湯村温泉

 温泉トンネルを抜けたら、そこに広がる温泉街と思ったのだけど、谷間の農村しかないな。それでもローソンを過ぎたあたりで山腹に『ようこそ湯村温泉へ』のでっかい看板が見えてきた。あそこに見えるのはホテルかな。


 さてだけど宿がどこかだ。こればっかりはコトリさんの悪いクセだけど、どこを走るかとか、どこに寄るとかは言わないのよね。もちろんどの宿に泊まるかもだ。今日なんか湯村温泉に行くと教えてくれてるだけマシなぐらい。


 そりゃ、付いて行けば良いようなものだけど、こっちにだって心積もりだとか、気構えが欲しい時だってあるじゃない。この辺はツーリングだから適当に走ってるんじゃないかと思われそうだけど、時間計算というかプランは実に綿密なんだよ。


 下手すれば分単位で計算してるのじゃないかと思うぐらい。お昼ご飯を食べるところだって、寄り道で見るところだって、お土産物を買うところだって、ツアコン顔負けなぐらい調べ上げてるもの。ユッキーさんにも聞いたことがあるのだけど、


「コトリなりのサプライズじゃない」


 そうかもしれないけど、


「別に言われなくてもわかるでしょ」


 わかるかい! あの二人の不思議なとこだけど、あれだけツーリング中にペチャクチャおしゃべりしてるのに、


『次はどこ』


 この手の話題はまず出てこない。出てくるのは、


『腹減った』


 これぐらいなんだよね。先導するのはコトリさんが多いのだけど、ユッキーさんに変わる事だってあるのだけど、


『あいよ』


 ちょっと待て、行き先も知らないのにどうして先導が出来るんだよ。


「だ か ら、言わなくてもわかるじゃない」


 だ か ら、そんなものわかるわけないでしょうが。それはともかく、今日の宿だ。あの二人のツーリングは早立ち、早着きが基本。それこそチェックイン開始時刻を目指して走ってるようなところがある。


 この時間帯に湯村温泉に着くのはいつものペースなんだけど、どの宿にしたのかは知りたいよ。今日は温泉だから温泉小娘のユッキーさんが主導で選んだはずだけど、


「今日はね、普通の宿だよ」

「アリスもグランプリ受賞者やから失礼は出来へんからな」


 ギャフン。そんな理由で選ぶわけないじゃないの。それこそディープな、ディープな、座敷童の保育園みたいな・・・


「あのね、心霊スポット巡りをしてるのじゃないのよ」

「アリスをそこまでの宿に泊まらせてへんやろうが」


 アリスを泊まらせていないと言うことは、いつもはやっぱり、


「考え過ぎじゃ」

「か弱い女の子のツーリングだよ」


 か弱いねぇ。見た目はそうだけど、なんか裏の顔がありそうな。


「あの信号を左に入るで」


 井づつやって看板が見えるけど、まさかあの有名旅館って・・・これはないはず。そういう宿は避けるのぐらいは知ってるけど・・・そうでもないか。


「こっちや」


 まさかの朝野家だって。どうしたの気でも狂ったとか、


「えらい言われようやな。今回は骨休めのツーリングやからな」

「わたしたちだって、これぐらいの宿に泊まる事だってあるわよ」


 泊まったら悪いとは言わないけど意外だな。アリスにしたら嬉しいけど。チェックインを済ませて部屋に荷物を運びこんだら、


「散歩に行くで」

「温泉街を楽しまなくっちゃ」


 毎度のことながらタフだ。そりゃ早着きなのは認めるけど、朝食を済ませて神戸を出たのは六時半じゃないの。小型バイクでこれだけ走っても疲れないのかな。逆らうだけ無駄だから付いて行った。


「ここはさすがよね」

「ああ、こうであってこそ温泉やし、温泉街って言えるかもしれん」


 なるほど道路の側溝からも湯気が立ってるじゃない。いかにも温泉街って感じがたしかにする。川の方に下りて行くと、


「荒湯や」


 四角形の玉垣で囲った池みたいなのがそうみたい。


「ここはね、九十八度もあって、毎分四八〇リットルも湧き出てるの」


 それって熱湯だ。


「そやからこれができるねん」

「温泉でこれをやらないとモグリだよ」


 なるほど温泉卵か。ツボ湯ってところにネットに入った卵をぶら下げて茹でるのか。十分ほどで茹で上がるそうだから、時間が来たら引き上げて、こっちの水道で冷やすんだね。


「ほいで塩つけて食べるんや」


 温泉で茹でたってだけで美味しい気がする。でもこれって温泉卵じゃないよね。


「あれはね・・・」


 温泉卵とはそもそもなんぞやって話になるのだけど、一般的なイメージとして卵黄が半熟状態で卵白が半凝固状態になってるものだ。あれって温泉で卵を茹でたらそうなるものだと思っていたのだけど、


「あれはね、卵白と卵黄の凝固温度の差を利用したものなのよ。卵黄が約七十度で卵白が八十度ぐらいだから、七十度ぐらいのお湯で熱したら温泉卵になるの」


 なるほど。湯村温泉の湯は熱いから、いわゆる温泉卵にならずに茹で卵になるのか。というか温泉の湯で茹でなくとも温泉卵は出来るものね。


「だけどね、温泉で茹でた卵なら、それだけで温泉卵としても良いのよ」


 そうだよね。水道水で温泉卵風にしたものより、温泉の湯で茹でた固茹で卵の方がホントの温泉卵だ。なんだかんだと言っても、こうやって食べるのは初めてだから楽しいよ。あっちに足湯もあるじゃない。


