第5話
「んじゃ、また明日な」
校門を出た直後、ジンが僕等とは反対側へ歩み始める。彼の家は校舎のある丘の反対側にあり、徒歩で通学していた。トノはジンを追いかけ、タックルを食らわしてから走って僕らの元へ戻ってくる。
「バス停まで一緒に行きましょう」
トノは比較的学校に近い所に住んでいるが、重い荷物を抱えての通学ということで、バスを利用していた。そのバス停が最寄り駅へ行く道すがらにあるため、電車通学をしている僕たちと一緒に帰るのは必然だった。
「それで、あのノートについてだが……」
キョウが言いかけた言葉をトノが制する。
「あー、やめやめ。あんな不気味なもの、律儀に返さずに燃やしてしまえばいいんだわ」
「ダメだよ、呪われちゃったらどうするの?」
「えっ、もしかしてサクラ呪いとか信じてるの? あんな肝試しと同じで、呪われたとか呪ったとか、そういう事を言い合って楽しむものだからね」
「ふむ。トノと同意見だな。」
珍しくキョウがトノの発言に頷く。キョウは少しだけジンやトノに対して下に見ている節がある。いや、それを言い出したら、サクラさんやマヤちゃん、それに僕だって見下されているかもしれないが。
「そんな事よりさ。ジンと話してたんだけど、皆で週末で遊びに行かない?」
「行かない」
トノの提案にキョウが即答する。しかしトノは諦めない。
「はいダメー。キョウは強制参加ですー」
もしもジンがこの場に居れば、『キョウと強制を掛けたダジャレか?』と余計なことを言って、また彼女に叩かれていただろう。
マヤちゃんがキョウとトノのやり取りを不安そうに見つめている。キョウが誘いに乗ってくれる事を祈っているのだろうか。
キョウとトノの押し問答が続く中、僕らを追い越す形でバスが通り過ぎ、少し先に見える停留所の列の前に停まる。
「あっ、それじゃあ考えておいてね! バイバイ!」
トノは停留所に向けて駆け出す。同じ学校の生徒や、近隣企業に勤めるサラリーマンが列をなしていたおかけで、どうやら出発に間に合ったらしい。
「やれやれ。遊びって言ったって、何やるつもりなんだ?」
トノの乗ったバスを見送りつつ、キョウはぼやく。
「はい! 私、水着を見に行きたいわ!」
「水着を見に行きたいだぁ? そんなのは女子だけで行ってこい」
キョウの言葉に『ごもっとも』と心の中で同意する。
「いいじゃない。ほら、マヤちゃんも夏に向けて水着買いに行きたいよね?」
話を振られたマヤちゃんは突然の事に驚き、少しきょどり気味に「あ、うん」と答えた。そこでようやくサクラさんの思惑を理解する。
「はい決まり! キョウ君はマヤちゃんの水着を選ぶこと。いいわね?」
「ふざけているのか東郷桜」
ああ、これは本気でイライラしているやつだ。そう察して助け舟を出す。
「キョウもたまには女子の我儘に付き合ってやれよ」
「お前まで何を言いだす? 嫌だね、休日は家で本でも読んでいた方がずっと有意義だ。なんで俺がそんなリア充紛いのイベントに付き合わなければならんのだ?」
リア充紛いのイベントという言葉に思わず笑いが込み上げる。キョウらしいと言えばキョウらしいが、普通の男子高校生ならばこの手のイベントには嬉々として食いつくものでは無いのだろうか。
「水着なんてただの口実なんだからさ。ただ単に集まってどこかに行きたいだけだよ。ほら、キョウだって古本屋行きたいってぼやいてたじゃん。買い物の後に付き合うからさ。マヤちゃんみたいな同好の士が居れば、一人で本屋に行くよりも楽しいんじゃない?」
僕の言葉にキョウはピクリと眉を動かす。怒っているのか、或いは魅力的な提案だと感じたのか。後者だとするならば、マヤちゃんにも一縷の望みは残されている。
「……分かった。行けたら行く」
「おい、それを言って来たヤツを俺は知らないぞ?」
「ちっ。わーかったから。考えといてやる」
それも行けたら行くとほぼ同義の言葉だと思うが、キョウの中では違うのだろうか。だが、これ以上言ったところでキョウの気が変わるとも思えない。今日はこのぐらいで勘弁しておいてやろう。
「あの……楽しみにしていますから……」
