第4話
「河方後輩。わが校の階段話はわかるかい?」
かくして中央階段の真ん中で、先輩はちょこりと座りこんでいた。問われるままに、私は頷く。
調べずともこの時期はよく噂話を聞く。だから迷わず口にした。
まず。
「夜に勝手に鳴るピアノ」
この校舎の三階には音楽室がある。そこから夜に、勝手にピアノの音が聞こえるという。次に。
「美術室の初代校長の絵が動く」
同じく三階に美術室がある。教室を見渡すように初代校長の肖像画が掛けられていて、その絵が夜になると動き出すらしい。なお初代校長は強面で、肖像画を前にすると怒られているような気持ちになる。目玉が動くだけでも大分迫力があるだろう。
私だったら悲鳴を上げて逃げる。
なお、この美術室にはもう一つ怪談話がある。
「石膏像の位置が変わる」
これはさっきの初代校長の絵が動く話に似ているが、内容は大分違う。なぜならこの話には続きがあるからだ。
「石膏像は『佐和子さん』が動かしている」
「佐和子さん」
意味深そうに箕島先輩はその名を復唱した。
『佐和子さん』。
これこそがこの山田河中学校の怪談話の特徴である。
私は箕島先輩に促されるように続きを紡ぐ。
「一階女子トイレ、奥から二番目の個室を使うとドアをノックされる」
この話にも続きがある。
「『佐和子さん』が友達を探しているからだ」
箕島先輩は私の話に満足そうに頷いて、そして口を開いた。
「佐和子さんはどうして友達を探しているのだろう」
問いかける先輩の後ろ、校舎の窓から月の光が差し込む。
今夜は満月ではなかったが、随分とその光は強く、私の足元に先輩の影を落とした。
綺麗だなと思いながら、私は問いに答える。
「佐和子さんはかつてこの村で生贄にされた女生徒だ。たった一人で死んだため、友達になれる人を探している」
生贄。そんな単語が急に出ると、突拍子もないように聞こえるかもしれない。しかし、これは、この山田河の古い風習に深く関わっている。
かつて、江戸時代の中頃、具体的にはいつ頃までかは分からないが、兎にも角にも二百年以上は前。
この山奥の田舎の村では山の神様に生贄を捧げる風習があったという。生贄は若い娘で、村一番に美しい者が選ばれる。そして山の神様に奉納されるのだ。
これだけ聞くとよくある昔話なのだが、実際にそういう風習があったのだと書かれた文献をみると、なんともグロテスクな話だと実感させられる。奉納の際、使用されたという神具が村の小さな郷土資料館に展示されていて、それを見た時など、ソレは本当にあった蛮行なのだと目の当たりにしたようで、気分が悪くなった。
山田河の古い神社では、五月に奉納の舞というものが行われるが、それはその生贄の変わりに生まれた祭事であるとも聞いた。
だから生贄の奉納というのは、かつて山田河に確かにあった風習で、けれど江戸の中期、つまりは争い事の無い時代に廃れた。そういう風に言われている。
けれど。
「佐和子さんは昭和の始め。この学校が出来て間もないころに、その生贄に選ばれた」
世の中が俄に戦争へと活気づいてしまった時代。都市で大きな地震ああって数年しか経っていないころ。
不安定なその時代、この山奥の村では再び儀式が行われた。そしてその儀式に選ばれたのは、当時、この学校に入学したばかりの佐和子さんだったという。
噂によれば、佐和子さんは都会から引っ越して来たばかりだった。色白で、当時流行っていたカチューシャを着けた佐和子さんは、あか抜けてみえたらしい。そんな彼女とその家族は、村の風習など知らなかった。つまり、それなりに見目のよい、何も知らない余所者。
それが村人にとっての佐和子さんだった。
生贄に、ぴったりだろう。
佐和子さんは夜間授業があると先生に言われ、当然のように夜の学校に行った。そして校舎に閉じ込められ、殺された。つまりは生贄にされたのだ。
佐和子さんの両親には、学校裏の崖に誤って彼女は落下したと話したという。表向きは悲しい事故となっている。
佐和子さんが生贄にされたことを、だから村人以外は知らない。村人が語らなければ、佐和子さんのことを知る者もいなくなる。
