第2話

 五限目の数学と六限目の歴史を終えた教室は、放課後と言う自由を得た学生で賑わっていた。部活に行くグループ、どこかへ遊びに行くグループ、素直に帰宅するグループ。そして少数派ながら教室に残り駄弁っているグループ。


 僕とキョウはその少数派のグループだった。特に理由が有るわけではないが、帰って何かやりたい事があるわけではない僕と、ある事情により一応は帰らずに残っているキョウは時折こうして教室に残り、取り留めのない雑談に興じている。


「南極の生態はとても面白くてな。周囲を取り囲む様に流れる海流の影響で隔絶された世界になっているんだ。だから……」


 昼間に隔絶された水辺に外部から魚がどうやって来たのか話をしていた関係で、今日のキョウの講釈は生物に関する事が多かった。生物に関わらず、キョウはその日その日に応じて様々な知識を披露していた。昨日は様々な戦国武将の手を渡り歩いた刀の話だったし、その前はフェルマーの最終定理が証明されるまでの歴史について熱く語っていた。一体キョウはどうやってこの手の知識を得ているのか不思議である。


 対して僕はこの手の雑学に特段詳しいわけではない。しかし、キョウの語る話はどれも面白く、ついつい聞き入ってしまう。それこそ、放課後に帰宅せず、こうして教室に残るぐらいにはキョウの講義は好きだ。キョウも僕が頷きながら傾聴してくれるのが嬉しいらしく、ついつい話が長くなってしまうと時折語っていた。


 そんな僕らの元に近寄る人物に気づき、視線を向ける。


「やっほー。お二人さん、今日は何の話?」


教師に目を付けられない程度に茶色が入った、肩に僅かに触れる程度の髪が揺れる。


「何の用だ、東郷桜とうごうさくら


「おい……今日は南極の生物がどうして巨大化するのかって話だよ」


 キョウは苛立ち気味に答え、僕がそれをたしなめる。僕らの会話にサクラさんが割って入る事は多々あり、キョウはその要件を察しているからこその苛立ちを覚えるのだった。


「へぇ。確かに白熊って大きなイメージあるかも」


「お前は冗談で言っているんだよな? 白熊が別名ホッキョクグマと呼ばれており、南極に生息していない事を知った上でそんな冗談を言っているんだよな?」


 サクラさんはキョウの言葉にイエスともノーとも答えず、微笑だけを返す。頬にできた笑窪に言い知れぬ艶やかさを感じ、思わずドキリとしてしまう。そもそもサクラさんは美人というよりは可愛いタイプの女の子だ。顔はそもそも童顔だし、背は高くなく胸もあまり無い。人によってはボーイッシュな印象を受けることだろう。しかし、時折妙に女性らしさを感じてしまうのだ。


「でも最近暑いよね。南極行ったら涼しいかしら」


「南半球はこの時期冬だ。それどころか南極は今、極夜の真っ最中だぞ。涼しいどころかオーロラがよく見えるだろうさ」


「極夜って何?」


「太陽が昇らない期間の事だよ。ほら、地球ってちょっと傾いて回っているじゃん。南極や北極はちょうど太陽の反対側に回り込んじゃって、日の光が一切入らない時期があるんだ。逆に今の北極は太陽の方向を向き続けているから、日の沈まない白夜のはずだよ」


 サクラさんの問いに僕が答える。これはもちろんキョウの受け売りだが、彼から得た知識はこうした雑談には持って来いである。人によっては小難しい話は敬遠しがちだが、幸いなことにサクラさんを含む仲の良い友人の大半はこの手の話に抵抗が無い。


「へぇ。じゃあ、もしも吸血鬼になったら南極に行けばいいのね」


「確かに。そういえば、あれ読み終わった?」


 随分と独創的な発想だと感心する。そういえば、この前サクラさんには吸血鬼が登場する漫画を貸していた。まだ返してもらっていない事を思い出し、さり気なく催促してみる。


「まだ。もう少しで借りた分は読み終わるから、来週続き持って来て」


「ふん、どいつもこいつも中二病かよ。第一、吸血鬼は水流の上を渡れないって弱点があるんだぞ。あいにく、吸血鬼には出会ったことが無いので真偽のほどは定かではないが、これが本当なら船に乗っていたとしても周囲を海流で囲まれた南極に吸血鬼は足を踏み入れる事はできないだろうな」