「入っても良いけど」

「普通に大浴場に入ろうや」


 それもそうだ。日帰りツーリングだとか、立ち寄っただけなら足湯も良いけど、今夜は泊まりだものね。宿に戻って大浴場にGO。ここのお湯って見た目は透明で、普通のお湯みたいにも見えるけど、


「アリスもそういうとこあるんか」

「わたしもそっち系がより好みのところはあるけどね」


 そう白濁していたり、硫黄臭が漂う温泉。もっとも実際には行ったこと無いのよね。近畿には少ないもの。というかあるのかな。


「そっち系の難点はやっぱり臭いやろな」

「とくに初めてだったら女の子は嫌がりそう」


 なんの話かと思ったら、処女でなくても初めて男と肌を合わせる時のことか。そういうシチュエーションならこっちが良いよな。やっぱり臭いは気になるもの。でも気持ちが良い湯だよ。アリスも、


「また美人になってまうやん」

「美しすぎるって罪だわ」


 人のセリフを横取りしやがって。もう何度目かわからないけど、てめえら何歳なんだよ。肌の隅々まで見たって。


「おっとそこまでや。コトリはその気はゼロやからな」

「あらアリスにもあるの。今夜は可愛がってあげようか」


 アリスにも無い。断じてない。アリスが好きなのは男だ。もっともユッキーさんに可愛がってもらえるなら、ちょっと心が・・・ない、絶対ないからね。


「あら残念。久しぶりに楽しめると思ったのに」


 ホントに女が好きなの、


「そうだね、男の百分の一ぐらい」


 これはホントかもしれない。まあ、女は男より同性愛傾向が少し高いと言うか、つまみ食い程度の経験者ならそれなりにいるって言うものね。


「女子寮シナリオは書いたことがないの?」


 うぅ、ある。女子寮なんて入った事がないから適当に想像で書いたけど、ホントにレズの楽園みたいなとこってあるのかな。


「あるのはあったわよ」

「エライ目に遭うた」


 異性と長期で完全に隔離されると、女でも男でも同性愛傾向に走るのは少なくないそう。そう言えばBL物ってそういうシチュエーションが多いよね。同性愛も女同士ならそれなりに想像がつくけど、男同士ならハードルが高そうな気がする。


「そうでもないやろ」

「入れる穴が違うだけでやる事は似てるじゃない」


 そういうけど、入れる方はそうかもしれないけど、入れられる方はまったく逆じゃない。


「ああそこか。そこは入れ替わりでやるんよ」

「ネコとかタチ専科もいるそうだけど、入れ替わりで頑張るのも多いそう。女同士だってそうじゃない」


 女同士の場合はイカせ合いが基本だから、


「男同士もそうやろうけど、女と違って出たら終わりのところが多いからな」

「女同士の場合は体力の続く限りエンドレスだから楽しめるわよ」


 なんちゅう話題で盛り上がろうとしてるのよ。ここも、しつこいけどアリスにはまったくその気はないからね。やるのなら男一択だ。


 部屋に帰ってまったり。なんかノンビリする。部屋もさすがにリッチだ。座椅子の座布団もすごいな。こんなに膨れ上がっているのを初めて見た。壱岐の宿も良かったけど、湯村の方は、これこそ高級宿って感じがするもの。こういう宿に泊まるシナリオもあるから、しっかり経験させてもらおう。


 とにかく元寇映画のシナリオの手直しはシビアだったのよね。あそこまで本格的なシナリオの再検討や手直しは初めてだったから、楽しくはあったけど緊張してくたびれた。どこかで再充電したかったからちょうど良い感じ。


 そんな時間を過ごしていたら夕食だ。こういう宿はさすがに部屋食だ。お食事処も悪くないけど、部屋で食べられるのも嬉しいな。あれっ、こういうところって懐石料理のはずだけど、


「ちょっと趣向や」


 湯村温泉と言うか、山陰と言えば松葉ガニなんだけど、あれは冬の味覚なんだよね。あれはあれで食べたいけどバイクじゃ無理だ。雪道を走れるバイクなんかあるものか。


「そうでもないよ。北海道ならスパイクタイヤ履いたり、チェーン巻いて冬でもツーリングするよ」


 さすが雪国だ。だけど関西でやる気はない。山陰でカニが食べたいなら、クルマなり、バスなり、電車で行くよ。そんな話じゃなくて今日のメニューでしょうが。


「一人鍋を寄せてもうただけや」


 なるほど、今の季節のメインは但馬牛のすき焼きなのか。懐石だったら一人鍋になるのだろうけど、これを一つの鍋でみんなで食べようってことよね。その方が楽しそうなのはわかるけど、そのすき焼きの量は、まさか、まさか、またやらかしたのか。


「せっかくやんか」

「そうよそうよ、これぐらいにしないと食べた気がしないじゃない」


 そういうけど、ドデカイ大皿にテンコモリの牛肉って、どれだけ追加を頼んだのよ。そんなもの・・・こいつらなら平気でやるか。それだけで済むはずがない。


「香住鶴を瓶ごと頼むわ」

「四合瓶じゃダメよ。一升瓶でね」


 どうしてそんなムチャなオーダーがすんなり通るのよ。すき焼きだってそうだ。


「ああそれか。前に泊まった事があるねん」


 あのね、泊まった事があるぐらいで、出来るはずがないじゃないの。


『カンパ~イ』


 毎度のことながら魂消るよ。だいぶ慣れたけどね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る