第3話
日が陰りを見せる時間。僕とキョウ、サクラさんはまだ教室に残っていた。
「そろそろ部活の終わる時間かな」
僕はパックのミルクティーをストローで飲み干しながら言う。これは途中、三人で購買に行き、じゃんけんで負けたキョウに買ってもらった物だ。
ちょうど僕が言葉を言い終えた途端、廊下から足音が聞こえる。言霊という言葉が脳裏をよぎるが、ほどなく顔を覗かせたのはマヤちゃんではなかった。
「なんだお前ら、まだ残ってたのか」
僕らを見つけ、まるで先生が言いそうな事を言いながら教室に入ってきたのはクラスメイトの
「なんだ、ジンか。トノちゃんは一緒じゃないのか」
「一緒だったぜ。自分の教室に荷物を取りに行っただけだから、すぐに来ると思う」
ジンは背負った楽器ケースを自分の机に置き、僕らの集まっている窓辺の席へと寄って来た。軽音部でギターをやっている彼は毎日の登下校が大変だと思う。軽音部の部室には楽器を置いておく鍵付きのロッカーがあるらしいが、個数に制限があるため使用できるのが二年生以上に限られているらしい。
「それで、今日の講義は何だったんだ?」
「吸血鬼を南極に運ぶ方法。興味あるか?」
キョウがジンに聞く。二人は決して仲が悪いわけではなく、授業中にグループを作る必要があれば互いに仲間に引き込み合うぐらいには交流があるが、キョウは短絡的なジンの考え方があまり好きではなく、ジンはジンで小難しい話を永遠にし続けるキョウが苦手らしい。要は話が合わないのだ。
現にキョウからの質問にジンは「いや、全くねぇな」と首を傾げる。
「マヤちゃん見なかった?」
これはサクラさんの質問。ジンは「ああ」と相槌を打つ。
「さっき廊下で会ってトノと一緒に教室に行ったから、一緒に来るんじゃないか?」
「そうか。有益な情報をありがとう。それでは俺は失敬させてもらおうか」
席を立とうとするキョウを僕を含む全員で引き留める。結局キョウは苦虫を嚙み潰したような顔で座り直す。
「キョウ君ってマヤちゃんの事、苦手なの?」
「苦手っアイツないのだが……ほら、アイツと俺と帰り道が同じじゃないか。初めは色々と話を聞いてくれて有難がったが、アイツはアイツで話がしつこいだろ? どうも二人の時間が長いと気が疲れるんだ」
サクラさんは自分で質問しておきながら、フーンと興味なさげに聞き流す。対して僕は気が気ではなかった。マヤちゃんは饒舌な方ではなく、どちらかと言うと思慮深いイメージだったが、キョウと二人の時はキャラが変わるらしい。それに気づかないキョウが鈍感なだけならよいのだが、そもそもマヤちゃんに対して興味が無いのなら脈が薄いような気がする。
程なくして、教室に二人の人物が足を踏み入れる。
「お待たせ―! 可愛い彼女様だぞー!」
元気よく
「誰が可愛い彼女だよ」
「ああん?」
トノは背中にベースの入った楽器ケースを背負ったまま駆け出す。ジンは「やっべ」と言ってその場を離れようとするが、すぐさまトノに捕まり背中に蹴りを入れられる。
「痛い痛い!」
「てめぇ、誰がブスだよオイ!」
「そこまで言って無いだろ! 違う、皆の前で大声でそういう事言うのは恥ずかしいから止めろって事だから!」
トノは「ちっ」と舌打ちをしつつ攻撃の手を止めた。
「ホント二人って仲いいよね」
「まったく、見せつけてくれるぜ」
「お前らなぁ」
僕とサクラさんのチャチャにジンは諦めたように肩をすくめる。
このじゃれ合いは二人が付き合いだす前から行われていた。二人の馴れ初めは高校入学後に部活動であり、知り合ってからの時間は決して長くは無いのだが、まるで長年の付き合いがある幼馴染のような夫婦漫才を繰り広げていた。
まったくもってお似合いの二人だと思う。ジンは決して背は高くないが、中学時代の運動部で鍛え抜かれた体格に、端正な顔つき。対外的には性格も良く、話も面白い。更にギターを弾けるのだから、もはや男子高校生のモテの頂に立っているような役満野郎だ。
そんな女子人気の高いジンを射止めたのが、逆に男子人気ナンバーワンのトノなのは世の理なのかもしれない。
腰にかかる透き通るような黒髪。釣り目で整った顔立ちの美人。対外的には立ち振る舞いもお嬢様然とした優雅さで接しつつも、時折冗談も交えて距離感を感じさせないコミュ力を持つ。それでいて軽音部でベースをやっているというギャップまで盛っているのだ。本当に気を許した友人の前でだけ見せる、この横暴な性格が無ければ、僕だって心を奪われていた可能性はある。
ちなみに僕は二人に対し、個別にどうして付き合ったのかを聞いた事がある。返ってきた答えは、二人とも「顔」だった。まったくもって本当にお似合いの二人だと思う。
そんな騒がしいトノとは対照的に、おずおずと教室に入って来たのが多々良摩耶だ。彼女はトノとジンのじゃれ合いに若干引きながらも、サクラさんの元へ近寄り制服の袖を掴んでいた。
小柄でややふっくらとした体付き。少し癖のある髪だが、愛嬌のある丸顔。いつも一緒に居る三織がとびきりの美人であるため陰に隠れがちだが、彼女も十分に可愛いのだ。
「マヤちゃんも部活お疲れ様。キョウも少しはマヤちゃんを見習ったらどうなんだ? 部活同じなんだろ?」
僕は二人が自然と話をできるよう気を利かせる。しかし、キョウとマヤちゃんが何か言葉を発する前にトノが割り込む。
「それで、今日はどんな講義だったの?」
ジンと同じ質問に思わずキョウも苦笑する。
「ドメスティックバイオレンスにおける裁判所の判決についてだ。興味あるか?」
先ほどと違う答えにジンは満足気に笑いながらトノちゃんの肩を叩く。
「聞いといた方がいいんじゃないか?」
トノは肘でジンの溝内を力強く突いた。
「まだアンタとドメスティックな関係になった記憶は無いんだけど」
“まだ”という事は今後は考えているという事だろうか? うめきながら胸を押さえるジンを見ながら、思わず笑みがこぼれる。既に力関係は明確なのだから、苦労しそうだなと。
「夕日綺麗だなぁ」
サクラさんはそれらのやり取りに興味が無いといった様子で、窓の外を眺めていた。今まさに、平野の先の山間に太陽が落ちようとしている最中だ。こういう景色が見れるのは、西側に窓がある教室の特権だろう。
サクラさんの言葉に呼応して、皆が黙って窓の外を見る。この数秒の沈黙の中、皆は心の中で何を思ってるのだろう?
「そういえばさ、マヤっち何かキョウに見せたいものあるって言ってなかった?」
トノの言葉に皆の視線がマヤへと集まった。
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