第44話
この前と同じように、夜の体育館の中で僕らはギシガシを待っていた。皆は少しずつ距離を取り、足元には塩の袋を置いている。
キョウは事前に皆に作戦を説明していた。いや、作戦というほど大層なものでは無いが、互いに距離を取る事でギシガシが現れた時に今夜のターゲットを特定し、その一人を逃がしながら他の仲間は塩を振りかけるという、非常に単純なものだった。
しかし、これでギシガシを倒すことが出来れば、ひとまず自分の命は守られるのだ。もしも仮に一度倒したギシガシが復活するような事があっても、毎晩部屋で死をの袋を抱えて眠れば良い。マヤちゃんやトノを救うためにも、部屋を探す事を諦めてはいけないが、一旦は時間を稼ぐことが出来るようになる。
腕時計を見ると、既に夜の二十一時を過ぎていた。互いに距離を取っているため、中々雑談に興じることが出来ず、ギシガシを待つ時間は退屈なものだった。まさか怪異を相手にソーシャルディスタンスを徹底する事になるとは、考えた事も無い。
「……ちょっと気晴らしでもするか」
蒼白な面持ちのジンがそう言うと、楽器ケースからギターを取り出す。緊張しているのか、額に汗を滲ませて、楽器を取り出す手さばきもおぼつかない。彼からすれば、突然友達と恋人を超常的な現象によって失い、訳も分からぬままにこんな所で寝ずの番をさせられているのだから、平静の心持ではいられないのは理解できる。
「夜だから楽器はやめておきなよ」
「おいおい、こんな山奥でご近所迷惑もなにもねぇだろ」
サクラさんの指摘をジンは一笑に付す。確かに、退屈を紛らわすには音楽は良いのかもしれない。キョウや四季さんも何も言わない。二人の表情から察するに、反対はしないが、賛成もしないというところだろうか。
ふと嫌な事を思う。子供の頃、夜におもちゃの楽器で遊んでいると、親からオバケが来ると脅されていた。もちろん、近所迷惑を考えての方便だが、夜に口笛を吹いたり歌ったりすると幽霊が出るという話は各地に有るらしい。
ギターの音に誘われて、本当にギシガシが来るのではないか。そんな期待と恐怖が頭の中に浮かぶ。もちろん、それは単に確率の問題でしかない。しかし、ジンクスというものは完全に否定しきれるものなのだろうか? 僕は過去の実体験から、完全な確率論というものには少しばかり懐疑的だった。
ジンは抜き身のギターを抱えて、体育館のステージに向かう。流石は軽音部といったところだろうか。目の前にステージがあるというのに、演奏の際にそこに上らないという通りは無い。
だが、その後起こった事は僕が予想だにしないことだった。
ステージ近くには、四季さんが控えていた。ジンは突然、ギターのネックの部分を両手で掴むと、四季さんの頭部に目掛けてフルスイングを決めた。
鈍い音と短い悲鳴。四季さんの身体が飛ぶ。皆が注目していたにも関わらず、誰もが何が起こったのか理解できない。身体が硬直している隙に、ジンは倒れた四季さんに向け、再びギターを振りかざす。
「何やってるんだ!!」
キョウが絶叫するように叫び、ジンに向かって駆け出す。サクラさんは悲鳴を上げる。
止めなければ。僕は少し遅れるが、キョウに続いてジンに飛び掛かる。だが、その間に更に数回、四季さんの頭部は叩き潰されていた。
キョウがジンにタックルして、バランスを崩したところで僕が覆いかぶさるように取り押さえる。ギターを落としてこれ以上の凶行は行えない状態だが、僕は四季さんを見てジンが目的を果たした事を察した。
頭部は一部が欠損し、脳症と思われる肉塊が辺りに散らばっていた。生命とは不思議なもので、そんな状態でもなお、四季さんは僅かに手足が動き、嗚咽のような声を漏らしていた。
目からは赤い涙を流している。激しい衝撃で脳を揺さぶられると、神経を伝い脳の出血が目から流れるという話を聞いた事がある。僕の知っている例では、バイクで交通事故に遭った際に似たような事象があったはずだ。そして、その状況から生還する事はほぼ不可能である。もっとも、脳症を欠損している時点で、助かる見込みは非常に低い。銃弾が脳を貫いてもなお生きていた例もゼロではないが、こんな山奥では病院で治療を受ける前に息絶える事だろう。そもそも、下手に動かした時点で四季さんはお終いだ。
