第21話


 やっとの事で落ち着きを取り戻した僕は、片足の靴を履き直して立ち上がった。まだ両足が笑っているが、何とか歩くことはできそうだ。


「あ、ありがとう……」


 生まれたての小鹿とまではいかないが、両足を震わせながら僕は二人に頭を下げる。二人が最後まで諦めずに僕を引っ張り続けてくれなければ、今頃どうなっていただろうか。僕の体勢からは、あの怪物は見えない状態だったが、二人からは僕を引っ張るヤツの姿をはっきりと捉えていたはずだ。


それでも自分の身を優先することなく、僕の事を見捨てなかった。姿が見えない恐怖と、姿が見える恐怖。一体どちらの方が恐ろしく思うのだろうか。


「一体アレは何だったんだ?」


 キョウはこめかみを押さえながら尋ねる。現実離れした存在を目の当たりにして、頭痛でも起こしているのだろうか。


 四季さんはその問いに答えずに、キョウを睨みつける。


「アナタねぇ! 自分がどれだけ危ない事をしたか分かっているの!?」


 彼女の気迫に気圧されて、キョウは戸惑った様子だった。


「な、謎の存在が目の前に居れば、その正体を探ろうとするのは当然の行動だろう?」


「いや、当然じゃないわ。私忠告したわよね? よしんば、私の事が信用ならなかったとしても、普通なら逃げるでしょう! 一体どういう神経してたら、アレに近づこうとか思うわけ!?」


 キョウは四季さんから目を逸らしながら「悪かったよ」と呟くように言った。


「……まあ、分かればよろしい。さて、今日はこのぐらいにして帰りましょうか。今から部屋を探すって感じでもないしね。質問なら帰りがけにいくらでも受け付けるわ。今なら私の話を信じて貰えそうだし」


 四季さんは僕の方を向くと「歩ける?」と労わるように尋ねる。


「うん、何とか」


「良かった。じゃあ行きましょう」


 僕らは廃墟の外壁を伝って校門まで戻り、敷地の外へと出た。足は多少回復したとはいえ、これからあの道なりを戻る事を思うと目眩を覚える。


「改めて聞くが、アレは一体何だ?」


 気を取り直した様子のキョウが四季さんに尋ねる。四季さんも怒りは収まったらしく、その問いに答える。


「さっき説明した通りよ。あれが地縛霊。私があなた達に見せたかったものよ。忠告通りに、気づかないふりをしていれば、あんなふうに襲われる事は無いわ。でも、それをできる人間は限られる。……日記の部屋を未だに見つけられていないのは、地縛霊という障害のせいだと思ってもらって結構よ」


 確かに、四季さんの言う事は理解できる。あんな異常な姿の化け物が突然目の前に現れたら、思わず声を上げそうになるだろう。


「なるほどね。つまり、アレを見ても冷静に対処できる人が欲しくて、仲間を募っているって事なんだね」


 四季さんはこくりと頷く。しかし、キョウは渋い表情を浮かべる。


「そのために俺たちが日記を読む様に差し向けたのか。他人事ではなくす為とはいえ、命を人質に取るような行為が正当化されると思っているのか?」


「その言い分だと、あの日記の話も信じてくれたって事かしら?」


 キョウは「チッ」と舌打ちをする。


「お前、相当恨みを買う手段を取っている自覚があるのか? 俺たちは巻き込まれたんだ。何かしらの法的手段に出られるなら、お前を俺が裁いてやりたいとすら思っている。だが、生憎な事に呪いの日記を読まされた事に関する法令に心当たりが無い。結局のところ、俺が助かるためには、非常に不本意ながらお前に協力するしかないという結論に至った」


「あら、嬉しい。あなたが合理的な人で助かったわ」


「あまり調子に乗るなよ。法律でお前に天罰を下すことが出来ないとなれば、実力行使に出ていた可能性もある。今回は俺とユウみたいな平和主義者だからよかったが、相手によっては殺されてるかもしれないぞ」


 キョウの警告は尤もだった。さっき助けられた経験から、僕は四季さんに対して仲間意識が芽生え始めていた。優しく声を掛けられた瞬間には、慈愛の女神にすら思えていた。


 しかし、思えば今回のような危険な目に遭った原因も彼女にあるのだ。感謝する必要は何処にもなく、むしろ憎むべき相手だ。


 そのうえで、キョウが協力するという事には賛成だった。彼女への恨みを忘れてはならないが、先ほどのような奇怪な存在が実在すると分かった以上、あの日記の力とマヤちゃんの失踪にも超常的な因果関係があるのかもしれない。その可能性が高まった今、僕たちは彼女と協力して、日記の部屋を探す事が助かる為の最も最短の道だろう。


 だが、この時の僕はまだ日記の呪いについてどこか他人事のように思っていたかもしれない。受け入れがたい事件が起こった時に、人間は冷静さを失う。そんな単純な事すら忘れて、僕とキョウは四季さんと共同戦線を張る約束を取り付けてしまった。


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