第1話


「なあ、キョウは不思議だとは思わないか?」


 昼休み。心地よい風を感じながら、僕は腐れ縁のキョウと共にプールサイドで菓子パンを齧っていた。


 本来は生徒が立ち入ってはいけないこの場所は、もちろんの事ながら僕こと林田裕司はやしだゆうじとキョウ以外に人の姿は無い。さらに言えば校庭の奥まった立地と周囲を囲むパーティションのおかげで校舎から死角になり、教師陣に見咎められる心配もない。ゆえに僕とキョウ以外に立ち入る人間の居ない、占有スペースとなっていた。


 学校という環境は案外プライベートな場所が少ない。教室、廊下、校庭のどこをとっても、周囲に誰かしら第三者の目が入る。漫画やアニメでは屋上を主人公たちが独占しているシーンを度々見かけるが、ここ東明富ひがしあけと高校の屋上は厳重に閉鎖されている。他校に進学した友人の話を聞いても、ほとんどの高校は屋上を開放していないようだ。飛び降りだとか、ふざけて転落だとか、何かしらの事故が起こる事を懸念しての事だろう。


 そう、ここは誰にも見咎められずに友人たちだけで占有できる場所というのは貴重なのだ。誤解のないように言っておくが、僕とキョウこと城川鏡太郎しろかわきょうたろうは第三者の目が無い場所で見られてはマズイ事をしている訳ではない。施錠されているプールに忍び込む程度の悪さはするが、あいにく飲酒や喫煙、その他のドラッグに興味を示す程の不良ではない。むしろ、ここに忍び込んでいる事を知らない教師陣からは真面目な生徒だと思われている方だろう。


 この場所には自分たち以外に誰も居ない。僕とキョウが昼休みをこのプールサイドで過ごすのは、ただそれだけの理由だった。しかしそれは、常に誰かに見られ続ける学校という場において非常に贅沢なものなのだ。


「何が不思議だって?」


 やや間をおいた後にキョウは聞く。


「どうしてこのプールには魚が泳いでいるんだろう?」


 一つだけこの場所には欠点がある。我が東明富高校の体育にはプールの授業がカリキュラムに含まれておらず、数年前に水泳部が廃部となってからこのプールは誰も清掃をしていないらしい。人の手が入らないこのプールはもはや人が入れる場所ではなく、増殖したプランクトンの放つ毒々しい緑色に満たされていた。あまつさえ水面には、黒い魚の影が時折映り込む。もはやプールというよりは、溜め池である。


「それは、このプールに魚が住み着いているのはおかしいって事でいいのか?」


 キョウは僕の質問の定義付けを行う。理系っぽいなと思う反面、彼は理系科目に限らず英語以外の文系科目の成績が良い事も僕は知っている。神は二物を与えずという言葉は嘘だったのだろうか。


「だってそうだろう? このプールは排水口以外とは繋がっていない、隔離された水溜まりじゃないか。こんな所に一体どうやって魚が入り込むんだ?」


 キョウは手に持った菓子パンを食べ終え、ごみをビニール袋へと入れた。


「……考えられる可能性は幾つかあるな。まず、大雨か何かで増水した時に入り込んだ可能性だ」


「ああ、確かに」


 そういえば、冠水した路上の上を錦鯉が泳いでいる映像を見た事がある。テレビのニュースだったか、動画サイトに投稿されたものだったかは忘れたが、アレと同じ事が起これば隔離されたプールの中に魚が迷い込む事も決して不思議ではない。


「まあ、それはあり得ない話なんだけどな」


「どうして?」


「水はけがよく広々とした校庭に隣接していて、なおかつコンクリートで底上げされた水辺まで届くほどの増水は聞いたことがない。少なくとも、水泳部が廃部になった数年前から今日までの間にそれほどの水害は無いだろう? 何よりここは丘の中腹に建てられた学校だ。ここまで冠水するなら、下の平野に棲んでいる俺達は今頃水の底だぜ」


「自分で言っておいて自分で否定するのかよ」


「可能性は全て検証し否定し続けた先に真実だけが残る。焦って目の前の簡単な答えに飛びつくと命取りになるぜ」


 お前は探偵か何かかよ。そう突っ込みを入れたかった。


「それで、他の可能性は?」


「最近聞いた話なんだが、鳥が魚の生息域を広げるという論文があるらしい」


「あー、分かった。鳥に咥えられた魚が空中で逃げ出して、水辺にダイブするんだろ?」


 キョウは僕の発言に対し、苦笑混じりに答える。


「どんな奇跡的な確率だよ。それだと生きたまま長距離は移動できないし、何より高所から水面に叩きつけられたら死ぬだろ」


「あ、ごめん」


 思い付きを完膚無きまでに否定され、僕は思わず謝ってしまう。


「いや、謝罪は要らないだろ。いつも見当違いな事を言うお前でも、十回に一回ぐらいは有意義なことを言うからな」


 なんでコイツはいつも上から目線なのだろう? まあ、長い付き合いの中でキョウの毒舌にも慣れて気にならなくなったし、今の言葉も彼なりの不器用なフォローなのだと分かるから良いのだが。