故に今では佐和子さんのことを誰も知る者はいない。
けれど。
「当事者である佐和子さんにとってはたまったもんじゃない。新しい場所、新しい学校で、村人全員に騙されて殺された。さぞや無念だったろう」
箕島先輩は、そうぼやいて立ち上がった。月明かりに、白いワンピースと、おなじように白い肌が浮かび上がる。黒い髪に漆黒の瞳。蒼いリボンだけが、彼女を鮮やかに彩る様が美しい。
色白の美人で、垢抜けた少女。それこそ怪談話の『佐和子さん』のような出で立ちで、先輩は微笑む。
先輩はひとつ伸びをして、まるで天気の話をするように続けた。
「だから佐和子さんは、今でもこの校舎を彷徨う。この学校が出来た当時からある、この木造校舎で」
先輩はひとつ階段を登る。ギシリと、木造ならではの軋む音がする。
「理科準備室の人体模型が消える。これは佐和子さんが隠したから。人形遊びがしたかったんだ」
もう一段、登る。ギシリと再び音が響いた。
「二階、階段からみて左奥の教室の机の落書きが、増えたり減ったりする。佐和子さんが書いたり消したりしているからだ」
さらにもう一段上がった。この先に、階段は無い。ただの踊り場だ。真正面に窓があるのと、右に鏡がかけられてあるくらいだ。
「他にも、旧職員室の鍵が深夜に勝手に空いているのも、今は使われていない当直室から笑い声が聞こえるのも、下駄箱に不意に置かれるウサギもぬいぐるみも、全部、佐和子さんのしわざ」
階段の終わりが話しの終わりというように、箕島先輩はそこで振り返った。
「今、何個目で、あと何だったっけ」
どうやら十二個ある怪談の、どこまで話したかわからなくなったらしい。怖い話が好きという割には、箕島先輩にはこういう抜けているところがある。
とはいえ、十二個もあれば、どれを話して、どれを話していないのか、わからなくもなるだろう。それに。
「あと三つで、そしてそれは佐和子さん絡みではないものです」
そう、残りは佐和子さんとは関係ない。そして場所もこの木造校舎ではなく、三十年前に建てられたプレハブの校舎の方だ。
残りは、と、私は箕島先輩を追いかけるように階段を登りながら指折り数えた。
「体育館で夜にボールが勝手に動く。保健室の左端のベッドにはいつも誰かが眠っている。図書室の隣に幻の教室が増える」
人差し指、中指、薬指。順々におって、続けた。
「これで全部です」
これがこの山田河中学校の怪談。
箕島先輩は私の言葉に満足そうに頷いた。
「山田河中学校は怪談話が多いな。七不思議はよく言われるけれど、十二怪談というのは珍しい」
箕島先輩の疑問は最もだ。七不思議というのはよく聞くが、十二怪談というのはなかなか聞かない。そしてそのほぼ半分が『佐和子さん』に関するものだというのも。これはこの山田河中学校独自のもので、恐らく、学校の怪談としては珍しい方だと思う。
私は階段を登りきり、先輩の隣に並んだ。
今夜は月が異様に明るかった。
電気を着けていないのに、床の木目まではっきりと見える。
木造校舎は歩く度にギシギシと鳴り、雑巾では汚れも落ちなくなっていた。もう少し手間をかけて掃除をすれば、多少は見目麗しくなるかもしれないが、どこか暗く辛気臭い印象を与えるここを、好ましく思っている人は少ない。部活と称して毎日のようにここに来る先輩の方が珍しいのだ。
その、廃墟のような校舎に先輩と私。二人、取り残されたようだった。
なんだか時間が止まったよう……。
「……というわけで、せっかくなので十三番目の怪談を作ろう」
けれど。その静寂を打ち切るように、箕島先輩は大きな声を上げた。ご丁寧に「えいえいおー」という掛け声つきである。
そうだった。今日の部会の目的はソレだ。
どうせ十二個怪談があるのなら、キリよく十三番目をつくってしまおうというものだ。なんのキリが良いかといえば、海外では不吉とされているらしい十三の番号にかけてということだろう。
