生野銀山
生野の街から鉱山跡までは思ったより遠いな。ここか、立派な門柱があって、駐車場も綺麗に整備されてる。まずは坑道巡りをやってからミュージアムに。生野鉱山って歴史もムチャクチャ古くて、
「大同二年に開坑ってなっとるけど、本格的に採掘が始まったのは天文十一年からで良さそうや」
元号で言うな。わかんないじゃないの。大同二年は八〇七年だから平安時代が始まった頃で、天文十一年は一五四二年だから戦国時代の初期ぐらいかな。初期の産出量はえっと、えっと、
「天文十一年から天和二年の一四一年間で六百三十六トンだから年平均で四・五トンぐらいだよ」
天和年間って将軍綱吉の時代になるそうだけど、そこから幕末の安政年間までの年平均が一・八トンなのか。これがどれぐらいなのかわかりにくいけど、
「家光の時代が最盛期やったみたいやけど、一か月で一五〇貫いうから五百六十キロぐらいやな」
それでも年間にしたら五トンぐらいがマックスだったのか。江戸時代にも掘り尽くした感があったみたいだけど、生野銀山のすごいのは明治に復活するのよね。
「明治から昭和に閉山するまでの間が年平均で七・五トンだもの」
これも昭和になってからの年平均は十一・四トンなんだよね。これだけ長寿命の鉱山は珍しい気がする。まさに大銀山だったんだ。でもさぁ、まだあるんじゃないの、
「掘ったらな。そやけど坑道の総延長は三五〇キロ以上、深さは八八〇メートルになってもてるから、これ以上掘ってもペイせんのやろ」
かつて金と銀は価値が拮抗した時代もあったそう。そうなったのは金より銀が掘り出しにくかったからだそう。金は砂金みたいな形でも採れるけど、砂銀って聞いたこともないもの。つまりは殆どの銀は銀鉱山から掘り出されたものになる。
「今となったら信じられへんやろうけど、金製品に銀メッキをしたのもあったぐらいや」
これが技術進歩で銀の産出量が増えて、銀の価値が下がってしまったとか。銀は江戸時代ぐらいなら金の五分の一ぐらいだったそうだけど、今は四十分の一ぐらいになってしまってるのか。アクセサリーでも銀製品は安いものね。
生野銀山より掘り出しやすいところの産出量が増えて、銀の価値が下がれば、生野で手間かけて掘っても赤字になるだけだから閉山か。
「鉱山事業ってそんなもんや。メキシコやったら年間で六千トンぐらい掘り出しとるからな」
生野銀山も江戸時代なら金にして年間一トンぐらい掘り出してたけど、昭和に産出量が増えても〇・三トンぐらいになってしまってると言えそう。それより、なにより日本で掘ったら人件費も高そうだものね。やはり囚人が刑として掘るとこの方が安いはず。
「まあ、そんな感じで掘ってるとこもあるやろな」
生野銀山の栄華を偲びながらまた北上、すぐに店に入ったけど、
「ここに来たらこれを買うのがお約束や」
「お土産にも頼まれてるからね」
ここなのか、播磨焼の総本店って。アリスも宅配で送らせてもらおう。こんなかさ張るものをもってツーリングなんて出来ないもの。
「ついでやからここも寄り道しとこ」
「ここは初めてだね」
国道四二九号に入ってしばらく走ると、見えてきたのは古代ギリシャ神殿みたいな建物。
「神子畑選鉱場や」
ここは明延鉱山の選鉱場として出来たものだそうで、
「ああそうや。今は山の斜面にコンクリートの基礎しか残ってへんけど、かつてはあの上に建物がって、昼夜問わず作業しとったから不夜城と呼ばれそうや」
こんな山の中にこんな立派な施設があったんだ。これはかつて日本を支えた産業遺跡だよ。ところでだけど、
「コトリ、腹減った」
「ユッキーは走る腹時計見たいなもんやからな」
いやいやアリスの腹時計だって鳴ってるぞ。だってもうお昼過ぎてるじゃない。
「アリスもか。まあコトリもやけどな」
