民俗学研究部の期待の新人ですからね。後輩でいるかぎりは、側にいますよ。箕島先輩」

 先輩といるのは楽しかった。

 それで十分だと思っただから。 そう、私が言えば。 箕島先輩は泣きながら笑って。

その姿はやっぱり美しかった。


 今夜は月がやけに明るかった。

 先輩は美しかった。

 だから。


 私は約束をした。

 その程度には。

 やっぱり私は民俗学研究部が……、箕島先輩のことが。

 私なりに、好きだったのだ。

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十三階段の怪談の会談 蒼埜かげえ @mothimothi7

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