民俗学研究部は研究をして発表をする部であって、ありもしない怪談を作る部ではなかったハズだが、まぁ、箕島先輩が作りたいというならそれはもう作る他無い。なにせ言い出したら真っ直ぐな箕島先輩を相手にするのだから。
私は溜息をつきつつ、だからそのまま箕島先輩に問いかけた。
「場所がこの十三階段ということは、当然木造校舎に関わるもの。そういう事ですね」
当たり前のことだが、一応確認しておく。
「うん。とびっきりなものがいいな。河方後輩、なにか思いつくだろうか?」
とびっきりというのはどんなものだろうか。
箕島先輩のいうことは、時に抽象的で想像しがたい。ただ、せっかくなのでそれらしいものが良いだろう。
「そうですね……」
私は考えながら、この踊り間をみる。
十三階段とはこの中央階段の、一階から登った踊り間までのことだ。中央階段は基本十二段なのに、ここだけ十三段なのである。ならば。
「例えば、深夜零時にこの十三階段を登ると死者の国の扉が開く……とか」
ちょっと幼稚じみただろうか。
先輩は「うーん……」と悩ましげに眉を潜めた。
ならば、と。踊り間を見渡す。そういえばここにはお誂え向きに鏡があるのだ。
「夜に十三階段の鏡をみると、未来の自分が映っている……というのはどうでしょうか」
夜に鏡というと、なにか有り得ないものが映っているような気がして怖さが増すだろう。
そう思いついたままに口にしたのだが。
「ううーん」
箕島先輩は、眉を潜めたままだ。どうやらお気に召さなかったらしい。
「じゃあ、反対に、鏡を覗くと自分が映っていないとか」
「うーんん。もうちょっと十三階段そのものが関わる感じがいい」
どうにも要望が多い。それならば、と。私は十三階段に座り込んで足元をじっと見つめた。上から見下ろした十三階段は、暗闇へと続いているようだ。引き込まれてしまう。そんな感じ。ならば、例えば。
「夜に十三階段を降ると、誰かが一緒に歩いている」
そして、と私は続ける。
「そのまま奈落のそこに引き込まれてしまう」
これならどうだろうか。
そう思って、箕島先輩を見上げれば。どうしてか箕島先輩はふてくされたような顔をした。
やはりお気に召さなかったらしい。
「……先輩。先輩には、なにやら理想のか階段話がもう出来上がっているような気がします。それはなんでしょうか?」
多分、そういうことなのだと思う。
先輩のなかではもう、十三階段の怪談は決まっていて、それに私が思い至るのを待っている。
目的は分からないが、そんな気がした。
だから問えば。
「……なんで河方後輩は、そこで佐和子さんを出さないかなぁ」
頭をがしがしと掻きながら、箕島先輩はポツリと呟いた。
どうやら随分とご機嫌斜めらしい。
「佐和子さん、ですか」
なるほど。箕島先輩は怪談といえば『佐和子さん』を出したかったらしい。
「ここは木造校舎で佐和子さんの怪談が多い。ならば新しく作る怪談にも、佐和子さんは必須だろう?」
言われてみれば分からないでもない理屈だが、しかし別に木造校舎の怪談は佐和子さんでなくてはならないというわけでもない。最初に話した音楽室の怪談は佐和子さんとは関係が無いが、木造校舎が舞台である。
なんというか。
「箕島先輩は、佐和子さんに固着してますよね」
ふと、それに気がついた。
それまで気づかなかった、それ。
箕島先輩は『佐和子さん』に固着している。
箕島先輩が突拍子もないことをするのはいつものことだ。けれど今回は、なんだかその中でも特に飛び抜けているような気がする。
そもそも怪談を作ろうというあたりから、ちょっとばかしおかしかった。箕島先輩だからそんなことも言うだろうとは思っていたが。けれど。
「箕島先輩は、なんで怪談を作ろうと思ったんですか?
どうせ夏休みが終われば、この学校そのものが廃校になるのに」
疑問だった。だから口にした。
取り壊されるのに、とは言わなかった。
箕島先輩が、なにやら泣きそうな顔をしているように思えたからだ。けれど、別の言葉を続けた。
「私達の部活は、これで最後なのに」
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