第04話 番犬と言うより狼
どの部屋も、家具も何もない。ただの真っ白い部屋だった。
「いちおう、洗面台みたいな部屋はあるけど、他は本当にひどいもんさ。運良く外から持ち運べでもしないかぎりは何もないんだ。他の勇者たちは、そのへんの持ち込みが器用ですごく羨ましいよ」
「お手洗いは?」
「俺は一度も行ったことがない」
「ええ?」
「言っただろ? ここは時間も何も進まないんだ。もしかしたら、こうして話してる間に、外の世界では何年か経ってるのかもしれないな」
オーランドが、白い窓枠から外を指差した。ただでさえ薄暗く曇った地域が、夕焼けのわずかな赤色に照らされている。
「もう夜になりますの!?」
「君がカードを使える機会は、昼間と深夜の一回ずつだ。なんにもしないと、俺が番犬化してた場合は君が深夜に襲われて負ける」
「ええっと、えっと……」
「俺は君が番犬だと思ってるから、深夜の襲撃に備えてカードを選んでおくよ」
アリエスの手持ちのカードは二枚。
・『断食回避』
「つまみ食いをするために、別室へ移動できますわ。何かの危機を脱するときに便利かもしれません」
・『軟禁生活』
「対象者一人を、翌日の丸一日お部屋から出しませんわ」
この二枚だけ。一番強そうな『炎の守り』は、対象のカードを一枚燃やせるという強力な効果だったのに、使う前に破られてしまった。
いざとなったら、目の前のオーランドを直接……というのも難しそうだ。こんなに重たそうなフル装備にも関わらず、オーランドは息一つ乱さず、安定した歩幅で歩き続けられる体力の持ち主だから。疲れているのは、メンタルだけのようだった。
「勝負に負けたら、俺たちは二人そろって一階に落ちるだけ。勝てば、二階の天井のどこかから階段が降りてきて、上の階に上がることができるよ」
「う、うむむむ~……」
たったの二枚のカードを、どう使えば勝てるだろうかと、カードと睨めっこしているうちにアリエスは目が回ってきた。
「うう〜ん……少し疲れましたわ。そこの個室で、座って休んでもよろしいかしら。いろいろ覚えることが多くて」
「さすがの君でも、疲れることあるんだ」
オーランドはざっと辺りを見回すと、左端にある扉を指さした。
「俺は端っこのあの部屋にいるよ。深夜になると、勝手に個室に鍵がかかって出入りができなくなるから、そこだけ気をつけてね」
「まーだルールがありましたの。ここの不思議なルールって、全て魔王様が決めましたの?」
「そうみたいだよ。ここに来た勇者たちは、みんな魔王から直接教えてもらったってさ。でも、すごくわかりにくくて、結局みんなで実践しながら覚えたんだってさ」
俺は魔王に会ったことないけど、とオーランドが残念そうに付け足した。
上の階層からだろうか、深夜を告げる鐘の音が鳴り響いた。昼間のオーランドの話では、この城にある道具類は勇者たちががんばって持ち寄った物だそうで、今回の鐘の音も、誰かの時計が発しているのだろうかと、アリエスは眠い目をこすりながら想像した。
「ふあぁ、寝てしまいましたわ……」
大あくびする口を片手で隠して、背伸びする。
「さーて、深夜タイムの襲来ですわ。今宵で勝負が決まるのだと思います。お覚悟なさいな、野良犬さん」
アリエスは立ち上がった。ここは部屋ではなくて、一階の階段裏だった。
オーランドが個室の扉の取っ手に、腕を伸ばした。『番犬』が触れると、部屋の鍵が開いてしまう。
「……あれ? いない」
オーランドはたしかにこの目で、少女がこの部屋に入ってゆくのを見たのだ。それなのに。開かない窓。開かない扉。別室へ移動する扉だってないのに、どこへ消えたのか。
オーランドは、きょとんとした顔で入ってきた。
「……いない」
深夜の鐘が鳴るまで、廊下の死角に立ってこの部屋を見張っていたのに。
「こっちですわよ」
開いたままの扉から、アリエスがひょっこり顔をのぞかせた。
「ふっふっふ、やっぱりあなたが番犬でしたのね」
「違うよ。ここの鍵だけ壊れてるの思い出してさ、君に伝えに行こうと思ってたんだ」
「ノックしなかったでしょ? 淑女のお部屋に無断で入るのが騎士道なんですの?」
番犬になって尚、彼の騎士道は本物であるとアリエスは知っている。カードの丁寧な説明から始まり、二階の隅々まで嫌な顔せず案内してくれた。そんな彼がノックもせずに静かに人の部屋に入るのは、騎士道の精神をも凌駕した番犬の本能に抗えなかったからだ。
どんな人でも、異常な行動を取る。普段は普通の人でも、番犬になると夜な夜な襲いにくる。
「私がぎりぎり深夜前に使ったカードは、『断食回避』ですの」
・『断食回避』
「つまみ食いをするために、別室へ移動できますわ。何かの危機を脱するときに便利かもしれません」
「このカードを使って、一階の階段裏に身を隠しておりました。あなたに気づかれないか、少しひやひやしましたわね」
「一階だけは階段が出っぱなしだから、隠れる場所なら二階と一階の両方が使えるね」
「さらに、一日に使えるカードは二枚だけ。昼間と、深夜。私は『断食回避』を日中に使用して襲撃を回避しました。そして深夜になった今、最後のカードを使いますわ」
・『軟禁生活』
