第4話
「えー、見せたいものって何? もしかして私たちは聞かない方がいいヤツ―?」
サクラさんが囃し立てるように言う。どうやらサクラさんの野次馬根性はジンとトノのような叶った恋よりも、マヤちゃんのような片思いに向けられているらしい。
「べ、別にみられて困るような変な物じゃないですよ。ただ、図書室で変なものを見つけただけで…」
「変な物? 図書館で?」
キョウが食い付いた事でマヤちゃんの目が輝く。そのままの勢いで、カバンを開け何かを取り出してキョウの前の机に置いた。
「これなんですけど……」
それは一冊のノートだった。いや、サイズ感から何となくノートである事が分かるが、表紙も背表紙も真っ黒に塗りつぶされている。小学生の頃にクラスメイトがふざけて、自分のノートの表紙をインクで真っ黒に染めていた事を思い出す。ただ、そんな悪ふざけと違い、均一に染められた黒色から、そのノートが元からそういうデザインなのだと察することが出来る。あるいは、黒い素材を使ったのかもしれない。
「何だこれ?」
キョウが興味深げに表紙に触れる。
「ざらざらしてるな。ただの厚紙って感じじゃない。羊皮紙……いや違うな。薄い皮を重ねてなめした感じだ。まさかニンピソウテイボンじゃ無いだろうな」
「何それ?」
キョウの口から魔法の呪文のような聞きなれない単語が飛び出し、思わず聞き返す。
「人の皮に普通の装丁本と書いて、人皮装丁本。読んで字のごとく、人間の皮で作った本の事だ。いわゆる
「ちょっとやめてよ」
キョウはトノに睨みつけられて、慌ててノートを開いた。
「何が書いてあるの?」
「これは記録……いや、日記か?」
僕らはキョウが机に広げたページを囲んで見る。そこにはかすれた文字で日付と文章が書かれていた。ただし、日付には年度が掛かれていない。おそらくキョウが日記と判断したのは、何かの大切な記録を残すのなら年度から書かれると考えたのだろう。
『2月3日 紙とペンをようやく手に入れた。何度も先生にお願いしたかいがあった。これもわたしが特別だからだと思う。この冷たい部屋では、ギジガジしか話し相手がいない。でもこれで記録を残すことが出来る。ここで私が死んだ後でも、これを読んだ人の心の中に私を残すことが出来る』
「なんか……不気味だね」
僕が言うと、皆がうんうんと頷く。ただ、キョウは真剣な眼差しでページをめくる。速読のキョウが読み進める速度にはついて行けず、時折日付が飛んでしまうが、どうやらこの日記の書き手は几帳面にも毎日何かしらの記録を残している様子だった。
『2月5日 今日もギシガシが少しだけ動いた。昔は好きなだけ動かすことが出来たのに、どうしてギシガシは先生が居ない時には動かないんだろう? 先生にはいくら動いたって言っても信じてもらえない。だからお注射の回数は増え続ける。ここは暗くて寒い。皆の為とかどうでもいいから、早くここから出してほしい』
『2月8日 先生が食事を持ってきたときに、開いた扉の先から男の人の叫び声が聞こえた。ここまで聞こえて来るってことは、とっても大きな声だったんだろうな。先生はすぐに戻って行ってしまった。せっかくギシガシが動いてくれたのに』
『2月10日 先生がギシガシを動かせれば、沢山の人を助ける事になるって言っていた。でも、それじゃあどうしてギシガシの腕には刃がついて居るんだろう。先生は、おすておとおむ、とかちぇいんそう、とか訳の分からない言葉でギシガシの腕の事を言う。先生が帰った後に、その刃を回してあそんだ』
不気味な言葉の羅列が続き、僕にはどうにもそれを直視することが出来なかった。ギシガシとは一体何なのだろうか。その疑問は持ちながらも、他の皆も同じ気持ちだったのか、ノートから目を背ける。
「マヤちゃん、これって一体何なの?」
サクラさんが聞く。しかし、マヤちゃんは首を振った。
「分かりません。たまたま図書室で見つけて……貸出カードも無かったし、図書委員の子にも見て貰ったけどよく分からないって。キョウ君なら何か心当たりあるかもって思って、持ってきちゃった」
確かに、キョウならばこのノートに書かれているギシガシについても知っている可能性はある。仮に知らなくとも、興味を持ってもらえればマヤちゃんとしては良いのだろう。
「これ、お前が作ったのか?」
いつの間にやら今日は最後のページまで読み解き、そのページを開いたまま尋ねる。