「えっ、そうなの?」


 キョウの悪態に対しサクラさんは興味深げな反応を返す。キョウも悪い気はしなかったのか、饒舌に話を始める。


「水流を吸血鬼が渡れないという特性は、穢れを洗い流す水流は不浄の存在である吸血鬼も流されてしまう、という民間信仰から来るものなんだがな。他にも吸血鬼には面白いがあまり知れ渡っていない特性が多くある。例えば……」


「ねえ、サクラさん。バイトは大丈夫なの?」


 僕はキョウを無視して尋ねる。彼女はコンビニでアルバイトをしており、放課後には慌ただしく帰宅するところを度々目撃していた。


「大丈夫、今日は休み。そうだ、だからキョウ君に言伝をお願いされたんだった」


 サクラさんはようやく要件を思い出し、キョウに対して指を指す。


「今日こそ部室に顔を出しなさい。とマヤちゃんが言っていました」


「うむ。断る」


 このやり取りを高校に上がってから何度見た事だろうか。マヤちゃんとは、サクラさんと仲の良い隣のクラスの女子で、本名は多々良摩耶たたらまやという。何の捻りもない呼び名だが、多々良摩耶という名前はどうにも捻りにくい。とはいえ、サクラさんもただ単に下の名前呼びなのだが。ただ、うちのクラスで僕の悪友である神野じんのはジンと呼ばれていたり、マヤちゃんの親友の渡野辺とのべさんはトノやトノ様と呼ばれている。僕やキョウもあだ名で呼ばれている事を考えると、マヤちゃんとサクラさんには妙な壁を感じてしまう。


 話は逸れたが、キョウとマヤちゃんは同じ文芸部に所属している。文芸部には部室があるのだが、図書館や自習室で作品を作成する部員の為、慣例として一度部室に顔を出せばその後は下校時刻まで校内のどこで活動しても良いらしい。キョウが放課後に帰宅しないのは、一応は部活の決まりだからとの事だが、部室に顔を出していないのだから意味が無いような気もする。


「マヤちゃん言っていたけど、なんかキョウ君の事を怒ってる先輩もいるみたいよ。今からでも顔出して来れば?」


「ふん。俺が気に入らないなら、その先輩とやらが俺の所に来ればいいだろう。だいたい、我が校の文芸部は時代にそぐわないとは思わないか? 他校の文芸部は部活に顔を出すのは自由で、部誌に掲載する成果物さえ提出すれば良いところが大半じゃないか」


「いや、私に言われても……」


 まったくの部外者であるサクラさんにはとって、文芸部の話で当たられてもとばっちりでしかない。呆れたように肩をすくめつつ、サクラさんは隣の席から椅子を引き出し、僕らの隣に座った。


「おい貴様、どうして当然のように座っている!?」


「いいじゃん、別に。歓迎してよ」


「歓迎する訳が無いだろう!」


 キョウは再び悪態をつく。僕は大歓迎だけどね。


「ねえ、今日もマヤちゃんの件?」


 僕はサクラさんに囁くように聞く。


「部活終るまで引き留めといてって。どうしてマヤちゃんはこんなヤツが良いんだろうね。まあ、ユウ君もなんだけど」


 僕は苦笑しながらも事情を把握した。いくら鈍感な僕でも分かる。マヤちゃんはキョウの事が好きなのだ。そして、サクラさんはキョウや僕と同じ中学を卒業している縁から多少は交流があり、マヤちゃんとキョウを引き合わせる手引きをしているのだ。


「おい、一体何の話をしている!?」


「何でもないよ。それより、早く続きを話してよ」


 僕はサクラさんを手伝う意味で、キョウに話の続きを促す。キョウは「ん? ああ。ええっと、ホッキョクグマの呪いの話だったな」と返事を返して、なぜか南極の話でも吸血鬼の話でもなく、ホッキョクグマの肝臓には致死量のビタミンAが含まれている話を語り始めた。

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