干物女の高望み

 牛のように飲み、馬のように食べるこの二人のペースに巻き込まれないように、アリスは優雅に晩御飯・・・と言いたいところだけど、飲む量と食べる量はともかく、飲む姿、食べる姿はあきれるぐらい上品で優美なんだよ。


 食べる量、飲む量は暴飲暴食レベルなんだけど、食べる姿はどこぞの旧家とか名家のお嬢様みたいにしか見えないんだ。あんなに綺麗な箸使いの人を初めて見た気がするぐらい。アリスのことは聞くな。アリスは筋金入りの庶民の娘だ。


「アリスは男を考えとらんのか?」


 考えてないわけないでしょうが。人をなんだと思ってる。三十路が迫るアラサーだから焦りまくっているに決まってるだろ。アリスだって結婚したいし、子どもだって欲しいし、温かい家庭だって欲しいの。


「タイプとかあるの?」


 そりゃイケメンで、背が高くて、お金持ちで、優しくて、話していてもおもしろくて、なおかつ教養が端々に感じられてぐらいになるけど・・・・・・これだけ何拍子もそろった男が現れれば、すべての女による争奪戦が勃発する。


「女やったら美人で、性格が良うて、料理が上手で、気配り上手みたいなもんやからな」


 男でも女でも、それは相手に求める条件と言うより理想形だ、憧れだ、叶わぬ夢みたいなもので、言わば女なら誰もが求める憧れの王子様だってだけだものね。


「まあそうや。もうちょっと現実的には?」


 アリスの希望はあれこれあるにしろ、煮詰めれば一つになるかな。それは、


『専業主夫』


 アリスの仕事を支えてくれる内助の夫だ。この世に妻に専業主婦を望み、そうさせてる男はいくらでもいるじゃないか。女が専業主夫を望んで何が悪い。男女は平等だ。ただ専業主夫を望めば引かれる面は確実にある。


 この世には専業主夫もそれなりにいるだろうけど、最初から専業主夫希望とか、女みたいに結婚を契機にとか、子供が出来たら的な予定専業主夫は少ない気がする。最初は共働きの予定だったのが、あれこれあった末の専業主夫が殆どの気がするんだよね。


 それとだけど、アリスだって最初から専業主夫が希望の男は嫌だ。だってだって、そんな男って家事をやってくれるヒモみたいなものじゃない。家事だけなら家事代行業でも雇えば済む話だもの。


「夜のお相手もオプションで付いてるけど」

「子どもも作ってくれるよ」


 そこしかメリットがないじゃない。これは専業主夫って言い方が悪かった。家庭内の役割分担として家事全般を引き受けてくれる男って意味だ。やってることは専業主夫みたいだけど、仕事もしっかりして稼いでくれる男。贅沢だってか。そんなことないよ、そういう妻を持っている男はいるじゃないの。


「まあな。他に条件は?」


 男はね、やはり強くあって欲しい。これは乱暴者とか暴力的って意味じゃない。精神的にも、肉体的にも、経済的にも頼れる男だ。そういう男でないと妻になる意味はないし、夫にする気なんてさらさら無い。


「言いたい事はわかるけど、そこまでの男を専業主夫的なポジションにしちゃうの」


 グサァ。そういう男に惚れて専業主婦になる女はいくらでもいるだろうけど、そんな男に専業主夫的な役割を押し付けたい女なんて誰が妻に選ぶかって話だものね。それでもアリスが夫に求める条件はそれなんだよ。


「そもそもやけど、アリスの仕事って在宅ワークみたいなもんやろ」


 在宅と言うより自宅ワークかな。フリーランスだから、依頼されたシナリオを家でひたすら書くのが仕事のすべてだ。


「そんだけ家におって、家事は外で働いている旦那に丸投げにしたいんか」

「せめて分担ぐらいに妥協できないの」


 グサァ、グサァ。常識的には家事分担ぐらいは当然だろうし、夫の収入によっては妻であるアリスが専業主婦的な役割を果たすべきと思われるのも知っている。だからこれはあくまでもアリスの希望だって。


「収入は?」


 アリスの仕事は不安定の塊のようなところがあるのよね。ホントに人気商売の水商売だと思うもの。たとえ人気シナリオライターになれても、どこかで不人気作品を出したりしたら、それで一気に仕事がなくなってしまうことだって珍しいとは言えないもの。この手の業界の考え方のベースにあるのは、


『代わりはいくらでもいる』


 だからこそ伸し上がるのも可能だけど、落ちる時は急転直下なのは宿命みたいなもの。だからそうなった時でも、アリスの収入を当てにせずとも余裕で家庭を維持できるぐらいは欲しい。


「なるほどな。ところで、アリスは贅沢が好きか」


 そんなもの嫌いな女どころか、男だって見てみたいよ。そりゃ、アリスだってしたいけど、なんか物欲が枯れて来てる気がしてる。家は今のアパートで不満が無いどころか、あそこから引っ越す気さえない。


 服はユニクロかしまむらで余裕でOKだし、アクセも凝る趣味が無い。最後に買ったのがいつだったのか思い出せないぐらいの話だものね。クルマだって免許すらもっていない。だからバイクの教習所は高くついたし、時間もかかった。今さらクルマの免許なんか取る気すらない。


 そういう物を欲しがるって所有欲もあるだろうけど、誰かに見せて自慢したいのも絶対にあるはず。虚栄心ってやつだ。虚栄心は悪い意味で使われることが多いけど、虚栄心が向上心にもなってるはず。いつか見返してやるとか、ついに念願の物を手に入れるシナリオはよくあるじゃないの。


 虚栄心のない仙人みたいな人間もいるかもしれないけど、少なくともこの業界に向いていない。この業界は、いつか成功してトップを取ってやるの気持ちがある人間しか生きていけないんだよ。