「まさか。そんな器用じゃないですよ。それに、こんな文章書くぐらいなら、部誌に寄稿する小説を書きます」
「そうか。いや、このノートはどうも悪戯のように思えてな。確かにお前はこんなくだらない事をやるような奴じゃないか」
キョウは最後のページを指さして言った。
『7月×日 まいにち新しいお友達ができて、私は幸せ。私が一人だと寂しいからって、ギシガシが連れて来てくれるの。これからも毎日一人、お友達を連れてきてくれるんだって。やっぱり私に紙とペンを与えたのは正解だったって、先生はとっても喜んでくれた。しょくばいとかよく分からない事を言っていたけど、この本を読んだ人をギシガシが迎えに行ってくれる。でもギシガシが連れて来るお友達は、みんな体が変で可哀そう。だれかこれを読んだ人で私の部屋に来てくれる人はいないかな。そうしたら、皆で仲良くお話できるのに』
日付の所は文字がかすれて読めなくなっていた。ただ、何となくキョウが言いたい事は分かる。一時流行った『これを読んだ人は呪われる』みたいな呪いの手紙だがメールだかと同じ匂いを感じる。
「なんか悪戯だと分かってても、嫌な感じだな。このギシガシってのは何なんだ?」
ジンの言葉にキョウはかぶりを振る。
「分からん。ただ、日記の記述からギシガシ動くからギシガシという名前だという事は分かる。おそらく、これ自体はブリキのおもちゃみたいな物で、名付け親である日記の書き手は小さな子供――それこそ、幼稚園ぐらいの年齢だろうな。ほら、それぐらいの子供って音の鳴る物をその音で呼んだりするだろ?」
「確かに、犬の事をワンワンとか呼んだりするよね」
「ああ。ただ気になるのが、その年齢の子供にしては文章が上手い事だな。高い教育レベルの子供なのか、子供の感性のまま大人に成ったのか。或いは、大人が悪戯で書いたのか。普通に考えれば悪戯の線が一番可能性が高いだろう」
「ねえ、途中に出てた魔法の呪文みたいな奴って分かる? ギシガシの腕の事を先生がそう呼ぶって書いてあったさ」
「ああ、オステオトームとチェーンソーだろ。オステオトームは骨を断つ為に作られた医療器具だな。改良されて歯の治療に使われてたりもする。チェーンソーは……分かるよな?」
「なるほどね。それじゃあ、この本は割と最近書かれたって事だ」
僕は少し安心して答える。しかし、キョウは僕の発言に異を唱えた。
「オステオトームが開発されたのは十九世紀だぞ。チェーンソーだって、兵器として第二次世界大戦の際に使われた記録が残っている。何より、紙の材質や劣化具合から見ても、かなり以前――それこそ、五十年以上前に書かれた物という印象を受けた。ユウが指す最近がいつの事かは知らないが、少なくともここ数十年って事はないだろうな」
日はすっかり沈み、空には星が浮かんでいる。教室を照らす蛍光灯のうちの一つがカチカチと音を立てて点滅を繰り返す。
「な、何かごめんね。ちょっと不気味だし、これ明日返してくるよ」
マヤちゃんが沈黙に耐えきれず、そのノートを回収し自分の鞄に仕舞おうとする。その腕をキョウが掴んで制する。
「待て。そのノートはここに置いておこう。明日返すなら、わざわざ家に持って帰る必要も無いだろ」
「えっ、でも……」
「別に呪いとか非科学的な事を信じてるわけじゃない。だけど、そんなもの持って帰るのも気味が悪いんじゃないか? ほら、俺は教科書類を全部持ち帰る派だから、机の中が空だろ。ここに入れておけ」
キョウは茫然とするマヤちゃんからノートを取り上げ、自分の机の中に仕舞う。
「ねえ、何か聞こえない?」
サクラさんが唐突に言う。トノが「ちょっと冗談やめてよ」と言うが、確かに僕にも聞こえる。何かがヒタヒタと音を立てて、教室の外を歩いている。
「俺にも聞こえるぞ」
ジンが言うとトノが顔面にパンチをお見舞いした。その間にも何かが教室に近づいてくる。
そして教室の前で足音は止まる。皆が緊張して扉を見ていると、ガラガラと勢いよく扉が開いた。
「お前ら、まだ残ってたのか!」
そこには担任の岩垣先生が居た。足にはサンダルを履いており、あのヒタヒタとした足音の正体に合点がいく。
「す、すいません。すぐ帰ります」
「まったく、明かりがついてたから見に来てみれば……もう施錠するから早くしろ!」
僕らは慌てて帰り支度を整え、脱兎のごとく教室を後にした。
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