「対象者一人を、翌日の丸一日お部屋から出しませんわ」
アリエスが廊下へ下がると、バタンと扉が閉まった。オーランドだけが、部屋に残される形となる。
「はーい、これであなたは明日いっぱい、このお部屋から出られませーん。私一人が、三階へと上らせていただきますわ♡」
てっきり内側からガチャガチャと抵抗されるかと思ったが、意外にも騎士は物静かだった。鍵が壊れているのか定かではないが、出てくる気配がないのなら好機だと思い、アリエスは階段を探した。
さっきまで一緒だった解説役がいなくなるのは不安だけれど、襲ってくるのならば一緒にはいられない。自分だけでも三階に逃げなければ。
(……あらら? 階段はどこにありますの? 私が勝ったんですから、出てきてくれますわよね、階段)
案内されたときは、それらしき箇所は見当たらなかった。勝利すれば自然と出てくるんだとオーランドは言っていたが、彼が番犬になっていた後だったら、絶対に勝負に勝つためにもアリエスに嘘を教えていた可能性もある……。
階段の場所がわからず、しぶしぶ番犬のいる部屋の前へと戻ってきた。
「あの~、閉じ込めておいて申し訳ないんですけど、階段ってどこにありますの?」
ガチャッと音がして、いたって普通に騎士が出てきた。アリエスはびっくりして、大きく後ろに後退りした。
「な、なぜ部屋の外に!? スキルの説明は嘘でしたの!? 丸一日、出てこられないのではありませんでしたの?」
「勝負は決着しただろ。今はもう、ゲームの時間じゃない」
この低い声。そして、ゆったりした話し方は。
彼は甲冑の兜を小脇に抱えていた。その顔はオーランドだったが、彼が指を鳴らすと、あの日無力だった少女を何度も助けてくれた、褐色肌の魔王へと変貌した。
「ディオメリス様……?」
「初陣にしては上出来だ。さすがは俺の配下になりに来ただけあるな」
「魔王様本人でしたの!? あの、あの、私、いろいろと失礼な態度を――」
逢えたら、まず最初に何を話そう。小さい頃から、ずっと考えてきた。それなのに、こんな形で急に現れたら、もうどうしてよいやら、混乱してしまって何も上手く話せなかった。
「その調子で、この俺を止めてみせろ。お前らが早めにてっぺんに上がってこねぇと、俺の力がどんどん肥大化して、いずれ世界が蜘蛛の巣で覆い尽くされちまうぞ。城の階層も千は超えるかもな。世界中の誰もがこの城に囚われ、永遠にキリのない勝負をし続けることになるんだぜ」
「そ、それをあなたがお望みなら、世界はそうあるべきかと」
「フン、つまんねぇこと言うなよ。止めてみせろって言ったろ? 待ってるからな」
騎士の青年の体から黒い煙がふわりと抜けて、消えてしまった。
「……ん? あれ? 俺、いつの間にこんな所に立って……」
いつも通りの姿に戻ったオーランドが、不思議そうな顔で頭をガシガシと掻き上げる。
「あ、スキルの話だったね、どこまで話したっけ?」
「ええ!?」
絶句するあまりに、いったいどこから説明してよいやら、アリエスは固まっていた。
「……もしかして、俺が番犬になってた?」
無言でうなずくアリエス。
「ごめん、俺、君に何かひどい態度を取ってたかもしれないけど、番犬になってた間のことは、何も覚えていないんだ」
「え……? ええ!? えええええ!?」
てっきり魔王ディオメリスは、この城の頂上でかっこよく足を組みながら、立派な玉座に座ってアリエスを待っているのだと、そう思っていたのに、
(あなたが、あの魔王ディオメリス様!?)
すぐ目の前にいた。
しかも記憶がないときた。
これはオーランド本人に教えるべきかと、迷ったアリエスの脳裏に、ふと幼い頃の記憶が蘇った。
『それじゃあ、三つ条件を出すぞ。その一、この俺『魔王』ディオメリスの配下になること。そのニ、俺と会ったことは誰にも言わないこと。その三、成人したら必ず魔王城に来ること。約束できるか?』
魔王に逢ったことを、誰にも言わないのが条件……。
アリエスは少し困ってしまったが、黙っていることにした。他ならぬ、魔王本人のために。
「そうですわね……番犬と言うより、狼みたいでしたわ。男性にはそういった二面性があるものだと、同じ施設で暮らしていた子から教わりましたの」
「え……俺、君の体のどこかしらを触ったり、したとか……?」
「いいえ、それはありませんでしたが、なんと言うか、真の黒幕感がとても強くて、かっこよかったです」
なんとか、ごまかした。
「俺が黒幕ぅ?」
「さあ、三階へ上がりましょう、騎士様。階段はどこですの?」
「深夜には出ないよ。朝日が出たら、階段が降りてくるんだ。ああ、でも、三階にいる勇者たちの勝負が終わってない場合は、終わるまで階段は出てこないんだ」
順番待ちがあるのかと、アリエスはため息をついた。どこかに説明書きがあればと思い始める。
オーランドが、プレートアーマーに片手を添えて会釈した。
「すごいよ、アリエス。勝ててよかった。一緒に三階へ上がろう。またどっちかが番犬になっちゃうかもしれないけど、そのときは、また俺と戦ってくれよな」
「もちろんですわ」
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