第30話
「ようこそ、深緑第一中学へ」
四季さんは敷地に入るなり、サクラさんに向けて気取った様子で言う。言われた彼女は黙って四季さんを睨みつける。
「お前のそれ、毎回やってんのか?」
キョウが突っ込む。確かに昨日も僕らは彼女から似たような歓迎を受けた気がする。
「別にいいじゃない。ほら、さっさと行くわよ」
四季さんとキョウが昇降口に向けて歩みを進める。しかし、サクラさんは校舎の佇まいに圧倒されているらしく、黙って目の前の廃墟を眺めたまま足を踏み出せずにいた。
「どうしたの?」
僕が尋ねると、彼女は首を振って「何でもない」と答え、前を行く二人に続いた。
扉の取り外された昇降口から中に入ると、そこは昨日と変わらぬ室内だった。ただ、昨日よりも何となく嫌な感じがするのは、地縛霊の存在を目の当たりにしたからだろうか。
「二人には昨日話したけれど、もしも異常なものを見ても驚いて声を上げたり、逃げたりしてはダメよ。ましてや正体を暴こうと近寄るのも厳禁。いいわね?」
四季さんはキョウを小突いて言った。昨日の一件があるから、キョウはバツが悪そうに頭を掻く。一体何時の間にこの二人はこんなに仲良くなったのだろう。
「あともう一つ。絶対にこの場所で一人行動はしない事。それと、もしも地縛霊に襲われるような事があれば、窓からでも外に出る事。連中は絶対にこの廃墟から外に出る事はできないから、外に出ればとりあえずは安全よ」
これはサクラさんに向けての説明だ。僕らにはここまで丁寧な説明は無かったが、それゆえに事故が起こったのだから、その反省を踏まえての事だろう。
「それで、地縛霊ってのはどこに居るの? 私、それを見に来たんだけど」
「そう焦らないで頂戴。急がなくったって、そのうち向こうから姿を見せてくれるわ」
敵愾心を向けるサクラさんに対して、四季さんは余裕の表情で迎え撃つ。どうやらマウントの取り合いが行われている様だが、僕は下手に口を出すと火傷しそうなので黙って見守る。
「今回も一階部分を探索するって事でいいのか?」
二人の間にキョウが割って入り、四季さんに尋ねる。鈍感なのか、或いはこのままでは先に進めないと思ったのか。
「ええ。新しい仲間が増えた事ですし、まずは地縛霊の実物を見て貰いましょう」
四季さんは昇降口から見て左側へと足を踏み出した。昨日は右側へ続く廊下を進んでいた為、こちら側は僕も初めて見る場所だ。
僕が歩みを進めようとすると、服の裾を引っ張られる感覚を受けて足を止める。
「サクラさん、大丈夫?」
僕はてっきり彼女が怖がって僕の服の裾を掴んだのかと思った。強がっているように見えて、案外可愛い所もあるなぁ、と鼻の下を伸ばすような事を考えて声を掛ける。しかし、僕が振り向くと彼女は少し離れた位置に居た。
「えっ?」
彼女の視点は僕の足元へと向けられていた。恐る恐る足元を見ると、そこには僕の左手の袖を掴む手があった。
それは一見すると子供のように見えた。しかし、すぐに子供と認識したのがサイズだけであったと思い知る。
半透明の身体には手足があり、一件すると人間のように見える。しかし、その頭部が不自然なほど肥大化していた。もしもこの存在にも脳があるのなら、頭が破裂しそうなほど中身が詰まって入りのだろう。
それが重々しい頭部を上げて、僕を下から見上げる。顔には元々目や鼻といったパーツが有ったのかもしれない。だが今は肥大化した頭部に引き伸ばされ、表情を伺い知る事ができない。
「……」
僕は内心では動揺しつつも、必死にその感情を表に出さないよう努めながら、その異常な存在を見つめる。四季さんから言われていた通り、こちらが何もしなければ向こうも何もしてこないはずなのだ。
しばらく目の前の地縛霊と対峙し続ける。一体何時までこうして心を押し殺していなければならないのだろうか。次の瞬間には、この地縛霊が飛び掛かってきそうに思えて、今すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
しかし、僕は服の裾を掴まれている。今下手に動いても、昨日のように逃げ切れるとは思えない。
ようやく地縛霊が動く。僕の服を掴んでいた手を離したかと思うと、全身をぶるりと身震いさせ、スゥーと体が溶けるように消えていった。
どうやら助かったらしい。安堵のあまり、僕は足の力が抜けてその場に座り込む。
「……今の何?」
僕と同じように、息を殺してじっとしていてくれたサクラさんは、額に汗を滲ませ、信じられないものを見た様子で佇んでいた。
「地縛霊……だと思う」
四季さんから聞いた話でしか、この存在について知らない僕は、教えられたままにそう答えるほか無かった。
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