第6話


 翌朝。駅から校舎までの道を歩いていると、キョウの姿が見えた。


「よう!」


 僕は後ろから肩を叩き、声を掛ける。


「……おう」


 振り返ったキョウは少し困ったような表情を浮かべていた。顔は白く、声色もどこか覇気が無い。


「どうしたのさ? なんか元気ないみたいだけど」


「ちょっと寝不足でな。一限目は寝てると思うが、起こさないでくれよ」


「キョウが寝不足? 雨でも降るのかな」


 僕の冗談にもキョウは反応を示さず、あくびをして気怠そうに歩みを進める。記憶が正しければ、こんな状態で登校するキョウの姿を見るのは初めてだ。ゲームや動画サイトで夜更かしをしてしまう事は、僕を含め多くの友達が経験していると思うが、キョウに限ってはそういう理由で睡眠時間を削る事は無いだろう。


「夜更かしなんて珍しいじゃん。何か面白い本でも読んでたとか?」


「いや、そんなんじゃない。ちょっと考え事をしていたら、眼が冴えてしまってな」


「なに、悩み事か? 合理主義者で万能人のキョウともあろう者が、一体何を悩むというのだね」


 キョウの口調を真似て茶化すが、キョウは短く笑うだけだった。


「ユウは俺の事を何だと思ってるんだ。別に悩みって程じゃない」


 明らかに様子がおかしい。普段のキョウならば、合理主義や万能の定義について滔々と語り始めるところではないか。


「……昨日の帰り、マヤちゃんと何かあった?」


 下世話だと思いながらも、僕には心当たりがそれしかなく尋ねてしまう。昨日、二人は同じ電車で帰っていた。その間でマヤちゃんとの間に何かしらの進展……或いはアクシデントがあったのではないだろうか。そう邪推しての質問だ。


「何かって何だ? 昨日は普通に帰っただけだが?」


 キョウのあっけらかんとした反応に、これは当てが外れたと少し安心する。嘘が下手なキョウの事だ、マヤちゃんが関係した事柄ならば、今の質問で何かしらのボロを出したはずである。


 話をしているうちに校舎へと辿り着いた僕らは、昇降口で口を履き替えて教室へと向かう。


「えっと、体調悪ければ無理して帰れよ。何なら、保健室に直行してもいいんじゃない?」


「いや、大丈夫だ。大丈夫じゃなければ、そもそも学校に来たりしないさ」


 階段を登るときのやや不安定な足取りに心配しつつも、キョウと僕は教室へと辿り着く。


 教室には既に登校してきた生徒たちで溢れていた。しかし、キョウの席を見て僕は思わず「あっ」と声を上げてしまう。


 そこには三人の女子生徒の姿があった。やや小太りで釣り目の岡田綾子おかだあやこ、華奢で美形だが性格が悪く常識に欠ける倉田葵くらたあおい、いつも二人と一緒に居るが口数が少なく何を考えているのかよく分からない西成田瑠奈にしなりたるなさん。その三人がキョウの席で件のノートを広げて読んでいたのだ。


「おい、何をしている!?」


 キョウが勇み足を自席へと近づき、三人に怒号を浴びせる。幸い、周囲の喧騒にかき消されて大事にはならなかったが、何人かの生徒がキョウの言葉にギョッとした様子だった。あと少し声のボリュームが高ければ、教室の皆が何事かと声を潜めて静寂が訪れていた事だろう。


「あ、城川君。これなぁに? もしかして城川君が書いたの?」


 倉田がニヤニヤと笑みを浮かべながら尋ねる。


「知らん。図書室に有ったから拝借してきたんだ。大方、誰かの悪戯だろう」


 キョウがノートへと手を伸ばすと、倉田が先にそのノートを取り上げる。


「えー、意外。城川君って普段はもっと難しそう本読んでるのに、こんなのも読むんだね」


「別に俺がどんな本を読もうが貴様らには関係無いだろう。何よりどうして人の席に入っている物を勝手に取り出したりするんだ!?」


「だって、城川君はいつも机の中が空っぽじゃん。珍しいなと思って」


「珍しければ他人のものに勝手に触るのか。随分と手癖が悪いじゃないか」


 キョウは諦めたように手を振り、三人に散れとジェスチャーで伝える。ここで無理に取り返そうとしても、倉田を喜ばせるだけだと悟ったのだろう。そこまであのノートに思い入れがあるわけでも無しに、むきになる必要性を感じなかったのかもしれない。


 倉田はノートをチラつかせながら、「いいの?」と聞くがキョウは無視して席に座ろうとする。構ってくれないと気づいた倉田は、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて岡田と共にキョウの元から離れる。