マヤちゃんがかすれた言葉で言う。キョウは「あっそう」と素っ気ない態度だが、彼女の健気な姿が僕やサクラさん、ジンやトノがマヤちゃんを応援したくなる由縁なのだ。
「うん。それじゃあ、明日トノに話してみるね。あ、あと……」
サクラさんは少し迷ったような素振りを見せてから言葉を続ける。
「
「四季さんって、あの
思いがけない名前が飛び出し、僕は面食らう。四季静とは、今月の上旬に転校してきた女子生徒だった。
彼女がやって来た時、クラスでは様々な憶測が飛び交った。僕らはまだ高校一年である。つまり四季さんは前の学校を入学して数か月足らずで転校することになったのだ。好奇の目で見られてしまうのも致し方ないのかもしれない。
しかし彼女の態度も不思議なものだった。誰とも積極的に関わろうとせず、常に一人で行動したがるのだ。好奇心から転校の事情を聞きだそうとするクラスメイトたちは、尽くその企みを打ち砕かれ、やがて彼女の希望通り関りを持たない道を選んだ。
「おいおい。四季静といえば、あの孤高の四季だろ? 本人が誰かと関わるのを嫌がってるんだからほっとけよ。ついでに言わせてもらうと、俺もそっち側の人間だ。どうか静かな高校生活を送らせてくれないか?」
「いや、キョウは誰かに話を聞いてもらわないと死ぬ病気にかかってるでしょ」
そんな話をしている間に、僕らは駅へ到着する。改札を通り、階段を登ったところで皆足を止める。
「四季さんの話は今度しましょう。それじゃあ、また明日ね」
「じゃあね」
「バイバイ……」
「……」
キョウとマヤちゃんとはここでお別れだ。本来であれば、同じ中学に通っていたキョウとも同じ方向になるはずだったが、中学を卒業するタイミングで学校から反対方向へと引っ越して行ったため、彼はマヤちゃんと同じ方向になったのだ。つまりここからは二人だけの時間が始まる。
駅のホームへ続く階段を降りる。既に周囲は暗闇に満たされ、駅の蛍光灯には蛾やカナブンが集まっていた。電光掲示板が知らせる次の電車は、もう間もなく到着する。向かいのホームではキョウとマヤちゃんが並んで立っているのが見えた。一体どんな話をしているのだろうか。
「意外だね。どうして四季さんを誘うなんて言ったの?」
向かいのホームに向けて手を振るサクラさんに尋ねる。
「そう? せっかく同じクラスになったんだから、仲良くしたいじゃない。それに、私たちと一緒に居れば、色々と問題が起こらなくて済むと思うの」
電車の到着を告げる放送が響き渡り、すぐに重々しい車両が僕らの目の前に停まる。駅のホームに居ると、電車が前を通る度に死を身近に感じてしまう。僕だけがそんな事を考えるのだろうか。
「問題って?」
車両に乗り込みながら聞く。席は疎らに空いており、幸い二人で並んで座れる場所を見つけ腰を下ろす。
「ほら、一人で居る人って目を付けられやすいじゃない。私たちと一緒ならトノやジンも居るし、キョウもはっきりとものを言うし、たぶん私たちと遊んだらしばらくは安全だと思うの」
彼女が言いたい事は何となく理解できた。
四季さんはクラスの中で孤立し、腫物の様に扱われていた。今はいじめのような事は行われていないが、もしもこの状況が続くならば、何をしても許されると勘違いした生徒によって何かしらのアクシデントに巻き込まれる事は考えられる。決して僕らの学校の生徒は、全員が善人ではないのだ。
その点に置いて、トノやジンと遊んだという実績は大いにけん制に成り得た。生徒間のカースト制度についは思う所があるが、間違いなくトノとジンの二人はカースト上位であり、その二人と親密らしいという噂が立てば、下手な真似をする輩は現れないだろう。ましてはコミュニケーション能力強者であるサクラさんや、関わると面倒な事になるキョウも一緒だったとなれば、より手出しができないだろう。そう考えてみると、僕やマヤちゃんはこの四人のお陰で随分と平和な生活を送れているのかもしれない。
「明日声かけてみようか。僕らが声を掛けたってだけでも、警戒する人は警戒するだろうし」
「そうね。そうしましょう」
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