「あ、あぁあ」
言葉にならないが、四季さんは声を出す。キョウが彼女に駆け寄ると、四季さんは最後の力を振り絞るように震えた手を伸ばす。
「動くな。大丈夫だからな。大丈夫……」
キョウは彼女の伸ばした手を握る。もはや助かる見込みが無い事は、キョウの事だから理解しているはずだ。それでもなお、大丈夫と言い続けるのは理屈ではなく感情の世界だろう。彼は四季さんにではなく、自分自身に言い聞かせているのだ。
「あああ、あた、ま。かみ、よんで」
「しゃべるな!」
キョウが叫ぶように言う。だが、彼女はそれから動くことなく喋る事も無かった。
「どうしてこんなことをした!」
キョウが振り返り、ジンに問う。
「そいつがトノを連れて行ったから……」
僕は取り押さえているジンの顔を見てゾッとする。そこには達成感に満ち溢れたような、満面の笑みを湛えた友人の顔があった。
もしもトノが彼女のせいで消えてしまったと考え、その復讐を成し遂げるために彼女を殺したのだとしても、人を殺した人間の表情ではない。なんだか、友達の皮を被ったバケモノを取り押さえているような気がして、言い知れぬ恐怖に支配される。
「離れて!」
西成田さんが叫ぶ。何事かと思いそっちを見ると、彼女は僕とジンに向け塩の袋の中身をぶちまけた。
一体何が起こったのか分からず困惑していると、怯んだすきにジンが僕を突き飛ばし、ギターを抱えて体育館から逃げ出した。
僕とキョウが追いかけようとすると、西成田さんが手を掴んでその動きを制する。
「行っちゃダメ! 私たちも逃げるよ!」
「何が……」
僕らが彼女に説明を求めようとしていると、バタバタと何かがのた打ち回る様な音がする。音の方を見ると、息絶えたはずの四季さんの両手両足が陸に上がった魚のように跳ね上がっていた。
サクラさんが悲鳴を上げる。その悲鳴の間に、西成田さんは四季さん傍らにあった塩の袋を四季さんにぶちまける。その塩は一瞬にして黒く染まったが、四季さんの動きは止まる。
「早くして! 本当にここヤバくなってきた!」
常軌を逸した状況には慣れてきたつもりだったが、ここまでの状況は始めてだ。
「に、西成田さん、どうして……」
「どうして気づかなかったの!? その女、人間じゃないよ! 林田君がヤバいヤツに連れて行かれそうだったから、心配してついてきたけど、正解だったみたいね。ほら、早くして、時間が無いの!」
「待って! まだサクラさんが……」
西成田さんに手を引かれて無理やり外に出させられそうになる。状況が飲み込めないが、すぐに更に悪い状況が待っていた。
体育館の周りを、気色の悪い様々な姿の地縛霊たちが包囲していた。
奴らは僕らの姿を見るなり、こちらに向かってやって来る。慌てて体育館の中に逃げ込むが、地縛霊たちもなだれ込む様に室内へとやって来る。
僕とキョウは足元の塩の袋を回収し、サクラさんを庇う様に立つ。そして、近づいてくる地縛霊たちに、塩をまいて応戦する。
地縛霊たちは塩に怯むが、それは僅かな時間稼ぎにしかならない。次第に距離を詰められ、このままではじり貧だ。
「どうするのさ!?」
「分かんねぇよ!」
僕もキョウも具体的な打開策が思い浮かばないまま、塩を投げる。しかし、連中の物量に敗北し、やがて袋の中身が空になる。
どうしようもない絶望感の中、地縛霊たちの手が僕らを捉える。気色の悪い感覚の中、叫び声を上げながら僕が思うのは、一体この先どうなってしまうのか、という不安だった。
死ぬのか、生きてどこかに連れて行かれるのか。それとも僕らも地縛霊のような姿になってしまうのか。先行きのない不安は若者が誰しも抱えているものだと考えていたが、こんな不条理な進路選択を強いられるのは、世界広しと言えども僕らぐらいしか居ないのではないだろうか。
こうして僕の意識は途絶えた。
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