神子畑選鉱場から国道三一二号まで戻って北上。左側に見える山の上にあるのは石垣じゃない。この辺は竹田って言うみたいだから、あれって天空の城だとか。
「そうや。今は行きにくなったけどな」
「昔は山の上までクルマで上がれて、上がっても殆ど誰もいなかったのよ」
そこで入ったのがうどん屋みたいだけど、並んでるじゃない。この時刻なら仕方ないか。コトリさんはそういうピークを上手く外す人だけど、
「こんな事もあるわ」
「いつもじゃない」
「うるさいわ」
毎度のことながら、本当に仲が良いのだから。でもうどん屋だから回転も良さそうで順番が来て入ったのだけど、へぇ、メニューも多いな。どれが美味しいのかな。
「ここで食べるんやったらカレーうどんや」
「エプロン下さい」
名物ってやつかな。なかなか美味しいよ。カレーうどんを堪能して出発だけど、
「ユッキー、ちょっと無理や」
「代わりに神子畑選鉱場行けたから良いよ」
どこに行くつもりだったかと聞いたら、コウノトリだって。そうだった、そうだった、豊岡にはそんなセンターがあったんだ。
「あれは一見の価値があるねん」
「コウノトリって大きいのよ」
城崎泊りだったら寄り道と言うより順路みたいなものだそうだけど、今日の宿は湯村だものね。城崎と湯村って近そうだけど、かなり離れてるのよ。
「直線距離とか、ナビ上はそうでもあらへんけど、但馬の山ん中にあるからな」
うどん屋から和田山に出て、そこから国道九号を西に。なるほど山の中の道だ。そこに見えて来たのは、あれはループ橋じゃないの。
「ああそうや関宮ループ橋や。ダックスにはちいとシンドイかもしれんが、あれがあらへんかったらダックスじゃ上がれへんのんちゃうか」
ギャフン。まあそうなんだけど、ダックスの二速を舐めるな・・・思いっきり舐めれた気分だけど、ループ橋を抜けたらトンネルだ。入り口のところだけど、
「おもろいやろ、車高制限のバーがスキーのストックになってるねん」
トンネルを抜けたところにあるのは道の駅ハチ北ってなってると言うことは、
「お察しの通りや、右の方が神鍋で、左の方がハチ高原でのぢぎく県のスキーのメッカみたいなとこや」
さっきのループ橋だけどスキー客にも難関になることがあるらしくて、
「道が凍って登られへんことがあったわ」
あんなキツイ坂が凍結したらそうなるよね。
「あれって実話なの?」
「実話や。この目で見たからな」
関西からスキーに来た時に凍結で登られないのはさておき、関宮ループのあたりでチェーン装着が必要になることが多かったそう。コトリさんが乗ってたクルマもチェーンを巻いたらしいのだけど、
「後ろにおったシビックが後輪にチェーンを巻こうとしとってん」
バカじゃないの。チェーンを巻くのは前輪に決まってる・・・でもないか、後輪が駆動輪の時もあるけど、シビックと言うかシビック・クラスなら前輪に決まってるじゃない。
「当時はシビックの方が変ってたんや。まだFFが出回りかけた頃やったからな」
「ホンダが日本のFFの先駆メーカーで、他のメーカーはFRだったのよ」
なるほどって言いたいけど、どうしてそんなことを知っていて、しかも現場で見たってどういうこと。コトリさんっていくつなのよ。
「だから言ったじゃない、コトリはああ見えて棺桶にクビまで突っ込んでるBBAだって」
「ユッキーが他人のことを言えるか! 木炭バスかって押した事があるやろが」
「それはコトリもでしょ」
な、なんだ木炭バスって。木炭で走るバスなんてこの世にあるものか。クルマってね、ガソリンか軽油、今なら電気で走る乗り物だ。また騙されるところだった。そんな話で盛り上がりながら、もうすぐ湯村温泉だ。
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