 だからアリスにも虚栄心はあるけど、モノ系の贅沢の虚栄心を見せる相手も、見て欲しい相手すらいないんだよ。それぐらいアリスクラスのシナリオライターは、


『働かざるもの、食いっぱぐれる』


 薄利多売の極みみたいなもので、ベルトコンベヤーのように依頼された仕事をこなしてやっと食べられるんのだよ。だから綺麗な服も、素敵なアクセも、立派な家に住む願望も、すべてシナリオの中だけのものになってしまい、今や見ても欲しいとさえ思えないのが現実。


「それ枯れ過ぎだよ」

「干物女みたいやで」


 誰が干物女じゃ。干物女の定義を知ってるのかよ。あれはだいたいだけど、


 ・何事も面倒くさいと感じる

 ・ファッションやメイクにあまり興味がない

 ・欲がない

 ・一人でいる方が気楽だと思っている

 ・人前ではきちんとしている


 これぐらいになるはず。アリスはシナリオのためなら面倒を惜しまないし、登場人物のためにファッションやメイクの研究を怠らない。シナリオライターとして成功したいの欲だってしっかりある。そりゃ、一人の方が気楽だとは思うけど、これはシナリオライターだから仕方ないし、人前ではキチンとしているのは社会人としてのマナーだ。


「そんなん言うけどこうともあるで」


 なになに、


 ・メールの返事が極端に遅い、短い

 ・簡単な食事なら台所で立って食べる

 ・忘れ物を靴を履いたまま、膝立ちで部屋に上がり取りに行く

 ・休日はノーメイクでノーブラ

 ・半年ほど美容室に行っていない

 ・冬場は毛の処理を怠る、又はしない

 ・一人で居酒屋に入れる

 ・最近ドキドキしていない


 うぐぐぐ、殆ど当たってるじゃないか。


「シナリオを書いてるだけの干物女ぐらいは言えるんちゃうか」


 グサァ、グサァ、グサァ。だってしょうがないでしょうが。それぐらい働かないと食べられない商売なんだから。


「ちなみにやが、グランプリ賞金は」


 そんなもの貯金一択だ。いつなんどき仕事にあぶれるかわからないのがこの商売なんだって。あぶれるまで行かなくても収入にムラがあり過ぎる。この手の業界人の中には、入っただけの収入をすぐに使ってしまうのいるけど、アリスにそんな気は毛ほどもない。


 わかってるよ。理想と現実の差が大きすぎることは。だから結婚だって半分、いや殆ど諦めてる。願望と現実との距離がこれだけあるのだもの。気が付けばアラサーの干物女になってしまっているけど、でも捨ててはいない。


「それって白馬の王子様を待ってるってこと?」


 グサァ、グサァ、グサァ、グサァ。干物女に白馬の王子様なんて現れないぐらい知ってる。そんなに結婚したいなら、現実を見ながら条件を下げないと何も始まらないのも知ってる。


「そこまで卑下せんでもエエと思うで」

「男なんて一人良いのを捕まえたら十分じゃない。アリスじゃなくちゃダメって男は必ず現れるって」


 慰めをありがとう。アリスはね、一人で強く生きてやるんだ。


「アリスは余裕で美人だよ」


 だから慰めはいらいなって。だいたいだよ、余裕で美人なら、どうして男が出来ないんだ。出会いすらもう何年ないことか。


「そりゃ、ユニクロとしまむらで済ませてしまう引きこもり生活をしてるのに、どうして出会いなんかあるのよ」


 グサァ、グサァ、グサァ、グサァ、グサァ。それは間違いなくある。出会いとは出会う事だけど、出会うためには、出会える場所に家から出かけないと、出会いなんて起こるはずもない。引きこもりニートみたいな暮らしをしながら、出会いに渇望するって矛盾してるものね。


「まあそうやな」

「出会いを求めて動き回っても、なかなか男を捕まえられないこともあるけど、そもそも出会いがないと男にも巡り会えないものね」


 うぅ、当たってる。でもさぁ、でもさぁ、ああいうものは出会う時は、どんなに避けようとしても出会うものだ。もっとも、さすがに引きこもりニート生活では無理があるけど。


「コトリもユッキーもアリスのことは気に入ってるねん」

「旅の仲間にしたいぐらい。そこまでは、とりあえず置いとくけど」


 旅の仲間ってなんだ。どっかのツーリング・クラブの勧誘か。それなら会費だって発生しそうだからお断りだ。そしたらコトリさんが、


「こんなもんいらんはずやけど、気は心や。幸せになるオマジナイをしとくわ」


 えっ、ウソだ。まさかまさかの怪しい新興宗教だったのか。怪しげな祈祷をされて、バカ高いお布施を要求されるのは断固拒否だ。


「あははは、新興宗教とは上手いこと言うな。そやけど新興やない、五千年前からあるやっちゃ」

「そうよキリスト教より老舗だよ。もっとも信者は今や数えるほどしかいないかな。言わばわたしとコトリが趣味でやっているようなもの。だから祈祷料も、お布施もいらないよ」


 聞くだけで怪しさがプンプンするじゃない。とにかく余計なものは不要と言いかけた瞬間に、体にすっと何かが流れ込んだ気がした。


「コトリ、イイじゃない」

「元がエエけど、やる時はこれぐらいやらんとな」


 なにをしやがった。


「だから幸せになるオマジナイよ。コトリ、肉が足りないよ。お酒も空になってるし」

「わかった、わかった。生卵も追加や」


 こいつら、まだ飲んで食べる気か。この二人がトビキリの美人なのは認めるけど、それに目がくらんで結婚なんてしたら、食費で絶対に破産させられるよ。というか普段の生活がよく成り立ってると思うもの。

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