 西成田さんも二人の後に続くが、彼女は僕とのすれ違いざまに僕の肩に手をかけ、もう片方の手を耳にあてて内緒話のようなポーズを取る。


「ごめんね。後で返すから」


「あ、うん」


 キョウがその様子を見て、ムッとしたように西成田さんを睨みつける。威嚇された彼女はキョウを睨み返すと、僕の元から離れていった。


「まったく……こっちは疲れてるってのに……」


 キョウはそのまま机で突っ伏したかと思うと、すぐさま寝息が聞こえてきた。さっきまでの威勢の良さが嘘のような転向に思わず口元が緩む。


「やれやれ。でも元気そうでよかった」


 誰に問なく呟き、キョウの隣の自分の席に座る。ノートや教科書などを取り出していると、背後から指で後頭部を押される。


「あうっ、びっくりしたぁ」


 情けない声を出しながら振り向くと、サクラさんがそこに居た。


「おはよ。なんか大変だったね」


「うん、おはよう。でもキョウが倉田さんに狙われるなんて珍しいよね」


「そうだね。アレじゃない、倉田もキョウの事が気になってるのよ」


「あー、そうかも。まったく、親友の方が先にモテ期が来るとはな」


 あり得ない冗談だと思いながらも、サクラさんの言に乗る。きっと倉田は変わり者のキョウにちょっかいをかける期を伺っており、まだジンが登校しておらずトノもこっちのクラスに顔を出していないタイミングで、妙なノートという恰好の口実を見つけたから手に取ってみた。事の真相としてはそんなところが妥当だろう。


「それよりさ、四季さんに声かけに行こうよ」


 サクラさんの言葉で昨日の約束を思い出す。四季さんこそ、おそらく倉田が最も目につけている相手だろう。


僕は「そうだね」と答えながら席を立ち、四季さんの座る教室の後ろ側に目を向ける。


 四季さんと目が合った。


 その時に僕は妙な薄ら寒さを感じた。同じ人間とは思えないほどの透き通るような白い肌。細身で薄い体付き。髪の長さはサクラさんと同じく肩にかかる程度だが、彼女と違いくせ毛一つ無い黒髪。そして黒く暗い夜のような瞳が僕を見ている。


 薄ら寒さを感じた理由は二つ。一つはその表情だった。


 何とも言い難い表情だった。見方によっては笑っている様でもあり、怒っている様でもあり、泣き出しそうなほど悲しんでいるようにも思える。喜怒哀楽のうち楽以外の感情を同時に表現したような、そんな印象を抱かせる不気味な表情だった。


 もう一つは、振り向いた途端に目が合った事だ。僕は彼女の方に視線を向けたのだから、目が合う事は不思議でないのかもしれない。しかし彼女は僕の視線に気づきこちらに目を向けた素振りは見せなかった。


 彼女は初めから僕の方を見ていたのだろう。


 たまたま他人を眺めていた時に、その相手がこちらに視線を向けて目が合ったなら、普通どんな反応を示すだろうか。僕ならば反射的に視線を逸らすか、気心の知れた相手なら照れ隠しの笑みを返す。


 しかし彼女はそのどちらもしなかった。


 あの不気味な表情を浮かべたまま、僕の瞳を凝視していた。


「ユウ君、どうしたの?」


 固まった僕をサクラさんが呼ぶ。我に返った僕は、彼女に感じた嫌悪感を振り払う。これから遊びに誘う相手に、何を恐れているのだ。


 僕は四季さんの元へと歩み出そうとする。しかし、そこに思わぬ邪魔が入った。


「四季いるか? ちょっと来てくれ」


 岩垣先生だ。教室の後ろから困惑したような顔を覗かせ、四季さんを呼んでいる。


 四季さんは僕から視線を逸らし、席を立って教室の外へと向かう。先生は彼女と連れたって、どこかへ行ってしまった。


「行っちゃったね」


「まあ、昼休みや放課後に声かけてもいいし」


 僕はどこか安堵した気持ちで席に戻ろうとする。すると、窓際の席に居た山本君が声を上げる。


「おい、あれ見ろよ!」


 近くに居た数人が何事かと窓辺に寄り山本君の指す方向に目を向ける。僕も好奇心に駆られ、皆と同じように見る。


 そこは教職員向けの駐車場だった。校門から昇降口までの道なりからは死角になり気づかなかったが、そこにパトカーが一台停まっていた。


「どうしたの?」


「えっと、なんか警察が来てるみたい」


 あまり騒ぎになるのも嫌で、僕はサクラさんに耳打ちするように伝える。サクラさんは「ふーん」と興味なさげに自席へと戻って行った。


 僕の心配をよそに、パトカーや警察といった単語が瞬く間に教室中を駆け巡り、多くのクラスメイトが窓際へと押しかけていた。


 呆れながら席に戻りながらも、僕も気になる事は事実だった。何より、先生に呼び出されていた四季さんの事がある。


 もしかすると、警察が学校を訪れている事に四季さんが関わっているのではないか。まさかと思いながらも、タイミングが良すぎる。


 その日、岩垣先生はホームルームに少しだけ遅れてやってきた。

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