「それで、鳥と魚が何だって?」


「ああ、鳥は魚を捕食するだろ。その時に卵も一緒に食べる事になるが、一部の魚の卵は消化されずに排出されているらしい」


「はあ? そんな馬鹿なことある?」


「もちろん、全部が全部じゃないぜ。実験で魚の卵を食べさせて、排泄物から生存に足る状態で回収された卵は○.二パーセント程度だったらしいが、それでもお前の語った曲芸みたいな奇跡よりは現実的な話だろ。現に、カルデア湖みたいな外部から隔離された高地の水辺に魚類が棲息しているのは、この特性によるものだと考えられているみたいだ」


 確かに、魚は一度に大量の卵を生む種類によっては、何千、何万という数になるのだとか。


「それじゃあ、この魚は鳥が運んできた卵から孵化したってことか?」


「だから、簡単に結論を出すなと言ってるだろ。このプールに住み着いた魚の種類を見れば、今の仮説はあり得ないことが分かる」


 僕の眺める目線の先の水面ギリギリに魚が上がってくる。赤い魚体に大きなヒレ。


「金魚だね」


「金魚は野生で棲息していないことは知っているか?」


「えっ? そうなの?」


「金魚は突然変異したフナの一種だが、自然では生きていけないんだ。もはや過酷な環境に適した生態ではなくなっているんだな。運よく生き残った個体も、世代交代の中で通常のフナへと戻っていくという説もある。まあ、海外では凶暴化した金魚が猛威を振るっている所もあるらしいが、少なくとも今の日本では野生化した金魚は生息していない事になっている」


「それじゃあ、飼いきれなくなった金魚は放流しても問題ないの?」


 何の気なしに聞いた言葉で僕はキョウの虎の尾を踏んでしまった。今日は血相を変えて僕に食って掛かった。


「バカかお前は。今は野生化した金魚が日本に居ないだけだ。逃がした個体がどんな変異を起こして環境を破壊してしまうか分かったものじゃない。まさか林田裕司ともあろう者が、そんな事も分からないとは」


 僕は林田裕司と呼ばれドキリとする。キョウが相手をフルネームで呼ぶのは、本気で怒っている証拠だ。


「じょ、冗談だよ。それよりも、この金魚がどこから来たかを考えようよ」


 僕はキョウの怒りの矛先から逃れる為に話題を戻す。何もここまで怒らなくても良いじゃないか。まったく、キョウは琴線がどこにあるのか分かりにくくて困る。


 キョウは気を取り直した様子で水面へと視線を戻す。


「増水や鳥といった自然の力ではこの隔離された場所に辿り着けず、なおかつ金魚は自然環境に存在していない。ここまで話せば、鈍感なユウでも答えに辿り着けると思うけどな」


 ユウとは僕のあだ名である。下の名前の裕司からキョウは僕の事をそう呼んでいる。彼がユウと呼んでいた為、高校に上がってからできた友達からもユウ、またはユウ君と呼ばれるようになった。


「金魚が野生に生息していないなら、これは人間の手によって持ち込まれたって事だよな?」


「ああ、その通りだ。恐らく、生物部の連中が数の増えすぎた金魚をここに放し飼いにしたのだろう。学校側の許可を取っているとはとても思えないが、この場所に侵入する方法があるのは俺たちが証明済みだ」


「……なんて事の無い真相だね。今までの仮説と反証を繰り返す必要あった?」


 僕は呆れてため息交じりに言う。一体このやり取りに何の意味が有るというのだろう。


「言っただろう。焦って目の前の簡単な答えに飛びつくと命取りになるぜ。今回はたまたま真相が最も簡単なものだっただけであって、他の可能性を吟味したうえで簡単な答えをはじき出す事と、初めから簡単な答えに飛びつく事では雲泥の差がある。例えば……」


 キョウの長い話が始まりそうな予感を感じた矢先、予鈴が鳴る。


「話はまた今度にして、戻るよ」


 僕とキョウはフェンスをよじ登りプールサイドから脱出する。今日もなんて事の無い、いつも通りの平和な昼休みが終ろうとしていた。


 しかし、僕もキョウもこの時は知らなかった。プールに人為的に生き物が持ち込まれたのと同じように、この学校にも或る人物の手によって良くないモノが既に持ち込まれていたのだと。

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