第8話 上原萌という不思議な少女

 次の日は、普段よりも大分早く家を出た。5人の少女と関わるきっかけについては、ほとんど当てがなかったため少しでも長い間校内で過ごして、きっかけを見つけたいと考えたためだ。それにしても、昨日の首尾は上々だったと言って良いのではないだろうか。九条とも稲葉君とも一応関わりをもつことができた。ただ、この2人はあくまでも、協力してくれると心強い程度の話だ。最終目標である、1年後の事件の解決には、直接的に役立たない。


 どこまで行っても重要なのは、5人の少女。その中でも、上原萌、白雪有栖、早乙女雫の3人については別クラスでもあるため、仲良くなる難易度は相当に高い。普通に生活していたら、別クラスの人間と喋る機会はほとんどない。実際に、前の世界での1年間で、別クラスの人間と喋ったことは1回もなかった。


「どうしたもんかね。」


 ため息と共に、独り言が漏れる。仲を深めるためには時間はあればあるほど良いはずだ。可能な限り早くつながりができれば、それだけ事件解決の成功率は高まる。かといって、闇雲に声をかければただの軟派な男という印象を抱かれるだけだろう。やはりなんといっても、きっかけだ。声をかけてもおかしくない理由が欲しい。


 そんなことを考えていると、学校が見えてきた。気持ちを切り替え、今日の目標を再確認する。理想は、最低でも1人とは喋ること。それができなくても、せめて、喋りかけるに足る理由付けくらいは行いたいところだ。


 校門をくぐり、ふと駐輪場のほうを見やると、野良猫が1匹気持ちよさそうに伸びをしていた。なんとなく、近づいていってみると野良猫は逃げることなく、こちらを見つめていた。人慣れしているのだろうか。もしかすると学校に半ば住み着いていて、生徒からかわいがられているのかもしれない。そんなことを思いながら、野良猫の背をなでる。逃げ出すような素振りも見せなければ、気持ちよさそうな素振りもしない。ただ、その場でじっとしていた。


 なんとなく、しばらくそんな事を続けていた。今まで猫をなでるなんて経験したことなかったが、案外心が落ち着くものだ。そんな穏やかな朝の時間に身を委ねていると、後ろからこちらに近づいてくる足音が聞こえてきた。用務員さんかとでも思い、少し振り返ってみて驚愕した。驚きの声はなんとか口に出すことなく押しとどめ、表情も意識して何でもない風を装った。驚愕も無理ないことだろう、なぜなら今1番欲してやまない、5人の少女とのきっかけの1つが向こうから転がり込んできたのだから。


「ねーねー、あなたも猫好きなの。私も猫好きなんだぁ。」


 にへらーと笑って話しかけてきたのは青髪の少女、上原萌だった。特等的な青い髪は肩口で切り揃えられており、全体的に軽い雰囲気を感じさせる可愛らしい少女だ。


 早起きは三文の得という言葉があるが、この状況は三文どころか、十文は得をしたと言っても良いだろう。あの終業式の日、猫と戯れていたが、まさか1年前から同じようなことをしていたとは。この上ない好機にも関わらず、心の準備ができていなかったためか、雑多な思考が飛びかい、半ば反射的に答えを返していた。


「あー、うん。猫結構好きなんだよ。」


 なんとも、つまらない答えである。会話が全く広がらないオウム返しのような解答では、あの神宮さんと大して変わらないではないか。彼女の返答には、大分困らされたのに、それを自分がやってどうする。


「そうなんだぁ。可愛いわよねぇ猫。朝とか夕方によくこの駐輪場でみかけるんだぁ。ところでぇ、あなたの名前はぁ?」


「俺は、涼風颯太っていうんだけど、君は?」


 とりあえず、名前は知っていたが、こちらが一方的に名前を知っているというのはなんだかおかしいので、知らないふりをして聞くことにする。ただ、この少女は結構な校内の有名人でもあるため、一方的に知っていたとしてもおかしくはないのだが。


 可愛いが態度は軽薄、行動は奇天烈。それでいて、割といろんな人と仲が良い。そんな認識を校内の多くの人が持っていることだろう。


「へぇ、颯太君ねぇ。私は上原萌、よろしくねぇ。」


 笑顔で、手をひらひらさせながら答えを返してくれた。


 問題は、ここからだ。どんな話題を振って、どうやって話を広げていこう。当たり前だが共通の話題もなければ、どんな話が好きなのかも分らない。そんな風に悩んでいると、向こうから話しかけてきた。


「颯太君は、いつも朝はこんなに早いのぉ?まだ、始業まで1時間以上あるけどぉ。」


「いや、普段はもっとぎりぎりだ。ただ、今日はたまたまそんな気分だったから、早く来ただけ。上原は、普段こんなに早いのか?」


 この答えは、嘘ではない。なんとなく昨日狙って稲葉君に押しかけ、偶然を装ったのもあって、少しばつが悪くなる。それにしても、この上原萌という少女は自分から喋るのが好きなタイプらしい。こちらも話し上手というわけでもないので好都合だった。


「私、私かぁ。今日より、もっと早く来るときもあればぁ、遅刻しちゃうときもあるかなぁ。その日の気分で、登校する時間は変わるからぁ。」


 なんともらしい答えだ。となると、今日会えたのは奇跡に近いだろう。せっかくの機会をうまく生かしたいが、偶発的なエンカウント過ぎて、何も下準備ができていない。もう少し、こちらから提供できる話題があれば良いのだが。


「ねーねー、颯太君って何年生?見たところ、3年生かしらぁ?」


「いや、2年生だけど、上原は何年生なんだ?」


「えー、えー?意外だわぁ、2年生なんだぁ。私、これ外したことなかったんだけどなぁ。私もぉ、2年生。」


 なおも驚いたように目をしばたたかせている。本当のことを言うと、すでに2年生は経験しているため、厳密には3年生なので、なかなかとんでもない直感である。


 そっかぁ、2年生かぁ、と何度も言いながら、しきりに猫をなで続けていた。


 上原が、そうやって自分の世界に入り込んでしまったので、少しの間会話が途切れた。


 遠くで、部活動に励む生徒の声が聞こえてきたりする。


 俺は、上原が、自分の世界から帰ってくるまで、朝の学校の独特な空気に身を委ねた。

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